竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その6

2009年04月21日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その6

原文 羅丹津蚊經 色丹名著来 紫之 大綾之衣
訓読 薄絹(うすもの)似つかふ 色に相応(なつか)しき 紫の 大綾(おほあや)の衣(きぬ)(06)
私訳 上品に薄い絹の衣に相応しい深く紫色に染めた糸で織った大柄の柄の入った衣

この一節の「羅丹津蚊經」をどのように読むかで解釈は大幅に違ってきます。古くからこの「羅」を紅の誤字とする説、「丹」を衍の誤字とする説、などがあり定訓は定まっていません。そのため、「羅丹津蚊經」を「さにつかふ」と読み「さ丹つかふ」、「くれなゐのにつかふ」と読み「紅の似つかふ」、「うすもののにつかふ」と読み「羅の似つかふ」や「羅の丹着かふ」等の訓読みがあります。
この「羅丹津蚊經」の解釈については、私は「羅の似つかふ」説を採用しています。つまり、「薄絹製のお召しが相応しい」との解釈です。そうした上での、上記の解釈です。
万葉集の歌が詠われた世界は、おおむね、律令体制の世界です。その律令の規定の下で紫色の大綾の衣を着ることが出来るのは天皇とその皇后だけです。そして、歌が詠う初夏に着る薄絹製のお召しに相応しい人から、その人物は皇后と考えました。つまり、旧暦五月五日に行われた狩りの宴で、大海人皇子が詠う紫色の衣を着た蒲生野の倭皇后です。
このように、竹取翁は「この歌はみんなが知っている」とする歌については、直接的にもじり歌の本歌を紹介していません。少し、遊びを入れて本歌を紹介してます。それが、和歌を詠う歌人の教養なのでしょうし、リトマス試験紙なのでしょう。

皇太子答御謌 明日香宮御宇天皇、謚曰天武天皇
標訓 皇太子の答えませる御歌 明日香宮の御世の天皇 謚して天武天皇といふ
集歌0021 紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
訓読 紫草(むらさき)の色付(にほへ)る妹を憎くあらば人嬬(ひとつま)故に吾(あ)が恋ひめやも
私訳 皇后に相応しい紫草で深く紫色に染めた美しい衣装を身に纏った貴女を心苦しく思うのは、貴女が人妻だから私の慕う気持ちを隠しているのです。

なお、集歌0021の歌の普段の解説にあるようには夫人以下の身分の額田王では紫の衣は着ることが出来ません。和歌の解釈の常識は、時として歴史や社会の常識から外れることもあるようです。当然、普段の蒲生野の歌は、歴史の常識ではなく和歌の常識から歌を鑑賞するのがルールです。
ところで、額田王は近江大津京への遷都のときに榛染めの衣を着ています。これは、大化五年令の八位相当の官衣色の黒色と思われます。天武十四年令としても権の深緑相当の色ですから六位相当官です。着ている官衣色からは、額田王は推古天皇の近習の采女頭の栗下女王に似合う官職のようです。
懐風藻が天智天皇を漢詩流行の祖とするならば、天武天皇は日本書紀にもあるように大和民族の民謡や舞の保護・育成をおこなった祖です。さらに、本格的な和歌が人麻呂時代から始まるとするならば、天武天皇は大和歌の流行の祖になります。そうであるならば、天皇の立場ではなく、大和民族の大和歌や民謡の流行の祖として万葉集の編纂から欠くことのできない人物になります。

 蛇足ですが、最初の「羅丹津蚊經」の解釈について、もじり歌と考えなければどの解釈をとっても大差はありません。お召しの色合いや着ている人物への晴れが多少違うぐらいで、実害はありません。

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