竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4465

2019年09月29日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4465

喩族謌一首并短謌
標訓 族(やから)に喩(さと)せる謌一首并せて短謌
集歌4465 比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能 可未能御代欲利 波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖 於保久米能 麻須良多祁乎々 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎 伊波祢左久美弖 布美等保利 久尓麻藝之都々 知波夜夫流 神乎許等牟氣 麻都呂倍奴 比等乎母夜波之 波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之[波]良能 宇祢備乃宮尓 美也[婆]之良 布刀之利多弖氏 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能 安麻能日継等 都藝弖久流 伎美能御代々々 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓 伎波米都久之弖 都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖氏 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓 美流比等乃 可多里都藝弖氏 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽 於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃 宇治等名尓於敝流 麻須良乎能等母

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 ひさかたの 天の門開き 高千穂の 岳(たけ)に天降りし すめろきの 神の御代より はじ弓を 手(た)握(にぎ)り持たし 真鹿子矢(まかこや)を 手挟み添へて 大久米の ますら健男(たけを)を 先に立て 靫(ゆき)取り負ほせ 山川を 岩根さくみて 踏み通り 国(くに)求(ま)ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け まつろはぬ 人をも和(やは)し 掃き清め 仕へまつりて 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 天皇(すめろぎ)の 天の日継と 継ぎて操(く)る 君(きみ)の御代御代 隠さはぬ 明(あか)き心を 皇辺(すめらへ)に 極め尽して 仕へくる 祖(おや)のつかさと 言(こと)立(た)てて 授けたまへる 子孫(うみのこ)の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語り継ぎてて 聞く人の 鏡にせむを あたらしき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言(むなこと)も 祖(おや)の名絶つな 大伴の 氏(うぢ)と名に負へる ますらをの伴
意訳 遥かなる天つ空の戸、高天原の天の戸を開いて、葦原の国高千穂の岳に天降られた皇祖の神の御代から、はじ木の弓を手にしっかりと握ってお持ちになり、真鹿子矢を手挟み添え、大久米のますら健男を前に立てて靫を背負わせ、山も川も、岩根を押し分けて踏み通り、居つくべき国を探し求めては、荒ぶる神々をさとし、従わぬ人びとをも柔らげ、この国を掃き清めお仕え申し上げて、蜻蛉島大和の国の橿原の畝傍の山に、宮柱を太々と構えて天の下をお治めになった天皇、その尊い御末として引き継いでは繰り返す大君の御代御代のその御代ごとに、曇りのない誠の心をありったけ日継ぎの君に捧げつくして、ずっとお仕え申してきた先祖代々の大伴の家の役目であるぞと、ことさらお言葉に言い表わして、我が大君がお授け下さった、その祖の役目を継ぎ来り継ぎ行く子々孫々、その子々孫々のいよいよ相続くように、いや継ぎ継ぎに、目に見る人に語り継ぎに讃め伝えて、耳に聞く人は末々の手本にもしようものを、ああ、貶めてはもったいない清らかな継ぎ来り継ぎ行くべき名なのだ。おろそかに軽く考えて、かりそめにも先祖の名を絶やすでないぞ。大伴の氏と、由来高く清き名に支えられている、ますらおたちよ。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 久方の 天の門開き 高千穂の 岳(たけ)に天降りし 皇祖(すめろぎ)の 神の御代より 櫨弓(はじゆみ)を 手握り持たし 真鹿子矢(まかこや)を 手挟み添へて 大久米の ますら健男(たけを)を 先に立て 靫(ゆき)取り負ほせ 山川を 岩根さくみて 踏み通り 国(くに)覓(ま)ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け まつろはぬ 人をも和(やは)し 掃き清め 仕へまつりて 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 天皇(すめろぎ)の 天の日継と 継ぎてくる 大王(きみ)の御代御代 隠さはぬ 明き心を 皇辺(すめらへ)に 極め尽して 仕へくる 祖(おや)の官(つかさ)と 辞(こと)立(た)てて 授けたまへる 子孫(うみのこ)の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語り継ぎてて 聞く人の 鏡にせむを 惜しき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 虚言(むなこと)も 祖(おや)の名絶つな 大伴の 氏と名に負へる 大夫(ますらを)の伴
私訳 遥か彼方の天の戸を開き高千穂の岳に天降りした天皇の祖の神の御代から、櫨弓を手に握り持ち、真鹿児矢を脇にかかえて、大久米部の勇敢な男たちを先頭に立て、靫を取り背負い、山川を巖根を乗り越え踏み越えて、国土を求めて、神の岩戸を開けて現れた神を平定し、従わない人々も従え、国土を掃き清めて、天皇に奉仕して、秋津島の大和の国の橿原の畝傍の宮に、宮柱を立派に立てて、天下を統治なされた天皇の、その天皇の日嗣として継ぎて来た大王の御代御代に、隠すことのない赤心を、天皇のお側に極め尽くして、お仕えて来た祖先からの役目として、誓いを立てて、その役目をお授けになされる、われら子孫は、一層に継ぎ継ぎに、見る人が語り継ぎ、聴く人が手本にするはずのものを。惜しむべき清らかなその名であるぞ、おろそかに心に思って、かりそめにも祖先の名を絶つな。大伴の氏と名を背負う、立派な大夫たる男たちよ。
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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4408

2019年09月22日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4408

集歌4408 大王乃 麻氣乃麻尓々々 嶋守尓 和我多知久礼婆 波々蘇婆能 波々能美許等波 美母乃須蘇 都美安氣可伎奈埿 知々能未乃 知々能美許等波 多久頭怒能 之良比氣乃宇倍由 奈美太多利 奈氣伎乃多婆久 可胡自母乃 多太比等里之氏 安佐刀埿乃 可奈之伎吾子 安良多麻乃 等之能乎奈我久 安比美受波 古非之久安流倍之 今日太仁母 許等騰比勢武等 乎之美都々 可奈之備麻勢婆 若草之 都麻母古騰母毛 乎知己知尓 左波尓可久美為 春鳥乃 己恵乃佐麻欲比 之路多倍乃 蘇埿奈伎奴良之 多豆佐波里 和可礼加弖尓等 比伎等騰米 之多比之毛能乎 天皇乃 美許等可之古美 多麻保己乃 美知尓出立 乎可之佐伎 伊多牟流其等尓 与呂頭多妣 可弊里見之都追 波呂々々尓 和可礼之久礼婆 於毛布蘇良 夜須久母安良受 古布流蘇良 久流之伎毛乃乎 宇都世美乃 与能比等奈礼婆 多麻伎波流 伊能知母之良受 海原乃 可之古伎美知乎 之麻豆多比 伊己藝和多利弖 安里米具利 和我久流麻埿尓 多比良氣久 於夜波伊麻佐祢 都々美奈久 都麻波麻多世等 須美乃延能 安我須賣可未尓 奴佐麻都利 伊能里麻乎之弖 奈尓波都尓 船乎宇氣須恵 夜蘇加奴伎 可古登〃能倍弖 安佐婢良伎 和波己藝埿奴等 伊弊尓都氣己曽

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 島守に 我が立ち来れば ははそ葉の 母の命(みこと)は み裳(も)の裾 摘み上げ掻き撫で ちちの実の 父の命(みこと)は 栲(たく)づのの 白ひげの上(うへ)ゆ 涙垂り 嘆きのたばく 鹿子(かこ)じもの ただひとりして 朝戸出の 愛(かな)しき我が子 あらたまの 年の緒長く 相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言どひせむと 惜しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ 白栲の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと 引き留め 慕ひしものを 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 玉桙の 道に出で立ち 岡の崎 い廻(た)むるごとに 万(よろづ)たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命も知らず 海原(うなはら)の 畏(かしこ)き道を 島伝ひ い漕ぎ渡りて あり廻(めぐ)り 我が来るまでに 平(たひら)けく 親はいまさね 障(つつ)みなく 妻は待たせと 住吉(すみのゑ)の 我が統(す)め神に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 祈(いの)り申して 難波津に 船を浮け据ゑ 八十(やそ)楫(か)貫き 水手(かこ)整(ととの)へて 朝開き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ
意訳 大君の仰せのままに、島守として私が家を出て来た時、ははその母の君は裳の裾をつまみ上げて私の頭を撫で、ちちの実の父の君は栲づのの白いひげ伝いに涙を流して、こもごも嘆いておっしゃることに、「鹿の子のようにただひとり家を離れて朝立ちして行くいとしい我が子よ、年月久しく逢わなかったら恋しくてやりきれないだろう、せめて今日だけでも存分に話をしよう」と、名残を惜しみながら悲しまれると、妻や子たちもあちらこちらからいっぱいに私を取り囲んで、春鳥の鳴き騒ぐようにうめき声をあげてせつながり、白い袖を泣き濡らして、手に取り縋って別れるのはつらいと私を引き留め追って来たのに、大君の仰せの恐れ多さに旅路に出で立ち、岡の出鼻を曲がるごとに、いくたびとなく振り返りながら、こんなにはるかに別れて来ると、思う心も安らかでなく、恋い焦がれる心も苦しくてたまらないのだが・・・、生身のこの世の人間である限り、たまきはる命のほども計りがたいとはいえ、どうか、海原の恐ろしい道、その海原の道を島伝いに漕ぎ渡って、旅路から旅路へとめぐり続けて私が無事に帰って来るまで、親は親で幸福でいてほしい、妻は妻で達者でいてほしいと、我が神と縋る住吉の海の神様に幣を捧げてねんごろにお祈りをし、難波津に船を浮かべ、櫂をびっしり取り付け水手を揃えて、朝早く私は漕ぎ出して行ったと、家の者に知らせて下さい。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 大王(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 島守に 吾が立ち来れば ははそ葉の 母の命(みこと)は み裳(も)の裾 摘み上げ掻き撫で ちちの実の 父の命(みこと)は 栲(たく)づのの 白髭の上(うへ)ゆ 涙垂り 嘆きのたばく 鹿子(かこ)じもの ただ独りして 朝戸出の 愛(かな)しき吾が子 あらたまの 年の緒長く 相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言問ひせむと 惜しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ 白栲の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと 引き留め 慕ひしものを 大皇(すめろぎ)の 御言(みこと)畏(かしこ)み 玉桙の 道に出で立ち 岡し崎 い廻(た)むるごとに 万(よろづ)たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを 現世(うつせみ)の 世の人なれば たまきはる 命も知らず 海原(うなはら)の 畏(かしこ)き道を 島伝ひ い漕ぎ渡りて あり廻(めぐ)り 吾が来るまでに 平(たひら)けく 親はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉の 吾(あ)が皇神(すめかみ)に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 祈(いの)り申して 難波津に 船を浮け据ゑ 八十(やそ)楫(か)貫き 水手(かこ)ととのへて 朝開き 吾は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ
私訳 大王の任命に従って、島の守りに私が旅立って来ると、ははそ葉の言葉のひびきのような母上は、御裳の裾を摘み上げて、私の頭をさすり撫で、ちちの実の言葉のひびきのような父上は、栲綱のような白い髭の上に涙を流して嘆きおっしゃるには「鹿の児ではないが、たった一人で朝に戸を開け出て行く愛しい我が子、年の気が改まる、その年月長く、互いに逢えないのは、恋しいことです。今日だけでも語らいあおう」と別れを惜しみながら、悲しんで居られると、若草のような初々しい妻も子供もも、あちらこちらに、大勢が私を囲み居て、春の鳥の鳴き声のように話しかけ、白い栲の袖を泣き濡らし、手を握って別れることは出来ないと引き留め、恋い慕ったのだが、天皇の御命令を畏み、立派な鉾を立てる官道に出で立ち、丘の端を巡り行く度に、何度も何度も、振り返り見て、はるばると別れてやって来れば、故郷を偲ぶたびに心も休まらず、故郷を恋焦がれるに心苦しいものだけど、この世に生きる人間なので、寿命を刻む、その命の限りを知らず、海原の畏き道を島伝いに船で漕ぎ渡り、このように巡り、私が帰って来るまで、何事もなく親は暮らしてください、支障もなく妻は待っていなさいと、住吉の吾等の天皇の祖神に幣を奉献し祈りを申し上げて、難波の湊に船を浮かべ留めて、たくさんの楫を貫き刺し、水手を整えて、朝に湊から出航して私は漕ぎ出すと、家の人に告げて欲しい。
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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4398

2019年09月15日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4398

為防人情陳思作謌一首并短謌
標訓 防人(さきもり)の情(おもひ)と為(な)し思(おもふところ)を陳(の)べて作れる謌一首并せて短謌
集歌4398 大王乃 美己等可之古美 都麻和可礼 可奈之久波安礼特 大夫 情布里於許之 等里与曽比 門出乎須礼婆 多良知祢乃 波々可伎奈埿 若草乃 都麻波等里都吉 平久 和礼波伊波々牟 好去而 早還来等 麻蘇埿毛知 奈美太乎能其比 牟世比都々 言語須礼婆 群鳥乃 伊埿多知加弖尓 等騰己保里 可[弊]里美之都々 伊也等保尓 國乎伎波奈例 伊夜多可尓 山乎故要須疑 安之我知流 難波尓伎為弖 由布之保尓 船乎宇氣須恵 安佐奈藝尓 倍牟氣許我牟等 佐毛良布等 和我乎流等伎尓 春霞 之麻来尓多知弖 多頭我祢乃 悲鳴婆 波呂波呂尓 伊弊乎於毛比埿 於比曽箭乃 曽与等奈流麻埿 奈氣吉都流香母

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 妻別れ 悲しくはあれど ますらをの 心振り起し 取り装ひ 門出をすれば たらちねの 母掻き撫で 若草の 妻は取り付き 平(たひら)けく 我れは斎(いは)はむ ま幸くて 早帰り来と 真袖もち 涙を拭(のご)ひ むせひつつ 言どひすれば 群鳥(むらとり)の 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ いや遠(とほ)に 国を来(き)離(はな)れ いや高(たか)に 山を越え過ぎ 葦が散る 難波に来居て 夕(ゆふ)潮(しほ)に 船を浮け据ゑ 朝なぎに 舳(へ)向け漕がむと さもらふと 我が居る時に 春霞 島みに立ちて 鶴(たづ)がねの 悲しく鳴けば はろはろに 家を思ひ出 負ひ征矢(そや)の そよと鳴るまで 嘆きつるかも
意訳 大君の仰せが恐れ多いので、妻との別れは悲しいことではあるけれど、男子たるものの心を奮い起こし、身支度を整えて門出をしようとすると、たらちねの母は私の頭を掻き撫で、若草の妻は私の袖に取り縋り、「何とか無事でいて私どもは身を清めながら神にお祈りをいたします。恙なく一日も早く帰って」と、両の袖で涙を拭い、しゃくり上げながらかきくどくので、群鳥の飛び立つというではないがさっさと出発するわけにもゆかず、足もとどまりがちにあとを振り返り振り返りながら、ぐんぐん遠く国を離れて来、ずんずん高く山を越え過ぎて、とうとう葦が散る難波に至り着いてたむろし、夕潮に船を浮かべ、朝凪に筑紫へ舳を向けて漕ぎ出そうと、われらが潮待ちをしているその折しも、春霞が島辺に立ちこめ、鶴が悲しく鳴くので、はるばると家を思い出し、背に負う征矢がかさかさと音を立てるほどに、身悶えして私は溜息をついている。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 大王(おほきみ)の 御言(みこと)畏(かしこ)み 妻別れ 悲しくはあれど 大夫(ますらを)し 心振り起し 取り装ひ 門出をすれば たらちねの 母掻き撫で 若草の 妻は取り付き 平(たひら)けく 吾は斎(いは)はむ ま幸くて 早帰り来と 真袖もち 涙を拭ひ むせひつつ 言問ひすれば 群鳥(むらとり)の 出で立ちかてに とどこほり 返り見しつつ いや遠(とほ)に 国を来(き)離(はな)れ いや高(たか)に 山を越え過ぎ 葦が散る 難波に来居て 夕(ゆふ)潮(しほ)に 船を浮けすゑ 朝なぎに 舳向け漕がむと 侍(さもら)ふと 吾が居る時に 春霞 島岬(しまき)に立ちて 鶴(たづ)が音(ね)の 悲しく鳴けば はろはろに 家を思ひ出 負ひ征矢(そや)の そよと鳴るまで 嘆きつるかも
私訳 大王の御命令を畏みて、妻に別れ悲しいのだけど、立派な大夫の自負の気持ちを振起し、軍装を整えて門出をすると、心を満たす母が頭をさすり撫で、若草のような初々しい妻は取り付き「日々、ひたすら私は祈っています、ご無事で早く帰って来てください」と袖を持ち涙を拭い、咽びつつ、言葉を掛けるので、群れた鳥が飛び立つように出立することも出来ず気持ちは滞り、振り返り見ながら、一層、遠くに故郷の国を旅立ち離れて、一層、高く、山を越えて行って、葦の葉が散る難波に来て駐屯し、夕潮に船を浮かべ留めて、朝凪に船の舳先を筑紫へと向けて漕ぎだそうと、待機していると、駐屯している時に、春霞の島の岬に立ち、鶴の鳴き声が侘しく啼くと、ほろほろに家を思い出し、背に負う征伐の矢がこすれ「そよ」と音を立てるほどに、体を震わせて嘆くことです。
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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4372

2019年09月08日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4372

集歌4372 阿志加良能 美佐可多麻波理 可閇理美須 阿例波久江由久 阿良志乎母 多志夜波婆可流 不破乃世伎 久江弖和波由久 牟麻能都米 都久志能佐伎尓 知麻利為弖 阿例波伊波々牟 母呂々々波 佐祁久等麻乎須 可閇利久麻弖尓

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 足柄の 御坂給はり かへり見ず 我れは越え行く 荒し男(を)も 立しやはばかる 不破の関 越(く)えて我(わ)は行く 馬の爪 筑紫の崎に 留まり居て 我れは斎(いは)はむ 諸(もろもろ)は 幸くと申す 帰り来(く)までに
意訳 足柄の御坂を通していただいて、あとも振り返らずにおれは超えて行く。どんなに剛直な男でさえも立ち止まってためらったりする不破の関、そいつも越えておれたちは行く。馬の蹄もすり減って尽きるほど遠い筑紫の岬に駐って、おれは身を清めて神に無事を祈ろう、故郷の衆もみんな、達者でいておくれと神にお祈り申しあげるのだ。帰って来るまでは。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 足柄の み坂給はり 返り見ず 吾(あれ)は越え行く 荒し男(を)も 立しやはばかる 不破の関 越えて吾(わ)は行く 馬の爪 筑紫の崎に 留まり居て 吾(あれ)は斎(いは)はむ 諸々(もろもろ)は 幸くと申す 帰り来(く)までに
私訳 足柄の坂を越えることを許されて、故郷を振り返り見ず、私は坂を越えて行く、荒々しい男も出立するのもはばかれる不破の関を越えて、私は旅行く、その旅行く馬の爪を筑紫の崎に留まり置いて、私は神に祈りて「故郷の人々は平安で居てください」と願う、私が帰り来るまでに。
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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4360

2019年09月01日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌4360

陳私拙懐一首并短謌
標訓 私の拙き懐を陳べたる一首并せて短謌
集歌4360 天皇乃 等保伎美与尓毛 於之弖流 難波乃久尓々 阿米能之多 之良志賣之伎等 伊麻能乎尓 多要受伊比都々 可氣麻久毛 安夜尓可之古志 可武奈我良 和其大王乃 宇知奈妣久 春初波 夜知久佐尓 波奈佐伎尓保比 夜麻美礼婆 見能等母之久 可波美礼婆 見乃佐夜氣久 母能其等尓 佐可由流等伎登 賣之多麻比 安伎良米多麻比 之伎麻世流 難波宮者 伎己之乎須 四方乃久尓欲里 多弖麻都流 美都奇能船者 保理江欲里 美乎妣伎之都々 安佐奈藝尓 可治比伎能保理 由布之保尓 佐乎佐之久太理 安治牟良能 佐和伎々保比弖 波麻尓伊泥弖 海原見礼婆 之良奈美乃 夜敝乎流我宇倍尓 安麻乎夫祢 波良々尓宇伎弖 於保美氣尓 都加倍麻都流等 乎知許知尓 伊射里都利家理 曽伎太久毛 於藝呂奈伎可毛 己伎婆久母 由多氣伎可母 許己見礼婆 宇倍之神代由 波自米家良思母

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 すめろぎの 遠き御代にも おしてる 難波の国に 天の下 知らしめしきと 今の緒に 絶えず言ひつつ かけまくも あやに畏(かしこ)し 神ながら 我ご大君(おほきみ)の うち靡く 春の初めは 八千種(やちくさ)に 花咲きにほひ 山見れば 見(み)のともしく 川見れば 見のさやけく ものごとに 栄ゆる時と 見(め)したまひ 明らめたまひ 敷きませる 難波の宮は 聞こしをす 四方(よも)の国より 奉る 御調(みつき)の船は 堀江より 水脈(みを)引(び)きしつつ 朝なぎに 楫引き上り 夕潮に 棹さし下り あぢ群の 騒き競ひて 浜に出でて 海原(うなはら)見れば 白波の 八重折るが上に 海人(あま)小舟(をふね) はららに浮きて 大御食(おほみけ)に 仕へまつると をちこちに 漁(いざ)り釣りけり そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも ここ見れば うべし神代ゆ 始めけらしも
意訳 いにしえの天皇の遠い御代にも、照り輝くこの難波の国で天下をお治めになったと、今の世までずっと言い伝えられており、口の端にかけるのも何とも恐れ多いことではるが、神さながらに我が大君が、草木の靡く春の初めはとりどりに花が咲き誇り、山を見ると見るからに心が引かれ、川を見ると見るからにすがすがしくて、物それぞれに栄える時だと、しかと御覧遊ばし御心をお晴らしになり、都となさっている難波の宮、この宮に向かって、お治めになっている四方の国々から奉る貢ぎ物の船は、堀江から水脈をあとに引きながら、朝凪には櫂を操ってさかのぼって来、夕潮には棹をさして下って来る・・・。折しも、味鴨の群れのように騒ぎ競って浜に出て海原を見渡すと、白波が幾重にも重なって砕ける海の上に、海人の小舟が点々と浮かんで、御膳の用に差し上げようと、あちらこちらで魚を釣っている。ああ、何とまあ広大なことか。ああ、何とまあ豊かなことか。こんな有様を見ると、遥かなる神の御代から今の今まで都をこの地に営まれたのも、まことにもっともなことに思われる。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 天皇(すめろぎ)の 遠き御代にも 押し照る 難波の国に 天の下 知らしめしきと 今の緒に 絶えず言ひつつ かけまくも あやに畏(かしこ)し 神ながら 吾(わ)ご大王(おほきみ)の うち靡く 春の初めは 八千種(やちくさ)に 花咲き色付(にほひ) 山見れば 見の羨(とも)しく 川見れば 見の清(さや)けく ものごとに 栄ゆる時と 見し給ひ 明らめ給ひ 敷きませる 難波の宮は 聞こし食(め)す 四方(よも)の国より 奉る 御調(みつき)の船は 堀江より 水脈(みを)引きしつつ 朝凪に 楫引き上り 夕潮に 棹さし下り あぢ群の 騒き競ひて 浜に出でて 海原(うなはら)見れば 白波の 八重をるが上に 海人(あま)小船(をふね) はららに浮きて 大御食(おほみけ)に 仕へまつると をちこちに 漁り釣りけり そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも ここ見れば うべし神代ゆ 始めけらしも
私訳 天皇の遠い昔の御代にも、天と地とから光り輝く難波の国に、天下を統治なされると今の代まで絶えず語りながら、口にするのもとても畏れ多い、神でありながら、吾等の大王が、風に靡く春の初めは、たくさんの花が咲き誇り、山を見れば見ることに心が奪われ、川を見ると景色はさわやかで、物がみな栄える時と、ご覧になり、お心を清らかになされて、御統治なされる難波の宮は、天下を治められる四方の国から奉献される貢の船は、堀江から水脈を引きながら、朝の凪に楫を引き上げ遡り、夕潮に棹を差して川を下る、あじ鴨の群の騒ぎ競って、浜に出て海原を眺めると、白波の八重に折り重なる上に、漁師の小舟が、あちらこちらに浮かんで、天皇の大御食にご奉仕しようと、遠く近くに漁をし釣りをする、たいそう、雄大なことで、これほどに、豊かなことで、この情景を眺めると、なるほど、神代から難波の宮を始められたのでしょう。
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