(有)花沢不動産

趣味の話など

2号線プランの応用

2006-08-20 | 鉄道模型

2号線は小型車両・短編成用に特化したプランですが、これを幹線の
花形車両をガンガン走らせるために応用したプランがこの図です。
有効長は20m級×8両程度となります。
運転のやり方は原型のプランとほぼ同じですが、ブルトレ、貨物列車
といった機関車牽引列車が折り返し運転をする場合の「機回し」も考慮
しています。それに伴い、中間駅には中線を設けて、より実感的な折り
返しが可能となっています。
蒸機の運転を考慮して、ターンテーブルを設けても良いかもしれません。

それにしても、これだけ大きなプランを固定式レイアウトにすると、家の
中のスペースの確保も大変ですし、とても完成できそうにもありません。
かといって、お座敷運転では、レールの組立・分解・調整だけで、優に
半日以上は費やしそうです。

そこで、スタイロフォームなどをベースに用いた軽量・簡易レイアウトは
どうかと考えております。
ボードの表面はできるだけ起伏を避け、建物は取り付けず、シーナリー
も道路と人工芝の田んぼ程度に留め、使わない時は布をかぶせて壁に
立てかけておく、などということができないかと目論んでおります。
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2号線建設計画

2006-08-12 | 鉄道模型

まだ海外出張中だというのに、頭の中はバンドのことと、次のレイアウト
をどうしようかということでいっぱいです(笑)

まだ1号線が完成していないにも関わらず、2号線の青写真を描いて
みました。
基本的には、1号線建設記(2)のプランの流用ですが、その後"Fine
Track"での超小半径ポイント(R140-30°)の発売により、以前ネック
だと考えていた中間駅での折り返し用渡り線を改良して、すっきりと
した複線のオーバルとなりました。サイズは700×1050となります。
ちなみに「鉄道模型レイアウター」には、まだこのポイントが部品として
入っていないため、この図は全てCADで描いています(ヒマなのか?)

それにしても、これが完成した暁の「2つのレイアウト間の相互乗り入れ」
を想像しただけで、今からワクワクします。シーナリーについても、今度は
山とトンネルを取り入れようとか、海もいいなあとか、色々妄想が爆発して
いてヤバイです(笑)
実物がこんなペースで建設をしていたら、赤字債権団体への転落は必至
ですね。(実際そうなっているところもあるみたいですが…)
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しゅらしゅっしゅしゅー♪

2006-08-11 | Weblog
海外向けのNHK-BSを見ていたら、何やら聞き覚えのある「こんぴらフネフネ」が。
そう、私の第二の故郷、香川県の特集をやっていました。

英語の放送(ピーターバラカンが司会をやっている)なので、完全に内容は把握
しきれておりませんが、うどんの色々な食べ方や、セルフのうどん屋が出てきたり、
ガイジン向けにしては妙にディープな内容でした。
香川を離れて以来、殆どうどんを口にしたことはなく、久々にあの色・ツヤ・コシの
リアルな映像はちょっとやばかったです(笑)

最近、讃岐うどん屋もあちこちにできて、市民権を得ているのは喜ばしいことです。
でも、ちょっと違ごとるのう、というのは多くの香川出身者に共通する感想では
ないかと思います。(香川は、あんもちの雑煮とか、ろくな食べ物がないのですが、
うどんにはやたらとうるさいのです)

そういえば、「セルフのうどん屋」といっても、何のことか分からない方も多いかも
しれませんね。
機会があれば、そのうちウドンの食べ方のウンチクでも垂れたいと思います。
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インドの日常風景(4):HORN PLEASE

2006-08-07 | In India

トラックの後部に注目。

トラックやオートリクシャのこの部分には、たいてい"Horn please"などと
書かれています。
他のバリエーションとして、"Blow Horn"(ホーン鳴らせ)、"Use Dipper at
Night"(夜はパッシングしてね)なんていうのもあります。

しかし、クラクションをガンガン鳴らしたところで、前を走っているトラックが
すぐどけてくれるわけでもないので、とてもうるさくてしょうがありません(笑)
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インドの日常風景(3):パンク修理

2006-08-07 | In India

道端で車のパンク修理をしている光景には、しょっちゅう出くわします。
確かに道も良くないのですが、恐らく整備不良が大半ではないかと…
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インドの日常風景(2):オートリクシャ

2006-08-07 | In India

こちらはエンジン付3輪車、オートリクシャの軍団です。
インド国産で、インドネシアあたりにも輸出しているのだとか。
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インドの日常風景(1):リクシャ

2006-08-07 | In India

おなじみの「リクシャ」です。語源は日本語の「人力車」なんだそうです。
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たけるんの青春デンデケデケデケ…番外編2:Gさんのこと

2006-08-06 | 私のバンド歴
Gさんと出会ったのは、まだネット黎明期のパソコン通信の時代で、私が香川
在住の頃でした。

そのパソコン通信の中で、個人でやっているビートルズ愛好会的なものに
入ったところ、Gさんというメンバーが偶然隣町に住んでいるということが
判明し、「オフ会」を通じて実際の知り合いになりました。(ちなみに、その
愛好会の管理人さんも香川在住でした) 彼は私より5才年上で、建設現場
でアドミのようなことやっていて、全国を転々としているそうです。

家が近所だったため、その後も一緒に飲みにいったり、お互い行き来している
うちに、彼について驚かされたのは、何といってもボーカルの素晴らしさで、
特にジョンの曲を歌わせたら超一級品でした。彼はギターもメチャ上手いし、
ピアノでサラリとエルトン・ジョンの"Your Song"なんて弾き語りされた時には、
もう「参りました」という感じでした。
聞けば、例のBCCのコピーバンドコンテストで、彼は全国大会まで行き、「ジョン・
レノン賞」まで獲得したとのこと。まったくスゴイ人と知り合いになったものです。

マルチプレーヤーであるということで、やはり彼も宅録ヤローでした(笑)
彼の宅録の作品群もこれまた素晴らしく、一度彼の宅録のボーカル入れに
テープオペレータとしてつきあったことがあるのですが、恐ろしい程の完全
主義で大変でした(笑) これについては、また別の機会に書くとして、とも
かく自分以外で宅録をやる人間を知ったのは、彼が初めてでした。

私の自慢の8trのMD-MTRで、彼のギター弾き語りの"Good Bye"のデモ
バージョン(メリーホプキンに提供した曲で、ポールがデモを歌っている)を
録ったことがあります。演奏の素晴らしさもさることながら、ShureのSM57×
2本というシンプルなセッティングでの一発録りにもかかわらず、驚くほど
クリアに録れており、このマスターは私の宝物となっております。
最近、Jash氏のサイトで初めて"Good bye"のデモを聴いてみたのですが、
G氏の演奏とあまりにクリソツ(逆か(笑))なのには、あらためて驚きました。
まったく、歌詞も譜面もないこんなブートの曲まで、一体いつ完璧にマスター
したのだろう?という感じですね(笑) (ちなみに、彼は英語もバリバリなの
です)

今だったらすぐにでも、バンドやらへん?、と飛びついていたところですが、
当時は大スランプの時期でとてもそのような気にはなれなく、結局Gさんと
スタジオでセッションをすることは一度もありませんでした。もちろん、レベル
があまりに違い過ぎて恥ずかしい、という気持ちもあったのですが、今から
思えば実に惜しいことをしました。

その後、私は神戸に、Gさんは九州に転勤となり、お互い音信不通となり
ましたが、もし再会する機会があれば、あらためてセッションをお願いしたい
なと思います。
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It was 20 years ago today

2006-08-05 | 私のバンド歴
また似たようなタイトルですみません。
これは「サージェント・ペパー」の出だしの1節でもあります。

20年前のワタクシは、部活に燃える中学3年生でありました。運動部は6月
の中総体で引退するのですが、私は文化系の吹奏楽部に入っており、最後の
吹奏楽コンクールで県大会出場を目指し夏休みも練習が続いていました。

20年前のこの日は朝から強い雨が降り、近所の商店街なんかも見たことが
ないような水浸しでエライことになっていたのですが、当時「燃える部活少年」
だった私は、練習を休むなどという発想もなく、下半身ずぶぬれになりながら
学校に出かけたところ、結局、顧問(車で来ていた)から「練習は中止だ」と
言われてガックリと来た記憶があります。
なぜ20年も昔のことをこれだけ鮮明に覚えているのかというと、そのまた20
年前のこの日は、実は"Revolver"の発売日だったりするのです。当時はヒマ
だったのか、やたらと「My記念日」を作りたがっていたんですね(笑)

15才で、まだ生まれる前の遠い20年前の出来事に思いを馳せるのと、35才
で20年前のことを昨日のように振り返るのとでは、時間の感覚のあまりの違
いに驚かされます。
それにしても、"Revolver"は当時も今も相変わらずお気に入りのアルバムで、
ビートルズがあまりに偉大なのか、私が全く進歩していないのか…

ところで、あんなに頑張ったにもかかわらず、コンクールは結局「ダメ銀」
(県大会に行けない銀賞)で、最後の夏は終わってしまいました。
音楽は決して勝ち負けではないのですが、人様に自分の演奏を聞いてもらわ
ないと気が済まない、という強いこだわりは、この辺りの不完全燃焼に端を
発しているのかもしれません。
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たけるんの青春デンデケデケデケ…番外編1:宅録ヲタ

2006-08-03 | 私のバンド歴
私が宅録に興味を持ったのは、もちろんビートルズの影響です。
「サージェントペパー」は4trマルチの限界に挑んだとか、「ホワイトアルバム」
では8trになったので、一人多重録音が出来るようになったとか、ビートルズの
歴史と録音技術の進歩を切り離して考えることはできません。

バンド歴の「学生編」で触れた通り、初めて買ったMTRはヤマハのCMX100と
いうカセットテープ式のもので、当時はそれほど世間に認知されていなかった
のか、それを売ったヤマハのバイトのオバチャンにも「これはなにかプロ用の
機材ですか??」と聞かれた程です(^^;
ご存知の通り、カセットテープは、ステレオだと片面LRの2chで、それを1方向
に使えば4trフルに使えるということまでは理解できましたが、宣伝文句にあった
「4パート以上の録音も可能」ということがどうしても理解できませんでした。
実際にMTRを使ってみて、「ピンポン録音」と称する方法が、原理的にはまさに
「サージェントペパー」と同じやり方で多重録音を可能としていると知った時は、
大いに感動したものです。
ギターを始めてまだ間もないうちに、ビートルズと同じという興味本位でMTRを
導入してしまったため、ギターとて大して弾けるわけでもなく、他の楽器はさら
に無理ということで、MTRの機能確認は小中学校の時の音楽の副読本を参考に、
手近にあったソプラノ&アルトリコーダーの多重録音を試みたりしました(笑)
その後、ベースやドラムマシン、エフェクターを買い揃えるなど、貴重なバイト
代はほとんど楽器関連に費やされることに。ドラムマシンはレアなカワイ製の
もので、サウンドは良かったのですが、データ保存手段はデータレコーダ方式
(カセットテープ)で、ベリファイしてもなかなかデータが一致せず、気難しい
ものでした。
最終的には8trのMD-MTRにグレードアップしましたが、記録媒体はなぜか音楽用
MDではなく、MD-DATAディスク(容量140MB)という事実上の専用規格で、
入手できるのが楽器屋さんの在庫だけということで大変でした。もう少し経てば
HDDやメモリーが記録媒体となり、エフェクトもレコーダ内蔵になるといういい
時代になるのですが、もうその頃には宅録への興味は薄れました。宅録といえども
自宅でのボーカル録りに躊躇したことが大きいです。
結局、最も活躍したのは最初のカセットMTRでしたが、今にして思えば楽器が
きちんと弾けないうちからこのようなおイタの道具を買うのは、ライブ演奏技量
をスポイルすることにもなりかねず(こんなところでもビートルズのマネ?)、
良くなかったかとも思います。

それにしても、こんな陰気な遊びに興じていたのは、てっきり自分だけと思って
いたのですが、バンド仲間に聞いてみると、MTRを所有しているヤツの実に多い
こと! この「バンド歴」にも登場する、Jash氏、ツチモト氏、Conya氏などなど
は、み~んな「4畳半ひきこもり宅録ヲタ」なのです(笑)

そういえばツチモト氏とは、わざわざスタジオを借りて「2人宅録」をやったこと
があります。こうなったらもはや「宅録」ではありませんが。
一般的には宅録のドラムは打ち込みでするものですが、この時はわざわざ生で私が
ドラムを叩くことになり、クリックと合わせるのに随分苦労した記憶があります。
こうやって出来た"And your bird can sing"は、ツチモト氏のツインギターもばっちり
キマって、なかなかの出来でした。この曲は好きな曲ながら、真面目にコピーした
のは、実はこの時が初めてでした。
今ではそんなアホな辛気臭いことはようやりませんが、多分あの頃はツチモト氏も
私も特定のバンドに所属してなく、時間を持て余していたのだと思います(笑)
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