竹取翁と万葉集のお勉強

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笠朝臣金村歌集を鑑賞する  志貴親王薨時作謌

2010年12月20日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
笠朝臣金村歌集と笠朝臣一族を鑑賞する

はじめに
 ここでは、笠朝臣金村、笠朝臣麿(沙弥満誓)、笠朝臣子君や笠女郎などと笠朝臣一族と思われる人々の歌を鑑賞します。
歴史ではこの四人の関係は明らかではありませんが、万葉集の歌に於いて四人を時代で括りますと霊亀年間から天平初期の時代に活躍した人々の位置となります。大胆に年代順を探ると、明確な根拠がある訳ではありませんが、笠朝臣麿(沙弥満誓)、笠朝臣金村、笠女郎・笠朝臣子君のような順番でしょうか。なお、朝臣の姓(かばね)を天武天皇から頂いた笠氏は、本来は吉備地方の豪族で笠国(岡山県笠岡市及びその周辺地域)の国造です。古く、大和朝廷では「臣」の姓の地位にありましたが、天武十三年(684)に「朝臣」の姓を賜っています。
 このような笠朝臣一族に関わる四人の内で歴史的に判明している人物は、笠朝臣麿(沙弥満誓)だけです。その笠朝臣麿の略歴を紹介すると、次の年譜になります。
 歴史に登場するのは、大宝四年(704)正月の正六位下から従五位下に昇階したときの記事が最初です。彼は慶雲三年(706)七月に美濃守に就任し、和銅元年(708)三月に美濃守に再任しています。この時、同時に従五位上に昇階しています。翌年の和銅二年に、東海・東山道巡察使藤原房前の報告に基づいて、国司としての業績により田10町、穀200斛を授かっています。和銅四年(711) 四月、正五位上へ昇階し、和銅六年 (713) 正月に従四位下に昇階しています。そして、有名な和銅七年(714)閏二月の木曽路を開通させた功績により封戸70戸、功田6町を賜わっています。その後、霊亀二年(716)六月に美濃守のまま、尾張守を兼任しています。養老元年(717) 十二月、元正天皇が美濃国へ行幸し、当伎郡多度山の美泉(養老滝)を嘉して年号を養老に改元しますが、当地を管轄する笠麻呂は、この際に従四位上に昇階されています。さらに、養老三年(719)七月には、尾張・参河・信濃の三国を管轄する按察使を兼ねています。その翌年の養老四年(720)十月に、右大弁として奈良の京に戻っています。翌年五月、元明太上天皇の病を理由に出家を請い勅許され、これより後は「満誓」と称しています。その後に、養老七年(723)二月に造筑紫観世音寺別当となり、大宰府に下向しています。歴史で判るのはここまでです。この大宰府に下向の時に、笠朝臣麿(沙弥満誓)は大伴旅人や山上憶良と交遊があったようです。
 笠朝臣麿(沙弥満誓)については、弱小氏族ではありますが、このように良く生涯が記録されています。一方、残る笠朝臣金村、笠女郎と笠朝臣子君については、繰り返しになりますが、一切の人物像は不明です。
 さて、例によって、紹介する歌は西本願寺本の表記に従っています。そのため、原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話で、学問ではありません。

笠朝臣金村
 笠朝臣金村は、歴史では不明な人物です。
 万葉集では霊亀元年(715)の志貴親王への挽歌を詠う集歌230の歌から、天平五年(733)に丹比真人広成へ贈った集歌1453の贈入唐使の歌までが、年代として判明している活躍の時期です。
 なお、笠金村は多くの御幸への侍従した歌を詠いますが、それは奉呈歌と云うより自分の感情を詠ったような歌です。この辺りから、笠金村は警護官や書記のような侍従団の一員でも身分が低い位置にあったと思われます。


志貴親王の薨りましし時に作れる謌
 この歌は万葉時代では有名な歌です。それは、最初に笠金村によって、霊亀元年(715)に、この集歌230の挽歌が詠われた後に、それを題材に集歌233と234の歌が詠われます。さらに、その集歌233と234の歌を踏まえた上で、集歌4506の歌以下五首が詠われることになります。つまり、この集歌230の挽歌は、奈良時代の和歌をたしなむ歌人にとって必ず知らなければいけないような歌だったと思われます。
 なお、志貴親王に関わる歌は、この巻二の最後に位置するだけでなく、巻八の巻頭を飾る位置にもあります。ここらから、志貴親王は特別な人物であるとの認識の下に万葉集の編纂がなされたと想像されます。


霊龜元年歳次乙卯秋九月、志貴親王薨時作謌一首并短謌
標訓 霊亀元年歳次乙卯の秋九月に、志貴親王の薨(かむあが)りましし時の歌一首并せて短歌

集歌230 梓弓 手取持而 大夫之 得物矢手挾 立向 高圓山尓 春野焼 野火登見左右 燎火乎 何如問者 玉桙之 道来人乃 泣涙 霪霪尓落者 白妙之 衣泥漬而 立留 吾尓語久 何鴨 本名唁 聞者 泣耳師所哭 語者 心曽痛 天皇之 神之御子之 御駕之 手火之光曽 幾許照而有

訓読 梓弓 手に取り持ちて 大夫(ますらを)の 得物矢(さつや)手挟み 立ち向ふ 高円山(たかまとやま)に 春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 何(い)かと問へば 玉鉾の 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば 白栲の 衣(ころも)ひづちて 立ち留まり 吾に語らく なにしかも もとな唁(と)ふ 聞けば 泣(ね)のみし哭(な)かゆ 語(かたら)へば 心ぞ痛き 天皇(すめらぎ)の 神の御子の 御駕(いでまし)の 手火(たひ)の光りぞ ここだ照りたる

私訳 梓弓を手に取り持って勇ましい大夫が得物を取る矢をたばさみ狩に立ち向かう高円山に、春に野を焼く野火と思われるほどの燃える火を何かと問うと、王の印である鉾を立てる道を歩き来る人の泣く涙が小雨のように降れば、白栲の衣は濡れそぼって立ち留まり、私に語っていうには、「どうして理由もなく尋ねる。理由を聞かれれば泣きながら怨んでしまう。理由を語ると心が痛い。天皇の神のような御子のあの世へのおでましの警護をする手火の光だ。おびただしく照らしているのだ。」

短謌二首
集歌231 高圓之 野邊乃秋芽子 徒 開香将散 見人無尓
訓読 高円(たかまと)の野辺(のへ)の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人無しに

私訳 高円山の野辺の秋萩は空しく咲き散るのであろうか、見る人が亡くなった後も


集歌232 御笠山 野邊徃道者 己伎太雲 繁荒有可 久尓有勿國
訓読 三笠山(みかさやま)野辺(のへ)往(い)く道はこきだくも繁く荒れたるか久(ひさ)にあらなくに

私訳 三笠山の野辺を往く道は、大層にも雑草が茂って荒れ果てているのだろうか、まだそれほど経っていないのだけど
右歌、笠朝臣金村謌集出
注訓 右の歌は、笠朝臣金村の謌集に出ず


或本謌曰
標訓 或る本の謌に曰はく、

集歌233 高圓之 野邊乃秋芽子 勿散祢 君之形見尓 見管思奴播武
訓読 高円(たかまと)の野辺の秋萩な散りそね君が形見に見つつ思(しぬ)はむ

私訳 高円の野辺に咲く秋萩よ、散るでない。あの御方の思い出として見て偲びましょう。


集歌234 三笠山 野邊従遊久道 己伎太久母 荒尓計類鴨 久尓有名國
訓読 三笠山(みかさやま)野辺(のへ)ゆ行(ゆ)く道こきだくも荒れにけるかも久(ひさ)にあらなくに

私訳 三笠山の野辺を通って行く道は、かくもこのように荒れ果ててしまったのでしょうか、あの御方が亡くなられて幾らも経っていないのに。


参考歌
依興各思高圓離宮處作謌五首
標訓 興に依りて各(おのがじし)高円の離宮(とつみや)処(ところ)を思(しの)ひて作れる歌五首

集歌4506 多加麻刀能 努乃宇倍能美也波 安礼尓家里 多々志々伎美能 美与等保曽氣婆
訓読 高円(たかまと)の野の上の宮は荒れにけり立たしし君の御代(みよ)遠そけば

私訳 高円の野の高台にある宮の屋敷は荒れてしまったようだ。屋敷を建てられた皇子の生前の時代は遠くなったので。
右一首、右中辨大伴宿祢家持


集歌4507 多加麻刀能 乎能宇倍乃美也波 安礼奴等母 多々志々伎美能 美奈和須礼米也
訓読 高円(たかまと)の峰の上の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや

私訳 高円の高台にある宮の屋敷は荒れ果てたとしても、あの御方のお名前を忘れるでしょうか。
右一首、治部少輔大原今城真人


集歌4508 多可麻刀能 努敝波布久受乃 須恵都比尓 知与尓和須礼牟 和我於保伎美加母
訓読 高円(たかまと)の野辺延ふ葛(くず)の末つひに千代に忘れむ吾が王(おほきみ)かも

私訳 高円の野辺に生える葛の蔓が長く延びるように千代の後に御名前を忘れ去られるような吾等が王でしょうか。
右一首、主人中臣清麿朝臣


集歌4509 波布久受能 多要受之努波牟 於保吉美乃 賣之思野邊尓波 之米由布倍之母
訓読 延ふ葛(くず)の絶えず偲はむ王(おほきみ)の見しし野辺には標(しめ)結ふべしも

私訳 野辺に延びる葛の蔓が絶えないように、絶えず昔を偲びます。王が眺められた高円の野辺には、農民に荒らされないように禁制の標を結ぶべきでしょう。
右一首、右中辨大伴宿祢家持


集歌4510 於保吉美乃 都藝弖賣須良之 多加麻刀能 努敝美流其等尓 祢能未之奈加由
訓読 王(おほきみ)の継ぎて見すらし高円(たかまと)の野辺見るごとに哭(ね)のみし泣かゆ

私訳 葬られた場所から王が今も見ていられるでしょう。高円の野辺を見るたびに亡くなられたことを怨みながら泣けてしまう。
右一首、大蔵大輔甘南備伊香真人


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