竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 集歌479から集歌483まで

2020年05月08日 | 新訓 万葉集巻三
反謌
集歌四七九 
原文 波之吉可聞 皇子之命乃 安里我欲比 見之活道乃 路波荒尓鷄里
訓読 愛(は)しきかも皇子し命(みこと)のあり通(かよ)ひ見(め)しし活道(いくぢ)の路は荒れにけり
私訳 なんともいとしいことよ。皇子の命がつねに通われ眺められた活道の路は荒れてしまった。

集歌四八〇 
原文 大伴之 名負靭帶而 萬代尓 憑之心 何所可将寄
訓読 大伴し名(な)負(お)ふ靫(ゆぎ)帯びに万代(よろづよ)に憑(たの)みし心(こころ)何(なに)そか寄せむ
私訳 大伴の名に相応しく靭を帯び、万代にまで皇子の命を頼りにしていたこの気持ちを、どこに寄せたら良いのでしょう。
左注 右三首、三月廿四日作謌
注訓 右の三首は、三月廿四日に作れる謌なり。

悲傷死妻高橋朝臣作謌一首并短謌
標訓 死(みまか)りし妻を悲傷(かな)しびて高橋朝臣の作れる謌一首并せて短謌
集歌四八一 
原文 白細之 袖指可倍弖 靡寐 吾黒髪乃 真白髪尓 成極 新世尓 共将有跡 玉緒乃 不絶射妹跡 結而石 事者不裹 思有之 心者不遂 白妙之 手本矣別 丹杵火尓之 家従裳出而 緑兒乃 哭乎毛置而 朝霧 髣髴為乍 山代乃 相樂山乃 山際 徃過奴礼婆 将云為便 将為便不知 吾妹子跡 左宿之妻屋尓 朝庭 出立偲 夕尓波 入居嘆舎 腋狭 兒乃泣母 雄自毛能 負見抱見 朝鳥之 啼耳哭管 雖戀 効矣無跡 辞不問 物尓波在跡 吾妹子之 入尓之山乎 因鹿跡叙念
訓読 白妙(しろたへ)し 袖さし交(か)へて 靡き寝(ぬ)る 吾が黒髪(くろかみ)の ま白髪(しらか)に なりなむ極(きは)み 新世(あらたよ)に 共に在らむと 玉し緒の 絶えじい妹と 結びてし ことは果たさず 思へりし 心は遂げず 白妙し 手本(たもと)を別(わか)れ 柔(にき)びにし 家ゆも出でて 緑児(みどりこ)の 哭(な)くをも置きて 朝霧(あさきり)し おほになりつつ 山代(やましろ)の 相楽(さがらか)山(やま)の 山し際(ま)に 往(ゆ)き過ぎぬれば 云(い)はむすべ 為(せ)むすべ知らに 吾妹子(わぎもこ)と さ宿(ね)し妻屋(つまや)に 朝庭(あさには)に 出立ち偲(しの)ひ 夕(ゆふべ)には 入り居(を)嘆かし 脇(わき)せばむ 児の泣く母を 男(をとこ)じもの 負(お)ひみ抱(むだ)きみ 朝(あさ)鳥(とり)の 啼(ね)のみ哭(な)きつつ 恋ふれども 験(しるし)を無みと 辞(こと)問(と)はぬ ものにはあれど 吾妹子し 入りにし山を 因(よすか)とぞ念(おも)ふ
私訳 夜着の白い柔らかな衣の袖を互いに掛け交わして貴女は私に靡き寄り添い寝る、私の黒髪が真っ白な白髪になるでしょう時、死して生まれ変わり新たな世にも共に過しましょうと、玉を結ぶ紐の緒が長く絶えないように、縁が長く絶えることのない愛しい貴女ですと誓いを結んだ、その約束を果たさず、愛しいと思っていた思いを遂げずに、手巻いた貴女の白く美しい腕と別れ、貴女は親しんだ家も出て行きて、幼子の恨めしく泣くのを置いて、朝霧のようにおぼろになりつつ、山代の相楽山の山の辺りに行ってしまったので、語ることも、何か為すことも判らないので、私の愛しい貴女と寄り添い寝た妻屋を、朝に庭に出て立ち貴女を偲び、夕べには妻屋に入り居て嘆いて、脇におんぶ紐で児を抱く、その児が胸脇を泣き求める母親を、男ながらも児を背負い抱いて朝鳥のように声を張り上げて泣いて貴女を恋い慕っているけれど、何の甲斐もなく、神に教えを願うものではないであるが、私の愛しい貴女が入って逝ってしまった山を貴女とのゆかりとして偲ぶ。
注意 原文の「入居嘆舎」の「舎」は標準解釈では「會」、「腋狭」の「狭」は「挟」、「兒乃泣母」の「母」は「毎」の誤記としますが、ここは原文のままとします。

反謌
集歌四八二 
原文 打背見乃 世之事尓在者 外尓見之 山矣耶今者 因香跡思波牟
訓読 現世(うつせみ)の世しことにあれば外(よそ)に見し山をや今は因(よすか)と思はむ
私訳 現実のこの世の出来事なので、他人ごとと眺めていた山を、今は貴女とのゆかりと思って眺めましょう。

集歌四八三 
原文 朝鳥之 啼耳鳴六 吾妹子尓 今亦更 逢因矣無
訓読 朝(あさ)鳥(とり)し啼(ね)のみし鳴(な)かむ吾妹子(わぎもこ)に今また更(さら)に逢ふよしを無み
私訳 朝鳥のように声を張り上げて泣きましょう。私の愛しい貴女に今後またふたたび貴女と出逢えることはないので。
左注 右三首七月廿日高橋朝臣作謌也 名字未審 但云奉膳之男子焉
注訓 右の三首は、七月廿日の高橋朝臣の作る謌なり。 名、字(あざな)は未だ審(つばび)らかならず。 但し云はく、奉膳(かしはで)の男子(をのこ)。
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万葉集 集歌474から集歌478まで

2020年05月07日 | 新訓 万葉集巻三
集歌四七四 
原文 昔許曽 外尓毛見之加 吾妹子之 奥槨常念者 波之吉佐寳山
訓読 昔こそ外(よそ)にも見しか吾妹子(わぎもこ)し奥城(おくつき)と念(おも)へば愛(は)しき佐保山(さほやま)
私訳 昔は関係ないものと眺めていたが、愛しい私の貴女の墓所と思うと、ああ愛しい佐保の山よ。

十六年甲申春二月、安積皇子薨之時、内舎人大伴宿祢家持作謌六首
標訓 十六年甲申の春二月に、安積皇子の薨(かむあが)りましし時に、内舎人(うどねり)大伴宿祢家持の作れる謌六首
集歌四七五 
原文 桂巻母 綾尓恐之 言巻毛 齊忌志伎可物 吾王 御子乃命 萬代尓 食賜麻思 大日本 久邇乃京者 打靡 春去奴礼婆 山邊尓波 花咲乎為里 河湍尓波 年魚小狭走 弥日異 榮時尓 逆言之 狂言登加聞 白細尓 舎人装束而 和豆香山 御輿立之而 久堅乃 天所知奴礼 展轉 埿打雖泣 将為須便毛奈思
訓読 桂(か)けまくも あやに恐(かしこ)し 言はまくも ゆゆしきかも 吾(あ)が王(おほきみ) 御子(みこ)の命(みこと) 万代(よろづよ)に 食(め)し賜はまし 大(おほ)日本(やまと) 久迩(くに)の京(みやこ)は うち靡く 春さりぬれば 山辺(やまへ)には 花咲きををり 川瀬には 鮎子(あゆこ)さ走り いや日に異(け)に 栄ゆる時に 逆言(およづれ)し 狂言(たはごと)とかも 白栲に 舎人(とねり)装(よそ)ひて 和豆香(わづか)山(やま) 御輿(みこし)立たして ひさかたの 天知らしぬれ 臥(こ)いまろび ひづち泣けども 為(せ)むすべもなし
私訳 高貴で気品高くいられるも、真に恐れ多く、言葉に示すことも、神聖で畏れ多い、私の王である御子の命が、万代に御治めるはずであった大日本の久邇の京は、草木が打ち靡く春がやって来ると山の辺には花が咲き枝を撓め、川の瀬には鮎の子が走りまわり、ますます日々に栄える時に、逆言でしょうか、狂言なのでしょうか、白い栲の衣に舎人は装って、和豆香山に皇子の御輿を運ばれて、遥か彼方の天の世界を統治なされた。悲しみに地に伏し転がり回り、衣を濡れそぼって泣くが、もうどうしようもない。

反謌
集歌四七六 
原文 吾王 天所知牟登 不思者 於保尓曽見谿流 和豆香蘇麻山
訓読 吾(あ)が王(きみ)し天そ知らさむと思はねば凡(おほ)にぞ見ける和豆香(わづか)杣山(そまやま)
私訳 私の王が天の世界を統治されるとは思ってもいなければ、気にもせずに見ていた。和豆香にある木を切り出す杣山よ。

集歌四七七 
原文 足桧木乃 山左倍光 咲花乃 散去如寸 吾王香聞
訓読 あしひきの山さへ光(てら)し咲く花の散りぬるごとき吾(われ)し王(きみ)かも
私訳 葦や檜の生える山さえ照らし輝かし、咲く花が散り行くようにこの世から散っていかれたような私の王です。
左注 右三首、二月三日作謌
注訓 右の三首は、二月三日に作れる謌

集歌四七八 
原文 桂巻毛 文尓恐之 吾王 皇子之命 物乃負能 八十伴男乎 召集聚 率比賜比 朝猟尓 鹿猪踐越 暮猟尓 鶉雉履立 大御馬之 口抑駐 御心乎 見為明米之 活道山 木立之繁尓 咲花毛 移尓家里 世間者 如此耳奈良之 大夫之 心振起 劔刀 腰尓取佩 梓弓 靭取負而 天地与 弥遠長尓 万代尓 如此毛欲得跡 憑有之 皇子乃御門乃 五月蝿成 驟驂舎人者 白栲尓 取著而 常有之 咲比振麻比 弥日異 更經見 悲召可聞
訓読 かけまくも あやに恐(かしこ)し 吾(われ)し王(きみ) 皇子し命(みこと)し 物部(もののふ) 八十(やそ)伴(とも)の男(を)を 召(め)し集(つど)へ 率(あとも)ひ賜ひ 朝(あさ)狩(かり)に 鹿猪(しし)踏み越し 暮狩(ゆふかり)に 鶉雉(とり)踏み立て 大御馬(おほみま)し 口(くち)抑(おさ)へとめ 御心を 見(め)し明(あか)らめし 活道山(いくぢやま) 木立の繁(しげ)に 咲く花も 移(うつ)ろひにけり 世間(よのなか)は 如(かく)のみならし 大夫(ますらを)し 心振り起し 剣刀(つるぎたち) 腰に取り佩き 梓(あずさ)弓(ゆみ) 靫(ゆぎ)取り負(お)ひて 天地と いや遠長に 万代(よろづよ)に 如(かく)しもがもと 憑(たの)めりし 皇子の御門(みかど)の 五月蝿(さばへ)なす 騒(さわ)く舎人(とねり)は 白栲に 取りて著(つけ)てし 常ありし 笑(ゑま)ひ振舞(ふるま)ひ いや日(ひ)に異(け)に また經て見れば 悲しめすかも
私訳 高貴で気品高くいられるも、真に恐れ多い私の王である皇子の命に従う立派な男達の沢山の供を召し集められて率いなされて、朝の狩りに鹿や猪を野を踏み野から起こし、夕辺の狩りで鶉や雉を野を踏み追い立て、皇子の乗る大御馬の口を引いて抑え留め、風景を御覧になって御心を晴れやかにさせた活道山は、木々の立ち木に中に沢山に咲いていた花も時が移り散ってしまった。この世はこのようなのでしょう。立派な男の気持ちを振起し、剣や太刀を腰に取り佩いて、梓弓や靭を取り背負って、天と地とともにますます永遠に、万代までにこのようにあってほしいと頼りにしていた皇子の御門のうるさいほどに集い騒ぐ舎人は、白き栲の衣に取り身に著けて、常に見られた笑顔や振る舞いが日々に変わり、時が過ぎて思い出すと、私だけでなく大夫たる立派な男も悲しく思われるでしょう。
注意 原文の「鹿猪踐越」の「越」は標準解釈では「起」、「取著而」は「服著而」、「更經見」は「更經見者」、「悲召可聞」の「召」は「呂」の誤字としますが、ここは原文のままとします。

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万葉集 集歌469から集歌473まで

2020年05月06日 | 新訓 万葉集巻三
集歌四六九 
原文 妹之見師 屋前尓花咲 時者經去 吾泣涙 未干尓
訓読 妹し見し屋前(やと)に花咲き時は経ぬ吾が泣く涙いまだ干(ひ)なくに
私訳 愛しい貴女が眺めた家の庭にナデシコの花は咲き、時は経った。私が泣く涙は未だに乾くことも無いのに。

悲緒未息更作謌五首
標訓 悲緒(かなしび)未だ息(や)まず、更に作れる謌五首
集歌四七〇 
原文 如是耳 有家留物乎 妹毛吾毛 如千歳 憑有来
訓読 如(かく)のみにありけるものを妹も吾(あ)も千歳(ちとせ)のごとく憑(たの)みたりけり
私訳 人の世は、ただ、このように早く死に判れするものを。生前の愛しい貴女も私も千歳を生きるように互いに当てにしていました。

集歌四七一 
原文 離家 伊麻須吾妹乎 停不得 山隠都礼 情神毛奈思
訓読 家離(さか)りいます吾妹(わぎも)を停(とど)めかね山隠(かく)しつれ情(こころ)神(と)もなし
私訳 家を離れていく愛しい貴女を停めることが出来ず、山へ身を隠してしまった。私の心に安らかな気持ちもありません。

集歌四七二 
原文 世間之 常如此耳跡 可都 痛情者 不忍都毛
訓読 世間(よのなか)し常かくのみと可(あた)れど痛き情(こころ)は忍びかねつも
私訳 この世はいつもこのようなものと思い向き合ってみても、辛い心は耐え忍ぶことが出来ない。
注意 原文の「可都」は意味が取れないとして標準解釈では「可都知跡」と字を加え校訂して「かつ知れど」と訓じます。

集歌四七三 
原文 佐保山尓 多奈引霞 毎見 妹乎思出 不泣日者無
訓読 佐保山(さほやま)にたなびく霞見るごとに妹を思ひ出泣かぬ日はなし
私訳 佐保山に棚引く霞を見るたびに、愛しい貴女を思い出しては泣かない日はありません。
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万葉集 集歌464から集歌468まで

2020年05月05日 | 新訓 万葉集巻三
又、家持見砌上瞿麦花作謌一首
標訓 又、家持の砌(みぎり)の上の瞿麦(なでしこ)の花を見て作れる謌一首
集歌四六四 
原文 秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞
訓読 秋さらば見つつ思(しの)へと妹し植ゑし屋前(やと)の石竹花(なでしこ)咲きにけるかも
私訳 秋がやって来たら眺めて観賞しなさいと愛しい貴女が植えた家の庭のナデシコは、咲き出した。

移朔而後悲嘆秋風家持作謌一首
標訓 朔(つき)移りて後に秋風を悲嘆(かな)しびて家持の作れる謌一首
集歌四六五 
原文 虚蝉之 代者無常跡 知物乎 秋風寒 思努妣都流可聞
訓読 現世(うつせみ)し世は常なしと知るものを秋風寒(さぶ)し思(しの)ひつるかも
私訳 現実の世は定まり無きものと知ってはいるが、秋風は寒く、亡き妻を思い出してしまう。

又、家持作謌一首并短謌
標訓 又、家持の作れる謌一首并せて短謌
集歌四六六 
原文 吾屋前尓 花曽咲有 其乎見杼 情毛不行 愛八師 妹之有世婆 水鴨成 二人雙居 手折而毛 令見麻思物乎 打蝉乃 借有身在者 霑霜乃 消去之如久 足日木乃 山道乎指而 入日成 隠去可婆 曽許念尓 胸己所痛 言毛不得 名付毛不知 跡無 世間尓有者 将為須辨毛奈思
訓読 吾が屋前(やと)に 花ぞ咲きたる そを見れど 情(こころ)もゆかず 愛(は)しきやし 妹しありせば 水鴨(みかも)なす ふたり並(なら)び居(ゐ) 手折(たほ)りにも 見せましものを 現世(うつせみ)の 借(か)れる身なれば 霑(つ)く霜の 消(け)ぬるしごとく あしひきの 山道(やまぢ)をさしに 入日なす 隠(かく)りにしかば そこ念(も)ふに 胸こそ痛き 言ひもえず 名づけも知らず 跡しなき 世間(よのなか)にあれば 為(せ)むすべもなし
私訳 私の家に亡き妻が植えたナデシコの花が咲き出した。それを見ても心も沸き立たず、愛しい貴女が生きていたなら、水に遊ぶ鴨のように二人並んで座り、花を手折って貴女に見せましょうに、この世に命を借りる身なので、木や葉をぬらす霜のように融け消えてしまうように、葦や檜の生える山の山道に向って入日が山に隠れるように、貴女が山に隠れてしまうと、そのことを思うと胸は痛く、語りようもなく、話として名のつけようもなく、生きた印も残すこともないこの世であるので、なんとも仕方が無いことです。
注意 原文の「霑霜乃」の「霑」は標準解釈では「露」の誤記とします。

反謌
集歌四六七 
原文 時者霜 何時毛将有乎 情哀 伊去吾妹可 君子乎置而
訓読 時はしも何時(いつ)もあらむを情(こころ)哀(いた)く去(い)にし吾妹(わぎも)か君子(きみのこ)を置きに
私訳 死ぬべき時はいつでもあろうものに、私に辛い思いをさせて死に逝った私の愛しい貴女よ。貴女の私を残したままで。
注意 原文の「君子乎置而」の「君」は標準解釈では「若」の誤記とします。

集歌四六八 
原文 出行 道知末世波 豫 妹乎将留 塞毛置末思乎
訓読 出(い)でて行く道知らませばあらかじめ妹を留(とど)めむ塞(せき)も置かましを
私訳 この世から出て行く道を知っていたならば、最初から愛しい貴女をこの世に留めるための道を塞ぐ関も置いたのですが。

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万葉集 集歌459から集歌463まで

2020年05月04日 | 新訓 万葉集巻三
集歌四五九 
原文 見礼杼不飽 伊座之君我 黄葉乃 移伊去者 悲喪有香
訓読 見れど飽かず座(いま)しし君が黄葉(もみちは)の移(うつ)りい去(ぬ)れば悲しくもあるか
私訳 お慕いしてもしきれない、そのようにいらした御方が、黄葉の彩りのように移ろい散り去ってしまうと、これほどに悲しく思えるのでしょうか。
左注 右一首、勅内礼正縣犬養宿祢人上、使檢護卿病。而醫藥無驗、逝水不留。因斯悲慟、即作此謌。
注訓 右の一首は、内礼正(ないらいのかみ)縣犬養(あがたのいぬかい)宿祢人上(ひとかみ)に勅(みことのり)して、卿の病を檢護せしめき。しかれども醫藥驗(しるし)無くして、逝く水留らず。これに因りて悲慟(かなし)みて、即ち此の謌を作れり。

七年乙亥、大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作謌一首并短謌
標訓 七年乙亥に、大伴坂上郎女の尼(あま)理願(りがわん)の死去(みまか)れるを悲嘆(かな)しびて作れる謌一首并せて短謌
集歌四六〇 
原文 栲角乃 新羅國従 人事乎 吉跡所聞而 問放流 親族兄弟 無國尓 渡来座而 大皇之 敷座國尓 内日指 京思美弥尓 里家者 左波尓雖在 何方尓 念鷄目鴨 都礼毛奈吉 佐保乃山邊 哭兒成 慕来座而 布細乃 宅乎毛造 荒玉乃 年緒長久 住乍 座之物乎 生者 死云事尓 不免 物尓之有者 憑有之 人乃盡 草 客有間尓 佐保河乎 朝河渡 春日野乎 背向尓見乍 足氷木乃 山邊乎指而 晩闇跡 隠益去礼 将言為便 将為須敝不知尓 徘徊 直獨而 白細之 衣袖不干 嘆乍 吾泣涙 有間山 雲居軽引 雨尓零寸八
訓読 栲綱(たくつの)の 新羅(しらぎ)し国ゆ 人(ひと)事(こと)を よしと聞かしに 問ひ放(さ)くる 親族(うから)兄弟(はらから) 無き国に 渡り来ましに 大皇(すめらき)し 敷きいます国に うち日さす 京(みやこ)し宮(みや)に 里家(さといへ)は 多(さは)にあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保(さほ)の山辺(やまへ)に 泣く児なす 慕(した)ひ来ましに 布細(しきたへ)の 宅(いへ)をも作り あらたまの 年し緒長く 住まひつつ 座(いま)ししものを 生ける者 死ぬといふことに 免(まぬ)かれぬ ものにしあれば 憑(たの)めりし 人のことごと 草枕 旅なる間(ほど)に 佐保川を 朝川(あさかは)渡り 春日野を 背向(そがひ)に見つつ あしひきの 山辺(やまへ)を指しに 晩闇(くれやみ)と 隠(かく)りましぬれ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに たもとほり ただ独(ひと)りしに 白栲(しろたへ)し 衣袖(ころもで)干(ほ)さず 嘆きつつ 吾が泣く涙 有間山(ありまやま) 雲居(くもゐ)たなびき 雨に降りきや
私訳 栲の綱が白い、その言葉の響きのような新羅の国から、そこに住む人々が立派だととお聞きになって、言葉をかける親族兄妹もないこの国に渡って来られて、天皇の治められる国、その国の日が射し輝く京の宮には町々の家は沢山あるのですが、どのようにお思い為されたのか、縁もない佐保の山辺に、泣く子が母を慕うように、慕い来られて、仏門の精舎だけでなく床を敷く宅をも作って、新しい年毎に気が改まる、そのような年を繰り返し長く住んでいらしたのに、生きるものは死と云うことを免れることは出来ないものであるから、頼りにしている人々が皆、草を枕にするような苦しい旅にある間に、佐保川を「朝に川を渡る」ように仏の国に入り、東に聳える春日野を背後に見て、足を引きずるような険しい山辺を示すかのように、夕日が暗闇に沈むように、この世から隠れなさいました。どうして良いのか判らず、あちらこちらをさまよい、ただ独りだけで、喪の白い栲の涙で濡れた衣の袖を干すことなく、嘆きながら、私が泣く涙は、有間山の雲が山の際に居て棚引き、雨となって降ったでしょうか。

反謌
集歌四六一 
原文 留不得 壽尓之在者 敷細乃 家従者出而 雲隠去寸
訓読 留(とど)めえぬ命(いのち)にしあれば敷栲の家ゆは出でに雲(くも)隠(かく)りにき
私訳 留めることのできない命であるので、夜に床を取る家から出て行ってしまって雲の彼方に隠れてしまった。
左注 右、新羅國尼、名曰理願也、遠感王徳歸化聖朝。於時寄住大納言大将軍大伴卿家、既逕數紀焉。惟以天平七年乙亥、忽沈運病、既趣泉界。於是大家石川命婦、依餌藥事徃有間温泉而、不會此喪。但、郎女獨留葬送屍柩既訖。仍作此謌贈入温泉。
注訓 右は、新羅國の尼(あま)、名を理願(りがん)といへるが、遠く王徳(おうとく)に感(かま)けて聖朝(みかど)に歸化(まゐき)たり。時に大納言大将軍大伴卿の家に寄住して、既に數紀(すうき)を逕りぬ。ここに天平七年乙亥を以つて、忽(たちま)ちに運病(うんびょう)に沈み、既に泉界に趣(おもむ)く。ここに大家石川命婦、餌藥(にやく)の事に依りて有間の温泉(ゆ)に徃きて、此の喪(も)に會はず。ただ、郎女の獨り留(とどま)りて、屍柩(しきう)を葬り送ること既に訖(をは)りぬ。よりて此の歌を作りて温泉(ゆ)に贈り入れたり。

十一年己卯夏六月、大伴宿祢家持悲傷亡妾作謌一首
標訓 十一年己卯の夏六月に、大伴宿祢家持の亡(みまか)りし妾(をみなめ)を悲傷(かな)しびて作れる謌一首
集歌四六二 
原文 従今者 秋風寒 将吹焉 如何獨 長夜乎将宿
訓読 今よりは秋風寒く吹きなむを如何(いか)にかひとり長き夜を宿(ね)む
私訳 今からは秋風が寒く吹くでしょうに、これからどのようにして独りで長い夜を寝ましょう。

弟大伴宿祢書持即和謌一首
標訓 弟(おと)大伴宿祢書持の即ち和(こた)へる謌一首
集歌四六三 
原文 長夜乎 獨哉将宿跡 君之云者 過去人之 所念久尓
訓読 長き夜をひとりや寝(ね)むと君し云へば過ぎにし人しそ思ほゆらくに
私訳 長い夜を独りで寝るのかと貴方が云うと、死して過ぎ去ていったあの人の事を思い出されます。

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