竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その24 特別篇その二

2009年05月27日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その24 特別篇その二
中臣宅守の「花鳥に寄せて思ひを陳べる」の歌

中臣宅守は、古今和歌集の仮名序の中で姦淫の罪で罰を受けたとの理解で「色を好む家」と比喩され、また同時に「花鳥に寄せて思ひを陳べる」歌の作者です。
先にこの中臣宅守の履歴を紹介すると、中臣意美麻呂の孫、中臣東人の子で、親族の叔父に右大臣中臣清麻呂がいます。中臣宅守は、天平十一年(739)三月頃に皇后の病気治癒を願う物忌みの時期に犯した姦淫の罪で罰を受け、越前国への近国流刑を受けたとみなされています。翌十二年六月の大赦では同じ姦淫の罪で遠流刑を受けた石上朝臣乙麻呂と同様に特別に詔があって大赦の放免リストから外されていますが、天平十三年九月の恭仁京遷都に伴う大赦で、やっと許されて京に戻ってきたようです。その後に、天平宝字七年(763)正月に従六位上から従五位下に昇任し、神祇大副の官位相当の大夫の格の身分となっています。中臣氏系図によると天平宝字八年に恵美押勝の乱に連座し除名されたことになっているようです。
一方、本家の大中臣系図では最終官位が天平宝字七年の従五位下から二階級ほど順調に昇階して、孝謙天皇侍従で正五位下への叙任となっているようです。ここに、すこし、伝承に乱れがあるようです。つまり、歴史的には判ったような、判らないような人物です。しかし、和歌の歴史では中臣宅守は重要な位置を占めていて、後の伊勢物語に通じる位置にあります。
さて、次の歌は古今和歌集の仮名序の一文にも影響する重要な「花鳥に寄せて思ひを陳べる」の歌です。これらの歌々は、天平宝字元年(757)の「橘奈良麻呂の変」で正四位下右大弁である橘奈良麻呂たちが藤原仲麻呂一派によって殺され、孝謙天皇を廃し藤原仲麻呂の子飼いである大炊王を傀儡の淳仁天皇として皇位につけた事件の時に詠われた歌です。この「橘奈良麻呂の変」は、その首謀者達が孝謙天皇の処罰の裁可を受ける前に全員が藤原仲麻呂たちの手によって拷問死したり、孝謙天皇や大炊王とはまったく関係の無い十年前の聖武天皇の時の話を持ち出して来て、この事件の首謀者とするような歴史でも稀な事件です。
この事件の時に、万葉集の編纂者の丹比国人は十年前の聖武天皇御幸の夜の雑談が謀反とされて、伊豆国への流刑です。古今和歌集の仮名序で示す「色好みの家に埋れ 貴の人知れぬこととなりて」の言葉のように万葉集に関わる人々が退けられ、宮廷文学は漢詩・漢文の世界に遷っていきます。

 なお、これらの「花鳥に寄せて思ひを陳べる」の歌を目録により中臣宅守の狭野弟上娘子へ与える贈答歌の一部として扱う向きもありますが、それは間違いです。中臣宅守の狭野弟上娘子へ与える贈答歌は、万葉集歌番3723から歌番3778の弟上娘子の歌までの五十六首です。つまり、後年に付けられた目録と本来の本文の標が同じとは限りません。
以下に示すこれら歌々の花橘や霍公鳥の言葉には、万葉集の編纂に深く関わる橘諸兄・奈良麻呂親子への寓意と蜀魂伝説の望帝杜宇の故事がありますので、それを取り入れて私訳と一部に想いを込めた呆れた訳を試みます。
 それでは、これらの前説を下に歌をお楽しみください。

集歌3779 和我夜度乃 波奈多知婆奈波 伊多都良尓 知利可須具良牟 見流比等奈思尓
訓読 吾(わ)が屋戸の花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに
私訳 我が家の花橘は空しく散りすぎて逝くのだろうか。見る人もなくて。
呆訳 私が尊敬する万葉集と橘家の人々は空しく散っていくのだろうか、思い出す人もいなくて。

集歌3780 古非之奈婆 古非毛之祢等也 保等登藝須 毛能毛布等伎尓 伎奈吉等余牟流
訓読 恋死なば恋ひも死ねとや霍公鳥物思ふ時に来鳴き響(とよ)むる
私訳 恋が死ぬのなら恋う心も死ねと云うのか、霍公鳥は物思いするときに来鳴きてその鳴き声を響かせる
呆訳 和歌が死ぬのなら和歌を慕う気持ちも死ねと云うのか。過去を乞う霍公鳥は私が和歌を思って物思いにふけるときに、その過ぎ去った過去を求める鳴き声を響かせる

集歌3781 多婢尓之弖 毛能毛布等吉尓 保等登藝須 毛等奈那難吉曽 安我古非麻左流
訓読 たひにして物思ふ時に霍公鳥もとなな鳴きそ吾(あ)が恋まさる
私訳 たひにして物思いするときに、霍公鳥よ、本なしに鳴くな。私の恋う気持ちがましてくる
呆訳 多くの歌の牌の万葉集を思って物思いするときに、霍公鳥よ、頼りなくに過去を乞うて鳴くな。私の和歌を慕う気持ちが増してくる
説明 旅の「たひ」の場合、万葉仮名では主に多比か多妣の用字を使います。それが多婢の用字です。私は「多牌」の字が欲しかったのだと想っています。また、集歌3781と集歌3783との歌の設定は、自宅の風景が目にあります。旅の宿ではありません。それに左注に「寄花鳥陳思」とあるように、娘女への贈答にはなっていません。

集歌3782 安麻其毛理 毛能母布等伎尓 保等登藝須 和我須武佐刀尓 伎奈伎等余母須
訓読 雨隠(あまごも)り物思ふ時に霍公鳥我が住む里に来鳴き響(とよ)もす
私訳 雨で家にこもって物思いするときに、霍公鳥が私の住む里に来鳴きてその鳴き声を響かせる
呆訳 雨の日に家にこもって物思いするときに、霍公鳥が私の住む里に来鳴きて、その過去を乞う鳴き声を私の心の中に響かせる

集歌3783 多婢尓之弖 伊毛尓古布礼婆 保登等伎須 和我須武佐刀尓 許欲奈伎和多流
訓読 たひにして妹に恋ふれば霍公鳥我が住む里にこよ鳴き渡る
私訳 たひにあってあの人を恋しく思うと、霍公鳥が私の住む里にやって来て鳴き渡っていく
呆訳 多くの歌の牌を編纂した万葉集を恋しく思うと、あの人が霍公鳥の姿に身を変えて私の住む里にやって来て過去を乞うて鳴き渡っていく

集歌3784 許己呂奈伎 登里尓曽安利家流 保登等藝須 毛能毛布等伎尓 奈久倍吉毛能可
訓読 心なき鳥にぞありける霍公鳥物思ふ時に鳴くべきものか
私訳 無常な鳥だよなあ、霍公鳥は。私が物思いするときに鳴くだけだろうか

集歌3785 保登等藝須 安比太之麻思於家 奈我奈氣婆 安我毛布許己呂 伊多母須敝奈之
訓読 霍公鳥間(あひだ)しまし置け汝(な)が鳴けば吾(あ)が思(も)ふ心いたも術(すべ)なし
私訳 霍公鳥よ、しばらく鳴くのに間を置け。お前が鳴くと私が物思う心はどうしようもなくなってします。

右七首、中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌
注訓 右の七首は、中臣朝臣宅守の花鳥に寄せ思(おもひ)を陳(の)べて作れる歌

紀貫之は、「万葉集の目録」を作ったほどの古今の歴史を通じて万葉集研究の第一人者です。その紀貫之が書いた古今和歌集の仮名序は、この中臣宅守の心と天平宝字元年の橘奈良麻呂の変の真実を知らなければ、それを理解したとは云えません。この「色好みの家」を単に女好きと理解していたら、貴方は紀貫之が意図した通りの立派な藤原貴族で、藤原定家の世界の人です。
もし、「色好みの家」を中臣宅守と理解したら、貴方の心は源氏、清原氏、紀氏系のはぶれ貴族です。はぶれ貴族の和歌への思い入れは、古来からの神聖な儀式における天皇の御製や奉呈歌があるべき姿で、その捧呈歌を儀礼において択ばれて誉れ高く詠い挙げたいのがはぶれ貴族の切望です。壬生忠岑が詠う「人麿こそはうれしけれ、身は下ながら言の葉を、天つ空まで聞こえ上げ」の姿です。藤原氏ではない柿本氏の、そのはぶれ貴族の人麻呂が捧呈歌を誉れ高く詠い挙げたのが、うらやましいのです。これが、本来の仮名序の世界と思います。なお、もじると中臣宅守は「中臣が宅を守る」とも、読むことが出来ます。

資料-A
古今和歌集 仮名序抜粋
今の世中いろにつき人のこころ花になりにけるよりあだなるうたはかなきことのみいでくればいろごのみのいへにむもれきの人しれぬこととなりてまめなるところには花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり

仮名序抜粋の試みの読み下し文
今の世の中 色につき 人の心花になりにけるより あだなる詩 はかなき事のみ出でくれば色好みの家に埋れ 貴の人知れぬこととなりて、まめなるところには花すすき穂にいだすべきことにもあらずなりにたり

現代語私訳
今の世の中は欲望に染まり、人の心は花を愛でる風流人になるより、仇なる漢詩やつまらない事ばかりが流行るので、大和歌の心は姦淫の罪の中臣朝臣宅守が歌う「花鳥に寄せ思いを陳べて作れる歌」の時に時代の中に埋もれてしまい、高貴の人が大和歌を知らないようになってしまって、改まった儀式には元正太上天皇の時のように「すすきの尾花」のような御製を少しでもお作りになることもなくなってしまった。

説明 「すすきの尾花」
太上天皇御製謌一首
標訓 (元正)太上天皇の御製歌(おほみうた)一首
集歌1637 波太須珠寸 尾花逆葺 黒木用 造有室者 迄萬代
訓読 はた薄(すすき)尾花(おばな)逆葺(さかふ)き黒木(くろき)もち造れる室(むろ)は万代(よろづよ)までに
私訳 風に靡くすすきの尾花の穂を表に下から上に逆さに葺き黒木で造った大嘗宮の室は、永遠であれ。

資料-B
仮名序抜粋に呼応する真名序の抜粋
及彼時、変澆漓、人貴奢淫、浮詞雲興、艶流泉涌。其実皆落、其華孤栄。至有好色之家、以此為花鳥之使。

真名序抜粋の訓読
かの時に及び、澆漓(きょうり)に変じ、人は奢淫(しゃいん)を貴び、浮詞(ふし)は雲のごとく興り、艶の流れは泉のごとく涌く。その実(じつ)は皆落(お)ち、その華ひとり栄えむ。至りて色を好む家有り、もってこのために花鳥の使ひとなす。

現代語私訳
平城の天子であられる聖武天皇の時代から、徳と信は衰え、人は豪奢と淫行を好み、浮ついた漢詩は雲が湧き上がるように興り、色恋への風潮は泉のように湧き上がった。その漢詩は堕落しきり、仏の華のみが独り栄えた。中臣朝臣宅守の時代に至って、橘奈良麻呂の変の故を以って花鳥の歌を秘密の通信とした。

説明 御在所からの「平城の天子」は諱では聖武天皇のことを示し、諱で平城天皇は「奈良の御門」を示します。諱で平城天皇のことを「平城の天子」とする表現は、奈良・平安期では不敬のため行われない表現方法です。普段の古典では、「口にするのも憚れる、言葉でいうのも畏れ多い。」として御在所などから、高貴な御方の尊称とします。

正統な古典文学の解釈
資料-Aの仮名序抜粋の読み下し文
今の世の中、色につき、人の心花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみいでくれば、色好みの家に、埋れ木の人知れぬこととなりて、まめなる所には花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり。

現代語訳 古今和歌集 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫より
しかし、今の世の中は、昔の真実を重んじた時代とは異なって派手になり、、人の心は華美になったため、歌もそれにしたがって、浮いた実のない歌、軽い、かりそめの歌のみが現れてくるので、好色な人の家に、埋れ木のように人には知られず、ひそかにもてあそばれるものとなって、改まった公の場所には、おもて立って出せるものでもなくなってしまった。
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2009年05月26日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
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集歌3745 伊能知安良婆 安布許登母安良牟 和我由恵尓 波太奈於毛比曽 伊能知多尓敝波
訓読 命(いのち)あらば逢ふこともあらむ吾(あ)がゆゑにはだな思ひそ命だに経(へ)ば
私訳 命があればまた貴方と逢うこともあるでしょう、私のためにそんなにひどく思い込めないで、命さへ永らえれば。

集歌3746 比等能宇々流 田者宇恵麻佐受 伊麻佐良尓 久尓和可礼之弖 安礼波伊可尓勢武
訓読 人の植(う)うる田は植ゑまさず今さらに国別れして吾(あ)れはいかにせむ
私訳 いつもなら貴方が植える田は田植えもされないように、貴方が編纂すべき万葉集を編纂する人もいなくて、今は他国と住む場所を別れて、私はどうしたらよいのでしょう。

集歌3747 和我屋度能 麻都能葉見都々 安礼麻多無 波夜可反里麻世 古非之奈奴刀尓
訓読 吾(あ)が宿の松の葉見つつ吾(あ)れ待たむ早帰りませ恋ひ死なぬとに
私訳 私の家の松の葉を見ながら私は貴方を待ちましょう、早くお帰り下さい、待ち臨む心が死なないように。

集歌3748 比等久尓波 須美安之等曽伊布 須牟也氣久 波也可反里万世 古非之奈奴刀尓
訓読 他国(ひとくに)は住み悪(あ)しとぞ言ふ速(すむや)けく早帰りませ恋ひ死なぬとに
私訳 よその国は住みにくいと云います、すぐに早くお帰り下さい、待ち臨む心が死なないように。

集歌3749 比等久尓々 伎美乎伊麻勢弖 伊都麻弖可 安我故非乎良牟 等伎乃之良奈久
訓読 他国(ひとくに)に君をいませていつまでか吾(あ)が恋ひ居らむ時の知らなく
私訳 よその国に貴方を住まわせて、いつまででしょうか、私は貴方を慕っています。再び会える時を知りませんが。

集歌3750 安米都知乃 曽許比能宇良尓 安我其等久 伎美尓故布良牟 比等波左祢安良自
訓読 天地の底(そこ)ひのうらに吾(あ)がごとく君に恋ふらむ人は実(さね)あらじ
私訳 天地の底のその裏まで、そんな果てしない世界中に私のように貴方を尊敬して慕っている人はけっしていません。

集歌3751 之呂多倍能 安我之多其呂母 宇思奈波受 毛弖礼和我世故 多太尓安布麻弖尓
訓読 白栲の吾(あ)が下衣(したころも)失はず持てれ吾(わ)が背子直(ただ)に逢ふまでに
私訳 白栲の私の万葉集の草稿を失わないで持っていて下さい、私の尊敬する貴方、直接にお逢いするまで。

集歌3752 波流乃日能 宇良我奈之伎尓 於久礼為弖 君尓古非都々 宇都之家米也母
訓読 春の日のうら悲しきに後れ居(ゐ)て君に恋ひつつうつしけめやも
私訳 春の日の物悲しさに気持ちが沈んでいると、貴方を恋しく思って生きてる実感がありません

集歌3753 安波牟日能 可多美尓世与等 多和也女能 於毛比美太礼弖 奴敝流許呂母曽
訓読 逢はむ日の形見にせよと手弱女(たおやめ)の思ひ乱(みだ)れて縫へる衣(ころも)ぞ
私訳 貴方に再び逢う日までの形見にして下さいと、力不足の私が思い乱れて編纂した万葉集の草稿です。
右九首、娘子
注訓 右は九首、娘子

集歌3754 過所奈之尓 世伎等婢古由流 保等登藝須 多我子尓毛 夜麻受可欲波牟
訓読 過所(くわそ)なしに関飛び越ゆる霍公鳥(ほととぎす)髣髴(おほ)しが子にも止まず通はむ
私訳 手形を持たずに関所を飛び越える霍公鳥よ、おぼろげに目に浮かぶあの方の許に過去が懐かしいと絶えず通うのだろうか。

集歌3755 宇流波之等 安我毛布伊毛乎 山川乎 奈可尓敝奈里弖 夜須家久毛奈之
訓読 愛(うるは)しと吾(あ)が思ふ妹を山川を中(なか)に隔(へな)りて安けくもなし
私訳 すばらしいと私が尊敬する貴方を山や川を間に挟んで隔たっていると、気が休まりません。

集歌3756 牟可比為弖 一日毛於知受 見之可杼母 伊等波奴伊毛乎 都奇和多流麻弖
訓読 向ひ居て一日(ひとひ)もおちず見しかども厭(いと)はぬ妹を月わたるまで
私訳 向かい合って一日も欠かさずに会っていても厭になることがない貴方を、幾月も渡ってしまうまで逢えなくなって。

集歌3757 安我未許曽 世伎夜麻故要弖 許己尓安良米 許己呂波伊毛尓 与里尓之母能乎
訓読 吾(あ)が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを
私訳 私の体だけは貴方から離れて関所や山を越えてここにあるが、私の気持ちは貴方に寄り添っているのだけど。

集歌3758 佐須太氣能 大宮人者 伊麻毛可母 比等奈夫理能未 許能美多流良武
訓読 さす竹(たき)の大宮人は今もかも人なふりのみ好みたるらむ
私訳 力強く成長する竹のように発展する都の人達は、今でも漢詩や仏典の流行だけを好んでいるようだ。

集歌3759 多知可敝里 奈氣杼毛安礼波 之流思奈美 於毛比和夫礼弖 奴流欲之曽於保伎
訓読 たちかへり泣けども吾(あ)れは験(しるし)なみ思ひわぶれて寝(ぬ)る夜しぞ多き
私訳 繰り返し泣いているけど私には貴方に逢える現実がなくて、思い悲しんで寝る夜が多いことです。

集歌3760 左奴流欲波 於保久安礼杼母 毛能毛波受 夜須久奴流欲波 佐祢奈伎母能乎
訓読 さ寝(ぬ)る夜は多くあれども物(もの)思(も)はず安く寝(ぬ)る夜は実(さね)なきものを
私訳 寝る夜は幾夜もありますが、物思いをせずに気持ちよく寝る夜はまったくありません。

集歌3761 与能奈可能 都年能己等和利 可久左麻尓 奈里伎尓家良之 須恵之多祢可良
訓読 世の中の常(つね)の道理(ことわり)かくさまになり来(き)にけらし据(すゑ)し多(ま)ねから
私訳 世の中の普通の人の感情の自然な道理は、このような姿になってくるらしい。貴方に心を預ける回数が多くなったから。

集歌3762 和伎毛故尓 安布左可山乎 故要弖伎弖 奈伎都々乎礼杼 安布余思毛奈之
訓読 吾妹子に逢(あ)ふ坂山(さかやま)を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし
私訳 私の尊敬する貴方に逢う坂や山を越えて来て泣き暮らしているが、貴方に逢う方法がありません。

集歌3763 多婢等伊倍婆 許登尓曽夜須伎 須敝毛奈久 々流思伎多婢毛 許等尓麻左米也母
訓読 旅と云へば事にぞやすき術(すべ)もなく苦しき旅も事にまさめやも
私訳 草枕のような旅のようなものと云へば物事は簡単ですが、その草枕の苦しい旅も、どう編纂して良いのか判らない万葉集の編纂に比べて勝るでしょうか。

集歌3764 山川乎 奈可尓敝奈里弖 等保久登母 許己呂乎知可久 於毛保世和伎母
訓読 山川を中(なか)にへなりて遠くとも心を近く思ほせ吾妹(わぎも)
私訳 山や川を間に挟んで隔たって遠くにいますが、私の気持ちは近くにあると想ってください、私の尊敬する貴方。

集歌3765 麻蘇可我美 可氣弖之奴敝等 麻都里太須 可多美乃母能乎 比等尓之賣須奈
訓読 真澄鏡(まそかがみ)懸(か)けて偲(しぬ)へと奉(まつ)り出す形見のものを人に示(しめ)すな
私訳 見たいものを見せると云う真澄鏡を榊に懸けて、「鏡よ。あの人を偲び見せよ。」と祈願して取り出す貴方の形見の品を、他の人には見せないでください。

集歌3766 宇流波之等 於毛比之於毛波婆 之多婢毛尓 由比都氣毛知弖 夜麻受之努波世
訓読 愛(うるは)しと思ひし思はば下紐に結ひつけ持ちてやまず偲(しの)はせ
私訳 この万葉集の草稿をすばらしいと私が思ったお思いでしたら、常に身に着けて飽きることなく万葉集を偲んで下さい。
右十三首、中臣朝臣宅守
注訓 右は十三首、中臣朝臣宅守

集歌3767 多麻之比波 安之多由布敝尓 多麻布礼杼 安我牟祢伊多之 古非能之氣吉尓
訓読 魂(たましひ)は朝夕(あしたゆふへ)に給(たま)わるふれど吾(あ)が胸痛(いた)し恋の繁(しき)きに
私訳 貴方の万葉集の編纂の精神を朝に夕べに心を通わせて頂いていますが、私の気持ちは心痛いのです、貴方を慕う気持ちが激しくて。

集歌3768 己能許呂波 君乎於毛布等 須敝毛奈伎 古非能未之都々 祢能未之曽奈久
訓読 このころは君を思ふと術(すべ)もなき恋のみしつつ哭(ね)のみしぞ泣く
私訳 近頃は貴方のことを思うと、どうしようもありません。尊敬の念を持って万葉集の編纂の難しさを怨みながら泣いています。

集歌3769 奴婆多麻乃 欲流見之君乎 安久流安之多 安波受麻尓之弖 伊麻曽久夜思吉
訓読 ぬばたまの夜(よる)見し君を明くる朝(あした)逢はずまにして今ぞ悔しき
私訳 暗闇の夜の夢に見る貴方を、夜が明ける日中は遠く離れて住んでいるためにお目にかかれないままにして、今はそれが残念です。

集歌3770 安治麻野尓 屋杼礼流君我 可反里許武 等伎能牟可倍乎 伊都等可麻多武
訓読 あぢ真野に宿れる君が帰り来む時の迎へをいつとか待たむ
私訳 配流地のあぢの群れが鳴き騒ぐ原野に宿泊されている貴方が帰ってくる時のお迎えは何時かと待っています。
注意 普段の解説は「安治麻野」を味真野と訓読みして越前市味真野を示しますが、万葉集では「あぢ」はアジ鴨を指します。私は「あぢ真野」を一般名称としてアジ鴨の棲む原野としています。

集歌3771 宮人能 夜須伊毛祢受弖 家布々々等 麻都良武毛能乎 美要奴君可聞
訓読 宮人の安寝(やすい)も寝(ね)ずて今日(けふ)今日と待つらむものを見えぬ君かも
私訳 私は宮人たちがぐっすり寝る夜も安眠できずに、貴方が帰ってくるのは今日か今日かと待っているのに、お見えにならない貴方です。

集歌3772 可敝里家流 比等伎多礼里等 伊比之可婆 保等保登之尓吉 君香登於毛比弖
訓読 帰りける人(ひと)来(き)たれりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて
私訳 帰って来る人が来たと云ったので、ほとんど死にそうになりました。貴方かと思って。

集歌3773 君我牟多 由可麻之毛能乎 於奈自許等 於久礼弖乎礼杼 与伎許等毛奈之
訓読 君が共(むた)行かましものを同じこと後(おく)れて居(を)れど良(よ)きこともなし
私訳 貴方と一緒に行けばよかったものを、居残っていても同じこと、ここに残っていても良いことはなにもありません。

集歌3774 和我世故我 可反里吉麻佐武 等伎能多米 伊能知能己佐牟 和須礼多麻布奈
訓読 吾(あ)が背子が帰り来(き)まさむ時のため命残さむ忘れたまふな
私訳 私の大切な貴方が帰って来られる時のために、私の命を残しましょう、私をお忘れにならないで下さい。
右八首、娘子
注訓 右は八首、娘子

集歌3775 安良多麻能 等之能乎奈我久 安波射礼杼 家之伎己許呂乎 安我毛波奈久尓
訓読 あらたまの年の緒長く逢はざれど異(け)しき心を吾(あ)が思はなくに
私訳 新霊のよみがえる年月長く貴方に逢わないけれど、和歌から漢詩への浮気心を私は思ってもいません。

集歌3776 家布毛可母 美也故奈里世婆 見麻久保里 尓之能御馬屋乃 刀尓多弖良麻之
訓読 今日もかも都なりせば見まく欲(ほ)り西の御厩(みまや)の外(と)に立てらまし
私訳 今日もまた、貴方が都にいたならばと逢いたく思い、西の馬屋の外に立っているのに。
右二首、中臣朝臣宅守
注訓 右は二首、中臣朝臣宅守

集歌3777 伎能布家布 伎美尓安波受弖 須流須敝能 多度伎乎之良尓 祢能未之曽奈久
訓読 昨日(きのふ)今日(けふ)君に逢はずてする術(すべ)のたどきを知らに哭(ね)のみしぞ泣く
私訳 昨日も今日も貴方に逢うことなく行う万葉集の編纂ですが、その編纂する方法が判らなくて怨みながら泣いています。

集歌3778 之路多倍乃 阿我許呂毛弖乎 登里母知弖 伊波敝和我勢古 多太尓安布末弖尓
訓読 白栲の吾(あ)が衣手を取り持ちて斎(いは)へ吾(わ)が背子直(ただ)に逢ふまでに
私訳 神に祈って白栲の私の衣の中の手による草稿を取り持って、その完成を祈って下さい。私の尊敬する貴方、直接にお目にかかるまで。
右二首、娘子
注訓 右は二首、娘子

 どうでしたか、都で引き継いだ万葉集後編「宇梅乃波奈」の編纂に苦戦する中臣宅守から伊豆国に流された丹比国人への便りになったでしょうか。これは呆れた私訳ですので、正統な意訳とはまったく違う空想の世界です。アハハ、そうかい。と御笑納下さい。
なお、橘奈良麻呂の変で失権していた孝謙天皇は天平宝字八年に恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱を平定して称徳天皇として復権しますが、そのときに伊豆国に流された丹比国人が都に戻ってきた記事やその後に彼が詠ったとした和歌は記録や万葉集には見えません。既に、丹比国人は暗殺されたか、病死していたのでしょう。
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竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その24 特別篇

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中臣宅守の狭野弟上娘子への贈答の歌

天平宝字元年七月に丹比国人は「橘奈良麻呂の変」に連座して、罪人となり伊豆国への遠流の刑に処されます。そして、万葉集後編「宇梅乃波奈」は保護者である孝謙天皇とその編纂責任者である丹比国人を欠き、頓挫したことになります。
さて、万葉集の巻十五は最初から遣新羅使の歌日記と中臣朝臣宅守の贈答歌の歌日記との二本立てだったのでしょうか。編集では異質の構成となっていますし、贈答歌六十三首は集歌3723の歌から始まるのですが、遣新羅使の歌と贈答歌六十三首の歌との区分と繋ぎが不自然のような気がします。そして、一番困ったことに万葉集の「中臣朝臣宅守与狭野弟上娘女贈答歌」と万葉集の目録の「中臣朝臣宅守、娶蔵部女嬬狭野弟上娘女之時、勅断流罪、配越前國也。於是夫婦相嘆易別難會、各陳慟情贈答歌六十三首」と意味が違います。
私は、漢文において「与」と「與」との漢字の書き分けがあったのではないかとして、「中臣朝臣宅守与狭野弟上娘女贈答歌」を「中臣朝臣宅守の狭野弟上娘女に与へたる贈答歌」と訓読みしています。また、万葉集の六十三首の最後に位置する「中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌七首」は、先の歌と違い「中臣朝臣宅守」や「娘子」の歌のような相聞の関係にありません。独立した「花鳥に寄せて思いを陳べる歌」なのです。
さらに、「中臣朝臣宅守与狭野弟上娘女贈答歌」もまた、大伴旅人の「梧桐日本琴一面」のような一人二役の贈答歌の形ではないかと疑っています。つまり、中臣宅守が、「中臣宅守」と「娘子」との間の歌の交換のようで、すべてが中臣宅守の心の想いではないかと疑っています。
ここで唐突ですが、全万葉集の歌の中で四首しかない「狭野」の歌の、その中で「狭野」の言葉から始まる二首を共に紹介します。「狭野方波」は普段の読みは「さのかたは」ですが、古語として「せのかたは」とも読むことが出来ます。そうです、「背の方は」と訓読みすることが出来ます。そして、「狭野方波」を「背の方は」と読みますと、次のような突飛な私訳を行うことが可能になります。

参考歌
集歌1928 狭野方波 實尓雖不成 花耳 開而所見社 戀之名草尓
訓読 背の方は実に成らずも花のみに咲きて見えこそ恋のなぐさに
私訳 尊敬する貴方の万葉集後編「宇梅之波奈」が完成しなくても、その和歌の歌々を見せてほしい、和歌への渇望の慰めに。

集歌1929 狭野方波 實尓成西乎 今更 春雨零而 花将咲八方
訓読 背の方は実に成りにしを今さらに春雨降りて花咲かめやも
私訳 尊敬する貴方の万葉集後編「宇梅之波奈」が完成しましたが、今後に春雨が降って花が開くように和歌の花が開くことはあるのでしょうか。

同じように集歌3723の歌の標の「中臣朝臣宅守与狭野弟上娘女贈答歌」の「狭野弟上」は「せのおとのかみ」と読むことも可能です。つまり、「背の弟の上」とも訓読みすることが出来ます。集歌1928と集歌1929とに関連させて、万葉集編纂者の「背の弟の上」の意味に取ることは冒険ですが、「花鳥の使い」の相手の名前として可能ではないでしょうか。
そして、私は大伴旅人と藤原房前との歴史から、贈答歌六十三首とは「橘奈良麻呂の変」に際して、最初の中臣朝臣宅守と娘女との五十六首は流刑の伊豆の丹比国人へ、寄花鳥陳思作歌七首は亡き橘諸兄に対して贈ったものと思っています。この「背の弟の上」への五十六首は、一種、竹取翁の歌の答歌の雰囲気があります。それで「答へ贈る歌」なのでしょうが、実力の差でしょうか、竹取翁の歌ほど歌のもじりが成功しているとは思えません。
なお、「狭野弟上」は西本願寺本の表記で、一部の伝本では「狭野茅上」と「弟」から「茅」へその表記が変わっています。この段階で「茅」が正しいものですと、「狭野弟上」を「背の弟の上」とする読みは成り立たなくなり、説明は妄想に成り下がります。
ここでは、解説の替わりに私の解釈と想いを込めた私訳を紹介して、説明とします。

中臣朝臣宅守与狭野弟上娘子贈答歌
標訓 中臣朝臣宅守の狭野弟上娘子へ与たる答へ贈れる歌
私訳 留守宅を守る式部大輔中臣朝臣清麿から「背の弟の上」である尊敬する年下の丹比国人の貴方に答え贈る歌。
注意 留守宅とは孝謙天皇を示す寓意。

集歌3723 安之比奇能 夜麻治古延牟等 須流君乎 許々呂尓毛知弖 夜須家久母奈之
訓読 あしひきの山道越えむとする君を心に持ちて安けくもなし
私訳 あしひきの山道を越えて行こうとする貴方を気にかけて、気が休まることがありません。

集歌3724 君我由久 道乃奈我弖乎 久里多々祢 也伎保呂煩散牟 安米能火毛我母
訓読 君が行く道の長手を繰(く)り畳(たた)ね焼き滅(ほろ)ぼさむ天(あめ)の火もがも
私訳 貴方が行く道の長い道中を巻き紙のように手繰り寄せ畳んで焼き尽くすような天の火が欲しい。

集歌3725 和我世故之 氣太之麻可良婆 思漏多倍乃 蘇弖乎布良左祢 見都追志努波牟
訓読 吾(わ)が背子しけだし罷(まか)らば白栲の袖を振らさね見つつ偲(しの)はむ
私訳 私の尊敬する貴方がもし都から地方に下られことがあるならば、白栲の袖を振ってください、それを見て貴方を偲びましょう。

集歌3726 己能許呂波 古非都追母安良牟 多麻久之氣 安氣弖乎知欲利 須辨奈可流倍思
訓読 このころは恋ひつつもあらむ玉櫛笥(たまくしげ)明けて彼方(をち)より術(すべ)なかるべし
私訳 近頃は貴方を慕いながらいます、玉櫛笥を開けて歌集を取り出しても貴方が遠くに居られるのでどうしていいのか判らないでしょう。
右四首、娘子臨別作歌
注訓 右は四首、娘子の別れに臨みて作れる歌

集歌3727 知里比治能 可受尓母安良奴 和礼由恵尓 於毛比和夫良牟 伊母我可奈思佐
訓読 塵泥(ちりひぢ)の数(かず)にもあらぬ吾(わ)れゆゑに思ひわぶらむ妹がかなしさ
私訳 塵や泥の数にも入らないような力不足の私なので、万葉集の行く末を想い心配する貴方が可哀想です。。

集歌3728 安乎尓与之 奈良能於保知波 由吉余家杼 許能山道波 由伎安之可里家利
訓読 あをによし奈良の大道は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり
私訳 青葉が美しい奈良の大道を行くのは楽ですが、万葉集を引き継いでいく事はこの山道は行くように難いことです。

集歌3729 宇流波之等 安我毛布伊毛乎 於毛比都追 由氣婆可母等奈 由伎安思可流良武
訓読 愛(うるは)しと吾(あ)が思(も)ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行(ゆ)き悪(あ)しかるらむ
私訳 尊敬する人と私が想う貴方を思い出にしながら万葉集を編纂するからか、足元も覚束なく編纂を引き継いで行くのが難しいと思われます。

集歌3730 加思故美等 能良受安里思乎 美故之治能 多武氣尓多知弖 伊毛我名能里都
訓読 畏(かしこ)みと告(の)らずありしをみ越道の手向(たむ)けに立ちて妹が名告(の)りつ
私訳 恐れ多いと貴方の名前を口に出さずにいましたが、配流先へ山を越して行く道の手向けの場に立って、貴方の名前を思わず口に出してしまった。
右四首、中臣朝臣宅守上道作歌
注訓 右は四首、中臣朝臣宅守の上道(みちたち)して作れる歌
私訳 右は四首、中臣朝臣の宅を守るが和歌を編纂するに当たって作った歌。

集歌3731 於毛布恵尓 安布毛能奈良婆 之末思久毛 伊母我目可礼弖 安礼乎良米也母
訓読 思ふゑに逢ふものならばしましくも妹が目(め)離(か)れて吾(あ)れ居(を)らめやも
私訳 逢いたいと念じると貴方に逢えるものであるならば、これほどに貴方の姿を目にすることが出来ないのでしょうか、私は常に貴方を慕っているのに。

集歌3732 安可祢佐須 比流波毛能母比 奴婆多麻乃 欲流波須我良尓 祢能未之奈加由
訓読 あかねさす昼は物思ひぬばたまの夜(ゆる)はすがらに哭(ね)のみし泣かゆ
私訳 茜色になる昼は物を想い、闇夜の夜は夜通し恨めしく泣くことです。

集歌3733 和伎毛故我 可多美能許呂母 奈可里世婆 奈尓毛能母弖加 伊能知都我麻之
訓読 吾妹子が形見の衣(ころも)なかりせば何物もてか命継がまし
私訳 私の尊敬する貴方の形見の和歌の資料がなければ、何を貴方の代わりとして命を永らえましょうか。

集歌3734 等保伎山 世伎毛故要伎奴 伊麻左良尓 安布倍伎与之能 奈伎我佐夫之佐
訓読 遠き山(やま)関も越え来(き)ぬ今さらに逢ふべきよしのなきが寂(さぶ)しさ
私訳 遠い山や関も越えて配所へ貴方は行った。今更に貴方に逢う手段のないのが寂しいことです。

集歌3735 於毛波受母 麻許等安里衣牟也 左奴流欲能 伊米尓毛伊母我 美延射良奈久尓
訓読 思はずもまことあり得(え)むやさ寝(ぬ)る夜の夢(いめ)にも妹が見えざらなくに
私訳 思いがけずにこのようなことが起こるのでしょうか、寝る夜の夢にも貴方が出てこないことはないのに。

集歌3736 等保久安礼婆 一日一夜毛 於母波受弖 安流良牟母能等 於毛保之賣須奈
訓読 遠くあれば一日(ひとひ)一夜(ひとよ)も思はずてあるらむものと思ほしめすな
私訳 貴方が遠くの国に離れているので、私が貴方のことを一日一夜もずっと想っていないだろうと想わないでください。

集歌3737 比等余里波 伊毛曽母安之伎 故非毛奈久 安良末思毛能乎 於毛波之米都追
訓読 他人(ひと)よりは妹ぞも悪(あ)しき恋もなくあらましものを思はしめつつ
私訳 他の人より貴方の方が憎い、貴方への尊敬の心が無いならばと私に思わせ続けています。

集歌3738 於毛比都追 奴礼婆可毛等奈 奴婆多麻能 比等欲毛意知受 伊米尓之見由流
訓読 思ひつつ寝(ぬ)ればかもとなぬばたまの一夜(ひとよ)もおちず夢にし見ゆる
私訳 貴方を慕いつつ寝ると、漆黒の一夜が一日も欠けることなく貴方が夢の中に出てきます。

集歌3739 可久婆可里 古非牟等可祢弖 之良末世婆 伊毛乎婆美受曽 安流倍久安里家留
訓読 かくばかり恋ひむとかねて知らませば妹をば見ずぞあるべくありける
私訳 このように恋しくいると最初から判っていたならば、貴方の万葉集の編纂事業にだけは会わずにいるべきでした。

集歌3740 安米都知能 可未奈伎毛能尓 安良婆許曽 安我毛布伊毛尓 安波受思仁世米
訓読 天地の神なきものにあらばこそ吾(あ)が思ふ妹に逢はず死にせめ
私訳 天と地とに神々がいらっしゃらないのであれば、私の尊敬する貴方に逢えずに死なせよ。

集歌3741 伊能知乎之 麻多久之安良婆 安里伎奴能 安里弖能知尓毛 安波射良米也母
訓読 命をし全(また)くしあらばあり衣(きぬ)のありて後(のち)にも逢はざらめやも
私訳 貴方の生命が無事であれば、美しい衣があるようにいつかは貴方に逢えないことがあるでしょうか。
説明 「あり衣のありて」は訳さずに音感を取るほうがよいでしょう

集歌3742 安波牟日乎 其日等之良受 等許也未尓 伊豆礼能日麻弖 安礼古非乎良牟
訓読 逢はむ日をその日と知らず常闇(とこやみ)にいづれの日まで吾(あ)れ恋ひ居らむ
私訳 貴方に再び逢える日をいつとは知らないが、先の見えない常闇の中に貴方に逢える日まで私は貴方を尊敬し続けているでしょう。

集歌3743 多婢等伊倍婆 許等尓曽夜須伎 須久奈久毛 伊母尓戀都々 須敝奈家奈久尓
訓読 旅といへば事にぞやすきすくなくも妹に恋ひつつすべなけなくに
私訳 遠い国への旅といってしまえば事は簡単だが、しかしながら尊敬する貴方を慕っていてもどうしようもないのに。

集歌3744 和伎毛故尓 古布流尓安礼波 多麻吉波流 美自可伎伊能知毛 乎之家久母奈思
訓読 吾妹子に恋ふるに吾(あ)れはたまきはる短き命(いのち)も惜(を)しけくもなし
私訳 私の尊敬する貴方を慕っていることに、私は霊魂が宿る短い命も惜しくもない。
右十四首、中臣朝臣宅守
注訓 右は十四首、中臣朝臣宅守

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竹取翁の歌のお勉強 娘女の参歌 その9

2009年05月25日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 娘女の参歌 その9

九人目の娘子の歌  作者未詳の答え(貴族階級)
集歌3802 春之野乃 下草靡 我藻依 丹穂氷因将 友之随意  (九)
訓読 春の野の下草靡き我れも寄りにほひ寄りなむ友のまにまに
私訳 春の野の下草が靡き寄るように私も靡き従って染まりましょう。心を同じくする人々と共に。

万葉集の春の歌で、風に春草が靡き朋と野に遊ぶ歌はありそうですが、実はこの歌だけです。集歌0948の歌の景色は九人目の娘女が詠う世界と同じと思っています。九人目の娘女は、世の風潮に対して貴族の人々にも異議を唱えさせています。
歌は読み人知れずの歌で、万葉集巻六から採歌されています。このように、九人の娘女の詠う歌は、万葉集巻一から巻九までそれぞれ一首づつ各階層の人々の歌が採歌されています。これも、一種の遊びなのでしょうか。

巻六より
四年丁卯春正月、勅諸王諸臣子等、散禁於授刀寮時、作謌一首并短謌
標訓 四年丁卯の春正月、諸王諸臣子等に勅して、授刀寮(じゅたうりょう)に散禁(さんきん)せしめし時に、作れる歌一首并せて短歌
集歌0948 真葛延 春日之山者 打靡 春去徃跡 山上丹 霞田名引 高圓尓 鴬鳴沼 物部乃 八十友能壮者 折木四哭之 来継比日 如此續 常丹有脊者 友名目而 遊物尾 馬名目而 徃益里乎 待難丹 吾為春乎 决巻毛 綾尓恐 言巻毛 湯々敷有跡 豫 兼而知者 千鳥鳴 其佐保川丹 石二生 菅根取而 之努布草 解除而益乎 徃水丹 潔而益乎 天皇之 御命恐 百礒城之 大宮人之 玉桙之 道毛不出 戀比日
訓読 真葛(まふぢ)延(は)ふ 春日の山は うち靡く 春さりゆくと 山の上(うへ)に 霞たなびく 高円(たかまと)に 鴬鳴きぬ 物部(もののふ)の 八十伴の壮(を)は 雁が音(ね)の 来継ぐこの頃 かく継ぎて 常にありせば 友並(な)めて 遊ばむものを 馬並(な)めて 往(ゆ)かまし里を 待ちかてに 吾がする春を かけまくも あやに恐(かしこ)し 云(い)はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川(さほかは)に 石(いは)に生(お)ふる 菅の根採りて 偲(しの)ふ草 祓(いは)へてましを 往(ゆ)く水に 潔身(みそき)てましを 天皇(すめろき)の 御命(みこと)恐(かしこ)み ももしきの 大宮人の 玉桙(たまほこ)の 道にも出でず 恋ふるこの頃
私訳 美しい藤の這う春日山は、草葉が打ち靡く春めいて行くと山の上に霞が棚引き高円山に鶯が鳴く。武士の多くの勇ましい男たちは雁の鳴き声が友と鳴き続くように冬から春に継いでくるこのころ、このように友との仲が続いて常にあるならば、友と連れ立って風景を楽しむものを、馬を並べて往くべき里の春の訪れを待ちかねていた、私が楽しむ春を、口に出すのも恐れ多く、言葉にするのも憚られるようなことになると最初から分かっていたなら、千鳥が鳴くその佐保川の岩に生える菅の根を採って、それを憂さを忘れると云う偲ぶ草としてお祓いをしておくものを、流れる水に禊をしておくものを、天皇のご命令を謹んで承ってももしきの大宮人たちは御門の玉鉾を掲げる官道にも出ずに、春山を恋しがるこの頃よ。

反謌一首
集歌0949 梅柳 過良久惜 佐保乃内尓 遊事乎 宮動々尓
訓読 梅柳(うめやなぎ)過ぐらく惜しみ佐保(さほ)の内(うち)に遊びしことを宮もとどろに
私訳 梅や柳の美しい季節が過ぎるのが惜しい、佐保の野で風景を楽しむことだったのに、宮中もとどろくように雷鳴がなるような事件になった
右、神龜四年正月、數王子及諸臣子等集於春日野、而作打毬之樂。其日、忽天陰雨雷電。此時、宮中無侍従及侍衛。勅行刑罰、皆散禁於授刀寮、而妄不得出道路。于時悒憤即作斯謌。作者未詳。
注訓 右は、神亀四年の正月に数(あまた)の王子及び諸臣子等の春日野に集い、打毬(うちまり)の楽(たのしみ)を作(な)す。その日、忽(たちまち)に天は陰り雨ふりて雷電す。この時に、宮中に侍従及び侍衛無し。勅(みことのり)して刑罰を行ひ、皆を授刀寮(じゅたうりょう)に散ずるを禁じ、妄(みだ)りに道路に出るを得ず。時に悒憤(おぼほ)しく、即ちこの歌を作れり。作者は未だ詳らかならず。

この神亀四年(727)正月の事件の日付は不明ですが、この年の正月晦日が新暦の三月一日に当たります。大宮人がこぞって野に遊ぶ雰囲気ですと、事件があったのは正月十五日の若菜摘みのときでしょうか。そして、二月十二日の祈年祭の後、散会することを許されずに授刀寮に留め置かれたのでしょう。その年の二月十二日は新暦三月十三日ですから、梅から桜への時期で野遊びには相応しい時期です。罰を決めたのは、役職柄から推測して式部卿の藤原宇合と思われます。
さて、この歌は禁足の罰を受けた人が詠った歌ではなくて、外から事件の人々を見ている人の歌です。それが、長歌の「大宮人の 玉桙の 道にも出でず 恋ふるこの頃」の一節です。そして、歌人は佐保川の流れを見ながら授刀寮で禁則を受けた若い官人たちの心情を想像して詠っているのです。
集歌0949の歌の左注の「時に悒憤しく、即ちこの歌を作れり。」は、歌が創られてからだいぶ後にこの左注を書いたのですから、長歌の内容からすると少し変です。禁則を受けた若い官人たちは「悒憤しく」でしょうが、歌を作った人は「同情と少しのからかい」です。たぶん、左注を書いた人は、歌の作者本人ともっと当時の詳しい事情を知っているのでしょう。
少し穿って、これが中納言の大伴旅人が罰を決めた式部卿の藤原宇合に対して、歌で以って「もう勘弁してやったらどうか」と詠っているのですと、神亀六年二月の「長屋王の変」の予行演習のような出来事になります。事件の処罰を決めたのが藤原宇合とすると、彼の理論で神亀四年に若い官人たちを本来の罰せられるべき当番の人達だけでなく、一律に野遊びをした人達を罰しています。その後の神亀六年には、藤原宇合の都合で長屋王を殺しています。ことの本質では、共に理不尽です。それなら、「時に悒憤しく、即ちこの歌を作れり。」ですし、大宮人全員で抗議する必要があります。
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竹取翁の歌のお勉強 娘女の参歌 その8

2009年05月25日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 娘女の参歌 その8

八人目の娘子の歌  読み人知らずの答え(庶民階級)
集歌3801 墨之江之 岸野之榛丹 々穂所經迹 丹穂葉寐我八 丹穂氷而将居  (八)
訓読 住吉(すみのゑ)の岸野の榛(はり)ににほふれどにほはぬ我れやにほひて居らむ
私訳 住吉の岸の野の榛で美しく衣を染め上げても、染めた衣に心が惹かれない私です。でも、住吉の岸の野の榛の美しさは感じています。

八人目の娘女の歌う句を、ままで拾ったのが集歌1156の歌です。この歌は読み人知れずの歌で、万葉集巻七から採歌されています。歌の説明は、長歌のもじり歌その7で割愛させていただきます。

巻七
集歌1156 住吉之 遠里小野之 真榛以 須礼流衣乃 盛過去
訓読 住吉(すみのゑ)の遠里(とほさと)小野(をの)の真榛(まはり)もち摺(す)れる衣(ころも)の盛り過ぎゆく
私訳 住吉から遠い里の小さな野にある榛の木実を持ってきて衣を染めてた、その衣の色も褪せて盛りが過ぎて往くようだ
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