竹取翁と万葉集のお勉強

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高橋連虫麻呂歌集を鑑賞する  龍田の桜三部作

2010年12月06日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
龍田の桜三部作
 ここで、集歌1747の歌、集歌1749の歌、そして、集歌1751の歌を一連の難波御幸の折りの歌として鑑賞しています。
 これらの歌々は、神亀元年(724)三月二十三日の難波宮への催造司の設置を受けて、長屋王の難波宮の着工に関係する行事に参加した後に奈良の京への帰途での歌です。現在の信貴山から三室山の山桜の季節は四月中旬までとのことですから、推定した歌の神亀元年三月二十三日(新暦四月二十日)の季節は桜の散る時期にぴったりです。

春三月諸卿大夫等下難波時謌二首并短謌
標訓 春三月に、諸(もろもろ)の卿大夫等(まへつきみたち)の難波(なには)に下(くだ)りし時の謌二首并せて短謌

集歌1747 白雲之 龍田山之 瀧上之 小鞍嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之 及還来
訓読 白雲の 龍田(たつた)の山の 瀧(たき)の上(へ)の 小椋(をぐら)の嶺(みね)に 咲きををる 桜の花は 山高み 風し止(や)まねば 春雨の 継ぎてし降れば 秀(ほ)つ枝(え)は 散り過ぎにけり 下枝(しづえ)に 残れる花は しましくは 散りな乱ひそ 草枕 旅行く君が 還り来るまで

私訳 白雲の立つ龍田の山の急流の岸辺の小椋の嶺に枝が咲きしなだるような桜の花は、山が高く風が止まないし、春雨がしきりに降るので、上の方の枝の花は散り過ぎてしまった。下の方の枝に残る花は、しばらくは、散らないでくれ。草を枕にするような旅を行くあの御方が、ここに還り来るまで。


反謌
集歌1748 吾去者 七日不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落
訓読 吾(わ)が行きは七日(なぬか)は過ぎじ龍田彦(たつたひこ)ゆめこの花を風にな散らし

私訳 私の旅往きは七日を超えることはないでしょう。龍田彦よ、どうか、この花を風に散らさないでくれ。


集歌1749 白雲乃 立田山乎 夕晩尓 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開継 許知斯智乃 花之盛尓 雖不見左右 君之三行者 今西應有
訓読 白雲の 龍田(たつた)の山を 夕暮(ゆふぐれ)に うち越え行けば 瀧(たき)の上(へ)の 桜の花は 咲きたるは 散り過ぐりきり 含(ふふ)めるは 咲き継ぐるべし 彼方(こち)此方(ごち)の 花の盛りに 見ずさへに 君が御行(みゆき)は 今しあるべし

私訳 白雲の立つ龍田の山を夕暮れに丘を越えて行くと、激流の岸辺の桜の花は、咲いているのは散り過ぎて逝き、つぼみは散る花に咲き継ぐでしょう。だからと、あちらこちらの桜の花の盛りを見ることさえもしない。あの御方の御幸は今行われるのです。


反謌
集歌1750 暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒
訓読 暇(いとま)あらばなづさひ渡り向(むか)つ峯(を)の桜の花も折(を)らましものを

私訳 もし、時間があれば、どうにかして川を渡って、向かいの峯に咲く桜の花を手折りたいものです。



難波經宿明日還来之時謌一首并短哥
標訓 難波に經宿(やど)りて明日(あくるひ)還り来(こ)し時の歌一首并せて短歌

集歌1751 嶋山乎 射徃廻流 河副乃 丘邊道従 昨日己曽 吾越来壮鹿 一夜耳 宿有之柄二 岑上之 櫻花者 瀧之瀬従 落堕而流 君之将見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社尓 風祭為奈
訓読 島山を い行き廻(めぐ)れる 川副(そ)ひの 丘辺(おかへ)の道ゆ 昨日(きのふ)こそ 吾が越え来(こ)しか 一夜(ひとよ)のみ 寝(ね)たりしからに 岑(を)の上(うへ)の 桜の花は 瀧(たぎ)の瀬ゆ 散らひて流る 君が見む その日までには 山下(やまおろし)の 風な吹きそと うち越えて 名に負(お)へる杜(もり)に 風祭(かざまつり)せな

私訳 島山をめぐって流れいく川沿いの丘の裾の道を通って、たしか昨日に私は越えて来た。その昨夜の一夜だけ過ごしただけで、峯の上の桜の花は激しい川の流れに散り流れて逝く、あの御方が見るその日までは山からの吹き下ろしの風よ吹くなと、丘を越えて風神の名を持つ龍田の杜で風祭りをしよう


反謌
集歌1752 射行相乃 坂之踏本尓 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得
訓読 い行(ゆき)会(あ)ひの坂の麓(ふもと)に咲きををる桜の花を見せむ児もがも

私訳 行き会う国境の坂の麓に咲き誇っている桜の花を見せるような女性がほしいな

 参考に、現在はご奇特な御方の提供する「換暦」のHPによって、何時の時代でも旧暦を新暦に簡単に換算が可能です。そのため、正史から歌の背景となる事件を見つけたとしますと、簡単に新暦換算を行うことから季節感を確認することが出来ます。万葉集の歌を鑑賞する時、「換暦」のHPほど有難いものはありません。
 このため、わずかな差ですが山桜の散り去る季節感から、天平四年三月己巳(二十六日、新暦四月二十五日)の「知造難波宮事従三位藤原朝臣宇合等已下、仕丁已上、賜物各有差」の記事と集歌1747の歌の標である「春三月諸卿大夫等下難波時」とを結びつけていません。山桜散る季節感、ぎりぎりで神亀元年三月壬午(二十三日、新暦四月二十日) の「始置催造司」の方を取っています。また、天平四年三月己巳の記事は、本来なら難波宮完成に対する奈良の都での褒賞の記事と読むのが相当ではないでしょうか。


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