竹取翁と万葉集のお勉強

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古謌集と古集の歌を鑑賞する  古歌集の歌

2011年02月17日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
万葉集 古謌集と古集の歌を鑑賞する

 万葉集には人名を冠した歌集から採られた歌を見ることが出来ますが、一方では、古謌集や古集と称される歌集から採られた歌もあります。万葉集では柿本朝臣人麻呂歌集、高橋連蟲麻呂歌集、笠朝臣金村歌集や田邊史福麻呂歌集のような人名を冠した歌集は有名ですが、ここでは、あまり注目をされない古謌集や古集と称される歌集の歌を鑑賞します。人名を冠した歌集では柿本朝臣人麻呂歌集が一番古い時代のものになりますが、もし、古謌集が柿本朝臣人麻呂歌集の成立より古い時代のものですと、古謌集が日本最古の歌集となります。
 なお、個人の感覚で古謌集と古集とは違う歌集とし、古集には大神高市麻呂の長門守就任を祝う宴の歌がありますから、早くて大宝二年(702)以降の成立と考えています。一方、柿本朝臣人麻呂が柿本朝臣佐留と同一人物としますと、柿本朝臣人麻呂歌集は人麻呂の死後に公表された私歌集と思われますので、歌集の成立を世に公表することを以て成立としますと人麻呂歌集は和銅元年(708)以降の成立となります。ここで、素人の表記方法等からの感覚的な判断で、古謌集は藤原京から平城京初期、古集は平城京初期の歌を集めた歌集と思います。そうしますと、西暦がキリストの受難を区切りとするように、万葉人たちは人麻呂歌集より前に成立した歌集に対して古謌集や古集との名称を与えたのかもしれません。
 さて、この古謌集や古集と称される歌集の歌を鑑賞するにおいて、例によって、紹介する歌は西本願寺本の表記に従っています。そのため、原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。
 また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話であって、学問ではないことを承知願います。


古謌集の歌を鑑賞する
 万葉集には、古謌集の歌として二十七首が紹介されています。ここでは、万葉集で付けられた歌番号の若い順に歌々を鑑賞していきます。歌の表記方法や題材から推定して、古謌集の歌は藤原京時代から平城京時代初期の歌、人物では柿本人麻呂から大伴旅人・坂上郎女の時代を編集した歌集のような感覚がします。

或本謌曰
標訓 或る本の謌に曰はく
集歌89 居明而 君乎者将待 奴婆珠乃 吾黒髪尓 霜者零騰文
訓読 居(い)明(あか)して君をば待たむぬばたまの吾(あ)が黒髪に霜は降るとも
私訳 貴方がいらっしゃるというので、貴方がいらっしゃるまで夜を明かしてでもいつまでも貴方を待ちましょう。待ち続けた私の黒髪が霜が降りたように白髪になったとしても。
左注 右一首古謌集中出。
注訓 右の一首は、古き謌の集(しふ)の中(うち)に出(い)づ

 この歌は「磐姫皇后思天皇御作謌四首」に関係する歌として載せられた歌です。そこで、その「磐姫皇后思天皇御作謌四首」を参考歌として、次に紹介します。

参考歌
磐姫皇后思天皇御作謌四首
標訓 磐姫(いはひめの)皇后(おほきさき)の天皇(すめらみこと)を思(しの)ひて御(かた)りて作(つく)らしし謌四首
集歌85 君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行尓 待可将待
訓読 君が行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かに待ちにか待たむ
私訳 貴方が帰って往かれてからずいぶん日が経ちました。山路を越えて訪ねて迎えにいきましょうか、それともここで待っていましょうか。
左注 右一首謌、山上憶良臣類聚歌林載焉。
注訓 右の一首の謌は、山上憶良臣の類聚歌林に載す。

集歌86 如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物乎
訓読 かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐(いは)根(ね)し枕(ま)きて死なましものを
私訳 このように貴方の訪れを恋焦がれているよりは、故郷の傍の香具山の麓で死んでしまいたい。

集歌87 在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
訓読 ありつつも君をば待たむ打ち靡く吾が黒髪に霜の置くまでに
私訳 このまま貴方の訪れを待っていましょう。豊かに流れる私の黒髪が霜が降りたように白髪になるまで。

集歌88 秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息
訓読 秋の田の穂の上(うへ)に霧(き)らふ朝霞(あさかすみ)何処(いつ)辺(へ)の方(かた)に我が恋やまむ
私訳 秋の田の稲穂の上に霧が流れて朝霞のようにはっきり見えない私の恋。いついつも私の貴方を慕う気持ちに休まる場所もない。


天皇崩之後八年九月九日、奉為御齊會之夜夢裏習賜御謌一首
古謌集中出
標訓 天皇の崩(かむあが)りましし後八年の九月九日、奉為(おほんため)の御齊會(ごさいゑ)の夜に夢のうちに習(なら)ひ賜へる御謌一首
標注 古謌の集(しふ)の中(うち)に出(い)づ
集歌162 明日香能 清御原乃宮尓 天下 所知食之 八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 何方尓 所念食可 神風乃 伊勢能國者 奥津藻毛 靡足波尓 塩氣能味 香乎礼流國尓 味凝 文尓乏寸 高照 日之皇子
訓読 明日香の 浄御原(きよみはら)の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし わご大君 高照らす 日の御子 いかさまに 思ほしめせか 神風の 伊勢の国は 沖つ藻も 靡ける波に 潮(しお)気(け)のみ 香(かほ)れる国に 御(み)籠(こも)りし あやにともしき 高照らす 日の御子
私訳 明日香の浄御原の宮で天下を御統治された、天下をあまねく統治なされる私の大王の天の神の世界まで照らしあげる日の皇子は、どのようにお思いになられたのか、神の風が吹く伊勢の国の沖から藻を靡き寄せる波の潮気だけが香る清い国に御籠りになられて、私は無性に心細い。天の神の世界まで照らす日の御子よ。

 この歌は、持統八年(694)九月九日の御斎会の夜に持統天皇の夢枕に天武天皇が現れたときの、持統天皇の気持ちを歌ったものです。そして、歌の一節の「神風の 伊勢の国は」から、天武天皇は伊勢の国にいらっしゃることが判ります。つまり、天武天皇が祭られているのは、持統二年(688)に持統天皇が「最初の遷宮」を行った伊勢の皇大神宮(通称、伊勢内宮)です。大神宮諸事記によると、朱雀(朱鳥?) 三年(688)九月二十日に天武天皇の遺品が大和から伊勢の太神宮に送られていますから、この朱鳥三年九月二十日頃に皇大神宮が完成したと思われます。 
 ここで、持統二年の最初の皇大神宮遷宮の西暦と大神宮諸事記による朱雀(朱鳥?) 三年の天武天皇遺品奉納の西暦が一致するのは、単なる偶然の一致と思ってください。それが桓武天皇が延暦十六年二月に定めた天照大御神を信奉する国学の歴史です。

問答
標訓 問答(もんどう)
集歌1251 佐保河尓 鳴成智鳥 何師鴨 川原乎思努比 益河上
訓読 佐保川(さほかは)に鳴くなる千鳥(ちどり)何しかも川原を思(しの)ひいや川上(のぼ)る
私訳 佐保川に鳴いている千鳥よ、どうしてなのか、川原を恋い慕ってさらに川を遡っていく。

集歌1252 人社者 意保尓毛言目 我幾許 師努布川原乎 標緒勿謹
訓読 人こそばおほにも言はめ我がここだ偲(しの)ふ川原を標(しめ)結(ゆ)ふなゆめ
私訳 きっと、他の人は何気なく語るでしょう。私にはひどく恋麗しい。この川原に立ち入りを禁ずる標を張らないでください。
左注 右二首詠鳥
注訓 右の二首は、鳥を詠める


集歌1253 神樂浪之 思我津乃白水郎者 吾無二 潜者莫為 浪雖不立
訓読 楽浪(ささなみ)の志賀津(しがつ)の白水郎(あま)は吾なしに潜(かづ)きはな為(せ)そ浪立たずとも
私訳 さざなみの志賀の入り江の海人は私を差し置いて玉を採るために潜水はしないでくれ。浪が立たないとしても。

集歌1254 大船尓 梶之母有奈牟 君無尓 潜為八方 波雖不起
訓読 大船に梶(かぢ)しもあらなむ君なしに潜(かづ)きせめやも波立たずとも
私訳 大船には行方を導く梶もあるでしょう。貴方を差し置いて玉を採るために潜水をすることがあるでしょうか。浪が立たないとしても。
左注 右二首詠白水郎
注訓 右の二首は、白水郎(あま)を詠める


臨時
標訓 時に臨める
集歌1255 月草尓 衣曽染流 君之為 綵色衣 将摺跡念而
訓読 月草(つきくさ)に衣(ころも)ぞ染(し)むる君がため綵(まだら)の衣(ころも)摺(す)らむと念(おも)ひて
私訳 ツユクサで衣を染めます。貴方のために、神事で使う大切な美しい絹の衣を摺り染めると思って。

集歌1256 春霞 井上徒直尓 道者雖有 君尓将相登 他廻来毛
訓読 春(はる)霞(かすみ)井の上(へ)と直(ただ)に道はあれど君に逢はむとた廻(もとほ)り来(く)も
私訳 春霞がたなびく泉の辺へとまっすぐに歩く道はあるのだけれど、貴方に逢おうと回り道してやって来ました。

集歌1257 道邊之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也
訓読 道の辺(へ)の草(くさ)深(ふか)百合(ゆり)の花咲(ゑみ)に咲(ゑ)みしがからに妻と云うふべしや
私訳 道のほとりの草深い中に咲く百合の花が咲くように、私が貴方に微笑みかけたからと「私の妻」と貴方は云ってしまうのですか。

集歌1258 黙然不有跡 事之名種尓 云言乎 聞知良久波 少可者有来
訓読 黙然(もだ)あらじと事(こと)の慰(なぐさ)に云(い)ふ言(こと)を聞き知れらくは許しはありけり
私訳 黙っているのは良くないと私が拗ねた事の慰めに語りかける言葉を聞き貴方の気持ちを知ることは、もう、貴方を許しても良いでしょう。

集歌1259 佐伯山 于花以之 哀我 子鴛取而者 花散鞆
訓読 佐伯(さへき)山(やま)卯の花持ちし愛(かな)しきが子をしとりてば花は散るとも
私訳 佐伯山の卯の花を手折り持つ愛しい貴女をこの手の内に取ることが出来たら、その卯の花が散ってしまったとしても。

集歌1260 不時 斑衣 服欲香 衣服針原 時二不有鞆
訓読 時ならぬ斑(まだら)の服(ころも)着(き)欲(ほ)しきか衣(きぬ)の榛原(はりはら)時にあらねども
私訳 その季節ではないが神を祝う斑に摺り染めた衣を着たいものです。榛の葉で縫った衣を摺り染める、その榛原は神を祝う時ではありませんが。

集歌1261 山守之 里邊通 山道曽 茂成来 忘来下
訓読 山守(やまもり)の里へ通ひし山道ぞ茂くなりける忘れけらしも
私訳 山守が里へと通った山道は、草が生い茂ってしまった。里へ通うことを忘れてしまったのだろう。

集歌1262 足病之 山海石榴開 八岑越 鹿待君之 伊波比嬬可聞
訓読 あしひきの山(やま)椿(つばき)咲く八峯(やつを)越え鹿(しし)待つ君の斎(いは)ひ妻かも
私訳 私は、足を引きずるような険しい山の山椿が咲くたくさんの峯を越えて、鹿を待ち伏せにする貴方の、大切にする妻なのでしょう。

集歌1263 暁跡 夜烏雖鳴 此山上之 木末之於者 未静之
訓読 暁(あかとけ)と夜烏(よがらす)鳴けどこの山上(みね)の木末(こぬれ)の上(うへ)はいまだ静けし
私訳 暁の時が来たと夜烏が鳴くけれど、この山の上の梢の上は鳥も来鳴かず、まだ静かです。

集歌1264 西市尓 但獨出而 眼不並 買師絹之 商自許里鴨
訓読 西(にし)の市(いち)にただ独り出(い)でて眼(め)並(なら)べず買ひてし絹の商(あき)じこりかも
私訳 西の市にただ一人で出かけて行って見比べることなく買ってしまった絹の、買い損ねなのでしょう。

集歌1265 今年去 新嶋守之 麻衣 肩乃間乱者 許誰取見
訓読 今年(ことし)行く新(にい)島守(しまもり)が麻衣(あさころも)肩の紕(まよひ)は誰(た)か取り見せむ
私訳 今年出発する新しい島守の麻の衣の肩のほつれは、誰がそれを取って貴方に見せるのでしょうか。

集歌1266 大舟乎 荒海尓榜出 八船多氣 吾見之兒等之 目見者知之母
訓読 大舟を荒海(あるみ)に榜(こ)ぎ出(で)弥船(やふね)綰(た)け吾が見し子らが目見(まみ)は著(しる)しも
私訳 大舟を荒海に操り出し、いよいよ、船を懸命に操るが、私が逢ったあの子のまなざしがはっきりと思い浮かぶ。

集歌1267 百師木乃 大宮人之 踏跡所 奥浪 来不依有勢婆 不失有麻思乎
訓読 ももしきの大宮人の踏跡(ふみあと)所(ところ) 沖つ浪来(き)寄らずありせば失(う)せざらましを
私訳 たくさんの木材をくみ上げて作る大宮の、その宮人が踏んだ足跡、沖からの浪が打ち寄せなければ消え失せることはないだろうに。
左注 右十七首、古謌集出
注訓 右の十七首は、古き謌の集(しふ)に出(い)ず。


寄物發思
標訓 物に寄せて思ひを發(あら)はす
集歌1270 隠口乃 泊瀬之山丹 照月者 盈呉為焉 人之常無
訓読 隠口(こもくり)の泊瀬(はつせ)の山に照る月は満ち欠けしけり人の常無き
私訳 隠口の泊瀬の山に照る月は満ち欠けをする。人の命が永遠でないように。
左注 右一首、古歌集出。
注訓 右の一首は、古き歌の集(しふ)に出(い)ず。


詠鳥
標訓 鳥を詠う
集歌1937 大夫丹 出立向 故郷之 神名備山尓 明来者 柘之左枝尓 暮去者 小松之若末尓 里人之 聞戀麻田 山彦乃 答響萬田 霍公鳥 都麻戀為良思 左夜中尓鳴
訓読 大夫(ますらを)に 出で立ち向ふ 故郷(ふるさと)の 神名備(かむなび)山(やま)に 明けくれば 柘(つみ)のさ枝に 夕されば 小松が末(うれ)に 里人(さとひと)の 聞き恋ふるまで 山彦(やまひこ)の 相(あひ)響(とよ)むまで 霍公鳥(ほととぎす) 妻恋ひすらし さ夜中(よなか)に鳴く
私訳 立派な男子として出で立ち向かう、故郷、その明日香の甘樫丘の神名備山に、夜が明け来ると柘の小枝に、夕暮れがやって来ると小松の枝先に、里人が聴きたいと思うほどに、山彦が響きあうほどに、ホトトギスが妻を恋い慕うらしい。夜中にも「カタコヒ(片恋)、カタコヒ」と鳴いている。

反謌
集歌1938 客尓為而 妻戀為良思 霍公鳥 神名備山尓 左夜深而鳴
訓読 旅にして妻恋すらし霍公鳥(ほととぎす)神南備(かむなび)山(やま)にさ夜(よ)更(ふ)けし鳴く
私訳 家を離れていて妻を恋い慕っているのだろう、ホトトギスよ。明日香の甘樫丘の神名備山に夜が更けても「カタコヒ、カタコヒ」と鳴いている。
左注 右、古謌集中出
注訓 右は、古き謌の集(しふ)の中(うち)に出(い)ず


集歌2363 岡前 多未足道乎 人莫通 在乍毛 公之来 曲道為
訓読 岡の崎廻(た)みたる道を人な通ひそ ありつつも公(きみ)の来まさむ避(よ)き道にせむ
私訳 岡の裾野を迂回する道を他の人よ、通らないで。このままであの御方のやって来られる人目を避ける道にしましょう。

集歌2364 玉垂 小簾之寸鶏吉仁 入通来根 足乳根之 母我問者 風跡将申
訓読 玉垂の小簾(をす)の隙(すけき)に入り通(かよ)ひ来(こ)ね たらちねの母が問(と)はさば風と申(まを)さむ
私訳 美しく垂らすかわいい簾の隙間から入って私の許に通って来てください。乳を与えて育てくれた母が簾の揺れ動きを問うたら、風と答えましょう。

集歌2365 内日左須 宮道尓相之 人妻垢 玉緒之 念乱而 宿夜四曽多寸
訓読 うち日さす宮(みや)道(ぢ)に逢ひし人妻(ひとつま)の垢(はぢ) 玉の緒の念(おも)ひ乱れて寝(ぬ)る夜(よ)しぞ多(おほ)き
私訳 大殿に日が輝き射す、その宮の道で逢った人の妻に思いがへばりつく。玉を貫く紐の緒が乱れるように心を乱して寝る、そんな夜が多きことです。

集歌2366 真十鏡 見之賀登念 妹相可聞 玉緒之 絶有戀之 繁比者
訓読 真澄鏡(まそかがみ)見しかと思ふ妹も逢はぬかも 玉の緒の絶えたる恋の繁きこのころ
私訳 願うと見たいものを見せると云う真澄鏡よ、逢いたいと願う愛しい貴女に逢えないでしょうか。玉を貫く紐の緒が切れたような、縁の絶えてしまった恋への思いが激しいこの頃です。

集歌2367 海原乃 路尓乗哉 吾戀居 大舟之 由多尓将有 人兒由恵尓
訓読 海原(うなはら)の路(みち)に乗りてや吾(あ)が恋ひ居(を)らむ 大舟の寛(ゆた)にあるらむ人の児ゆゑに
私訳 海原の航路で大船に乗ったように私の恋心は安心しています。大船のように心が寛大でいるでしょう、そんな人の御子ですから。
左注 右五首古謌集中出
注訓 右の五首は、古き謌の集(しふ)に中(うち)に出ず
参考に、この五首は旋頭歌

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