竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その2

2009年04月17日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その2

原文 平生蚊見庭 結經方衣 水津裏丹縫服
訓読 平生(ひらお)の時(かみ)には 木綿(ゆふ)の肩衣(かたきぬ) ひつらに縫ひ着(02)
私訳 年少の時には木綿のちゃんちゃんこに裏地を縫いつけて着て

長歌もじり歌のこの一節は山上憶良の貧窮問答の歌のままで、歌を詠った歌人が年少の時に布の肩衣である「ちゃんちゃんこ」を着たのは、万葉集の歌の中で山上憶良ただ一人です。
この山上憶良は万葉集における漢詩・漢文の独特のジャンルの歌人の筆頭に位置する人物です。この貧窮問答の歌も大和歌ですが、漢詩のような対句の形式を持つ独特な歌です。最初の句を見るだけでも、つぎのように対象と言葉が見事な対句形式になっています。この原文表記の美しさを楽しんで下さい。この美しさが本来の万葉集の表記なのでしょう。普段の訓読み万葉集では判らない世界です。
なお、不思議なことに同時代人の漢詩集である懐風藻には山上憶良の漢詩は採られていません。

風雜 雨布流欲乃      風交(まじ)り 雨降る夜の
雨雜 雪布流欲波      雨交(まじ)り 雪降る夜は
為部母奈久 寒之安礼婆   術(すべ)もなく 寒くしあれば
堅塩乎 取都豆之呂比    堅塩(かたしほ)を 取(と)りつつろひ
糟湯酒 宇知須々呂比    糟湯酒(かすゆさけ) 打ちすすろひ
弖之匝夫可比        手咳(しはふ)かひ
鼻批之批之尓        鼻びしびしに

 さて、これをどのようにジャンル分けすべきでしょうか。やはり、山上憶良風の大和歌でしょうか。万葉集を編纂する上で絶対に欠くことのできない人物であることは確かですが、私には非常に難しい人です。今もって、歯が立ちません。

(山上憶良)
貧窮問答謌一首并短謌
集歌0892 風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比 弖之匝夫可比 鼻批之批之尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞々泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻弖 来立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道
訓読 風交(まじ)り 雨降る夜の 雨交(まじ)り 雪降る夜は 術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取(と)りつつろひ 糟湯酒(かすゆさけ) 打ちすすろひ 手(て)咳(しはふ)かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 鬚(ひげ)掻き撫でて 吾(あ)れを措(お)きて 人は在(あ)らじと 誇(ほこ)ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさふすま) 引き被(かがふ)り 布(ぬの)肩衣(かたきぬ) 有(あ)りのことごと 服襲(きそ)へども 寒き夜すらを 吾(わ)れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ 妻子(めこ)どもは 乞(こ)ふ乞ふ泣くらむ この時は 如何(いか)にしつつか 汝(な)が世は渡る 天地は 広しといへど 吾(あ)が為(ため)は 狭(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は 明しといへど 吾(あ)が為(ため)は 照りや給はぬ 人皆(ひとみな)か 吾(あ)のみや然(しか)る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾(あ)れも作るを 綿(わた)もなき 布(ぬの)肩衣(かたきぬ)の 海松(みる)の如(ごと) わわけさがれる 襤褸(かかふ)のみ 肩にうち掛け 伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解(と)き敷きて 父母は 枕の方(かた)に 妻子(めこ)どもは 足の方に 囲み居(ゐ)て 憂(う)へ吟(さまよ)ひ 竃(かまど)には 火気(ほけ)吹き立てず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く ことも忘れて 鵺鳥(ぬえとり)の 呻吟(のどよ)ひ居(を)るに いとのきて 短き物を 端(はし)截(き)ると 云(い)へるが如く 楚(しもと)取(と)る 里長(さとをさ)が声は 寝屋処(ねやと)まで 来立ち呼ばひぬ 如(かく)ばかり 術(すべ)無きものか 世間(よのなか)の道
私訳 風に交じって雨が降り、雨に交じって雪の降るみぞれの夜は、どうしようなく寒いので固めた塩の塊をしゃぶり、酒かすを解かした酒をすすって、手で咳をし、鼻をびしゃびしゃさせながら、貧相な鬚を掻きなでて、自分を除いて立派な人はいないと誇ってみても、寒いので麻の衾をかぶるようにし、布で作った袖なしのちゃんちゃんこをある限り重ね着てもそれでも寒い。そのような夜を自分より貧しい人の父母は餓えて寒いことだろう。その妻子達は力の無い声を出して泣くことであろう。こんな時はどうしてお前は世の中をすごしているのであろうか。天地は広いといっても私には狭くなってしまった。日や月は明るいというが私のためだけには日は照ってくださらない。人はみんなこうであろうか。それとも私だけであろうか。たまたま人間として生まれたのに人並みに私は育ってきたが、綿も入っていない布のちゃんちゃんこの海松のような分かれ裂けたボロだけを肩に掛けるように茅葺の屋根だけの丸い小屋の中の土間に藁を敷き、父と母は枕の方に、妻子は足の方に丸く囲んで居て、この世の辛さを憂へ呟いて、竃には火の気の立てずに、飯を蒸かす甑にはくもの巣が張って、飯を炊くことも忘れて、鵺鳥が夜に鳴いている時間に、短いものをさらに切り詰めるという例えのように、鞭を持った里長の声が寝床まで聞こえて呼び立てる。このようにどうしょうもないないのであろうか、この世の生きる道は。

集歌0893 世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
訓読 世間(よのなか)を憂(う)しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
私訳 この世の中を辛いことや気恥ずかしいことばかりと思っていても、この世から飛び去ることが出来ない。私はまだ千鳥のような鳥ではないので。

 すこし、雑談をします。
 未来から過去の新聞記事や記録を見た時、現在も宿無しの浮浪や餓死者は頻発していますし、新聞記事の比率から多くの国民は生活に困窮しています。
さて、少し視線を変えていつの世にも貧富の差はあることを認めると、この貧窮問答の歌が詠われたとき、当時の日本は古代中世を通じ最大の高度経済成長の真っ只中です。長屋王の百万町の開墾干拓事業は大風呂敷かもしれませんが、当時は、その大風呂敷に違和感がないぐらいに開墾干拓事業が行なわれています。後に権力者による良田不良田の土地の交換はあったでしょうが、建前上は神社仏閣の所有する土地は自己努力による開墾干拓の結果です。また、東大寺や国分寺の建立における地方豪族の寄進から見ても、民力は飛躍的に高まっていますし、鉄や銅などの金属製品の年間生産能力は世界最大級の数百トンです。この貧窮問答の歌から二十年後の高度経済成長の帰結が、平城京・久邇宮・難波宮や東大寺の大仏です。
解説で貧窮問答の歌の前半を貧困とし後半を困窮とする考えもあるようですが、では、空海の「塩酒一杯、これを許す」は貧困でしょうか。根本的な問題で、その高度経済成長の推進者側の筑前国守の山上憶良が、なぜこの歌を詠ったのか、また、誰に対して詠ったのでしょうか。私は、それが判らないのです。

奈良時代は平安時代とは違い、浮浪や餓死者の多発は国守の失政で処罰の対象です。平安貴族の浮浪や餓死者をただ汚らしいものとするような無責任無関心とはちがいます。また、日本書紀や続日本紀にあるように民生向上の品種改良や農法改善は、褒賞や恩賞の対象です。筑前国守である山上憶良は自分の失政を認め、処罰を求めたのでしょうか。神亀六年の長屋王の変以降は、長屋王や大伴旅人に縁の深い山上憶良は、政治的に厳しい立場であったはずですが。すると、山上憶良は保身のために、上司である大宰師の大伴旅人や先の左大臣の長屋王を暗に告発したのでしょうか。
なお、普段の解説者は平安貴族のような同じ無責任の視線で、この貧窮問答の歌を説明するのがルールです。山上憶良は当事者の行政官僚ではなく、部外者の評論家か文化人でなくてはいけません。憶良に告発者の評価があるならば、そのとき犯罪者は告発者自身です。

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