精神療法家増井武士のブログ

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神田橋先生より、序文が届きました。

2019-02-10 19:55:18 | 日記
 本のタイトルは、
 来談者の求める面接者の「質」と「資格」
  -公認心理師への幾つかの問いかけー
 にしようと思います。

 神田橋先生より、序文が届きましたので、紹介します。

序文

増井君とボクは一点を除けば似たところがほとんどありません。ただ一点の一致点だけで、ボクたちの友情は盤石不動です。その一点とは「目の前にいる人を少しでも楽にしてあげたい」性向です。この性向の基盤にあるのは、「愛」と呼ばれたりする優しげな嗜好ではないようです。まだ充分に省察できていませんが「自然の流れが塞き止められている状況を目にすると、それが自身の内側にある流れの塞き止められ体験という傷付き、のフラッシュバックを引き起こしてしまう」固定パターンに由来するようです。この固定パターンは「排水溝や排気口の詰り」「防波堤で波が阻止されている情景」「コンクリートで川の蛇行が制圧されている状況」に始まり「雑草の無い一面のキャベツ畑」「保育器のようなレタス工場」「養殖ブリの生簀」にまで広がります。「いのち」という自然が「文化」によって「流れを阻止されている事態」を目にすると「窒息感」のような生理的苦悶が起こります。これはボクらの「病気」でもあり、同時に、「援助者」という人生を選択した動因でもあります。その後の修練のすべては、「病気の活用」「活用法の精錬」であったと言えます。
増井君から、ボクのコメントが欲しいと、本書の草稿が送られてきました。書き出しは、公認心理師制度への懸念や疑惑でした。感情が溢れ出していました。増井君は恐らく、あの○×式試験で育てられる心理師も、その心理師との面談が終わった後、家路をたどる来談者も、内なる優しさや自尊心や未来への夢を失って、「管理されたレタスやブリ」と同じ「いのち」になるはずだと直感したのでしょう。その直感は、日本の心理臨床家の近年の質の低下について積もり積もった懸念と危機感とに直結しました。
日本の心理臨床を開拓した黎明期の達人たちのほとんどは他界されました。開拓期の方々は当然の苦労は多かったでしょうが、優しさと夢と内なる自尊心を支えに精一杯奮闘されました。その息吹を身近で感受した第二世代が増井君たちで、その人々もいまや長老となり、現場で活動しかつ後進を育てる第三世代、の活動を見守る立場となりました。そこに質の低下すなわち「心理臨床の魂の流れ」が阻止されて行くのを見てとり、ジッとしていられない悲痛な気分で、増井君が一気に書き進めたのがこの本です。心理臨床家という人生を選んだ動因としての「援助者のいのち」への呼びかけです。雨に濡れている子猫に手を差し伸べる幼児の「いのち」が「援助者」としての人生を選んだ動因のなかにあるはずです。増井君はその「いのち」へ呼びかけているのです。
 「管理されたレタスやブリ」の位置に置かれても、ボクたちはヒトですから言葉を持っています。管理するための道具は「言葉文化」です。それと闘うための道具も「言葉」です。皆さんも増井君の「いのち」を受け継ぎ、「管理されたレタスやブリ」の位置を離れ、目の前の来談者、そして何より「まだ見ぬ来談者」を「管理されたレタスやブリ」にしない、「いのち」ある「援助者」になってほしいのです。
その運動を成就させるためには「まだ見ぬ援助者」の方々にも本書をお勧めします。あなたは、自らの「いのち」を失わない・失わせない心理臨床を守る運動、のパートナーなのです。
序文を書いていてチョット新鮮なアイデアが湧きました。いま接している「来談者」がこの本を読んでいると仮定したときと、読んでいないと仮定したときとで、自分の「援助作業」がどう変わるかを空想してみるというアイデアです。素敵なワークになると思いません?
本書が代々に読み継がれることを祈念して「序文」とします。
  伊敷病院   神田橋條治


 
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
待ち遠しいです (ぼっち)
2019-02-13 15:13:24
出版が待ち遠しいです。
感動しました。
「いのち」ある「援助者」になっていきたいです。
私も…待ち遠しいです (N)
2019-02-24 16:11:49
久しぶりに拝見したところ、気持ちが動かされました。
今、面接室内のプレイヤーと設置者側のポジションの一部を行き来するような…働き方を一週間の中でさせて貰っているのですが、プレイヤー達がのびのびできることを発見できるような…環境を提供できるような援護とは?という考える種が浮かんできました。ありがとうございます。

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