竹取翁と万葉集のお勉強

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笠朝臣金村歌集を鑑賞する  養老七年の芳野離宮への御幸の歌

2010年12月27日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
養老七年の芳野離宮への御幸の歌
 巻六の巻頭を飾る養老七年(723)五月九日の元正天皇の吉野御幸の折の歌です。この巻六は平城京の時代から難波宮までの歌を取り上げますので、巻一が橿原・飛鳥京から平城京までの歌を取り上げるのと対を成します。
 この芳野離宮の場所としては、歌では「三芳野之 蜻蛉乃宮」を詠いますから雄略天皇の秋津野の故事を引いてのものと思われます。そこから、普段の解説の「宮瀧」の地よりも、畝傍神事を含めて神功皇后・応神天皇ゆかりの「阿知賀(あちか)」の地の方が相応しいと思っています。そこで、集歌907 の歌の「神柄加」は吉野の山々の国つ神々よりも、神武天皇・雄略天皇・神功皇后・応神天皇の皇祖ゆかりの意味合いでの「神柄加」と鑑賞しています。
 なお、集歌907の歌は、音律上は異例な形を示します。「貴将有」や「見欲将有」と比較して「如是二三知三」もまた誤字説を採らずに、ままに訓んでいます。普段の解説では「如是二二知三」の誤字として、二二は四の戯訓と考えて「如是(かく)二二(し)知(しら)三(さむ)」と訓みます。また、末三句は七音となっています。


養老七年癸亥夏五月、幸于芳野離宮時、笠朝臣金村作謌一首并短歌
標訓 養老七年癸亥夏五月に、芳野の離宮に幸しし時に、笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短歌

集歌907 瀧上之 御舟乃山尓 水枝指 四時尓主有 刀我乃樹能 弥継嗣尓 萬代 如是二三知三 三芳野之 蜻蛉乃宮者 神柄香 貴将有 國柄鹿 見欲将有 山川乎 清々 諾之神代従 定家良思母

訓読 瀧(たぎ)の上(へ)の 三船の山に 瑞枝(みずえ)さし 繁(しじ)に主(ぬし)あり 栂(つが)の樹の いや継ぎ継ぎに 万代(よろづよ)に かくに御(み)知(し)らさむ み吉野の 蜻蛉(あづき)の宮は 神柄か 貴(たふと)くあるらむ 国柄か 見が欲(ほ)しくあらむ 山川を 清(きよ)み清(さや)けみ うべし神代ゆ 定めけらしも

私訳 急流の上流に見える三船の山に、美しい枝を茂らせた山の主のような栂の樹が、ますます継ぎ継ぎと茂るように、継ぎ継ぎと万代までにこのように統治なされる吉野の蜻蛉の宮は、皇祖である神々が宿る由縁か、貴くあるのでしょう。土地柄か、心を引かれるのでしょう。山や川は清く清々しく、誠に皇祖である神の時代からこの地を吉野の蜻蛉の宮と定めて来たのでしょう。


反謌二首
集歌908 毎年 如是裳見牡鹿 三吉野乃 清河内之 多藝津白浪
訓読 毎年(としのは)にかくも見てしかみ吉野の清き河内の激(たぎ)つ白浪

私訳 毎年のように、今、私が見るように見ていたのでしょう。吉野の清らかな河内に飛沫をあげる白波は。


集歌909 山高三 白木綿花 落多藝追 瀧之河内者 雖見不飽香聞
訓読 山高み白(しろ)木綿花(ゆふはな)に落(ふ)り激(たぎ)つ瀧(たぎ)の河内(かふち)は見れど飽かぬかも

私訳 山容が高い。白い幣の木綿の花のように白い飛沫を降らす激流の河内は、見ていても飽きることがありません。


或本反謌謌曰
標訓 或る本の反謌の謌に曰はく、
集歌910 神柄加 見欲賀藍 三吉野乃 瀧河内者 雖見不飽鴨
訓読 神からか見が欲(ほ)しからむみ吉野の瀧(たぎ)の河内(かふち)は見れど飽かぬかも

私訳 皇祖である神々が宿る由縁からか眺めたいと思うのでしょう。吉野の激流の河内は、見ていても飽きることはありません。


集歌911 三芳野之 秋津乃川之 万世尓 断事無 又還将見
訓読 み吉野の秋津(あきつ)の川の万世(よろづよ)に絶ゆることなくまた還(かへ)り見む

私訳 吉野の秋津を流れる川が万世までも絶えることがないように、再び、やって来て眺めましょう。


集歌912 泊瀬女 造木綿花 三吉野 瀧乃水沫 開来受屋
訓読 泊瀬女(はつせめ)の造る木綿花(ゆふはな)み吉野の瀧(たぎ)の水沫(みなわ)に咲きにけらずや

私訳 泊瀬女が造る木綿の花よ。その白い木綿の花が、吉野の激流の飛沫に咲いているのでしょうか。


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