竹取翁と万葉集のお勉強

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柿本朝臣人麻呂の歌並びに人麻呂歌集の歌

2012年12月16日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
柿本朝臣人麻呂の歌並びに人麻呂歌集の歌

 この「柿本朝臣人麻呂歌集 柿本朝臣人麻呂の歌並びに人麻呂歌集の歌」を作成した目的は、最終的に柿本人麻呂の人物像を探ることにあります。
 この「最終的に柿本人麻呂の人物像を探ること」の背景を説明しますと、万葉集最大の歌人と称される柿本人麻呂は正史などにその人生の記録を残していません。そのため、彼の人生や所属する背景など、その一切が不明の人物です。この不明な柿本人麻呂の人物像を探るには、彼が残した万葉集歌を丹念に解釈し、そこから人物像や人生を推定していく以外、方法がないのではないかと思います。
 ところが、柿本人麻呂が作歌した歌について、その作歌の定義や選別は研究者により大きく見解が異なり、未だに万葉集に載るものでどの作品が人麻呂自身が作歌した歌かについては、学問において一義的に定まっていません。そのため、それぞれの研究者が、どのような歌を柿本人麻呂が作歌した歌として捉えているかを最初に明らかにしないと、人麻呂象を明らかにする出発点から相違することとなり、議論の土台が不明になります。
 このような現況を踏まえて、素人ではありますが、万葉集において明確に「柿本朝臣人麻呂の歌」と表記されるものと「人麻呂歌集の歌」と表記されるものとを集め、人麻呂が作歌に関与した歌として「柿本朝臣人麻呂歌集 柿本朝臣人麻呂の歌並びに人麻呂歌集の歌」のタイトルを与え、資料として作成しています。立場としては万葉集で柿本朝臣人麻呂歌集と左注で紹介されるものは人麻呂が関係する歌とし、一部、軽の里の妻などの歌もありますが、広義での人麻呂作歌として扱っています。柿本朝臣人麻呂歌集の歌は、人麻呂が市場から採歌したもので、彼が詠ったものでは無いと云う立場ではありません。

注意事項 
1. ここで称する「柿本朝臣人麻呂歌集 柿本朝臣人麻呂の歌並びに人麻呂歌集の歌」は、厳密に考証されたものではありません。推定で人麻呂歌集の歌と思われるものも、万葉集の中から採歌しています。
2. 原文は西本願寺本に準拠しています。異伝や校本は原則として採用していません。なお、個人の作業ですので、原文作成の下とした校本万葉集の姿が残っている可能性があります。
3. 歌の番号を「集歌xxxx」としています。番号は「旧国歌大観」に準拠しています。
4. 一部の漢字は漢字フオントの都合で、当て字を使用しています。
5. 原文及び漢文訓読み、それに対する現代語訳は私の行為で、私訳です。また、「一云」、「或云」等の異伝については私訳を行っていません。特に一般の訓読みや意訳などと大きく違うものは、便宜上、試訓や試訳と表記していますので注意をしてください。


万葉集 巻一より

過近江荒都時、柿本朝臣人麿作歌
標訓 近江の荒れたる都を過ぎし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌
集歌29 玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従(或云、自宮) 阿礼座師 神之書 樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎(或云、食来) 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎越(或云 虚見 倭乎置 青丹吉 平山越而) 何方 御念食可(或云、所念計米可) 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流(或云、霞立 春日香霧流 夏草香 繁成奴留) 百磯城之 大宮處 見者悲毛(或云、見者左夫思毛)

訓読 玉(たま)襷(たすき) 畝(うね)火(ひ)し山の 橿原の 日知し御世ゆ(或は云はく、宮ゆ) 生(あ)れましし 神し書(ことば)の 樛(つが)し木の いや継(つ)ぎ嗣(つ)ぎに 天つ下 知らしめししを(或は云はく、めしける) 天にみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え(或は云はく、空みつ 大和を置きて あをによし 奈良山越えて) いかさまに 思ほしめせか(或は云はく、おもほしけめか) 天離る 夷にはあれど 石(いは)走(はし)る 淡海(あふみ)し国の 楽浪(ささなみ)の 大津し宮に 天つ下 知らしめけむ 天皇(すめろぎ)し 神し御言(みこと)の 大宮は 此処と聞けども 大殿は 此処と言へども 春草し 繁く生(お)ひたる 霞立ち 春日し霧(き)れる(或は云はく、霞立ち 春日か霧れる 夏草か 繁くなりぬる) ももしきし 大宮処 見れば悲しも(或は云はく、見ればさぶしも)

私訳 美しい襷を掛ける畝傍の山の橿原の地で、天下を統治された神武天皇が作られた神の書を、樛の木々が育つように代代に天下の人々に教えられているのを、その天の神の国まで満たす天皇の治める大和の国を後に残して、青葉の美しい奈良山を越えて、どのようにお思いになられたのか大和から離れた田舎ですが、岩が流れ下る淡海の国の楽浪の大津の宮で天下を御統治なされた天皇が、神の御言葉に従って造った大宮はここと聞いたけれど、大殿はここだと云うけれど、春草が繁って育っていて、霞が立ち春の日に霧が差し込んで来る多くの岩を積み上げる大宮の場所を見ると悲しくなる。

反歌
集歌30 樂浪之 思賀乃辛碕 雖幸有 大宮人之 舡麻知兼津
訓読 ささなみし志賀の辛崎(からさき)幸(さき)くあれど大宮人し船待ちかねつ
私訳 楽波の志賀の唐崎は今も美しいのですが、大宮人は今もあの大御船を待っているのでしょうか。

集歌31 左散難弥乃 志我能(一云比良乃) 大和太 興杼六友 昔人尓 亦母相目八毛(一云将會跡母戸八)
訓読 ささなみの志賀の(一(ある)は云はく、比良の)大わだ淀(よど)むとも昔の人にまた逢はめやも(一は云はく、逢はむと思へや)
私訳 楽波の志賀の大和田の水が淀むように、思いを立ち返って昔の大津宮の大宮人に再び会うことが出来るでしょうか。


幸干吉野宮之時、柿本朝臣人麿作歌
標訓 吉野の宮に幸(いでま)しし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌
集歌36 八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尓 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尓 宮柱 太敷座波 百磯城乃 大宮人者 船並弖 旦川渡 舟竟 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高良思珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可聞

訓読 やすみしし わご大王(おほきみ)し 聞(きこ)し食(め)す 天つ下に 国はしも 多にあれども 山川し 清き河内と 御心(みこころ)を 吉野の国し 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば 百磯城(ももしき)の 大宮人は 船(ふな)並(な)めて 朝川渡り 舟竟(わた)る 夕河渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高らしらす 水(みな)激(たぎ)つ 瀧し都は 見れど飽かぬかも

私訳 地上の隅々までを承知なされる我が大王が統治為されている天の下には国々は沢山あるが、山川の清らかな河の内と御心を良しとされる吉野の国の桜の花が散る秋津の野辺に宮殿を御建てになり、多くの岩を積み上げて作る大宮の大宮人が船を並べて朝に川を渡り、舟で渡り、夕べに河を渡るようなこの川の流れが絶えることないように、この山の峰の高みのように天界の神々までにもお知らせになり、この水の流れの激しい滝の京は、何度見ても見飽きることはありません。

反歌
集歌37 雖見飽奴 吉野乃河之 常滑乃 絶事無久 復還見牟
訓読 見れど飽かぬ吉野の河し常滑の絶ゆることなくまた還り見む
私訳 何度見ても見飽きることの無い吉野の河の常滑の岩が絶えることのないように私は何度も何度もここに帰って来ましょう。

集歌38 安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 吉野川 多藝津河内尓 高殿乎 高知座而 上立 國見乎為波 畳有 青垣山 ゞ神乃 奉御調等 春部者 花挿頭持 秋立者 黄葉頭判理(一云、黄葉加射之) 遊副 川之神母 大御食尓 仕奉等 上瀬尓 鵜川乎立 下瀬尓 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨

訓読 やすみしし わご大王(おほきみ) 神ながら 神さびせすと 吉野川 激つ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば 畳はる 青垣山し 山神の 奉(まつ)る御調(みつき)と 春しへは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉(もみち)しうなり(一は云はく、黄葉かざしし) 遊(ゆ)きし副(そ)ふ 川し神も 大御食(おほみけ)に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ちし 下つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも

私訳 地上の隅々まで統治する我が大王は生まれながらの神ですが神らしくいらっしゃると、吉野川の激しい水の流れの河の内に高殿を御建てになって、そこの登りお立ちになって国見を為されると折り重なる青垣山の山の神が奉る御調として春には桜の花を咲かせ、秋になると黄葉(もみじ)は枝たれて、御遊(みゆき)に副(そ)へる川の神も大王の大御食にご奉仕するとして上流の瀬で鵜飼を行い、下流の瀬に小網を刺し渡すように山や川の神々も大王に依ってご奉仕する。現御神の御世です。

反歌
集歌39 山川毛 因而奉流 神長柄 多藝津河内尓 船出為加母
訓読 山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に船出せすかも
私訳 山や川の神々も大王に依ってご奉仕する現御神として流れの激しい川の中に船出なされるようです。
右、日本紀曰、三年己丑正月、天皇幸吉野宮。八月幸吉野宮。四年庚寅二月、幸吉野宮。五月幸吉野宮。五年辛卯正月、幸吉野宮。四月幸吉野宮者、未詳知何月従駕作歌。
注訓 右は、日本紀に曰はく、「三年己丑の正月、天皇吉野の宮に幸(いでま)す。八月吉野の宮に幸す。四年庚寅の二月、吉野の宮に幸(いでま)す。五月吉野の宮に幸(いでま)す。五年辛卯の正月、吉野の宮に幸(いでま)す。四月吉野の宮に幸(いでま)す。」といへれば、いまだ詳(つまび)らかに何月の駕(いでま)しに従ふかに作れる歌なるかを知らず。

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