竹取翁と万葉集のお勉強

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初めての万葉集 社会人のための万葉集入門 8

2013年07月01日 | 初めて万葉集に親しむ
平安貴族の万葉集の訓みを考える

 最初に、ここからは、内容がさらに退屈になります。ただ、先に紹介した万葉集の歌の鑑賞方法を理解した上で、紹介する平安貴族の万葉集の訓みを見て頂ければ、平安中後期以降の貴族たちの万葉集の解釈の拠り所を推測することが可能ですし、それを受け継ぐ現代で正統な万葉集の訓みの背景を理解出来ると思います。なお、同じ平安貴族の括りになりますが、紀貫之以前の平安貴族の万葉集の解釈は、平安中後期以降の貴族たちとは違い、先に紹介しました「万葉集の歌は漢語と万葉仮名と云う漢字で書かれた歌」と云う原則を理解して歌を解釈していたとの確証があります。

 先に、初めて万葉集に親しむ時に「社会人らしい万葉集の鑑賞方法」を提案しました。すると、賢明な社会人である貴女、貴方は「どうして、本来の万葉集の歌の特徴に注目して、今までは万葉集の歌を鑑賞しなかったのか」と、少し、疑問に持たれたと思います。実は、先に紹介した万葉集の歌の鑑賞方法は、近年の日本語研究の成果から、従来の万葉集研究の主体である国語古典研究者ではなく、先に音仮名・訓仮名に対する説明でも紹介しましたが、これらは主に日本語の言語研究者側から提案されたものがベースとなっています。そのため、従来とは違った新しい(実際には紀貫之まで戻る)鑑賞方法なのです。従来の万葉集の歌の鑑賞方法は、平安末期の藤原俊成・定家親子や鎌倉時代の仙覚の訓読み研究、所謂、万葉集の次点や新点をベースとして、今日に歌道として伝わった正統な万葉集の訓みがベースとなっています。そして、その藤原俊成・定家親子は、強烈な和歌に対するある美意識で歌道を作り上げた人でもあり、その和歌に対するある美意識が今日まで伝わる万葉集の訓読みに多大な影響を与えています。
 このような説明をされると、社会人として万葉集の歌を鑑賞する折りに、村上天皇の梨壺の五人衆の古点を直接に受け継ぐ平安時代後期から鎌倉初期の王朝和歌人たちが訓む万葉集歌に色々と興味が湧くと思います。こうした時、建久四年(1193)に行われた歌会でその判者である藤原俊成が点けた勝負の判定とその判定の評論の覚え書き、所謂、六百番歌合に対して異議を申し立て、反論を陳べた歌論文があります。それが顕昭の記した六百番陳状です。この六百番陳状では、顕昭は万葉集の歌を多く引用し藤原俊成の評論に批判を加えていますので、平安末期での万葉集の訓みを知るのに都合の良いものです。そこで、この六百番陳状に載る万葉集歌を紹介いたします。万葉集の訓みの分類では顕昭のものは次点にグループ分けされますが、古点に近い位置にあると考えます。
 この顕昭は、歌学書を多数残す、平安末期から鎌倉時代初期の歌学者を代表する人物で、藤原俊成・定家の御子左家に対抗する六条藤家歌学の大成者とされていますから、六百番陳状に載る万葉集歌の訓みはその時代を代表するものと考えられます。万葉集歌の紹介では、六百番歌合と顕昭の六百番陳状とを一続きのものとして、万葉集歌を引用したもので歌一首の形態を為すものを取り上げます。紹介する順は六百番歌合に載るものを先とし、六百番陳状に載る五十一首を後とします。ただし、俊成や顕昭が歌論の中で万葉集歌の一部分のみを引用するものは、歌の訓みの比較と云う趣旨から、ここでは歌の紹介を省略します。
 六百番歌合と六百番陳状とに載る万葉集歌の訓みに西本願寺本に従う万葉集原文とそれに対応する素人が為した試訓とを対比しますが、六百番陳状は建久四年(1193)の作に対して西本願寺本万葉集は文永三年(1266)頃に仙覚が再校合を行ったものの写しとされていますから、資料としては約70年の差があります。六百番陳状と西本願寺本とで資料として70年の時代の差はありますが、それでも訓みの比較を見て頂くと判ると思いますが、俊成や顕昭たちの万葉集歌の理解にはある特徴があります。その特徴の背景を藤原俊成が六百番歌合 春上の部 五番歌合の評論の中で次のように述べています。「万葉集は優なる事を取るべきなりとぞ故人申し侍りし。是彼の集聞きにくき歌も多かるが故なり。・・・中略・・・又彼集の時までは歌の病をさらず」と。また、戀七の部 七番歌合で「鯨とるらんこそ万葉集にぞあるやらんと覚え侍れど、・・・中略・・・、凡は歌は優艶ならん事をこそ」と評論しています。つまり、歌の評価や作歌では、その歌を詠うときの歌の詞自体や調べの優美さを重要視しています。ここから、現在の万葉集の歌の理解である「万葉集歌とは、漢語と万葉仮名と云う漢字だけで記されたもので、漢字が持つ表意文字の特性を生かした特徴を持つものである」と云う、その万葉集歌が持つ特殊性を尊重や理解をしていなかったことが推測されます。およそ、平安後期から鎌倉初期の和歌人は、万葉集歌もまた常の「調べの歌」の範疇として扱っています。そのためか、顕昭の万葉集歌の訓みも、原文を忠実に訓むより、歌の調べや当時の和歌での雅な語調を優先しているかのように感じられますし、歌番号4292の比較にも見られるようにその訓みからは彼らが理解した歌意が万葉集歌本来のものと同じかは疑問を持たざるを得ません。ただし、顕昭が引用する「戀せじと御手洗河にせしみぞぎ神はうけずもなりにけるかな」の歌(伊勢物語第65段の歌)を校本万葉集中に見つけることができませんでしたから、万葉集の原本が伝わらない状況では訓みを比較するにおいて、その扱う平安末期の万葉集と現在の万葉集とが同一かと云う問題はあります。なお、六百番歌合では俊成は顕昭の歌を万葉調として「歌の優艶」について評論していますから、顕昭の訓読みは平安貴族にとっては「やや硬い、恐ろしい」と思われていたと思って下さい。少し、理解しにくい感覚ですが、俊成は「鯨(いさな)捕る」と云う万葉集に良く使われる句が「恐ろしい」言葉の代表の一つとして、その句を使った顕昭の歌を論難しています。そして、彼らの時代は、どのような立派な古典であってもその作品が文学的に優艶でなければ書写において原文を添削して改訂することを、藤原定家が紀貫之の土佐日記原文を添削・改訂したように、当然と考えていたと思われます。つまり、万葉集歌本来の漢字表記を知っていても、歌の優艶と云う彼らの基準から、それを表記通りに訓んだか、どうかは判らないのです。なお、学問として万葉集歌の奈良時代当時の正確な訓みは確定できないのだから、ここでの比較は意味を為さないとの批判は、当然、有り得ると思います。ただし、比較と傾向と云う概念を下に推定や推論を行うことは可能と考えます。
 紹介する歌の訓みの比較を通じて、万葉集歌の鑑賞で「万葉集歌とは、漢語と万葉仮名と云う漢字だけで記されたもので、漢字が持つ表意文字の特性を生かした特徴を持つものである」と云う万葉集歌が持つ本源的な特徴に向き合うのなら、万葉集歌もまた調べの歌の範疇として扱う二条流などの流れを汲む万葉学は、歌学史の参照になっても本格的な万葉集歌本来の漢字表記からの万葉集歌の鑑賞には使えないものであることが推認されます。つまり、万葉集歌の鑑賞で先達の解説を参照するとき、それが万葉集の歌を新古今調に訓み解かれた万葉調和歌の解説なのか、万葉集の和歌の解説なのかの区別を行うことが大切です。多くの万葉集の歌は漢字が持つ表意文字の特性を利用する歌ですから、本格的な万葉集歌の鑑賞では漢字だけで記した原文歌を離れてその訓読み歌だけが「調べの歌」として単独で存在することはできません。ここから、原文漢字の用字解釈を伴わない訓読み歌の語句研究とは、それは平安後期以降に誰かが詠った万葉調和歌に対する研究であって、万葉集歌とは関係のない別の世界のことであることが判ります。なお、東歌、防人歌や一部の万葉仮名だけで詠われた歌は漢字が持つ表意文字の特性を利用した歌ではありませんが、これは万葉集全体からみると特殊な歌の位置にあることは紹介するまでもないことと考えます。
 お願いとして、紹介する入道従三位皇太后大夫藤原朝臣俊成と阿闍梨顕昭との万葉集歌の訓みは六百番歌合・六百番陳状(峯岸義秋校訂岩波文庫)から転記し、鎌倉時代初期での訓みの比較を行う趣旨から万葉集原文は校本万葉集(おうふう)から脚注を使って復元した西本願寺本万葉集歌を用い、その西本願寺本万葉集歌に対する試みの私訓を使用しています。そして、本来、専門家が行うべきこの作業を専門家でない個人の趣味で行ったものであることを了解下さい。このような背景がありますので、ここでのデータを取り扱う場合には注意をお願いいたします。

六百番歌合より
歌番号 2265
原文 朝霞 鹿火屋之下尓 鳴蝦 聲谷聞者 吾将戀八方
俊成 朝霞かひやが下に鳴く蛙聲だに聞かば家戀ひんやは
私訓 朝霞(あさかすみ)鹿火屋(かひや)の下に鳴くかはづ声だに聞かば吾(われ)戀ひめやも

歌番号 3818
原文 朝霞 香火屋之下乃 鳴川津 之努比管有常 将告兒毛欲得
俊成 朝霞かひやが下に鳴く蛙忍びつゝありやと告げん子もがも
私訓 朝霞(あさかすみ)鹿火屋(かひや)の下の鳴くかはづ偲(しの)ひつつありと告げむ子もがも

歌番号 3387
原文 安能於登世受 由可牟古馬母我 可豆思加乃 麻末乃都藝波思 夜麻受可欲波牟
俊成 あの音せず行かん駒もが葛飾のまゝの繼橋やまず通はん
私訓 足(あ)の音(おと)せず行かむ駒もが葛飾の真間(まま)の継橋やまず通はむ


六百番陳状より
歌番号 815
原文 武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎利都々 多努之岐乎倍米
顕昭 む月たち春のきたらばかくもこそ梅をかざして楽しきをつめ
私訓 正月(むつき)立ち春の来(き)たらば如(かく)しこそ梅を招(を)りつつ楽しきを経(へ)め

歌番号 4137
原文 牟都奇多都 波流能波自米尓 可久之都追 安比之恵美天婆 等枳自家米也母
顕昭 む月たつ春の初にかくしつつあひしゑみてはときじけめやも
私訓 正月(むつき)立つ春の初めにかくしつつ相(あひ)し笑(ゑ)みてば時じけめやも

歌番号 3841
原文 佛造 真朱不足者 水渟 池田乃阿曽我 鼻上乎穿礼
顕昭 佛つくるあかに足らずは水たまる池田のあそが鼻の上を掘れ
私訓 佛造る真朱(まそ)足らずは水渟(た)まる池田の阿曽(あそ)が鼻の上(へ)を掘れ
注意 古語の「阿曽」は崖地を意味しますが、ここでは同時に諧謔として「朝臣」を意味します。

歌番号 2230
原文 戀乍裳 稲葉掻別 家居者 乏不有 秋之暮風
顕昭 戀ひつつも稲葉かき分け家居せばともしくもあらじ秋の夕風
私訓 戀ひつつも稲葉かき別け家(いへ)居(を)れば乏(とも)しくもあらず秋の暮風(ゆふかぜ)

歌番号 4429
原文 宇麻夜奈流 奈波多都古麻乃 於久流我弁 伊毛我伊比之乎 於岐弖可奈之毛
顕昭 むまやなる縄たつ駒のおくるなべ妹がいひしおきてかなしも
私訓 馬屋(うまや)なる縄立つ駒の後(おく)るがへ妹が云ひしを置きて悲しも

歌番号 4292
原文 宇良々々尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比等里志於母倍婆
顕昭 うらゝにて照れる春日に雲雀あがる心かなしも猶し思へば
私訓 うらうらに照れる春日(はるひ)に雲雀(ひばり)上がり心悲しも獨(ひとり)し思へば

歌番号 2649
原文 足日木之 山田守 翁置 蚊火之粉枯耳 余戀居久下
顕昭 足引の山田もるをのおくかひの下焦れつゝわが戀ふらくは
私訓 あしひきの山田(やまた)の守(まもり)翁(おきな)置く蚊火(かひ)の焦れみ余(あ)が恋ひ居(を)くし

歌番号 88
原文 秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息
顕昭 秋の田のほのうへきりあふ朝霞いづくの方に我戀やまん
私訓 秋の田の穂(ほ)の上(へ)に霧(き)らふ朝霞(あさかすみ)何時辺(いつへ)の方(かた)に我(あ)が戀やまむ

歌番号 1940
原文 朝霞 棚引野邊 足桧木乃 山霍公鳥 何時来将鳴
顕昭 朝霞たなびく野べに足引の山時鳥いつか来なかん
私訓 朝霞たなびく野辺(のへ)にあしひきの山霍公鳥(ほととぎす)いつか来鳴かむ

歌番号 2174
原文 秋田苅 借廬乎作 吾居者 衣手寒 露置尓家留
顕昭 秋田かるかり庵つくり我をれば衣も寒し露ぞ置きにける
私訓 秋田刈る刈廬(かりほ)を作り吾(あ)が居(を)れば衣手(ころもて)寒く露ぞ置きにける

歌番号 2161
原文 三吉野乃 石本不避 鳴川津 諾文鳴来 河乎浄
顕昭 みよし野の岩もとさらず鳴く蛙うべもなきけり川の瀬ごとに
私訓 み吉野の石本(いはもと)さらず鳴くかはづうべも鳴きけり川を清(さや)けみ

歌番号 2162
原文 神名火之 山下動 去水丹 川津鳴成 秋登将云鳥屋
顕昭 神なみの山下とよみ行く水に蛙鳴くなり秋のいはんとや
私訓 神名火(かむなひ)の山下(やました)響(とよ)み行く水にかはづ鳴くなり秋と云はむとや

歌番号 2163
原文 草枕 客尓物念 吾聞者 夕片設而 鳴川津可聞
顕昭 草枕旅に物思ふわがきけばゆふかたまちて鳴く蛙かな
私訓 草枕旅に物(もの)念(も)ひ吾(わ)が聞けば夕(ゆふ)片設(かたま)けて鳴くかはづかも

歌番号 2164
原文 瀬呼速見 落當知足 白浪尓 川津鳴奈里 朝夕毎
顕昭 瀬をはやみ落ちたきつたつ白波に蛙鳴くなり朝ゆふごとに
私訓 瀬を速み落ち激(たぎ)ちたる白波にかはづ鳴くなり朝夕(あさよひ)ごとに

歌番号 2165
原文 上瀬尓 河津妻呼 暮去者 衣手寒三 妻将枕跡香
顕昭 かみつせに蛙つま呼ぶ夕されば衣手寒し妻まかむとは
私訓 上つ瀬にかはづ妻呼ぶ暮(ゆふ)されば衣手(ころもて)寒み妻枕(ま)かむとか

歌番号 2222
原文 暮不去 河蝦鳴成 三和河之 清瀬音乎 聞師吉毛
顕昭 夕さらす蛙鳴くなりみわ川の清き瀬の音をけはしよしも
私訓 暮(ゆふ)さらずかはづ鳴くなる三輪川の清き瀬の音(と)を聞かくし吉(よ)しも

歌番号 2267
原文 左小牡鹿之 朝伏小野之 草若美 隠不得而 於人所知名
顕昭 さを鹿の朝ふす小野の草わかみかくろへかねて人にしらるな
私訓 さ雄鹿(をしか)の朝伏す小野の草(くさ)若(わか)み隠(かく)らひかねて人に知らゆな

歌番号 2268
原文 左小牡鹿之 小野草伏 灼然 吾不問尓 人乃知良久
顕昭 さを鹿の小野の草ぶしいちじるく我とは更に人の知るらん
私訓 さ雄鹿(をしか)の小野の草伏(くさふし)いちしろく吾(あ)が問(と)はなくに人の知れらく

歌番号 2239
原文 金山 舌日下 鳴鳥 音聞 何嘆
顕昭 金山舌(した)日下(ひかした)になく鳥の聲だに聞けばなどけがるる
私訓 秋山のしたひが下(した)に鳴く鳥の声だに聞かば何か嘆かむ
注意 顕昭は、金山は「かな山の」又は「秋山の」と訓むと云う

歌番号 1994
原文 夏草乃 露別衣 不著尓 我衣手乃 干時毛名寸
顕昭 夏草の露分衣著もせぬにわが衣手のひる時もなし
私訓 夏草の露(つゆ)別(わ)け衣(ころも)著(つ)けなくに我が衣手(ころもて)の干(ふ)る時もなき

歌番号 1984
原文 廼者之 戀乃繁久 夏草乃 苅掃友 生布如
顕昭 此の頃の戀のしげげく夏草の刈りくれども生ひしくがごと
私訓 このころの恋の繁けく夏草の刈り掃(はら)へども生(お)ひしく如し

歌番号 1983
原文 人言者 夏野乃草之 繁友 妹与吾 携宿者
顕昭 人ごとは夏野の草のしげくとも妹と我としたづさはりねば
私訓 人言(ひとこと)は夏野の草の繁(しげ)くとも妹と吾(われ)と携(たづさ)はり寝(ね)ば

歌番号 250
原文 珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野嶋之埼尓 舟近著奴
顕昭 玉藻かるとしまを過る夏草の野島が崎に船近づきぬ
私訓 珠藻刈る敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草の野島(のしま)が崎に舟近づきぬ

歌番号 1981
原文 霍公鳥 来鳴五月之 短夜毛 獨宿者 明不得毛
顕昭 時鳥鳴くやさ月のみじか夜も獨しぬれば明かしかねつも
私訓 霍公鳥(ほととぎす)来鳴く五月(さつき)の短夜(みじかよ)もひとりし寝(ぬ)れば明(あか)しかねつも

歌番号 1558
原文 鶉鳴 古郷之 秋芽子乎 思人共 相見都流可聞
顕昭 鶉鳴くいはれの野邊の秋萩を思ふ人とも見つるけふかな
私訓 鶉(うずら)鳴く古(ふ)りにし里の秋萩を思ふ人どち相見つるかも

歌番号 74
原文 見吉野乃 山下風之 寒久尓 為當也今夜毛 我獨宿牟
顕昭 み吉野の山下風の寒けくにはたやこよひも我獨ねん
私訓 み吉野の山の下風(あらし)の寒けくにはたや今夜も我(わ)が獨(ひとり)寝(ね)む

歌番号 1556
原文 秋田苅 借蘆毛未壊者 鴈鳴寒 霜毛置奴我二
顕昭 秋田かるかりいほも未だこぼれぬに雁がね寒し霜おきぬがに
私訓 秋田刈る刈廬(かりほ)もいまだ壊(こぼ)たねば雁が音(ね)寒し霜も置きぬがに

歌番号 3452
原文 於毛思路伎 野乎婆奈夜吉曽 布流久左尓 仁比久佐麻自利 於非波於布流我尓
顕昭 面白き尾花なきそふる草ににこ草まじりおひはおふるがに
私訓 おもしろき野(の)尾花(をばな)焼きそ古草(ふるくさ)に新草(にひくさ)交(まじ)り生(お)ひは生(お)ふるがに

歌番号 2219
原文 足曳之 山田佃子 不秀友 縄谷延与 守登知金
顕昭 足引の小山田つくるこひてすともつなだにはへよもるとしかね
私訓 あしひきの山田(やまだ)作る子秀(ひ)でずとも縄(なは)谷(たに)に延(は)へよ守(も)ると知るがね

歌番号 1958
原文 橘之 林乎殖 霍公鳥 常尓冬及 住度金
顕昭 橘の林をうゑん郭公つねに冬まですみ渡るかな
私訓 橘の林を植ゑむ霍公鳥(ほととぎす)常に冬まで住(す)み渡るがね

歌番号 2683
原文 彼方之 赤土少屋尓 霈零 床共所沾 於身副我妹
顕昭 久堅のはにふの小屋に小雨降りそこさへぬれぬ身にそへわぎもこ
私訓 彼方(をちかた)の赤土(はにふ)の小屋(をや)に小雨(こさめ)降り床(とこ)さへ濡れぬ身に副(そ)へ我妹(わぎも)

歌番号 357
原文 縄浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下
顕昭 なはの浦を背向に見ゆるおくの島漕ぎまよふには釣せすらしも
私訓 縄(なは)の浦ゆ背向(そがひ)に見ゆる沖つ島漕ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも

歌番号 358
原文 武庫浦乎 榜轉小舟 粟嶋矣 背尓見乍 乏小舟
顕昭 むこの浦をこぎまふを舟あは島を背にみつゝともしき小舟
私訓 武庫(むこ)の浦を漕ぎ廻(み)る小舟(をふね)粟島(あはしま)を背向(そがひ)に見つつ乏(とも)しき小舟

歌番号 4472
原文 於保吉美乃 美許登加之古美 於保乃宇良乎 曽我比尓美都々 美也古敝能保流
顕昭 大君のみことかしこみ麻生の浦をそがひに見つゝ都にのぼる
私訓 大王(おほきみ)の御言(みこと)畏(かしこ)み於保(おほ)の浦を背向(そがひ)に見つつ都へ上る

歌番号 1412
原文 吾背子乎 何處行目跡 辟竹之 背向尓宿之久 今思悔裳
顕昭 わがせこをいづちゆかぬと辟竹のそがひにねむく今しくやしも
私訓 吾が背子を何処(いづち)行かめと辟竹(さきたけ)の背向(そがひ)に寝(ね)しく今し悔(くや)しも

歌番号 2338
原文 霰落 板敢風吹 寒夜也 旗野尓今夜 吾獨寐牟
顕昭 みぞれふる板間風吹き寒き夜やはたのに今夜わが獨りねん
私訓 霰(あられ)降(ふ)り塡(は)むこ風吹き寒き夜や旗野(はたの)に今夜(こよひ)吾が独り寝(ね)む
注意 原文の「板敢風吹」の「敢」は、一般に「玖」の誤記として「いたく風吹き」と訓みます。ただし、板聞(イタモ)、板敢(サカヘ)、板暇(イタマ)等の別訓があります。ここでは、原文を尊重して音として「敢」の語源の「古」から「板敢」を「塡むこ」と訓み、意味としては板の隙間から強いて取り込むとします。

歌番号 65
原文 霰打 安良礼松原 住吉之 弟日娘与 見礼常不飽香聞
顕昭 みぞふる遠つ大海による浪のたとひ娘と見れど飽かぬかも
私訓 霰(あられ)打つあられ松原住吉(すみのえ)の弟日(おとひ)娘(をとめ)と見れど飽かぬかも

歌番号 3883
原文 伊夜彦 於能礼神佐備 青雲乃 田名引日良 霈曽保零
顕昭 いや姫のおのれ神さびあをひものたな引く日すら霙(みぞれ)そぼふる
私訓 弥彦(いやひこ)おのれ神さび青雲(あをくも)のたなびく日すら霈(こさめ)そほ降る

歌番号 2766
原文 三嶋江之 入江之薦乎 苅尓社 吾乎婆公者 念有来
顕昭 みしまの入江の薦をかりにこそ我をば君は思ひたりけれ
私訓 三島江(みしまえ)の入江の薦(こも)を刈りにこそ吾(われ)をば公(きみ)は念(おも)ひたりけれ

歌番号 500
原文 神風之 伊勢乃濱荻 折伏 客宿也将為 荒濱邊尓
顕昭 神風や伊勢の濱荻折りふせて旅ねやすらん荒き濱べに
私訓 神風(かむかぜ)の伊勢の濱荻(はまをぎ)折り伏せて旅寝(たびね)や為(す)らむ荒き浜辺(はまへ)に

歌番号 940
原文 不欲見野乃 淺茅押靡 左宿夜之 氣長有者 家之小篠生
顕昭 印南野の浅茅おしなみさねし夜のけ長く有れば家しものはる
私訓 印南野(いなみの)の浅茅(あさぢ)押しなべさ寝(ぬ)る夜の日(け)長くしあれば家し偲(しの)はゆ

歌番号 1677
原文 山跡庭 聞徃歟 大我野之 竹葉苅敷 廬為有跡者
顕昭 やまとには聞ゆらんかもおほか野のさゝかり敷きて庵せりとは
私訓 大和には聞こえ往(い)かぬか大我野(おほがの)の竹葉(たかは)刈り敷き廬(いほり)せりとは

歌番号 3493
原文 於曽波夜母 奈乎許曽麻多賣 牟可都乎能 四比乃故夜提能 安比波多[我]波自
顕昭 おりはやも猶こそまためむかつをの椎のこやでのあひはたがはじ
私訓 遅速(おそはや)も汝(な)をこそ待ため向(むか)つ峰(を)の椎(しひ)の小枝(こやで)の逢ひは違(たが)はじ

歌番号 919
原文 若浦尓 塩満来者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡
顕昭 和歌の浦に潮みち来れば潟をなみ蘆べをさしてたづ鳴きわたる
私訓 若(わか)の浦に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る

歌番号 776
原文 事出之者 誰言尓有鹿 小山田之 苗代水乃 中与杼尓四手
顕昭 こそてしとたがことかある小山田の苗代水のなか淀みして
私訓 事(こと)出(で)しは誰が言(こと)にあるか小山田(をやまだ)の苗代(なはしろ)水(みづ)の中淀(なかよど)にして

歌番号 278
原文 然之海人者 軍布苅塩焼 無暇 髪梳乃少櫛 取毛不見久尓
顕昭 しかの海士はめかり鹽焼きいとまなみけづる小櫛もとらず来にけり
私訓 志賀(しか)の海人(あま)は藻(め)苅(か)り塩焼き暇(いとま)無(な)み髪梳(くしら)の少櫛(すくし)取りも見なくに

歌番号 2571
原文 大夫波 友之驂尓 名草溢 心毛将有 我衣苦寸
顕昭 ますらをがとものそめきになぐさむる心もあらん我ぞ苦しき
私訓 大夫(ますらを)は友の騒(さは)きに慰(なぐさ)もる心もあらむ我(われ)ぞ苦しき

歌番号 3287
原文 乾坤乃 神乎祷而 吾戀 公以必 不相在目八
顕昭 天地の神を祈りて我が戀ふる君にかならず戀ひざらめかも
私訓 天地の神を祈りて吾(あ)が戀ふる公(きみ)いかならず逢はずあらめやも

歌番号 2662
原文 吾妹兒 又毛相等 千羽八振 神社乎 不祷日者無
顕昭 わぎもこに又もあはんと千早振(ちはやふる)神の社(やしろ)にねかぬ日はなし
私訓 吾妹子にまたも逢はむとちはやふる神の社(やしろ)を祈(の)まぬ日はなし

歌番号 西本願寺本万葉集に載らない歌、本来は伊勢物語第65段に載る歌
原文 
顕昭 戀せじと御手洗河にせしみぞぎ神はうけずもなりにけるかな
私訓 

歌番号 2403
原文 玉久世 清川原 身秡為 齊命 妹為
顕昭 たまくせの清き河原にみそぎして祈る命もいもがためなる
私訓 玉(たま)久世(くせ)の清き川原に身秡(みそぎ)して斎(いは)ふ命は妹(いも)がためこそ

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