竹島研究室

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韓国側の竹島報道(7/23):ユル・ブリンナー祖父、鬱陵島森林売って富蓄積

2008-07-29 02:15:52 | 韓国側の動向
●ユル・ブリンナー祖父、鬱陵島森林売って富蓄積[日刊スポーツ]
 ホン・スンチル独島義勇守備隊大将、1896年伐採権獲得主張

 映画俳優ユル・ブリンナー(1915~1985) 祖父が鬱陵島森林伐採権を獲得したという主張がなされてセンセーションを起こしている。

 ロシア生まれであるユル・ブリンナーはきれいにそったはげ頭と異国的顔つきで名演を展開した映画俳優。彼が出演した映画「十戒」(56)·「隊長ブーリバ」(62)·「ネレトバの戦い」(69) などは今も国内放送で放映されるほどに彼の人気は相変わらずだ。

 ホン・スンチル(洪淳七)独島義勇守備隊大将の手記『この地が誰の地なのに』(1997年·慧眼)にはユル・ブリンナー祖父が鬱陵島でどのように伐採をしたのかその過程がありありと収録されている。

 ロシアは京城(ソウル)で 1896年鬱陵島原始林伐採協定を締結した時、ユル・ブリンナー祖父はロシア政府から伐採を下請けして鬱陵島の500年以上になった木々を数えきれなく伐ってロシアに運送した。ホン大将は「この過程で鬱陵島の人々は汽船を操作する船人たちと木を切るロシア保安林のやつらの仕業に苦しまなければならなかった」と主張した。

 ウラジオストック商人であるユル・ブリンナー祖父が鬱陵島森林伐採権を獲得した背景はなにか。

 1890年代世界列強の帝国主義が意地を張る時、鬱陵島が海上安全網確保の戦略的要衝地だったからだ。チェ・ムンヒョン(崔文衡)漢陽大史学科名誉教授の著書『帝国主義時代の列強と韓国』(1990年·ミヌムサ)にはユル・ブリンナー祖父がどのような過程を通じて鬱陵島伐採権を獲得したのかよく現われている。

 1896年ロシアロバノフ(Rovanov)外相が在韓外交陣を通じてウラジオストック商人ブリンナー祖父へ鬱陵島と鴨緑江·豆満江森林伐採権を獲得した。チェ教授は「ロシア政府が鬱陵島森林伐採権をユル・ブリンナー祖父に渡したのはイギリスと日本からロシア政府が鬱陵島を支配しているという疑惑を避けて、日本海軍に対抗して鬱陵島をロシアの海軍基地として活用しようと思った偽装戦術からだった」と主張した.

 問題は当時朝鮮が暗黙的にこれを許容したということにある。明成皇后が殺害された乙未事変(1895) 以後身近に脅威を感じた高宗と皇太子が王宮を捨ててロシア公館へ移り移住んだ俄館播遷の時、ロシア公使ヴェーバー(Weber)と彼の妻の姉ソンタク(Sontag)は高宗皇帝の操り人形のように動いた。この時ロシアはソンタクを立てて豆満江と鬱陵島の森林伐採権を朝鮮から渡された。

 1896年 8月 28日李完用と趙秉式が鬱陵島賃借契約書に署名することで鬱陵島と鴨緑江豆満江の伐採権がロシアに移った。鬱陵島賃借契約で第16条は租借期間を20年と明記したし、その後には伐採権限者であるユル・ブリンナー祖父が自由に伐採権を譲渡するように規定しておいた。

 一方、ユル・ブリンナーの父、ジュルリオス・イバノービチ・ブリンナーも韓国の木材伐採権を得た人と伝わる。父親は大韓帝国末期にウラジオストックで大規模の輸出入商社をした人物だ。ブリンナー家は朝鮮の森林を基盤として莫大な富を蓄積したのだ。

チョン・ビョンチョル記者 [jbc@joongang.co.kr]

2008.07.23 15:29 入力 / 2008.07.23 17:55 修正
http://news.joins.com/article/3235197.html?ctg=12

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※ユル・ブリンナー(Yul Brynner,1920年7月11日 - 1985年10月10日)はロシアのウラジオストック出身の俳優である。

 当初はサハリン生まれのスイス人と日本人のハーフと称していたが、実際にはスイスとモンゴルの血を引く父親と、ユダヤ系ロシア人の母親の間にウラジオストックで生まれた。生年についても1915年とするものと1920年とするものが存在する。幼少時代は中国やフランスで育った。パリでナイトクラブのミュージシャンやブランコ曲芸師として働いていたが、俳優を志すようになり、1941年にアメリカに移り演技の勉強をした。ラジオやテレビシリーズに出演するようになり、1950年代中盤からアクション映画や歴史大作でエキゾチックな魅力を発揮するようになった。

 『王様と私』のシャムの王様役はあたり役で、1952年にはロジャース&ハマースタインのミュージカルでトニー賞を、1956年には映画版に主演してアカデミー主演男優賞を受賞した。当初は髪を生やしていたものの、シャム王役のイメージが定着しすぎたため、すべて剃り落とし、以後はかのテリー・サバラス同様、スキンヘッドがトレードマークとなる。その後は西部劇やスパイ映画にも手を広げ、精悍な古きよきヒーロー像を演じつづける。70年代以降はSFやカルト的な映画での悪役など、強烈な個性を武器にした性格俳優としての顔も見せた。



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