竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 娘女の参歌 その4

2009年05月23日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 娘女の参歌 その4

四人目の娘子の歌  笠朝臣金村の答え
集歌3797 死藻生藻 同心迹 結而為 友八違 我藻将依  (四)
訓読 死にも生きも同じ心と結びてし友や違はむ我れも寄りなむ
私訳 死にも生きにも同じ気持ちと誓った友人同士が、心が違うことなどありましょうか。私も大和歌を寄せましょう。

単純に、私は四人目の娘女の「死藻生藻」と集歌1785の歌の「死毛生毛」の言葉遊びと解釈しました。さて、どうでしょうか。
歌は笠朝臣金村の歌集からのもので、万葉集巻九からの採歌です。

巻九より
神龜五年戊辰秋八月謌一首并短哥 (笠朝臣金村の歌の中より)
標訓 神亀五年戊辰の秋八月の歌一首并せて短歌
集歌1785 人跡成 事者難乎 和久良婆尓 成吾身者 死毛生毛 公之随意常 念乍 有之間尓 虚蝉乃 代人有者 大王之 御命恐美 天離 夷治尓登 朝鳥之 朝立為管 群鳥之 群立行者 留居而 吾者将戀奈 不見久有者
訓読 人と成る ことは難(かた)きを わくらばに 成れる吾(わ)が身は 死(しに)も生(いき)も 公がまにまと 念(おも)ひつつ ありし間(あひだ)に 現世(うつせみ)の 世の人あれば 大王(おほきみ)の 命(みこと)恐(かしこ)み 天離る 鄙(ひな)治(おさ)めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ 群鳥(むらとり)の 群立(むらた)ち行かば 留(と)まり居(ゐ)し 吾れは恋ひむな 見ず久(ひさ)あらば
私訳 人として生まれてくることは難しいのに、たまたま人間として生まれてきた私の体は死ぬも生きるも貴方の御心のままと思ってきましたが、私はこの現世の人の世を生きる人間ですから、御門は恐れ多い方と謹んで、都から遠く離れた田舎を治めるためにと、朝鳥のように朝旅に立って群鳥のように貴方たちが群になって行くと、留まっている私は恋しくなってしまう。貴方に会うことが久しく絶えてしまうと。

反謌
集歌1786 三越道之 雪零山乎 将越日者 留有吾乎 懸而小竹葉背
訓読 み越道(こしち)の雪降る山を越えむ日は留(と)まれる吾を懸(か)けて偲(しの)はせ
私訳 御越道の雪の降る山を越える日は留まっている私を心に懸けて思い出してください。

歌の標は「神亀五年戊辰の秋八月の歌」となっていますが、歌と季節がまったくあっていません。それで、これが「神亀六年」の意図的な誤記とすると興味深い歌となります。そして、当時の有名な雪の歌が、次の歌です。

集歌4227 大殿之 此廻之 雪莫踏祢 數毛 不零雪曽 山耳尓 零之雪曽 由米縁勿 人哉莫履祢 雪者
訓読 大殿の この廻(もとは)りの 雪な踏みそね しばしばも 降らぬ雪ぞ 山のみに 降りし雪ぞ ゆめ寄るな 人やな踏みそね 雪は
私訳 大殿のこのまわりの雪を踏むな。しばしばは降らない貴重な雪だ。山にしか降らない雪だ。けっして近寄るな。人よ、踏むな。雪を。

反謌一首
集歌4228 有都々毛 御見多麻波牟曽 大殿乃 此母等保里能 雪奈布美曽祢
訓読 ありつつも見(め)したまはむぞ大殿のこの廻(もとは)りの雪な踏みそね
私訳 いつまでも御覧になるであろう。この大殿のまわりの雪を踏むな。

取りようによっては、集歌1785の歌は一種の挽歌になるかもしれません。いくらなんでも、旧暦八月に若狭に雪は降らないでしょうから、「三越道」とは何処への旅路なのでしょうか。なぜか、万葉集での神亀五年の年号には不思議なことが多いようです。

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