竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 二四四 今週のみそひと歌を振り返る その六四

2017年12月09日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二四四 今週のみそひと歌を振り返る その六四

 今回は巻九の中から次の歌で遊びます。歌は雑歌の部立の内、柿本人麻呂歌集に由来を持つ標題「紀伊國作謌二首」からのものです。

紀伊國作謌二首
標訓 紀伊国にして作れる歌二首
集歌1692 吾戀 妹相佐受 玉浦丹 衣片敷 一鴨将寐
訓読 吾(わ)が恋ふる妹し逢はさず玉し浦に衣(ころも)片(かた)敷(し)き独りかも寝(ね)む
私訳 私が恋しい貴女は逢ってくださらず、美しい玉の浦で私の衣だけの片身で、鴨は二匹で仲良く寝ますが、今夜は私は独りで寝るのでしょう。

集歌1693 玉匣 開巻惜 吝夜牟 袖可礼而 一鴨将寐
訓読 玉櫛笥(たまくしげ)開けまき惜(を)しみ吝(お)しむ夜を袖(そで)離(か)れに独りかも寝(ね)む
私訳 常ならば美しい櫛を納める箱を開けてそれを見せるように貴女が衣を解いて肌を見せ妻問いの浮名が流れるのを嫌う、浮名が流れるのを嫌うので貴女と共寝が出来ないことを吝しむ、この夜を共寝の袖を交わすことをしないで、独りで今夜は寝るのでしょう。

 歌二首は人麻呂歌集からのもので標題に紀伊國作謌とありますから、作歌されたのは持統天皇四年九月の紀伊国への行幸の時と思われます。なお、弊ブログでは柿本人麻呂の人生を推定しており、この歌が詠われたのは人麻呂が四十四歳ごろで、歌の「妹」とは人麻呂の隠れ妻と称される女性で、この頃は宮中女官で紀伊国行幸に随行していたとしています。このような年齢と場面での歌と云うことになります。
 参考として、集歌1692の歌と集歌1693の歌では恋人の隠れ妻に貴女と共寝がしたいと詠っています。結果として、後年、人麻呂が再度の紀伊国への行幸に随行した時に歌った回顧の歌である集歌1798の歌を参照しますと、その夜、紀伊国黒牛潟の海岸で逢引をしたと思われます。およそ、屋外、海岸の砂浜での共寝です。

集歌1798 古家丹 妹等吾見 黒玉之 久漏牛方乎 見佐府下玉
訓読 古(いにしへ)に妹(いも)と吾(わ)が見しぬばたまし黒牛潟(くろうしがた)を見れば寂(さぶ)しも
私訳 昔に貴女と私が人目を忍んで寄り添って見た漆黒の黒牛潟を、独りでこうして見ていると寂しいことです。

 歌を詠ったのが柿本人麻呂であり、歌を贈られたのが人麻呂の隠れ妻です。二人は飛鳥浄御原宮や藤原宮の宮中サロンでの和歌歌人を代表する人ですから、「玉匣 開巻惜」の上句から次のような近江朝時代に詠われた歌二首組歌を思い起こしたのではないでしょうか。ここに先行する古歌を踏まえての作歌の可能性、つまり、集歌1693の歌に本歌取技法が使われている可能性です。
 なお、紹介する集歌93の歌と集歌94の歌は相聞歌に部立される歌ですが、標題で使われる用字「娉」などからしますと、宮中サロンなどで歌われた歌垣歌のような男女での歌の掛け合い歌です。背景に男女関係は直接にはありませんから、恋人同士での人知れずに秘めた恋文ではありません。当時、一般に知られた表舞台での掛け合い歌です。それも鑑賞の前提として下さい。今はもう明治や昭和時代ではありません。本来なら人知れず秘めた恋歌とすべきところを大々的に広く人に知られるようにと回覧し流布させたと云う昭和期の発想は、幼い為にする発想です。隠匿すべき恋文がどのように人々に知られるようになったのかと云う推理と仮説がありませんと、標準的には宴での仮構の作品とするか、伝承に従って作られた物語歌とするのが相当です。つまり、集歌93の歌と集歌94の歌には史実性はないことになります。

内大臣藤原卿娉鏡王女時、鏡王女贈内大臣謌一首
標訓 内大臣藤原卿の鏡王女を娉(よば)ひし時に、鏡王女の内大臣に贈れる歌一首
集歌93 玉匣 覆乎安美 開而行者 君名者雖有 吾名之惜裳
訓読 玉(たま)匣(くしげ)覆ふを安(やす)み開けに行(い)ば君し名はあれど吾(わ)が名し惜しも
私訳 美しい玉のような櫛を寝るときに納める函を覆うように私の心を硬くしていましたが、覆いを取るように貴方に気を許してこの身を開き、その朝が明け開いてから貴方が帰って行くと、貴方の評判は良いかもしれませんが、私は貴方との二人の仲の評判が立つのが嫌です。

内大臣藤原卿報贈鏡王女謌一首
標訓 内大臣藤原卿の鏡王女に報(こた)へ贈れる歌一首
集歌94 玉匣 将見圓山乃 狭名葛 佐不寐者遂尓 有勝麻之目
訓読 玉(たま)匣(くしげ)見(み)む円山(まどやま)の狭名(さな)葛(かづら)さ寝(ね)ずはつひに有りかつましめ
私訳 美しい玉のような櫛を寝るときに納める函を開けて見るように貴女の体を開いて抱く、その丸い形の山の狭名葛の名のような丸いお尻の間の翳り。そんな貴女と共寝をしないでいることはあり得ないでしょう。

 さて、集歌1693の歌に集歌93の歌からの本歌取技法があると認めますと、「開巻惜 吝夜牟」の句における「惜」と「吝」の二文字の解釈が大きく変わる可能性があります。その場合、次のような一般的な解釈は大きく変化する可能性が出て来ます。

<標準の解釈>
原歌 玉匣 開巻惜 ね夜矣 袖可礼而 一鴨将寐
訓読 玉櫛笥(たまくしげ)明けまく惜しきあたら夜を衣手離れて独りかも寝む
解釈 (相手がいたら)玉櫛笥の蓋を開けるように明けるのが惜しい夜。が、共寝する子もいない私にはそんな夜もひとり寝するしかない
注意 「ね夜矣」の「ね」は外字符号で、扁 左 [ 忙 ] 旁 (a[ メ ]b[ ナ ]c[ ム ])を代表します。(The Rector and Visitors of the University of Virginia)

 歌に本歌取技法を認めますと、「玉匣 開巻惜」の「惜」には、女性が身を許して浮名が流れることを嫌い、名を惜しむという意味合いがあることになります。 すると、状況としては先に置かれた集歌1692の歌で人麻呂は行幸の旅先で恋仲の女を旅先での逢引に誘ったと思われます。それに対して女は人目を気にして色好い返事をしなかったのでしょう。人麻呂も女も行幸の一行の中では中堅どころの身分ですし、女は持統天皇などの高貴な身分の女性貴族の随員です。夜、小者を連れて宿舎を抜け出しますと、人目に付きますし噂にも上ります。ここに噂が立つのを嫌う=名を惜しむという状況となります。憶測となりますが、人麻呂の許には集歌1692の歌の返歌としてそのような回答があったのではないでしょうか。
 それに対しての再度の誘いが集歌94の歌と集歌95の歌を引用した集歌1693の歌です。およそ、人麻呂の願いは「佐不寐者遂尓 有勝麻之目」です。本来、明るい日の光の中で眺めることが出来ない宮中奥深くの女官である女を、行幸の道行きや行事の中で常の夜の暗闇の中で見る姿とは違い、着飾った姿を日の光の中で眺めています。それが日中の出来事です。また、肌を知る恋仲ですが行幸に随行して以来、人麻呂は女と共寝をする機会を持っていません。この時、人麻呂は四十四歳ぐらいの中年の男ですが、日中の女の姿を見て、この女を抱きたいと強く思ったのでしょう。そのような切羽詰った歌二首と考えます。
 弊ブログでの解釈では、このような背景を持って鑑賞しています。


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