竹取翁と万葉集のお勉強

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明日香新益京物語 朝妻の妻問い

2014年03月23日 | 実験 小説で万葉時代を説明する 
朝妻の妻問い

 朱雀元年(672)九月、大海人皇子は高市皇子などを従え、美濃国野上の陣屋から飛鳥岡本宮へと凱旋行軍を行った。
 その飛鳥に戻った高市皇子は壬申の乱の間、東海との連絡と補給路確保のため志摩国泊津に駐屯している柿本人麻呂を飛鳥岡本宮に呼び戻した。
 壬申の乱を境に高市皇子と人麻呂の関係は変わった。以前は身分の差は確かにあったが二人だけになれば私人としての幼馴染の感覚があった。ただ、今は違う。大海人皇子の大将軍として、そして、これからは政府首班の立場として、多くの側近を従え、常に公人として高市皇子は振る舞う。大海人皇子軍の将を務めた人麻呂にも、もう、幼馴染の感覚はない。壬申の乱の戦いに勝った大将軍に仕えると云う理性が先に立つ。

 その高市皇子が栗東の鍛冶の里の実務者である人麻呂に聞く。
「人麻呂、戦の前、栗東の鍛冶の里は、どれほどの鉄を鋳ていた」
「月に五百斤(約300kg)でございます」
「鉄の鍬刃に直すと、いくらじゃ」
「君、倭の形の唐鍬刃で、およそ七百口になりましょうか」
「その唐鍬刃と刀子で、年に五千は可能か」
「余裕はありませんが、可能でありましょう。ただ、唐鍬刃の形にするには人を集める必要がありまする」
「人麻呂、鉄を月に千斤、鋳る工夫をせよ。それに、唐鍬刃と刀子で、年に七千を造る人を集めよ。今度の戦で近江に味方した者どもの手の内から鍛冶人を召し出し、栗東の鍛冶の里に集める。心中りを鍛冶の里の鍛冶長達に聞き、言上せよ」
「さらに鉄の鉱石や藻塩が必要なら、吾に申し出よ。手当てをしよう」
「鉄を増やす方策の為、早々に鍛冶の里へ行け」
 矢継ぎ早に、皇子は命令を人麻呂に下す。
 その命令を、しっかり飲み込み人麻呂は答える、
「君、命に従いまする」

 命令はしっかり飲み込む。しかし、覇気も無く、普段とは違い、なにかに悩み、気を沈めた人麻呂が皇子の前から退出しようとした。
 高市皇子には、およそ、その人麻呂の悩みの訳は判っている。その萎れた人麻呂を皇子は呼び止めた。
「やい、人麻呂。己に知らせることがある」
「さて、己は今でも忍坂の巨勢媛が恋しいか、どうじゃ。巨勢媛は先の近江朝廷の御史大夫で、今は罪人、巨勢比等の娘じゃ」
「その罪人の女子が恋しいか。さあ、真っ直ぐに答えよ」
 今は縁座の罪で罪人となった巨勢媛への理性からのあきらめと、それでもあきらめきれない恋慕に挟まれ、悩む人麻呂は答えた。
「君、吾は今でも恋しく思っております。罪人の児ではありますが、それでも恋しく思っております」
 高市皇子は、その悩む人麻呂を正面から見据え、言葉を継ぐ、
「そうか、それなら知らせてやろう。その巨勢媛は母親の忍坂中媛と共に縁座の罪で大津宮の紀臣大人の屋敷に囚われている」
「己が、今も巨勢媛を好いておるなら、この慈悲の沙汰を記した宣を己にやる。ただし、部民である母親の忍坂中媛は縁座を免れるが、巨勢比等の女、巨勢媛は巨勢の里で謹慎じゃ。飛鳥と巨勢の里は遠いぞ。それでもこの慈悲の宣が欲しいか」
「それとも縁を切るか。今の己なら大伴や物部の姫でも妻問うことは出来ようぞ」
「縁を切りたいなら、この吾がすっぱりと縁を切らせてやろう、どうじゃ」
 悩み顔の人麻呂の、その顔に精気が射して来た。
 人麻呂は皇子に懇願する。
「君、吾はそれでもその慈悲の宣が欲しい。吾に下され」
「吾は巨勢媛を捨てきれん」
 皇子は、女を捨てきれぬ人麻呂の姿に、一瞬、あの都宇の采女との思い出が脳裏を過る。
「よし、この宣を己にやるわ。今すぐ、大津に駆けって行け」
「君、有難き幸せ」

 人麻呂は巨勢媛の母、忍坂中媛の里の仕人である忍坂垂麿を伴い、飛鳥から大津宮へ急行した。
 その急行する二人の心は、ある不安に襲われる。何時の世でも戦争犯罪人のおもだった男たちは、当然、周知の下、厳重に監視、管理される。ただし、当時の風習上、外部の者にはその本名や係累関係が確かでない女子どもの場合はそうでもない。戦争の混乱で囚われの身となった女子どもは、場合により混乱に乗じて身を犯されるものもあれば、諱の風習により身分ある女子どもの本人確定が困難なことを良いこととして、混乱の最中に誘拐され行方不明になる者や売られる者もいる。また、衣類が非常に高価であった時代、罪人が着る高価な衣類を奪うのは囚人監視の者には常識であった。
 その時の二人の不安を詠う歌が万葉集に残っている。共に大きな不安を抱え、特に忍坂垂麿は忍坂中媛親子の囚われの間での最悪の事態を想定して、足取り重く大津宮へ行く。状況が明確になるその大津宮に、早く行きたいが、行きたくもない。非常に複雑な感情である。

忍坂垂麿の歌、
馬莫疾打莫行氣並而見弖毛和我帰志賀尓安良七國
訓読 馬(むま)な疾(と)く打ちてな行きそ息(け)ならべてみてもわが行く志賀にあらなくに
私訳 馬よ急ぐな。鞭打って駆けて行くな。気持ちを整え落ち着かせても、私が行くべき志賀ではないのだから。

柿本人麻呂の歌、
物乃部能八十氏河乃阿白木尓不知代經浪乃去邊白不母
訓読 もののふの八十氏河の網代木にいさよう波の行く方知らず
私訳 物部八十の氏上、その宇治河の網代の木にただよいつづける波のように、何処へ行くのか判らない、その行く末が不安です。

 柿本人麻呂は大津宮の紀臣大人の屋敷に急行した。
 大津宮は人麻呂たちの想像通りに壬申の乱で大海人皇子に味方した者の屋敷以外は略奪し尽くされていた。そして、略奪は縁座の罪で囚われていた女どもにも及んでいた。美しき衣装はない。ただ、下女や下人が着るぼろきれのような衣をわずかに身に纏うだけであった。
 人麻呂は高市皇子から降し渡された太政官の宣を示し、縁座の罪で囚われていた忍坂中媛親子を監視の主帳と隊正から貰い受けた。人麻呂は貰い受けをする前の忍坂中媛親子の怯える態度とその身姿から、二人を襲った囚われの二月の間の出来事を想像する。その人麻呂もまた志摩国泊津で、一帯を預かる将官として、この監視の主帳と似たようなことを近江朝廷に味方した者に行った。没官した男女は官奴とし、見目美しい若い女子は官衙の遊行婦人とした。官衙の遊行婦人は公の旅をする官人や功ある者への一夜の馳走として夜伽となる。ただし、官奴の中でも遊行婦人は、身分ある官人を相手にするため、格は一番高く、扱いは良い。
 壬申の乱の時、巨勢媛は十九歳、その母、忍坂中媛は三十五歳。本来なら、身分低き者には手も出せぬ美しい深閨の姫達が縁座の罪で罪人となり、その身を没官され官奴となっている。つまり、官の奴隷である。監視の命を受けた者は、その官奴の女どもを死なせたり、逃亡させない限り、新たな指示が来ない間は如何様にもその女達を扱うことが出来る。監視の主帳と隊正は、その権限を十二分に堪能した。また、大津宮を占領した大海人皇子の軍の将官たちも、存分にその欲望を満たした。忍坂中媛親子の多少の幸いは、大津宮を占領した大海人皇子の軍の多くの将官たちは、戦いの後、美濃国野上へ凱旋し、残るものはわずかであったことと、大津宮には大族の蘇我や中臣の姫達もいたし、巨勢臣本家の姫たちも大勢いた。男どもの目は、最初、その大族の美しい姫達に向けられた。その分、小族出身の忍坂中媛親子の不幸の数は少なかった。それでも、忍坂中媛親子は着物を奪われた時や、若い巨勢媛は数日に一度、母、忍坂中媛でも片手では数えきれないほど、遊行婦人として男どもに一人一夜の性を奉仕させられた。

 人麻呂はその忍坂中媛親子に太政官の処罰の沙汰を知らせた。
 縁座の罪にある忍坂中媛と巨勢媛親子は、怯えとあきらめの下、人麻呂が告げる太政官の御沙汰を聞いた。
 人麻呂は御沙汰を宣言する、
「罪人巨勢比等の妾、忍坂部の忍坂中媛は慈悲により罪なし。よって、家産の公収も赦す。巨勢比等の女、巨勢媛は縁座の罪あり。ただし、今度は大王の慈悲で罪の罰を赦し、良民の身分のまま、巨勢の里に祓いの謹慎を命じろ。なお、重ねて罪人巨勢媛の家産及び私奴は公収する」
 身を没官され官奴となることを覚悟していた忍坂中媛親子は、思いもかけない大王の慈悲に感謝した。その安堵と罪人からの開放に喜び、咽び泣く忍坂中媛親子に人麻呂は告げる。
「巨勢媛は、これからも我が妻じゃ。巨勢媛、己の身に心配はいらん」
 忍坂中媛親子から将来の不安を取り去り、今後の生活の安堵を見せたあと、人麻呂はその忍坂中媛親子にものを考えさせないように、次々と、事を進める。栗東の鍛冶の里から親子二人の衣装を取り寄せ、身なりを整えた忍坂中媛親子をその鍛冶の里に移した。そして、物忌に入らせた。

 母系社会で妻問いでの風習の下では一夫一婦や貞操と云う概念は生まれない。ただ、生まれる児の親を明らかにする必要がある時、女は物忌をし、月を確認する。囚われの時、巨勢媛は男どもに犯されたかもしれんが、それについて人麻呂にはわだかまりはない。ただ、柿本一族の妻として巨勢媛と目合うには、児の存在を明らかにするため、巨勢媛に物忌させる必要はある。忍坂中媛親子は、その物忌の中、深い不安を抱いていたが、およそ期待した頃合いに月を見た。それで以って、物忌は終わった。

 人麻呂はおよそ一年ぶりに再会した巨勢媛をすぐに抱きたかったが、物忌のため、それも叶わない。辛いことに高市皇子に命じられた鍛冶の里の増産を図るため、のんびりと巨勢媛の物忌の明けを待つために、鍛冶の里に居るわけにもいかない。

 人麻呂は、本来の高市皇子の命に応じるため、主だった鍛冶の里の頭を集めた。倭鍛冶の鍛冶主、宗像韓鍛冶の熊鷹、間人韓鍛冶の安金たち、鍛冶頭領がそろって無事な姿を見せた。
「戦いの間、よう、辛抱した。また、何事もなく、この鍛冶の里を守ってくれた」
 最初に人麻呂は鍛冶の里の頭どもに謝辞を云う、
「さて、今度、高市皇子の御達しで、吾らは年、七千の唐鍬刃と刀子を造らねばならん。いかにすれば、それが成るか、存分に物を云え」
「人麻呂、太刀と甲羅はどうする、いらんのか」
「おお、新しき飛鳥の朝廷は、まず、先に七千の唐鍬刃と刀子を造る。戦の太刀はそれからじゃ」
「先に唐鍬刃と刀子か。それに見合う鉄は鋳ることが出来るが、形にするのは人が足らん」
「年、七千なら、日に三十じゃ。今、十五なら出来る。あと、同じだけの鍛冶がいる」
「そうか、今の鍛冶人の数に十五人から二十人ほど、鍛冶人を増やせば良いのか」
 人麻呂と鍛冶の里の頭どもは、人、物の面から検討を加え、必要な数字をはじく。物は今の調達ルートの者どもに、今後、必要な数字を伝え、増産を検討させる。すぐには、その答えは出ない。
 鍛冶人については、鍛冶の里の頭どもが、今度の戦いで負けた豪族たちの配下に居る鍛冶人の頭の顔を思い浮かべる。それらを貰い受ければ、人の手当てもどうにかなりそうだと思われた。
 壬申の乱の罪人の御沙汰は飛鳥岡本宮で行われる。没官され官奴となる罪人の中から有望な鍛冶人やその手下を引き抜く必要があるため、人麻呂は急ぎ飛鳥岡本宮へと戻った。

 人麻呂は、その鍛冶の里の増強策の手当ての最中も、恋しい巨勢媛の手当てをする。太政官の御沙汰は慈悲により巨勢媛の縁座の罪を赦されても、罪人巨勢比等の娘である巨勢媛は巨勢の里で、罪人の穢れを払うために謹慎しなければいけない。
 人麻呂は“スエ”のような後見の立場で巨勢の里、朝妻邑に巨勢媛の小屋のような家を手当てした。そして、巨勢媛を近江の鍛冶の里から朝妻邑に移し、太政官に住居とその謹慎を届け出た。それと同時に、今は左大臣となった高市皇子に妻問いの可否を確認した。皇子は人麻呂の妻問いを許した。
 人麻呂は官人としての務めの後、飛鳥から巨勢の里、朝妻邑に十八里(支那里=500m)の道を通う。
 昼夜を問わず貴人に奉仕する仕人や下女とは違い、朝廷に仕える身分ある宮人の勤務時間は短い。勤務は朝、卯の三刻(六時半)から始まり、昼、牛の二刻(十二時)で終わる。また、休みは三日に一度は回ってくる。人麻呂は妻問いをこの規定に合わせる形でする。休みの前日の昼下がり、朝廷を退出すると、人麻呂は直接、朝妻邑の巨勢媛の許へと通う。その人麻呂は日が沈む頃、媛の家に入る。そして、翌朝遅く、人麻呂は穴師の柿本鍛冶屋敷へと帰って行く。日中、堂々の妻問いである。当然、里人の目に留まるし、噂にも上る。
 その人麻呂は巨勢媛に愛の歌を贈り、やさしく抱いた。

人麻呂の歌、
赤駒之足我枳速者雲居尓毛隠徃序袖巻吾妹
訓読 赤駒し足掻(あがき)速けば雲居にも隠(かく)り行(い)かむぞ袖枕(ま)け吾妹
私訳 赤駒の歩みが速いので彼方の雲の立つところにも、忍んで行きましょう。褥を用意して待っていてください。私の貴女。

今朝去而明日者来牟等云子鹿丹旦妻山丹霞霏微
訓読 今朝(けさ)去(い)きて明日は来(き)なむと云(い)ひし子鹿(こ)に朝妻山(あさづまやま)に霞たなびく
私訳 今朝はこのように貴方は帰って行っても、明日はかならず来てくださいと云った、そのかわいい私の妻が住む、その朝妻山に霞が棚引く。

 人麻呂と巨勢媛の母親、忍坂中媛の談合で、巨勢媛を朝妻邑に移す時、独り身になる巨勢媛の身を案じ、付き人に巨勢媛に幼い時からの乳母女を選んだ。それでも人麻呂が最初に朝妻邑の巨勢媛を妻問った時、巨勢媛の様子は以前、大津宮で妻問った時の媛ではなかった。その媛を人麻呂はやさしく抱く。
 人麻呂は、大津宮の囚われ人の時、媛の体を通り過ぎて逝った男どもの記憶を媛の心と体から消す。あの時、媛は性の奴隷である遊行婦人として男に身を弄ばれた。興味と欲望の下、潤いなきままに一方的に犯す男もいれば、存分に体を嬲った後、喜びの徴を見せるその身に止めを刺す男もいた。その媛の心と体を、人麻呂が語る愛の物語や、その物語と共に行う愛撫で、人麻呂一人へと向けていく。図らずも多くの男を知った媛は、人麻呂との心の通いと体の相性の良さを改めて知った。そして、人麻呂がする愛の物語とそれと同時にする愛撫とが醸し出す心と体の心地良さに酔った。
 人麻呂は胸の内に媛の体を包み、物語と共に唇で耳朶を嬲り、口付けをする。そして、媛の様子を伺い、指が乳や芽を這う。時に、媛が示す潤いに指を濡らし、その指を媛の唇に示し嬲る。やがて、媛は心の不安を打ち消すように、限りなく、人麻呂に男の逞しさとその身の重さを求めた。人麻呂はその媛の求めに答え、体の下で媛に何度も愛の悲鳴を上げさせた。

常如是戀者辛苦暫毛心安目六事計為与
訓読 常(つね)かくし恋(こ)ふれば苦し暫(しまし)くも心休めむ事(こと)計(はか)りせよ
私訳 ずっとこのように貴方に抱かれていると息も絶え絶えです。ちょっとの間だけでも気持ちを静めたいのです。どうか、私を愛する手を緩めて下さい。

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