万葉雑記 番外雑記 万葉時代と源氏の世界
上古代の庶民の日常の服装を調べますと、海女の姿を詠うものは現代人にとってエロいものがあります。そのためか、万葉集の歌でも同じ庶民の娘の労働風景ですが、田働きをする娘の風景よりも浜で働く娘の風景を詠う歌の方が多い状況にあります。現代な下品な男が若い娘のおっぱいが好きなように、万葉人も若い娘のおっぱいが好きだったのでしょう。
ここで時代を下って、源氏物語にも非常に生々しくエロい場面があります。それが「浮舟の巻」の第二章第八段で、以下に紹介する場面です。源氏物語の設定する場面は、匂君と浮舟との逢瀬の一幕で、その二人は宇治にある浮舟を人目から隠すための隠れ家にあり、その浮舟の寝室に居ます。そのような場面で、匂君は夜通しの愛の行為をした後に自身と浮舟とが絡み合ういくつかの場面を描きます。その絡み合う男女の姿に浮舟の「若き心地」は引き込まれて行きます。この場面の後、匂君は男女が絡み合う絵を残し、京へと帰って行きます。
源氏物語 浮舟の巻 第二章第八段
さるは、かの対の御方には似劣りなり。大殿の君の盛りに匂ひたまへるあたりにては、こよなかるべきほどの人を、たぐひなう思さるるほどなれば、「また知らずをかし」とのみ見たまふ。
女はまた、大将殿を、いときよげに、またかかる人あらむやと見しかど、「こまやかに匂ひきよらなることは、こよなくおはしけり」と見る。
硯ひき寄せて、手習などしたまふ。いとをかしげに書きすさび、絵などを見所多く描きたまへれば、若き心地には、思ひも移りぬべし。
「心より外に、え見ざらむほどは、これを見たまへよ」とて、いとをかしげなる男女、もろともに添ひ臥したる画を描きたまひて、「常にかくてあらばや」などのたまふも、涙落ちぬ。
その実は、あの対の御方には見劣りがするのである。大殿の姫君の女盛りで美しくいらっしゃる方に比べたら、お話にもならないほどの女なのに、二人といないと思っていらっしゃるので、「こんなによい女は他に知らない」とばかり眺めていらっしゃる。
女はまた、大将殿を、とても美しそうで他にこのような方がいるだろうかと見つめていて、「情愛こまやかで輝くような美しさは、この上なくいらっしゃるなあ」と思う。
硯を引き寄せて、手習などをなさる。たいそう興味深げに書き遊んで、絵を見どころ多く描きなさるので、若い女心には、きっと思いが移ってしまうでしょう。
「思うにまかせず、私に逢えない時は、この絵を御覧なさい」と言って、とても興味深い男と女が一緒に添い臥している絵を描きなさって、「いつもこうしていたいですね」などとおっしゃるのにも、涙が落ちた。
以前に万葉時代の海女の姿を紹介しましたが、海女の仕事する姿は磯褌だけの裸です。当時の労働姿を確認しますと、びっくりしますし、非常にエロいです。同じように源氏物語のこの浮舟の巻を確認すると、匂君と浮舟との逢瀬は連続した二夜一昼で、別れは二夜後の朝となっていています。最初の夜に匂君は薫君と偽って浮舟の寝室に忍び込みますが、浮舟は偽りの薫君である匂君を受け入れ、そのまま、寝室から出ることなく二人の愛の時間を過ごします。物語では寝室から浮舟が出てこない理由を仮の体調不良としていますから、当然、浮舟は匂君と過ごした二夜一昼の間、単衣(ひとえきぬ)の帷子(小袖)のままです。
参考として、平安時代にあっても強盗などが跋扈していますから、それなりの屋敷では厳重な警備が為されています。そのため、一切、事前連絡をせずに夜中に女の寝室に忍び込むことは出来ないのです。つまり、お忍びで女の寝室に忍び込むと云いますが、実際は女中や乳母などの御付きの女たちと忍び込む男の従者たちが事前に打ち合わせをし、屋敷の女たちが手はずに合わせて手引きしていますから、忍び込まれる女の方もそれなりの準備はしているのです。ただ、舞台裏を詳しく説明するのは野暮ですし、源氏物語は平安時代の現代小説ですから、それが日常である読者にわざわざそのような説明も不要です。男が女の寝室に忍び込む前には女は一定の準備はしていますから、日中の姿のままの丸寝ではありません。袴などは脱ぎ、女性らしい色合いの単衣の小袖姿になっていたと思われます。
それを踏まえて、上古代、下着と云う概念も衣料品もありませんから、この時、現代風なら浮舟は裸姿に下着を着けずにただ浴衣を纏っただけの姿を想像してください。それも匂君は男女の絡みの絵を描いていると云う設定ですから、室内は相当に明るいのです。加えて、源氏物語で設定する浮舟の屋敷は、浮舟の主人である薫君が浮舟との愛の時間を過ごすために建てた宇治の別荘ですし、そのような愛の時を過ごす部屋なのです。
第二章第八段では、浮舟は偽って忍び込んできた男と時を忘れて抱き合い、抱き合うことに飽きたら、男がその二人の絡み合う様子を絵に描くのを横から眺め、その絵を見てまた欲情が高ぶると、再び、時を忘れての性愛を求めます。二夜一昼の時を過ごした朝、それでも男を放したくない女の許に二人の絡み合う様子を描いた絵を残して、これで我慢しろと云って男は帰って行きます。実にその場面はエロいのです。それで宇治十帖は紫式部の手ではなく、他の人ではないかとの指摘があるほどです。
薫君、匂君と浮舟との三角関係を描くのに、これほどに生々しい男女関係の情景を示唆するような場面を描く必要性はないと思いますが、なぜ、紫式部がこのような場面を描いたのでしょうか。源氏物語の論評で光源氏の姿は当時の貴族たちの理想形だが、あまりにも現実から遊離していた。それを反省して生臭い人間模様の薫君と匂君との姿を描くことで、一歩、現実性を持たせたのではないかと云うものがあります。その論評からしますと、匂君と浮舟との濃厚な性愛を示唆する場面は当時を映すものですし、読者が求めるものだったということでしょうか。
文学史では万葉集の生々しい性愛の世界を詠うものは、例として漢文学の『本朝文粹』に載る大江朝綱が残した「男女婚姻賦」などに引き継がれますが、和文学では源氏物語で再び登場するような姿があります。それまでは和歌の世界でも散文の世界にも扱われないテーマです。加えて、「男女婚姻賦」の一節「入門有濕、淫水出以汚襌。窺戶無人、吟聲高而不禁。」は、やはり、漢文ですから読解時での笑文にはなりますが、女と寝室で戯れるのには向きません。浮舟の巻では「もろともに添ひ臥したる画」と表現するように偃息図とも称される春画が人々の知識としてあり、また、男女の中でそれを使う状況です。男性だけでなく、女性に向けても、和文学のエロい作品が必要だったのでしょうか。
さて、弊ブログの調べでは、源氏物語に万葉集の歌が三十三首、引き歌されています。その内、九首が柿本人麻呂関係ですし、平安時代の人麿集からすると十五首程度まで増えます。この態度からすると、紫式部は万葉集の柿本人麻呂関係の歌が好物だったようですし、万葉集の愛欲の世界感が好きだったと邪推できます。
以前にも紹介しましたが、中国医学の人体部位名称を理解していますと、次の集歌1328の歌は非常にエロい歌です。中国医学で女性器の部分を「琴」と称しますから、歌の風景は男が膝組した中に女を抱え、女性の「琴」への愛撫をしているものです。その時の女性の反応が忘れられないし愛しいと詠います。
集歌1328
原文 伏膝 玉之小琴之 事無者 甚幾許 吾将戀也毛
訓読 膝(ひざ)に伏す玉し小琴(をこと)し事無くはいたく幾許(ここだく)し吾恋ひめやも
私訳 膝に置く美しい小さな琴の、(貴女の)音を聞くことが無かったならならば、これほどひどく、私は恋い焦がれるでしょうか。
紫式部の時代、彼女の主筋となる藤原道長はその時代では万葉集訓点付けの代表的人物です。一方、その藤原道長は源氏物語の熱心な読者でもあります。そのため、誰かが万葉集にエロい歌を見出せば、すぐに評判になったのではないでしょうか。次に紹介する歌は人麻呂歌集の中のもので、連続的に鑑賞しますと女が詠う歌としては相当にエロい歌です。万葉集の歌の世界では妻問いは雷雨でもない限りは一夜毎の行いで、夜が明ければ男は帰って行きます。これを連泊させ、日中のつれづれに男に絵を描かせると、ちょうど、源氏物語の浮舟の巻の第二章第八段が示す世界と同様なものになります。
集歌2389
原文 烏玉 是夜莫明 朱引 朝行公 待苦
訓読 ぬばたましこの夜な明けそ朱(あか)らひく朝(あさ)行く公(きみ)し待たば苦しも
私訳 漆黒の闇のこの夜よ明けるな、貴方によって私の体を朱に染めている、その朱に染まる朝焼けの早朝に帰って行く貴方を、また次に逢うときまで待つのが辛い。
集歌2390
原文 戀為 死為物 有 我身千遍 死反
訓読 恋ひしせし死(し)ぬせしものしあらませば我が身し千遍(ちたび)死にかへらまし
私訳 貴方に抱かれる恋の行いをして、そのために死ぬのでしたら、私の体は千遍も死んで生き還りましょう。
万葉集の性愛の世界は基本的に性愛を楽しむ世界です。一方、源氏物語の性愛の世界は、後継者を産むことで社会的地位の形成を目的とするものと、性愛自体を楽しむことを目的とするものと大きく二つに分類されます。匂君と浮舟との逢瀬は浮舟の社会的地位やバックグランドからすると匂君に性交を通じた社会的地位の形成目的はありませんから、性愛行為を楽しむことが目的です。万葉集の集歌2389の歌や集歌2390の歌では昨夜の様子を女は自分の体を中心に歌に詠いますが、その様子を男が絵として表現すると、「いとをかしげなる男女、もろともに添ひ臥したる画」と云うことになります。
平安時代、上級貴族の生活では同一屋敷内に同居する妻妾もそれぞれが建物や局を持ち、独立した生活をします。主人の男が妻妾の許に行くには基本的に事前予約が必要ですし、予約のない急な訪問の場合は「今、髪を洗っていた」、「まだ、化粧が終わっていない」、などと、たっぷり時間をかけて待たせられ可能性がありますし、「物忌み」とや「月忌み」などの理由で会うことを断られる場合もあります。万葉集が示す性愛の世界を描くには、浮舟のような女性を登場させ、同時に京から小旅行を行うような距離感で、男女が同室せざるを得ない別荘を構える必要があったのでしょう。その設定で初めて、当時の都人たちに現実性を感じさせる物語として、男女二人だけの相当に破廉恥な性愛の世界を描くことが出来たのかもしれません。
可能性として、藤原道長のライフワークである万葉集訓点研究により、その成果からある時期に人麻呂歌集の性愛の世界が平安貴族や女房たちの間で評判になったかもしれません。当時の女房達は漢詩集の白氏文集は自在ですし、古今和歌集や御撰和歌集などは暗記するほどに和歌の教養があります。その女房たちが万葉集から抜き出された人麻呂歌集を手に取れば、あまりにも生々しい性愛の世界にびっくりしたのではないでしょうか。そのような状況の時、紫式部は人麻呂歌集に触発されて創作意欲を掻き立たせたのではないでしょうか。
上古代の庶民の日常の服装を調べますと、海女の姿を詠うものは現代人にとってエロいものがあります。そのためか、万葉集の歌でも同じ庶民の娘の労働風景ですが、田働きをする娘の風景よりも浜で働く娘の風景を詠う歌の方が多い状況にあります。現代な下品な男が若い娘のおっぱいが好きなように、万葉人も若い娘のおっぱいが好きだったのでしょう。
ここで時代を下って、源氏物語にも非常に生々しくエロい場面があります。それが「浮舟の巻」の第二章第八段で、以下に紹介する場面です。源氏物語の設定する場面は、匂君と浮舟との逢瀬の一幕で、その二人は宇治にある浮舟を人目から隠すための隠れ家にあり、その浮舟の寝室に居ます。そのような場面で、匂君は夜通しの愛の行為をした後に自身と浮舟とが絡み合ういくつかの場面を描きます。その絡み合う男女の姿に浮舟の「若き心地」は引き込まれて行きます。この場面の後、匂君は男女が絡み合う絵を残し、京へと帰って行きます。
源氏物語 浮舟の巻 第二章第八段
さるは、かの対の御方には似劣りなり。大殿の君の盛りに匂ひたまへるあたりにては、こよなかるべきほどの人を、たぐひなう思さるるほどなれば、「また知らずをかし」とのみ見たまふ。
女はまた、大将殿を、いときよげに、またかかる人あらむやと見しかど、「こまやかに匂ひきよらなることは、こよなくおはしけり」と見る。
硯ひき寄せて、手習などしたまふ。いとをかしげに書きすさび、絵などを見所多く描きたまへれば、若き心地には、思ひも移りぬべし。
「心より外に、え見ざらむほどは、これを見たまへよ」とて、いとをかしげなる男女、もろともに添ひ臥したる画を描きたまひて、「常にかくてあらばや」などのたまふも、涙落ちぬ。
その実は、あの対の御方には見劣りがするのである。大殿の姫君の女盛りで美しくいらっしゃる方に比べたら、お話にもならないほどの女なのに、二人といないと思っていらっしゃるので、「こんなによい女は他に知らない」とばかり眺めていらっしゃる。
女はまた、大将殿を、とても美しそうで他にこのような方がいるだろうかと見つめていて、「情愛こまやかで輝くような美しさは、この上なくいらっしゃるなあ」と思う。
硯を引き寄せて、手習などをなさる。たいそう興味深げに書き遊んで、絵を見どころ多く描きなさるので、若い女心には、きっと思いが移ってしまうでしょう。
「思うにまかせず、私に逢えない時は、この絵を御覧なさい」と言って、とても興味深い男と女が一緒に添い臥している絵を描きなさって、「いつもこうしていたいですね」などとおっしゃるのにも、涙が落ちた。
以前に万葉時代の海女の姿を紹介しましたが、海女の仕事する姿は磯褌だけの裸です。当時の労働姿を確認しますと、びっくりしますし、非常にエロいです。同じように源氏物語のこの浮舟の巻を確認すると、匂君と浮舟との逢瀬は連続した二夜一昼で、別れは二夜後の朝となっていています。最初の夜に匂君は薫君と偽って浮舟の寝室に忍び込みますが、浮舟は偽りの薫君である匂君を受け入れ、そのまま、寝室から出ることなく二人の愛の時間を過ごします。物語では寝室から浮舟が出てこない理由を仮の体調不良としていますから、当然、浮舟は匂君と過ごした二夜一昼の間、単衣(ひとえきぬ)の帷子(小袖)のままです。
参考として、平安時代にあっても強盗などが跋扈していますから、それなりの屋敷では厳重な警備が為されています。そのため、一切、事前連絡をせずに夜中に女の寝室に忍び込むことは出来ないのです。つまり、お忍びで女の寝室に忍び込むと云いますが、実際は女中や乳母などの御付きの女たちと忍び込む男の従者たちが事前に打ち合わせをし、屋敷の女たちが手はずに合わせて手引きしていますから、忍び込まれる女の方もそれなりの準備はしているのです。ただ、舞台裏を詳しく説明するのは野暮ですし、源氏物語は平安時代の現代小説ですから、それが日常である読者にわざわざそのような説明も不要です。男が女の寝室に忍び込む前には女は一定の準備はしていますから、日中の姿のままの丸寝ではありません。袴などは脱ぎ、女性らしい色合いの単衣の小袖姿になっていたと思われます。
それを踏まえて、上古代、下着と云う概念も衣料品もありませんから、この時、現代風なら浮舟は裸姿に下着を着けずにただ浴衣を纏っただけの姿を想像してください。それも匂君は男女の絡みの絵を描いていると云う設定ですから、室内は相当に明るいのです。加えて、源氏物語で設定する浮舟の屋敷は、浮舟の主人である薫君が浮舟との愛の時間を過ごすために建てた宇治の別荘ですし、そのような愛の時を過ごす部屋なのです。
第二章第八段では、浮舟は偽って忍び込んできた男と時を忘れて抱き合い、抱き合うことに飽きたら、男がその二人の絡み合う様子を絵に描くのを横から眺め、その絵を見てまた欲情が高ぶると、再び、時を忘れての性愛を求めます。二夜一昼の時を過ごした朝、それでも男を放したくない女の許に二人の絡み合う様子を描いた絵を残して、これで我慢しろと云って男は帰って行きます。実にその場面はエロいのです。それで宇治十帖は紫式部の手ではなく、他の人ではないかとの指摘があるほどです。
薫君、匂君と浮舟との三角関係を描くのに、これほどに生々しい男女関係の情景を示唆するような場面を描く必要性はないと思いますが、なぜ、紫式部がこのような場面を描いたのでしょうか。源氏物語の論評で光源氏の姿は当時の貴族たちの理想形だが、あまりにも現実から遊離していた。それを反省して生臭い人間模様の薫君と匂君との姿を描くことで、一歩、現実性を持たせたのではないかと云うものがあります。その論評からしますと、匂君と浮舟との濃厚な性愛を示唆する場面は当時を映すものですし、読者が求めるものだったということでしょうか。
文学史では万葉集の生々しい性愛の世界を詠うものは、例として漢文学の『本朝文粹』に載る大江朝綱が残した「男女婚姻賦」などに引き継がれますが、和文学では源氏物語で再び登場するような姿があります。それまでは和歌の世界でも散文の世界にも扱われないテーマです。加えて、「男女婚姻賦」の一節「入門有濕、淫水出以汚襌。窺戶無人、吟聲高而不禁。」は、やはり、漢文ですから読解時での笑文にはなりますが、女と寝室で戯れるのには向きません。浮舟の巻では「もろともに添ひ臥したる画」と表現するように偃息図とも称される春画が人々の知識としてあり、また、男女の中でそれを使う状況です。男性だけでなく、女性に向けても、和文学のエロい作品が必要だったのでしょうか。
さて、弊ブログの調べでは、源氏物語に万葉集の歌が三十三首、引き歌されています。その内、九首が柿本人麻呂関係ですし、平安時代の人麿集からすると十五首程度まで増えます。この態度からすると、紫式部は万葉集の柿本人麻呂関係の歌が好物だったようですし、万葉集の愛欲の世界感が好きだったと邪推できます。
以前にも紹介しましたが、中国医学の人体部位名称を理解していますと、次の集歌1328の歌は非常にエロい歌です。中国医学で女性器の部分を「琴」と称しますから、歌の風景は男が膝組した中に女を抱え、女性の「琴」への愛撫をしているものです。その時の女性の反応が忘れられないし愛しいと詠います。
集歌1328
原文 伏膝 玉之小琴之 事無者 甚幾許 吾将戀也毛
訓読 膝(ひざ)に伏す玉し小琴(をこと)し事無くはいたく幾許(ここだく)し吾恋ひめやも
私訳 膝に置く美しい小さな琴の、(貴女の)音を聞くことが無かったならならば、これほどひどく、私は恋い焦がれるでしょうか。
紫式部の時代、彼女の主筋となる藤原道長はその時代では万葉集訓点付けの代表的人物です。一方、その藤原道長は源氏物語の熱心な読者でもあります。そのため、誰かが万葉集にエロい歌を見出せば、すぐに評判になったのではないでしょうか。次に紹介する歌は人麻呂歌集の中のもので、連続的に鑑賞しますと女が詠う歌としては相当にエロい歌です。万葉集の歌の世界では妻問いは雷雨でもない限りは一夜毎の行いで、夜が明ければ男は帰って行きます。これを連泊させ、日中のつれづれに男に絵を描かせると、ちょうど、源氏物語の浮舟の巻の第二章第八段が示す世界と同様なものになります。
集歌2389
原文 烏玉 是夜莫明 朱引 朝行公 待苦
訓読 ぬばたましこの夜な明けそ朱(あか)らひく朝(あさ)行く公(きみ)し待たば苦しも
私訳 漆黒の闇のこの夜よ明けるな、貴方によって私の体を朱に染めている、その朱に染まる朝焼けの早朝に帰って行く貴方を、また次に逢うときまで待つのが辛い。
集歌2390
原文 戀為 死為物 有 我身千遍 死反
訓読 恋ひしせし死(し)ぬせしものしあらませば我が身し千遍(ちたび)死にかへらまし
私訳 貴方に抱かれる恋の行いをして、そのために死ぬのでしたら、私の体は千遍も死んで生き還りましょう。
万葉集の性愛の世界は基本的に性愛を楽しむ世界です。一方、源氏物語の性愛の世界は、後継者を産むことで社会的地位の形成を目的とするものと、性愛自体を楽しむことを目的とするものと大きく二つに分類されます。匂君と浮舟との逢瀬は浮舟の社会的地位やバックグランドからすると匂君に性交を通じた社会的地位の形成目的はありませんから、性愛行為を楽しむことが目的です。万葉集の集歌2389の歌や集歌2390の歌では昨夜の様子を女は自分の体を中心に歌に詠いますが、その様子を男が絵として表現すると、「いとをかしげなる男女、もろともに添ひ臥したる画」と云うことになります。
平安時代、上級貴族の生活では同一屋敷内に同居する妻妾もそれぞれが建物や局を持ち、独立した生活をします。主人の男が妻妾の許に行くには基本的に事前予約が必要ですし、予約のない急な訪問の場合は「今、髪を洗っていた」、「まだ、化粧が終わっていない」、などと、たっぷり時間をかけて待たせられ可能性がありますし、「物忌み」とや「月忌み」などの理由で会うことを断られる場合もあります。万葉集が示す性愛の世界を描くには、浮舟のような女性を登場させ、同時に京から小旅行を行うような距離感で、男女が同室せざるを得ない別荘を構える必要があったのでしょう。その設定で初めて、当時の都人たちに現実性を感じさせる物語として、男女二人だけの相当に破廉恥な性愛の世界を描くことが出来たのかもしれません。
可能性として、藤原道長のライフワークである万葉集訓点研究により、その成果からある時期に人麻呂歌集の性愛の世界が平安貴族や女房たちの間で評判になったかもしれません。当時の女房達は漢詩集の白氏文集は自在ですし、古今和歌集や御撰和歌集などは暗記するほどに和歌の教養があります。その女房たちが万葉集から抜き出された人麻呂歌集を手に取れば、あまりにも生々しい性愛の世界にびっくりしたのではないでしょうか。そのような状況の時、紫式部は人麻呂歌集に触発されて創作意欲を掻き立たせたのではないでしょうか。