竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百九二 今週のみそひと歌を振り返る その十二

2016年11月26日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百九二 今週のみそひと歌を振り返る その十二

 今週は、少し、目先を変えて歌を振り返りたいと思います。漢字交じり平仮名での意訳文を示されると、その文章の上手下手に目が行き、どうしてそのような意訳文になったのかを見過ごす可能性があります。可能性としては、次の歌もそのような歌です。

集歌334 萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 不忘之為
訓読 萱草(わすれくさ)吾が紐に付く香具山の古(ふ)りにし里を忘れむがため
私訳 美しさに物思いを忘れると云うその忘れ草を私は紐に付けよう。懐かしい香具山の古りにし故郷を忘れないようにするために。

 ここでは「萱草」の訓に「わすれくさ」と付けていますし、言葉検索で「萱草」を探すと次のような解説が得られます。

和歌に「忘れ草」と詠まれているのは、ユリ科の萱草かんぞう。藪萱草(ヤブカンゾウ)・野萱草(ノカンゾウ)など幾種類かある。夏、百合に似た橙色の花を咲かせる。英名"daylily"は一日花ゆえ。若葉は美味で食され、根は生薬となる。歌に詠まれたのは花でなくもっぱら草葉である。
「忘れ草わが紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため」
万葉集巻三、大伴旅人。大宰府に在って、故郷への慕情を断ち切りたいとの心情を詠んだ歌。
漢土で「忘憂草」すなわち「憂いを忘れさせる草」と呼ばれたのは、食用とされる若葉に栄養分が多かった故か、あるいは根から採った生薬の効用か。それはともかく、万葉人たちは身につければ恋しさを忘れさせてくれる草として歌に詠んでいる。紐に付けるとは、いわば魂に結びつける擬態だろう。 (和歌歳時記より「忘れ草 萱草(かんぞう/くわんざう)」)


 弊ブログは漢語や漢字から歌を楽しむと云う態度をとりますから、上記に紹介した解説は採用しません。また、「萱草」を「忘れ草」と訓じるのは良いのですが、「歌に詠まれたのは花でなくもっぱら草葉である」という解説は、まったくに賛同できません。万葉集歌の鑑賞では百合に似た橙色の花を咲かせる美しい花であることが大切で、食用などの観点から歌を鑑賞するのは、さて、いかがなものでしょうか。
 漢語・漢字から歌を楽しむ立場からしますと、「萱草」と「忘憂草」との関係を考える必要があります。これも「萱草」と「忘憂草」とを同時に言葉検索しますと、必然、次の「詩經国風 衛風 伯兮」にたどりつきます。奈良時代、平安時代とは違い朝廷はまじめに公務員採用試験を実施し、その成績で職務を割り当て、昇級管理もしていました。その公務員採用試験の試験項目に四書五経が含まれていましたから、この「詩經国風 衛風」は公務員の知るべき教養科目です。建前からしますと、奈良時代の公務員は「萱草」と「忘憂草」との関係は一般教養であったのです。

詩經国風 衛風 伯兮
伯兮喝兮 邦之桀兮 伯の喝(けつ)なるや、邦の桀なり
伯也執殳 爲王前驅 伯は殳(ほこ)を執りて、王の為に前驅す
自伯之東 首如飛蓬 伯の東(とう)してより、首(こうべ)は飛蓬の如し
豈無膏沐 誰適爲容 豈に膏沐も無く、誰を適として容を為(な)さんや
其雨其雨 杲杲出日 其雨(そう)其雨(そう)も、杲杲(こうこう)と日は出づる
願言思伯 甘心首疾 願(つね)に 言(われ) 伯を思はば、甘心 首(こうべ)を疾(なや)ます
焉得諼草 言樹之背 焉(ここ)に諼草が得(あ)らば、言(われ) 之の背に樹(う)ゑむ
願言思伯 使我心病 願(つね)に 言(われ) 伯を思はば、我が心をして病(や)ましむ


 ここで、『説文解字注』では「傳曰、諼、忘也」、「釋文:諼、本又作萱」と解説します。ここから諼草は萱草と略されます。また、南宋の学者である朱熹が著した『詩経集傳』ではこの「伯兮」の解説で「諼草令人忘憂、背北堂也」と言葉の意を解きます。そして、このような背景から「萱草」を「忘憂草」とし、日本では萱草(かやくさ)を忘憂草の別名から忘れ草とも称します。
 また、『説文解字』に「願」と云う言葉に「傳曰、願、毎也」、「言」と云う言葉に「毛傳、言、我也」と云う解説があり、さらに「甘心」には「容易に」と云う意味合いがあります。紹介する漢詩の訳文は一般のものとは違いますが、可能性としてこのように解釈ができるとしてください。
 一方、次のような解説もありますから、この解説から萱草を食用のものとし、「歌に詠まれたのは花でなくもっぱら草葉である」と解説するのかもしれません。ただ、萱草は金針菜の別称を持ち、こちらの別称である金針菜は蕾を食用とし、その形からの名前ですから、認識は草葉ではなく花蕾です。解説では「此草嫩苗為蔬」なのですが、現代では「藼」は何かと云うとよくわからないところが正解かもしれません。なお、文字としては『説文解字』では「藼」が本字、「諼」や「萱」が通字と解説します。

藼、令人忘憂草也。或從宣。藼、古同萱字。古人認為以此草嫩苗為蔬、食之令人昏然如醉、可以使人忘憂、所以又稱為忘憂草、忘憂物。

 さて、朱熹の解説では「萱草令人忘憂」としますから、憂さを忘れさせるものです。一方、集歌334の歌では「不忘之為」と漢字文字で表現します。漢文直訳ですと、「これを忘れないため」となるでしょうか。「不忘」と云う表現ですから、「忘れる」との意味は取れないと考えます。
 すると、不思議な話になります。中国の解説からすると萱草は人の憂さを忘れさせる力を持つ植物ですが、集歌334の歌では「不忘之為」と云う表現のために「忘れないため」の植物と云うことになります。これは、まったくに逆の意味合いになります。なぜでしょうか。

 ここで、「衛風 伯兮」では「焉得諼草 言樹之背 願言思伯 使我心病」と詠い結びます。この「伯兮」では、「萱草は人の憂さを忘れさせる力を持つ植物だからと云って、目に付く場所に植えて世の憂さを忘れるような行いはしない。私は常に戦場に旅立った夫の事を思うとします」、これが本来の意味なのでしょう。他の男の気を引くためにお湯につかり石鹸を使って肌を滑らかにはしないし、化粧もしない。また、髪は梳くことなく乱れたままと詠う夫人が「萱草令人忘憂」の場面を求めたと云うのでは、まったく、歌の解釈が違うでしょう。
 では、こう云うことなのでしょうか。平安時代から明治時代の歌人は集歌334の歌を「萱草令人忘憂」の伝承から解釈し、一方、大伴旅人は「衛風 伯兮」が詠う場面から歌を詠ったのではないでしょうか。そのため、旅人は歌で「故去之里乎 不忘之為」と詠ったのでしょうし、また「言樹之背」に対して「吾紐二付」と表現したと考えます。「萱草令人忘憂」から「萱草」の力にすがれば憂さを忘れるかもしれないが、しかし、その美しい萱草の花を身の傍に置いたとしても、「私は決して忘れない」と云うことだと思います。これにより、大伴旅人が詠う集歌334の歌と「衛風 伯兮」とが同じ方向を向くのではないでしょうか。

 今回、紹介しました弊ブログの集歌334の歌の解釈も「衛風 伯兮」の解釈と試訓は、一般のものからすると、全くに誤訳となるものです。解釈の方向が180度、違います。弊ブログの解釈とはそのような与太話であることを御了解下さい。

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