竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その24 特別篇その二

2009年05月27日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その24 特別篇その二
中臣宅守の「花鳥に寄せて思ひを陳べる」の歌

中臣宅守は、古今和歌集の仮名序の中で姦淫の罪で罰を受けたとの理解で「色を好む家」と比喩され、また同時に「花鳥に寄せて思ひを陳べる」歌の作者です。
先にこの中臣宅守の履歴を紹介すると、中臣意美麻呂の孫、中臣東人の子で、親族の叔父に右大臣中臣清麻呂がいます。中臣宅守は、天平十一年(739)三月頃に皇后の病気治癒を願う物忌みの時期に犯した姦淫の罪で罰を受け、越前国への近国流刑を受けたとみなされています。翌十二年六月の大赦では同じ姦淫の罪で遠流刑を受けた石上朝臣乙麻呂と同様に特別に詔があって大赦の放免リストから外されていますが、天平十三年九月の恭仁京遷都に伴う大赦で、やっと許されて京に戻ってきたようです。その後に、天平宝字七年(763)正月に従六位上から従五位下に昇任し、神祇大副の官位相当の大夫の格の身分となっています。中臣氏系図によると天平宝字八年に恵美押勝の乱に連座し除名されたことになっているようです。
一方、本家の大中臣系図では最終官位が天平宝字七年の従五位下から二階級ほど順調に昇階して、孝謙天皇侍従で正五位下への叙任となっているようです。ここに、すこし、伝承に乱れがあるようです。つまり、歴史的には判ったような、判らないような人物です。しかし、和歌の歴史では中臣宅守は重要な位置を占めていて、後の伊勢物語に通じる位置にあります。
さて、次の歌は古今和歌集の仮名序の一文にも影響する重要な「花鳥に寄せて思ひを陳べる」の歌です。これらの歌々は、天平宝字元年(757)の「橘奈良麻呂の変」で正四位下右大弁である橘奈良麻呂たちが藤原仲麻呂一派によって殺され、孝謙天皇を廃し藤原仲麻呂の子飼いである大炊王を傀儡の淳仁天皇として皇位につけた事件の時に詠われた歌です。この「橘奈良麻呂の変」は、その首謀者達が孝謙天皇の処罰の裁可を受ける前に全員が藤原仲麻呂たちの手によって拷問死したり、孝謙天皇や大炊王とはまったく関係の無い十年前の聖武天皇の時の話を持ち出して来て、この事件の首謀者とするような歴史でも稀な事件です。
この事件の時に、万葉集の編纂者の丹比国人は十年前の聖武天皇御幸の夜の雑談が謀反とされて、伊豆国への流刑です。古今和歌集の仮名序で示す「色好みの家に埋れ 貴の人知れぬこととなりて」の言葉のように万葉集に関わる人々が退けられ、宮廷文学は漢詩・漢文の世界に遷っていきます。

 なお、これらの「花鳥に寄せて思ひを陳べる」の歌を目録により中臣宅守の狭野弟上娘子へ与える贈答歌の一部として扱う向きもありますが、それは間違いです。中臣宅守の狭野弟上娘子へ与える贈答歌は、万葉集歌番3723から歌番3778の弟上娘子の歌までの五十六首です。つまり、後年に付けられた目録と本来の本文の標が同じとは限りません。
以下に示すこれら歌々の花橘や霍公鳥の言葉には、万葉集の編纂に深く関わる橘諸兄・奈良麻呂親子への寓意と蜀魂伝説の望帝杜宇の故事がありますので、それを取り入れて私訳と一部に想いを込めた呆れた訳を試みます。
 それでは、これらの前説を下に歌をお楽しみください。

集歌3779 和我夜度乃 波奈多知婆奈波 伊多都良尓 知利可須具良牟 見流比等奈思尓
訓読 吾(わ)が屋戸の花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに
私訳 我が家の花橘は空しく散りすぎて逝くのだろうか。見る人もなくて。
呆訳 私が尊敬する万葉集と橘家の人々は空しく散っていくのだろうか、思い出す人もいなくて。

集歌3780 古非之奈婆 古非毛之祢等也 保等登藝須 毛能毛布等伎尓 伎奈吉等余牟流
訓読 恋死なば恋ひも死ねとや霍公鳥物思ふ時に来鳴き響(とよ)むる
私訳 恋が死ぬのなら恋う心も死ねと云うのか、霍公鳥は物思いするときに来鳴きてその鳴き声を響かせる
呆訳 和歌が死ぬのなら和歌を慕う気持ちも死ねと云うのか。過去を乞う霍公鳥は私が和歌を思って物思いにふけるときに、その過ぎ去った過去を求める鳴き声を響かせる

集歌3781 多婢尓之弖 毛能毛布等吉尓 保等登藝須 毛等奈那難吉曽 安我古非麻左流
訓読 たひにして物思ふ時に霍公鳥もとなな鳴きそ吾(あ)が恋まさる
私訳 たひにして物思いするときに、霍公鳥よ、本なしに鳴くな。私の恋う気持ちがましてくる
呆訳 多くの歌の牌の万葉集を思って物思いするときに、霍公鳥よ、頼りなくに過去を乞うて鳴くな。私の和歌を慕う気持ちが増してくる
説明 旅の「たひ」の場合、万葉仮名では主に多比か多妣の用字を使います。それが多婢の用字です。私は「多牌」の字が欲しかったのだと想っています。また、集歌3781と集歌3783との歌の設定は、自宅の風景が目にあります。旅の宿ではありません。それに左注に「寄花鳥陳思」とあるように、娘女への贈答にはなっていません。

集歌3782 安麻其毛理 毛能母布等伎尓 保等登藝須 和我須武佐刀尓 伎奈伎等余母須
訓読 雨隠(あまごも)り物思ふ時に霍公鳥我が住む里に来鳴き響(とよ)もす
私訳 雨で家にこもって物思いするときに、霍公鳥が私の住む里に来鳴きてその鳴き声を響かせる
呆訳 雨の日に家にこもって物思いするときに、霍公鳥が私の住む里に来鳴きて、その過去を乞う鳴き声を私の心の中に響かせる

集歌3783 多婢尓之弖 伊毛尓古布礼婆 保登等伎須 和我須武佐刀尓 許欲奈伎和多流
訓読 たひにして妹に恋ふれば霍公鳥我が住む里にこよ鳴き渡る
私訳 たひにあってあの人を恋しく思うと、霍公鳥が私の住む里にやって来て鳴き渡っていく
呆訳 多くの歌の牌を編纂した万葉集を恋しく思うと、あの人が霍公鳥の姿に身を変えて私の住む里にやって来て過去を乞うて鳴き渡っていく

集歌3784 許己呂奈伎 登里尓曽安利家流 保登等藝須 毛能毛布等伎尓 奈久倍吉毛能可
訓読 心なき鳥にぞありける霍公鳥物思ふ時に鳴くべきものか
私訳 無常な鳥だよなあ、霍公鳥は。私が物思いするときに鳴くだけだろうか

集歌3785 保登等藝須 安比太之麻思於家 奈我奈氣婆 安我毛布許己呂 伊多母須敝奈之
訓読 霍公鳥間(あひだ)しまし置け汝(な)が鳴けば吾(あ)が思(も)ふ心いたも術(すべ)なし
私訳 霍公鳥よ、しばらく鳴くのに間を置け。お前が鳴くと私が物思う心はどうしようもなくなってします。

右七首、中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌
注訓 右の七首は、中臣朝臣宅守の花鳥に寄せ思(おもひ)を陳(の)べて作れる歌

紀貫之は、「万葉集の目録」を作ったほどの古今の歴史を通じて万葉集研究の第一人者です。その紀貫之が書いた古今和歌集の仮名序は、この中臣宅守の心と天平宝字元年の橘奈良麻呂の変の真実を知らなければ、それを理解したとは云えません。この「色好みの家」を単に女好きと理解していたら、貴方は紀貫之が意図した通りの立派な藤原貴族で、藤原定家の世界の人です。
もし、「色好みの家」を中臣宅守と理解したら、貴方の心は源氏、清原氏、紀氏系のはぶれ貴族です。はぶれ貴族の和歌への思い入れは、古来からの神聖な儀式における天皇の御製や奉呈歌があるべき姿で、その捧呈歌を儀礼において択ばれて誉れ高く詠い挙げたいのがはぶれ貴族の切望です。壬生忠岑が詠う「人麿こそはうれしけれ、身は下ながら言の葉を、天つ空まで聞こえ上げ」の姿です。藤原氏ではない柿本氏の、そのはぶれ貴族の人麻呂が捧呈歌を誉れ高く詠い挙げたのが、うらやましいのです。これが、本来の仮名序の世界と思います。なお、もじると中臣宅守は「中臣が宅を守る」とも、読むことが出来ます。

資料-A
古今和歌集 仮名序抜粋
今の世中いろにつき人のこころ花になりにけるよりあだなるうたはかなきことのみいでくればいろごのみのいへにむもれきの人しれぬこととなりてまめなるところには花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり

仮名序抜粋の試みの読み下し文
今の世の中 色につき 人の心花になりにけるより あだなる詩 はかなき事のみ出でくれば色好みの家に埋れ 貴の人知れぬこととなりて、まめなるところには花すすき穂にいだすべきことにもあらずなりにたり

現代語私訳
今の世の中は欲望に染まり、人の心は花を愛でる風流人になるより、仇なる漢詩やつまらない事ばかりが流行るので、大和歌の心は姦淫の罪の中臣朝臣宅守が歌う「花鳥に寄せ思いを陳べて作れる歌」の時に時代の中に埋もれてしまい、高貴の人が大和歌を知らないようになってしまって、改まった儀式には元正太上天皇の時のように「すすきの尾花」のような御製を少しでもお作りになることもなくなってしまった。

説明 「すすきの尾花」
太上天皇御製謌一首
標訓 (元正)太上天皇の御製歌(おほみうた)一首
集歌1637 波太須珠寸 尾花逆葺 黒木用 造有室者 迄萬代
訓読 はた薄(すすき)尾花(おばな)逆葺(さかふ)き黒木(くろき)もち造れる室(むろ)は万代(よろづよ)までに
私訳 風に靡くすすきの尾花の穂を表に下から上に逆さに葺き黒木で造った大嘗宮の室は、永遠であれ。

資料-B
仮名序抜粋に呼応する真名序の抜粋
及彼時、変澆漓、人貴奢淫、浮詞雲興、艶流泉涌。其実皆落、其華孤栄。至有好色之家、以此為花鳥之使。

真名序抜粋の訓読
かの時に及び、澆漓(きょうり)に変じ、人は奢淫(しゃいん)を貴び、浮詞(ふし)は雲のごとく興り、艶の流れは泉のごとく涌く。その実(じつ)は皆落(お)ち、その華ひとり栄えむ。至りて色を好む家有り、もってこのために花鳥の使ひとなす。

現代語私訳
平城の天子であられる聖武天皇の時代から、徳と信は衰え、人は豪奢と淫行を好み、浮ついた漢詩は雲が湧き上がるように興り、色恋への風潮は泉のように湧き上がった。その漢詩は堕落しきり、仏の華のみが独り栄えた。中臣朝臣宅守の時代に至って、橘奈良麻呂の変の故を以って花鳥の歌を秘密の通信とした。

説明 御在所からの「平城の天子」は諱では聖武天皇のことを示し、諱で平城天皇は「奈良の御門」を示します。諱で平城天皇のことを「平城の天子」とする表現は、奈良・平安期では不敬のため行われない表現方法です。普段の古典では、「口にするのも憚れる、言葉でいうのも畏れ多い。」として御在所などから、高貴な御方の尊称とします。

正統な古典文学の解釈
資料-Aの仮名序抜粋の読み下し文
今の世の中、色につき、人の心花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみいでくれば、色好みの家に、埋れ木の人知れぬこととなりて、まめなる所には花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり。

現代語訳 古今和歌集 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫より
しかし、今の世の中は、昔の真実を重んじた時代とは異なって派手になり、、人の心は華美になったため、歌もそれにしたがって、浮いた実のない歌、軽い、かりそめの歌のみが現れてくるので、好色な人の家に、埋れ木のように人には知られず、ひそかにもてあそばれるものとなって、改まった公の場所には、おもて立って出せるものでもなくなってしまった。
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