竹取翁と万葉集のお勉強

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高橋連虫麻呂歌集を鑑賞する  水江浦嶋子一首

2010年12月02日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
詠水江浦嶋子一首并短謌
標訓 水江(みずのえ)の浦嶋の子を詠める一首并せて短歌

集歌1740 春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得乎良布見者 古之 事曽所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 邂尓 伊許藝多 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人乃 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曽己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡 宅毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓 垣毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯 如本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 叨袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴 由奈由奈波 氣左倍絶而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見

訓読 春の日の 霞(かす)める時に 墨吉(すみのへ)の 岸に出で居(い)て 釣船の とをらふ見れば 古(いにしへ)の 事ぞ思ほゆる 水江(みづのへ)の 浦島(うらしま)の子が 堅魚(かつを)釣り 鯛釣り矜(ほこ)り 七日(なぬか)まで 家にも来ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに 海若(わたつみ)の 神の女(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向ひ 相(あひ)眺(あとら)ひ 言(こと)成しかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海若(わたつみ)の 神の宮(みや)の 内の重(へ)の 妙なる殿(あらか)に 携(たづさ)はり ふたり入り居(ゐ)て 老(おひ)もせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを 世間(よのなか)の 愚人(おろかひと)の 吾妹子に 告(つ)げて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告(の)らひ 明日(あす)のごと 吾は来(き)なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この篋(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅(かた)めし言(こと)を 墨吉(すみのへ)に 還り来(きた)りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて 恠(あや)しみと そこに思はく 家ゆ出でて 三歳(みとせ)の間(ほど)に 垣もなく 家滅(う)せめやと この箱を 開きて見てば もとの如(ごと) 家はあらむと 玉篋(たまくしげ) 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺(とこよへ)に 棚引(たなび)きぬれば 立ち走り 叫び袖振り 反(こひ)側(まろ)び 足ずりしつつ たちまちに 情(こころ)消失(かう)せぬ 若くありし 膚も皺(しわ)みぬ 黒(ぐろ)かりし 髪も白(しろ)けぬ ゆなゆなは 気(き)さへ絶えて 後(のち)つひに 命死にける 水江(みづのへ)の 浦島の子が 家地(いへところ)見ゆ

私訳 春の日の霞んでいる時に、住吉の岸に出て佇み、釣舟が波に揺れているのを見ると、遠い昔のことが偲ばれる。水江の浦の島子が、鰹を釣り、鯛を釣って皆にその腕を誇り、七日間も家に帰らず、海の境を越えて漕いで行くと、海神の神の娘に偶然行き遭って、互いに求め合い、愛し合う約束が出来たので、夫婦の契りを結び、常世に至り、海神の宮殿の奥深くの立派な御殿に、手を取り合って二人で入って暮した。そうして老いもせず、死にもせず、永遠に生きていられたというのに、人の世の愚か者が妻に告げて言うことには、すこしだけ家に帰って、父と母に事情を告げて、明日にでも帰って来ようと云うので、妻が言うことには、この常世の国の方にまた帰って来て、今のように夫婦で暮そうと言うのなら、この箱をあけていけません、きっと。と、そんなにも堅くした約束を、島子は住吉に帰って来て、家はどこかと見るけれども家は見つからず、里はどこかと見るけれども里は見当たらず、不思議がって、そこで思案することには、家を出て三年の間に、垣根も無く家が消え失せてしまうとはと、この箱を開けてみれば、昔のように家はあるだろうと、玉の箱を少し開けると、白い雲が箱から出て来て、常世の国の方まで棚引いて行ったので、立ち走り、叫びながら袖を振り、転げ回り、地団駄を踏みながら、すぐに気を失ってしまった。島子の若かった肌も皺ができ、黒かった髪の毛も白くなった。後々は息さえ絶え絶えになり、挙句の果て死んでしまったという。その水江の浦の島子の家のあったところを見たよ。


反謌
集歌1741 常世邊 可住物乎 劔刀 己之行柄 於曽也是君
訓読 常世辺(とこのへ)に住むべきものを剣太刀(つるぎたち)汝(な)が心から鈍(おそ)やこの君

私訳 常世の国に住むべきはずを、鋭い剣太刀とは違いお前は心根から鈍い奴、ほんにこの人は。

 先の集歌1738の上総末珠名娘子の歌が上総国の忌部一族の伝承を詠う歌なら、この集歌1740の水江浦嶋子の歌は難波の日下部一族の伝承を詠う歌です。
 日下部一族は、本貫が丹後半島竹野付近ではないかと推定され、新羅と日本海沿岸の交易に従事した海の民と思われます。そのためか、古代の海上拠点である丹後半島、関門海峡、難波に日下部、草壁等の「くさかべ」の名で拠を張っています。浦嶋太郎物語は丹後半島の物語とされていますが、丹後半島から住吉に伝えたのか、それとも逆で住吉から丹後半島に伝えたのかは、今ではもう不明です。
 なお、丹後半島竹野付近は垂仁天皇の妃となる美知能宇斯王の四姉妹の故郷ですが、古事記や日本書紀には「相楽」や「乙訓」の地名の由来は出てきますが、この時代の物語として浦嶋太郎物語は現れて来ません。どちらかと云うと、明石の速吸門に亀の背の乗って現れた倭国造の祖にあたる棹根津日子と浦嶋太郎物語とがイメージとして重なるのではないでしょうか。


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