竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百六三 万葉集に見る仏教の影響

2016年03月26日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百六三 万葉集に見る仏教の影響

 今回もまた、生半可な知識からの与太話です。まず、眉に唾ですし、千無い話としてお踏み置き下さい。
 さて、現代では昭和初期以前とは違い万葉集の鑑賞をするときに仏教や道教の影響を取り除いて万葉歌を鑑賞できないことは共通の認識になっていると思います。例えば柿本人麻呂歌集でも火葬の場面を詠った歌、また、満中陰の七七の日(現代の四十九日法要)に人は成仏するという仏教観を持った歌を見ることが出来ます。さらに大伴旅人や山上憶良の歌を鑑賞するとき維摩経や法華経の道徳観や人生観から遊離することはできません。
 例として次に紹介します人麻呂歌集の歌は訓読み万葉集からでは判りづらいでしょうが、原歌表現における「念西」、「五十日」、「應忌鬼尾」などの選択された漢字文字からは、歌は本来の仏教教義を下にした葬送儀礼や満中陰の成仏思想が存在すると推定されます。およそ、すでに万葉集最初期に位置するとされる柿本人麻呂歌集の段階で仏教的思想が歌に現れていると考えることが出来ます。他方、万葉集中期に位置する大伴旅人や山上憶良の歌には仏教思想が色濃く存在しますから仏教的思想やその教義を排除して万葉集を鑑賞することは困難ではないでしょうか。

集歌2947 念西 餘西鹿齒 為便乎無美 吾者五十日手寸 應忌鬼尾
訓読 想ふにし余りにしかばすべを無みわれは言ひてき忌むべきものを
私訳 心に亡くなった貴女を想い、恋焦がれるのをあまりにどうしようもなく、私は何度も何日も貴女の名前を口に出してしまった。慎むべきなのに。

 このような状況を踏まえまして、少し古いものですが1999年3月の岩波月報から引用した岩波書店による『萬葉集索引』の紹介文の中に万葉集に見る仏教の影響を次のように説明します。

近代の万葉観について
近代の万葉集研究は、近世の国学と正岡子規の万葉観が中核になっています。 万葉人の純粋無垢の心情を称えることが優先して、万葉集が圧倒的な大陸文化の影響の下にあることを重要視しませんでした。 中国文学が万葉集に与えた影響の大きさと深さの実測は、敗戦後、小島憲之氏によって切り開かれ、以後、研究者たちに受け継がれて来ました。 その一方で、万葉集と仏教思想の関係は殆ど顧慮されることがありませんでした。 山上憶良・大伴旅人の作品、巻十六の戯笑歌など一部を除いて、万葉集と仏教との関係は深くはないという先入観が強かったようで。 たしかに中世の歌集に詠まれたような形で、仏教は万葉集に影を投じてはいません。 しかし、「世の中」を「世間」と書く表記が仏教に由来するものであることは言うまでもありません。 内容的に仏教と関係のない歌でも、「わたつみ」を「方便海」(1216)と書いたりもします。 「方便海」は『華厳経』に頻出する文字です。 この歌の書き手の仏教的教養を窺わせる一例でしょう。 「常ならぬ」(1345)という言葉が「人」の枕詞として使用された背後には、勿論、仏教の無常観があったでしょう。 「むろの木」を「天木香樹」(446)・「天木香」(3830)などと書くことも、経典から学んだものでしょう。 歌に直接反映したものは少なくても、仏教の知識は万葉集の随所にその跡を留めています。


 紹介しました文章は1999年ですから、さすがに古い認識です。まだまだ、万葉歌を原歌から真剣に鑑賞するのではなく、伝統の翻訳された訓読み万葉集をテキストとして採用することが出来るとする時代です。およそ、原歌の漢字表記一字一句まで検討をしたものではありません。そのため「歌に直接反映したものは少なくても、仏教の知識は万葉集の随所にその跡を留めています」と云う表現になったと思われます。また、奈良時代の仏教はある種の哲学である本来の仏教を対象にしていたという認識があったかどうかも不明です。末法思想や念仏思想が見えないから、仏教の影響が薄かったとするのは間違いではないでしょうか。
 例としまして、戦前までの大伴旅人が詠う讃酒謌十三首は酒を楽しむ享楽の歌として鑑賞していましたが、現在では仏教観を踏まえた人生の悲嘆を詠う歌群として鑑賞します。このように伝統的な訓読み万葉集鑑賞と現代の原歌からの鑑賞とは相当にその受け止め方が違います。

集歌349 生者 遂毛死 物尓有者 今生在間者 樂乎有名
訓読 生(い)ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間(ま)は楽しくをあらな
私訳 生きている者は最後には死ぬものであるならば、この世に居る間は楽しくこそあってほしい。

集歌350 黙然居而 賢良為者 飲酒而 酔泣為尓 尚不如来
訓読 黙然(もだ)居(を)りて賢(さか)しらするは酒飲みて酔ひ泣きするになほ若(し)かずけり
私訳 ただ沈黙して賢ぶっているよりは、酒を飲んで酔い泣きすることにどうして及びましょう。

 こうした時、人の死の葬送儀礼に宗教観があるとしますと、高価で新規の火葬と云う葬儀は確実に仏教の影響です。それは神道でも儒教でもありません。そうした時、柿本人麻呂歌集には火葬を詠う場面の歌が多く載せられています。歌に示す肉体から離れた精神が煙となり、(西方浄土へと)棚引いていく姿は、旧来の穢れとして野に屍を捨てるというものとは違います。確かに天武天皇以降の国体神道は旧来の原始的な自然神信仰に墨子・道教・仏教などの思想が取り込まれ、新しい論理や思想の組み立てを持った近代性をもったものとなったとします。従いまして、一見、万葉歌には神道思想が見えるとしますが、さて、どうでしょうか。それに今も昔も普段の人を死して神と祀る風習は神道にはありません。なお、明治の文明開化と身分制度廃止などを背景に近代以降の庶民の宗教行事などは大きく変わって来ています。ただこれは話題としています万葉集の世界とは関係ありませんので、そのようなものからの評論はしないことにします。

<人麻呂歌集に見る火葬の場面>
土形娘子火葬泊瀬山時、柿本朝臣人麿作歌一首
標訓 土形娘子を泊瀬山に火葬(ほうむ)りし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌一首
集歌428 隠口能 泊瀬山之 山際尓 伊佐夜歴雲者 妹鴨有牟
訓読 隠口(こもくり)の泊瀬(はつせ)し山し山し際(ま)にいさよふ雲は妹にかもあらむ
私訳 人の隠れる隠口の泊瀬の山よ、その山際にただよっている雲は貴女なのでしょうか。

溺死出雲娘子葬吉野時、柿本朝臣人麿作歌二首
標訓 溺れ死(みまか)りし出雲娘子を吉野に火葬(ほうむ)りし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌二首
集歌429 山際従 出雲兒等者 霧有哉 吉野山 嶺霏微
訓読 山し際(ま)ゆ出雲し子らは霧なれや吉野し山し嶺(みね)にたなびく
私訳 山際から、出雲一族の幼い貴女は、今は霧なのでしょうか、吉野の山の峰に棚引いている。

 さらに、インターネットに万葉集に見る仏教の影響を尋ねますと次のような文章を見つけることが出来ます。

万葉集の詠まれた時代は、飛鳥、白鳳、天平にあたる。仏教文化が風靡した時代である。当然、そのような環境下に生まれた万葉集には仏教思想が刻まれていてもおかしくない。
しかし、万葉集を読むと、叙景を含め仏教的要素が少ないという印象は否めない。それは津田左右吉氏の、次のような言葉からもうかがえる。
「万葉には仏教もしくは仏教思想に関係があると思われる歌は極めて少なく、ここに挙げたのがその過半である。当時、仏教が一般世人の思想を動かしていなかったことはこれでもわかる。挽歌の如き、仏教思想の混入し易い性質のものですら、そういう形跡は甚だ少ない」
これに異論を唱えるのは、上田正昭氏(現、京都大学名誉教授)である。
「『万葉集』のなかにも、仏教的要素は出て来るんです。憶良にしても、旅人にしても、あるいは家持にしても、儒教的な要素とともに仏教の影響がある。道教的な色彩の歌もある。万葉が純粋に日本文化的なものだと考えることは『万葉集』のなかみとはずれた議論になる。万葉をささえている精神構造のなかにも、仏教、儒教、道教などがミックスされている」
それをさらに推し進めて、万葉研究の第一人者として知られる中西進氏は、「万葉の時代と風土」のなかで次のように述べている。
「そもそも、万葉集の歌を出発せしめたものが、古代朝鮮からの衝撃力であった。…あの白村江の戦がなければ万葉集もなかったかもしれない。…(百済王朝の滅亡に)よって百済の政府高官たちは倭に亡命。その結果、百済の文化を倭がひきつぐという形で、歴史が流れていった。その中で誕生したのが万葉集である。もちろん、文学の生成なるものは徐々に行われるもので、突然変異的なものではない。すでに先立って、和歌は歌謡からの自立をしはじめていたが、その自然発生的な進展に対して、これを飛躍的に生長させたものが、天智朝のできごとであった」

 文章が紹介しますように万葉歌には仏教観を抜きに鑑賞が出来ない歌は多く存在します。例として以下に二首を紹介しますが、これらは仏教観なしでは鑑賞できないことに同意いただけると確信します。歌の歌い手とその歌を受ける人には共通した「世間と云うものへの無常観」があります。

沙弥満誓謌一首
標訓 沙弥満誓の謌一首
集歌351 世間乎 何物尓将譬 且開 榜去師船之 跡無如
訓読 世間(よのなか)を何に譬(たと)へむ且(そ)は開(ひら)き榜(こ)ぎ去(い)にし船し跡なきごとし
私訳 この世を何に譬えましょう。それは、(実際に船は航海をしても)帆を開き帆走して去っていった船の跡が残らないのと同じようなものです。
注意 原文の「且開」の「且」は、一般に「旦」の誤記として「旦開」とし「朝開き」と訓みます。歌意は大幅に変わります。

悲傷膳部王謌一首
標訓 膳部王を悲傷(かな)しむ謌一首
集歌442 世間者 空物跡 将有登曽 此照月者 満闕為家流
訓読 世間(よのなか)は虚しきものとあらむとぞこの照る月は満ち闕(か)けしける
私訳 人が生きる世界は何と虚しいものであろうか。貴方が亡くなられたのに、この大地を照らす月は、ただ、何もなかったかのように満ち欠けをする。


 もう少しインターネットで遊びますと、次の文章に出合います。

<参考資料 一>
1.仏教における浄土への転生
(1)六道輪廻 -仏教における死後の世界
仏教における世界は、無色界、色界、欲界の「三界」で構成されており、その最下層の欲界は六段階で構成されている。その六つの段階は、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄からなり、これを「六道」という。そして人間の魂は、この六道の中を輪廻転生(りんねてんしょう)すると考える。したがって死とは、魂が次の世界へ転生することであった。
この思想は、インドにおいて古来行われてきたものであるが、仏教思想を通して伝来する中で、中国、日本においては人の生を無限の過去から未来へと開く、新しい思想として受容された。すでに、古く万葉集の中でも、

この世には人言しげし来む世にも逢はむわがせこ今ならずとも (高田女王)
この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我はなりなむ (大伴旅人)

などと、輪廻転生の思想がうたわれている例を見る。

<参考資料 二>
人麻呂歌集所出の『万葉集』巻第七-一二六九番歌の「徃水之 三名沫如 世人吾等者」の表現に仏教の無常観の影響があるか否かは議論が別れる。仏典の影響を考える立場からは『維摩経』の十喩とこれに基づく謝霊運の詩の影響が指摘されている。本稿ではさらに天武・持統の時代は『金光明経』が重んじられ、薩・太子の説話の受容も想定されるので、人麻呂はその無常の認識と表現の影響も受けた可能性が高い。


 紹介しました<参考資料>に示す例歌として原歌表記に「三輪」と云う地名に対して歌の要請から「三和」と云う仏教用語を使用したと思われるものを以下に紹介します。当然、これらのものは原歌表記に立ち返って初めて判明するものであって、鎌倉時代からの伝統である原歌を翻訳した成果である訓読み万葉集をテキストにするものでは見えてこない世界です。

<「三輪」ではなく「三和」の表記を使う歌>
集歌1119 往川之 過去人之 手不折者 裏觸立 三和之檜原者
試訓 往(ゆ)く川し過ぎにし人し手折(たを)らねばうらぶれ立てり三輪し檜原は
試訳 流れいく川のように過ぎて去ってしまった人が、もう、手を合わせて祈ることがないので寂しそうに立っている三輪の檜原の木々は。
注意 ここでは試訓として、仏教の外縛印で合掌をする風景を想像して解釈してみました。なお、人麻呂時代から明治初期までは三輪は大三輪寺を中心とする仏教寺院が立ち並ぶ仏教の聖地です。その仏教聖地に関係するためか、原文は三輪ではなく唯識論の「三和」です。


 ご存知のように飛鳥浄御原宮、藤原京、前期平城京時代の仏教は、まだまだ、念仏仏教でも葬儀仏教でもありません。その時代の仏教僧侶は世界最先端の科学者であり哲学者ですし、国家公務員です。また、万葉集歌を詠う貴族階級はそのような時代の最先端を行く仏教僧侶を指導し、時に対等に思想問答を行うだけの教養を持つ知識人たちです。そこが平安時代以降の念仏仏教と信者との関係などとの違いがあり、それゆえに万葉集には仏教の色が見えないという頓珍漢な感想文が流布した背景なのでしょう。

 今回は表面をなぞる形で万葉集に見る仏教の影響を紹介しましたが、本質的には奈良時代の神道と仏教の関係、神道と墨子・道教の関係(伊勢皇大神宮の儀礼や延喜式祝詞に墨子・道教の影響がみられる)、仏教と道教の関係(経典にクロスオーバーしている事例がある)をも視野に入れるべきものです。ただそれは日給月給の建設作業員には非常に荷の重い話です。そのような考察は若い皆さんに期待致します。
 万葉集の歌々は当時の人々の生活を詠いますから、紹介しました神道、仏教、墨子、道教などの精神世界の影響を無視して歌は鑑賞が出来ないと思います。つまり、「大和心の素直な神道的な面」と云う特別な思想から万葉集を鑑賞するのは誤ったものですし、万葉集を十分に理解できていない証でもあります。もう、江戸期でも明治期でもありません。まして、昭和でもありません。色眼鏡なく素直に万葉集歌を楽しんでいただければと考えます。

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