竹取翁と万葉集のお勉強

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明日香新益京物語 人麻呂の壬申の乱

2014年03月09日 | 実験 小説で万葉時代を説明する 
人麻呂の壬申の乱

 この物語のもう一人の主人公である柿本人麻呂の壬申の乱を追う。
 中元四年(671年)十月十八日夜、一騎の伝使が鍛冶の里の高市皇子の屋敷に駆け込んだ。俄然、皇子の屋敷は、ざわめきたった。
「高市皇子、父君、大海人皇子の命を申し上げます」
「申せ」
「本日、大海人皇子は大王の宮で出家。明朝、皇子の宮に戻られることなく吉野の宮へ移られます。従う者、菟野皇女と宍人臣穀媛娘、並びにその御子たちを含めて五十ばかり」

 大海人皇子は十七日午後、葛城大王の命との理由で朝廷に召喚された。重篤な大王の死後の混乱を恐れた左大臣蘇我臣赤兄と右大臣中臣連金は大海人皇子に新羅出兵への協力の確約を迫った。議論は紛糾した。結果、新羅出兵前の内乱を恐れた朝廷は大王の意志を根拠に新羅出兵への協力を確約しない大海人皇子に対し、隠居・出家と私兵の公収を決めた。
 十八日、そのまま宮中に留め置かれた皇子は僧衣を用意した朝廷により出家をさせられた。それと同時に朝廷は皇子の私邸を公収した。
 十九日早朝、大海人皇子に対して吉野での仏門修行と云う名目の幽閉が決まり、即刻、護送されて行った。

「君は『高市皇子は大津宮に留まり、鍛冶の里を守れ』とのご命令」
「御苦労、己は休息後、父君を追い、お守り申し上げよ。行け」
 表の間から伝使が下がって行ったあと、皇子は鍛冶の里の主だった者を屋敷に集めた。
「皆ども、聞け。本日、我が父君、大海人皇子は出家なされ、直ちに、吉野に引かれる」
「吾は、ここに留まり、鍛冶の里を守る」
「じゃが、思う所あり。次の者は、明朝、かならず倭へ引け。ここへ残ってはならん。遅滞は許さん」
「また、次に名を呼ぶ者は吾が示す里へ使いとして、明朝、ここを立て」
 高市皇子は、まるで、予定行動のように次々と指示する。人麻呂は倭へ引く者の中に含まれていた。
 皇子の指示を受けた人麻呂はすぐに屋敷に戻ると鍛冶主、熊鷹、安金ら、鍛冶の主だった頭を集めた。その内、里遠い但馬の間人韓鍛冶と高市皇子に繋がる宗像韓鍛冶は、ここに残らざるを得ない。
人麻呂には倭から連れて来た柿本一統が問題であった。
「吾は高市皇子の命で、朝、倭へ引く。鍛冶主、どうする」
「若子、吾等、柿本鍛冶の一統は、ここに残り鍛冶の里を守る。熊鷹や安金が残るなら、吾が引く訳にはいかん。そうであろう、我が一統」
「そうじゃ、鍛冶主の爺が云う通りじゃ。もう、ここは吾等の里ぞ、吾等の里は、吾等が守る」
「吾には家もある、女も子もおる。もう、吾はどこにも行けん。ここしかないわ」
 柿本鍛冶の者どもは、口ぐちに叫んだ。
「よう判った。吾は高市皇子の命で倭へ引くが、己ら、ここをしっかり守れ」
 人麻呂は、鍛冶主たちと今後の鍛冶の里の防衛と経営について相談し、また、高市皇子の了承を得た。そのあわただしい夜が明けた。誰もが眠ってはいない。それほどの緊急事態である。
 人麻呂が数人の小者を引き連れ山科の逢坂を越える頃、昨夜からの緊急事態の興奮も醒めた。その時、人麻呂は思った。
「おかしい。吾等は慌てふためいて今後の策を考え、手当した。ところが、高市皇子は父君の大海人皇子がにわかに出家し、吉野に、即、引かれると聞いても平然としておられた。吾がいろいろ相談し、お尋ねしても的確にご指示なされた。まるで、前からこの日を知っていたかのようじゃ。それに倭へ引く人選もそうじゃ。実におかしい」
 そして、一番、肝心なことを思い出した。
「しもうた、巨勢媛への挨拶を忘れた。このような事態じゃ。当分、逢うことは出来んじゃろうな。しもうた」
 馬を留め、なにやら書き物をした人麻呂が小者の一人に声をかけた。
「やい、小者。己、これから、・・」
「若子様、これから巨勢媛の許に駆けまする。命をかけて、若子様の文を届けまする」
「吾より、よう、物が判っとる」
「じゃが、怪我無きように行け」
 小者は緊迫した事態の中、武装した者たちが行き交う大津宮の、その巨勢大臣の屋敷にいる巨勢媛の許に辿り着いた。

人麻呂より、
吾背兒我濱行風弥急急事益不相有
訓読 吾が背兒が浜行く風しいや急(はや)み急(はや)みき事(こと)しまして逢はざらむ
私訳 私の愛しい年若い貴女が浜へ行く、その浜風がとても早いように、急な出来事でそれで貴女に逢うことが出来ません。

媛からの返し、
解衣戀乱乍浮沙生吾有度鴨
訓読 解衣(とききぬ)し恋ひ乱(みだ)れつつ浮(う)き沙(まなご)生きても吾は有(あ)り渡(わた)るかも
私訳 脱いだ衣が乱れるように恋の想いに乱れながら、乱れ浮いて流れる砂のように生きていて、私はこれからも過ごすのでしょうか。

 二日後、人麻呂は穴師の柿本鍛冶屋敷ではなく、櫟本の柿本一族の里に戻っていた。倭の国中は、見えない戦闘状態にある。緊張の下、それぞれの氏族は氏親の許に結束を固めている。大和盆地の北東部は大海人皇子に味方する大伴、物部、春日和迩ら一族の本拠、南西部は近江朝廷の大臣たち、蘇我、中臣、巨勢ら一族の本拠である。そして、その中間帯となる大和川の川沿いに百済、新羅や伽耶を本国とする渡来の人々の里が点在する。
 その極度の緊張の下、近江の朝廷が動員する農民兵が大津宮と難波宮を目指して集結しつつあった。朝廷の軍の動員は、あくまで、新羅出兵が目的である。が、大友王と大海人皇子とが衝突すると、その軍は倭の大海人皇子に味方する里を襲う。つまり、朝廷の軍は、宇治から平山を越えて倭を襲う軍と生駒山を越えて難波から倭を襲う軍との二本の鉄槌となり、倭の山辺を拠点とする氏族を襲う。大伴、物部や春日和迩の者どもは、それを想定して、それぞれの氏上の屋敷を中心に守りを固めている。
 それぞれが敵対する氏族を疑いの目で見るが、戦闘状態ではないため相互の行き来はある。その微妙な緊張が続く中、人麻呂は野洲の鍛冶の里に残る高市皇子から指示を受けた。皇子の命令は「伊勢国の泊津に行け。そして、紀臣阿閉麻呂に会え」であった。人麻呂は十数人の柿本の里の勇者を率いて、伊勢国泊津に急行した。
 道中、伊勢街道に接する忍坂の里で、忍坂中媛の留守屋敷の者に巨勢媛への文を託した。ただ、行き先は告げることは出来ない。

人麻呂より、
見渡三室山石穂菅惻隠吾片念為
訓読 見渡しし三室し山し巌菅(いわすが)し惻(いた)み隠(こも)れる吾(あ)は片(かた)思(もひ)す
私訳 見渡す三室の山に生える岩菅の、その草菅(かやすが)の故事のように運命を弄ぶような出来事に哀れみの心に覆われた私は、今、貴女に片想いをしています。

伝手を頼り、届けられた巨勢媛からの返し、
菅根惻隠君結為我紐緒解人不有
訓読 菅(すが)し根し惻(いた)み隠(こも)れる君結(ゆ)ひし我が紐し緒し解(と)く人あらじ
私訳 菅の根が地中深く根を張るように深い悲しみに沈み、草菅(かやすが)の故事のように運命に弄ばれています。その貴方が結んだ私の夜衣の紐の緒を解く人は、貴方しかいません。


 朱雀元年(672年)六月、人麻呂は伊勢国泊津に居る。
 この泊津(三重県鳥羽市)は、難波御津と東国を結ぶ海上航路の要所である。古代は、河川や森林などの障害で陸上を旅行くより、海上を旅行くのが楽な時代だった。西から熊野灘を越えて来た大船は、この泊津で休息を取り、伊勢湾を西三河へと渡る。また、東国からの旅人は、渥美半島から亀島、答志島と渡り泊津から、陸路伊勢街道を使い倭国に抜けるか、海上、難波御津へ船出する。また、美濃・尾張の物資は木曽川・長良川を下り、伊勢湾を辿って、この泊津に集まる。後に、桑名・熱田の渡りが新たに出来て東海道が移るまで、伊勢国泊津は東海随一の交通の要所であった。
 人麻呂は、ここ泊津で東道将軍紀臣阿閉麻呂の指揮下に入った。阿閉麻呂は紀国から勇者を載せた軍船を率いて来た。軍船を二手に分け、一手はここに残し、あと一手は紀阿閉麻呂が指揮を取り、志摩国の軍船と合わせ勇者を載せ桑名へ行く。紀阿閉麻呂の桑名到着予定は六月二十五日である。
 人麻呂は泊津に残り、この泊津で大海人皇子に味方する膳臣摩漏が支配する志摩国の勇者を編成し、泊津の駐屯軍司令として伊良湖水道を使う東国の兵の動きを監視・警戒する。伊良湖水道の東側は西三河の地である。その西三河は人麻呂と同じ春日和迩一族の丸部(和珥部)臣が支配する。人麻呂はその西三河の丸部臣君手らと連携を図ることとなる。これが、将軍紀臣阿閉麻呂を通じて受けた大海人皇子の命令であった。

 壬申の乱の戦いは六月二十四日の大海人皇子の吉野の挙兵で幕は開いた。
 そして、七月七日、高市皇子率いる軍が息長横河で山部王、蘇賀臣果安と巨勢臣比等の三武将が率いる近江朝廷の最精鋭の軍を破った。十日後、七月十三日に大津宮から淡海を挟んだ対岸の野洲川で高市皇子が率いる軍が近江朝廷の最後の抵抗線を破った。ここに壬申の乱の勝負は着いた。あとは、近江朝廷の残党を狩るだけである。
 最初、人麻呂の予想では近江朝廷との戦いは膠着に陥り、和議が成立するものと思っていた。それが、急速な野洲川での勝利である。巨勢媛が住む巨勢大臣の屋敷からも野洲川の戦いの様子を見聞きすることが出来る。そして、大津宮で御史大夫を務め、この乱の行方を決める犬上川の決戦を指揮した巨勢大臣の屋敷は大海人大王軍の標的となる。人麻呂は、この野洲川の戦い以降、特に巨勢媛と忍坂中媛の身の安全が心配となっていた。今も昔も、戦いに参加する男たちにとって、敵方の若き美しい姫は己が欲望を満たす美しき獲物である。ここまま、戦いが推移すると、巨勢媛の身は非常に危険であった。

 八月上旬になって、戦場から遠く伊勢国泊津にいる人麻呂に鍛冶主から鍛冶の里と巨勢媛の様子を伝えてきた。
「大津宮の巨勢大臣の屋敷は焼かれた。が、鍛冶の里と巨勢媛は無事。その媛は鍛冶の里に居る」
伝使の話では「七月十五日の夜、巨勢大臣の屋敷に住む媛とその母親は、忍坂と柿本鍛冶の者たちによって比叡の山に逃げ出し、その後、鍛冶の里の柿本屋敷に収容された」とのことであった。人麻呂は安堵した。もう、媛は大丈夫だと。そして、その鍛冶主からの伝使は、巨勢媛からの文を携えていた。

巨勢媛より、
我勢古波幸座遍来我告来人来鴨
訓読 我が背子は幸(さき)く坐(いま)すと遍(まね)く来(き)て我れに告げ来(こ)む人し来ぬかも
私訳 私の大切な貴方が無事で居ますと、何度も遣ってきて、私に告げに来る人よ、そのような人が来ないものでしょうか。

 巨勢媛の無事を確認し安堵した人麻呂は、この乱で書き貯めた文を鍛冶の里へと帰る伝使に託し、その里の柿本屋敷に居る巨勢媛に送った。共に無事で、また、逢える。

人麻呂より、
吾妹子夢見来倭路度瀬別手向吾為
訓読 吾妹子し夢し見え来(こ)し大和路(やまとぢ)し渡り瀬ごとし手向(たむ)け吾(あ)がする
私訳 私の愛しい貴女の姿が夢に出て来いと、大和へ帰る道の川の渡瀬ごとに神にお願いを私はします。

 八月下旬になってから、戦乱の残務整理の為、伊勢国泊津から動けない人麻呂の許に鍛冶主から急ぎの伝使が二度来た。最初の伝使は「忍坂中媛と巨勢媛が、敗戦により罪人となった御史大夫巨勢臣比等の妻子として縁座の罪となり、八月十五日に連行された」と伝えて来た。十日ほど置いて、次の伝使が来た。その使者は「八月二十五日に巨勢臣比等と彼の子孫は配流の罪との御裁きがあったと聞いた。ただ、媛様の処遇は不明」と伝えた。
 人麻呂は動揺した。鍛冶の里は柿本一族が管理する里であるが、その正式な里長は高市皇子である。巨勢媛は柿本一族の鍛冶主により救出し、我が鍛冶の里に保護されている。もう、無事だと思い、また、媛との再会を確信していた。その確信が崩れた。大和の刑罰では、大王に刃向かう大罪を犯した犯罪者は死罪か遠き配流とされる。また、その家族は大罪を犯した者の近親者へ罪を及ぼす刑罰である縁座が適用され、その罪により身体を没官され、官奴に落とされる。つまり、犯罪者の家族は朝廷の奴隷となる。官奴となった若く美しい女は官衙の遊行女婦(うかれめ)のような宴席と夜床で性を奉仕する公の奴隷となる。
 人麻呂は焦った。そして、不破宮に留まる高市皇子の許へ、嘆願の使者として綾部訳語陲叡を走らせた。陲叡は都へと凱旋する大海人大王軍と九月十日に伊賀郡阿閉で行き会った。だが、凱旋行軍の途中のためか、陲叡は、今、戦勝の大将軍である高市皇子への目通りは叶わなかった。
 九月下旬になって、やっと、陲叡が泊津の人麻呂の屋敷に戻って来た。ただ、ひたすら、巨勢媛の身を案じる人麻呂は、焦って、旅に疲れる陲叡にその首尾を確かめた。
「どうであった、陲叡」
「高市皇子は吾の願いを聞いてくれたか。己に『巨勢媛は柿本臣人麻呂の妻、我が妻に罪無し』と願えと云うた。それでもだめなら『巨勢媛を我が褒賞に下賜されたし』と再度、願えと云うた。で、高市皇子は何と云われたか」
「皇子は、まず、『軍を率い大海人大王に弓を引いた巨勢臣比等とその子孫の罪は赦されぬ。遠き配流は免れぬ』との御沙汰でありました。また、皇子より『遠き配流の先と身分の処置の詳細は、未だ定まらぬ』とのお達しでありました」
「ただ、人麻呂。吾が泣き顔で罷り出るとき、高市皇子の舎人坂上直国麻呂様が『皇子の御言葉じゃ』と云うて、『柿本人麻呂に云え、吾も知る人麻呂の巨勢媛を悪うにはせんと申された』と云うた」
「人麻呂、主人は高市皇子のお気に入りじゃ。きっと、皇子は媛を助けて呉れるぞ、きっと」
 人麻呂は「吾が知る坂上国麻呂の言葉を信じると、最悪の事態はなさそうだ」と思った。ただ、最終処分の決定がまだと云うのが気になった。しかし、今は高市皇子を頼りに、やきもきしながら、ただひたすら、神に巨勢媛の身の無事を祈るしかなかった。

 九月末、泊津で人麻呂は高市皇子から命を受けた。その命令は「栗東の鍛冶の里は都が飛鳥に戻ってもそのまま残す。ただし、人麻呂は、ただちに鍛冶の里の今後の処置の後、左大臣高市皇子の大舎人として飛鳥岡本宮に出仕すること」であった。大海人大王軍の大将軍として近江朝廷の主力軍を破った高市皇子は新しい朝廷で左大臣となり、政府首脳となる。人麻呂は今までの私的な舎人ではなく、朝廷の大舎人としてその高市皇子を補佐することになる。その高市皇子からの命令の下、十月になって、やっと。そう、やっと、人麻呂は伊勢国泊津を出立し、巨勢媛が囚われている近江大津宮を目指し、駆けた。

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