竹取翁と万葉集のお勉強

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柿本朝臣人麻呂の歌並びに人麻呂歌集の歌 23

2013年05月26日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
柿本朝臣人麻呂の歌並びに人麻呂歌集の歌

集歌2490 天雲尓 翼打附而 飛鶴乃 多頭ゞゞ思鴨 君不座者
訓読 天雲に翼(はね)打ちつけに飛ぶ鶴(たづ)のたづたづしかも君坐(いま)さずは
私訳 空の雲に翼を打ちつけるように飛ぶ鶴がたくさんたくさんにいると思うように、千路に乱れてたくさんのことを思い悩んでいます。貴方がいらっしゃらないと。

集歌2491 妹戀 不寐朝明 男爲鳥 従是此度 妹使
訓読 妹し恋ひ寝(い)ねぬ朝明(あさけ)し鴛鴦(をしとり)しここゆ渡る妹し使(つかひ)か
私訳 貴女を慕って眠れぬ夜の朝明けに鴛鴦が仲良くここに来るように、ここに遣って来るのは貴女からの使いでしょうか。

集歌2492 念 餘者 丹穂鳥 足沾来 人見鴨
訓読 思ひにしあまりにしかば鳰鳥(にほとり)し足濡れ来(こ)しし人見けむかも
私訳 貴女に恋して思い込むばかりに、鳰鳥が足を濡らすように、私が足元を濡らしてやって来たのを、人は見たでしょうか。
注意 原文の「足沾来」を「なづさひ来し」と訓むものもありますが、ここでは漢字のままに訓んでいます。

集歌2493 高山 峯行宍 支衆 袖不振来 忘念勿
訓読 高山(たかやま)し峯(みね)行く鹿猪(しし)し支(えだ)衆(さは)に袖振らず来(き)ぬ忘ると思ふな
私訳 高い山の峰を行く鹿や猪のように同族の見送りの人が多いので、貴女に別れの袖を振らないで来ました。私が貴女を忘れると思わないで下さい。
注意 原文の「支衆」の「支」は、一般に「友」の誤字として「友衆」から「友を多み」と訓みます。ここでは原文のままに訓んでいます。

集歌2494 大船 真楫繁抜 榜間 極太戀 年在如何
訓読 大船し真楫(まかぢ)繁(しじ)貫(ぬ)き漕ぐ間(あひだ)ここだ恋しき年しあらば如何(いか)に
私訳 大船に立派な梶を下ろし大船が港の間を航海するように、これほどはっきりと私は貴女に恋をしているのに、逢えない年月があるとするとどうしよう。

集歌2495 足常 母養子 眉隠 ゞ在妹 見依鴨
訓読 たらつねし母し養(か)ふ蚕(こ)し繭隠(まよこも)り隠(こも)れる妹し見むよしもがも
私訳 心を満たす母が飼う蚕が繭に籠るように、母親によって家の奥に隠れている貴女に会う機会がほしい。

集歌2496 肥人 額髪結在 染木綿 染心 我忘哉
訓読 肥人(こまひと)し額髪(ぬかがみ)結へる染(しめ)木綿(ゆふ)し染(し)みにし心我(われ)忘れめや
私訳 肥後の人の額の髪に結ぶ染めた木綿のように、貴方に染まった私の気持ち。どうして、私がその気持ちを忘れるでしょう。
一云、所忘目八方
一(ある)は云はく、
訓読 忘らえめやも
私訳 忘れられるでしょうか。

集歌2497 早人 名負夜音 灼然 吾名謂 孋恃
訓読 隼人(はやひと)し名に負(お)ふ夜声(よこゑ)しいちしろく吾(わ)が名し告(の)りつ麗(うるわし)恃(たの)まむ
私訳 隼人の名前に相応しい夜警の声がはっきり聞こえるように、私の名前を貴方に告げました。そして、私は妻として貴方を頼りにいたします。
注意 原文の「孋恃」の「孋」は「儷」に通じるとされ、つれあいや夫婦の意味となるようです。そこから、一般には夫婦の意味合いを取り「妻と恃ませ」と訓みます。ここでは、逆に女が男を頼るとして解釈しています。ここで、集歌2480や2509の歌を参照すると、人麻呂と妹の間では、その妹のことを「孋」と特別に表現していた可能性があります。その意味合いは「若く麗しい私の妻」です。

集歌2498 釼刀 諸刃利 足踏 死ゞ 公依
訓読 剣太刀(つるぎたち)諸刃(もろは)し利(と)きに足踏みて死なば死なむよ君し依(よ)りては
私訳 貴方が常に身に帯びる剣や太刀の諸刃の鋭い刃に足が触れる、そのように貴方の“もの”でこの身が貫かれ、恋の営みに死ぬのなら死にましょう。貴方のお側に寄り添ったためなら。
注意 万葉集の歌には「下半身」を「脚」の漢字で表記したものはありません。原文の「足踏」の「足」には女性の下半身(内股)の意味も含まれるようです。参考に、当時の流行歌に「劔鞘納野(剣太刀、鞘に入りの)」なる言葉があります。そこからの妄想です。

集歌2499 我妹 戀度 釼刀 名惜 念不得
訓読 我妹子し恋ひしわたれば剣太刀(つるぎたち)名の惜しけくも思ひかねつも
私訳 剣を鞘に収めるように私の愛しい貴女を押し伏せて抱いていると、剣や太刀を身に付けている健男の名を惜しむことも忘れてしまいます。

集歌2500 朝月 日向黄楊櫛 雖舊 何然公 見不飽
訓読 朝月(あさつき)し日向(ひむか)黄楊(つげ)櫛(くし)旧(ふ)りぬれど何しか君し見れど飽(あ)かざらむ
私訳 朝に月が太陽に会う、その言葉のひびきではないが、日向の黄楊の櫛のように貴方と慣れ親しんでいますが、どうしてでしょう、貴方にこのようにお逢いしても逢うことに満ち足りることがありません。

集歌2501 里遠 眷浦経 真鏡 床重不去 夢所見与
訓読 里(さと)遠(とほ)み眷(か)ねうらぶれぬ真澄鏡(まそかがみ)床しげ去(さ)らず夢に見えこそ
私訳 貴方の家が遠いので振り返り見て寂しく思う。願うと姿を見せるという真澄鏡よ。夜の床でのあの人の面影を間遠くならず、いつも私に夢の中にあの人の姿を見せてください。

集歌2502 真鏡 手取以 朝ゞ 雖見君 飽事無
訓読 真澄鏡(まそかがみ)手に取り持ちて朝(あさ)な朝(さ)な見れども君し飽(あ)くこともなし
私訳 思うと姿を見せるという真澄鏡を手に取り持って、毎朝、毎朝、ただ鏡の中に貴方の姿を思い見つめるが、それでも貴方を眺めることに満ち足りることはありません。

集歌2503 夕去 床重不去 黄楊枕 射然汝 主待固
訓読 夕(ゆふ)されば床しげ去らぬ黄楊(つげ)枕(まくら)何(いつ)しかと汝(な)は主(ぬし)待ち固き
私訳 夕方がやってくると、夜床の側にいつもある黄楊のあの人の枕。私は辛抱できないのに、どうして、お前はいつもそのようにじっと辛抱強く主を待っていられるのだろう。
注意 原文の「射然汝」は、一般に「何然汝」と表記します。ここでは原文のままに訓んでいます。漢字の「射」には「もとめる」の意味がありますので、歌句において音字と訓示の両方で意味のある字となります。

集歌2504 解衣 戀乱乍 浮沙 生吾 戀度鴨
訓読 解衣(とききぬ)し恋ひ乱(みだ)れつつ浮(う)き沙(まなご)生きても吾(われ)し戀渡(わた)るかも
私訳 貴方に抱かれた解衣の恋の営みに身も体も乱し、ふわふわと浮かび流れる砂のように、宙に浮いたような気持ちで貴方との恋の営みから生きかえり、私は貴方に恋い焦がれています。
注意 原文の「戀度鴨」の「戀」は、一般に「有」の誤記として「有度鴨」の表記から「あり渡るかも」と訓みます。ここでは原文の「戀」の表記を尊重し、また、集歌2498の歌以下の歌との関連を想像しています。

集歌2505 梓弓 引不許 有者 此有戀 不相
訓読 梓弓(あづさゆみ)引きて許(ゆる)さずあらませばかかる恋には逢(あ)はざらましを
私訳 神の御言を告げると云う梓弓を引くように、石上神社の神事の時に、貴方が私の心を引くことを私が許さなかったら、このような苦しい恋には会うことがなかったでしょう。

集歌2506 事霊 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依
訓読 事霊(ことたま)し八十(やそ)し衢(ちまた)し夕占(ゆふけ)問(と)ふ占(うら)まさに謂(い)ひつ妹し相寄らむ
私訳 神が宿る多くの衢で夕占の辻占いを問うと、占いで本当に人は云いました。きっと、貴女の気持ちは私と同じように寄り添うと。

集歌2507 玉桙 路往占 ゞ相 妹逢 我謂
訓読 玉桙し路(みち)行(ゆ)き占(うら)し占(うら)なへば妹し逢はめと我(われ)し謂(い)ひつる
私訳 美しい鉾を立てる立派な道に出て行き辻占を占って、きっと、貴女に逢えますようにと私に神に願いました。


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