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藤原少年の上京の足取りを追う

2020-08-11 | 青春デンデケデケデケ
映画のラストでは、主人公は1968年2月15日に朝7時37分観音寺発の列車に乗り、大学
受験のため上京するシーンが描かれています。文化祭ライブの回想とともに、車窓には
予讃線沿線である海岸寺付近からの瀬戸内海と島々が映り、現地を知る人間にとっては
親近感を覚えるシーンになっています。
今回Blu-rayであらためて見て、ふと「この7時37分発の列車は実在したのだろうか?」と
思い、検証してみました。

検証に用いたのは、時期的に近いダイヤエース時刻表1968年9月号。これは以前触れた
JTB刊のKindle版ではなく、交通新聞社からヨンサントオ50周年を記念して、ダイヤ改正
前後の9月号および10月号がセットで紙媒体で復刻されたものです。広告や宿泊案内など
も当時のまま載っていて、今日では名前が変わったり廃業したホテルなどが掲載されている
のが面白いです。(それによると、ビートルズが泊まった東京ヒルトンの宿泊料金は、
上のほうで一泊540百円でした。540百円とは今でも高級の部類ですが、50年後の貨幣価値
が約10倍と仮定すると、やはり相当なお値段だったのでしょうか。ちなみに帝国ホテルも
上のほうは同額でした)

話を戻し、時刻表で予讃線上りを調べてみると…実在しました!  急行いよ2号です。
始発は松山で5時10分発、途中の観音寺は7時37分発、終着は高松で8時35分着となります。
原作では「7時37分発の急行列車」となっているので、それを裏付けます。
当時の四国の国鉄路線はオール非電化で(初の電化は1987年の民営化直前)、四国は気動車
王国といわれていました。映画にも登場するキハ58系は、まさに当時の気動車急行の主力で、
考証的にもビンゴです。唯一惜しまれるのは、車両の塗装が水色と白のJR四国色であること
で、国鉄だった当時は朱色とクリーム色の急行色と呼ばれる装いでした。

さらに足取りを追ってみます。

7:37 観音寺 - 8:35 高松 予讃線 急行いよ2号
 四国初の特急が登場するのは1972年のことなので、1968年当時は急行が高松への最速
 列車ということになります。
8:45 高松 - 9:50 宇野 宇高連絡船
 現在のように、観音寺から岡山まで列車で直通でも行けるようになったのは、1988年の
 瀬戸大橋線開通以降の話になります。それにしても、高松での鉄道と連絡船との乗継時間
 が、時刻表上の設定でわずか10分であることに驚きます。なお、所要時間が1時間を超え
 ているので、足の遅い讃岐丸(初代)による運航であることが分かります。
10:10 宇野 - 11:00 岡山 宇野線 普通
12:07 岡山- 14:48 新大阪 山陽線・東海道線 急行鷲羽4号
 観音寺から高松まで急行に乗っているので、宇野から先も同様に最速列車を用いたと解釈
 することにします。新幹線は東京ー新大阪間が1964年に開業していましたが、岡山までの
 延伸開業は1972年のことで、1968年当時は岡山ー新大阪間は在来線の特急・急行を用いる
 ことになります。岡山での接続が悪く、1時間以上待つことが分かりました。
15:00 新大阪 - 18:10 東京 新幹線 ひかり30号
 新幹線の最高速度が210km/h、新大阪-東京間は最速でも3時間10分要した時代(当時の
 ひかりは新横浜通過、新幹線の品川は未開業)で、四国からの上京は日中1日がかりの
 大仕事だったといえます。

ちっくんは私大、恐らくはW大志望なので、宿は中央総武線沿いの神田、秋葉原~飯田橋
辺りか、営団東西線沿いの神楽坂~高田馬場辺りでしょうか。都電沿線も考えられますが、
(勝手な想像で)初単独上京ではハードルが高そうです。当時はホテルなんてこじゃれた
ものではなく旅館だったんだろうなと、色々と勝手に想像しましたが、原作をあらためて
確認したところ、武蔵境(中央線沿線)にある兄・杉基さんの下宿に泊めてもらってました。
ごじゃですみません(笑)

ところで、岡山の接続が悪く1時間以上待つことは既に記した通りですが、実は観音寺から
の出発が1本後の急行(One after 737?)でも、東京着の時刻が同じであることが分かり
ました。

8:50 観音寺 - 9:48 高松 予讃線 急行いよ3号(多度津まで急行「予土」と併結)
10:00 高松 - 11:00 宇野  宇高連絡船
11:20 宇野 - 14:48 新大阪 宇野線・山陽線・東海道線 急行鷲羽4号
で、同じ急行鷲羽4号に始発の宇野から乗ることができ、乗り換えが1回減らせます。
当時は、本四連絡のための宇野発着・大阪方面への優等列車が何本も設定されていました。

だんだん西村京太郎のトラベルミステリーみたいになってきましたが(笑)、実は時刻表の
巻頭で、各方面への主要列車が乗継ぎも含めて抜粋されており、それで気付いた次第です。
主人公のちっくん(≒芦原氏)も、時刻表のその箇所は参照したとは思いますが、もしか
したら高松か岡山で親類に会うなり寄り道するといった、何らかの個人的事情があったの
かもしれません。(実はちっくんは、時刻表を読み違えるどころか筋金入りのテツであり、
意図的に空き時間を作って岡電にでもサクッと乗ったなどということも、全くあり得ぬ話
ではないと思います(笑) いや、受験前でそんな余裕はないか)

比較まで、現在、観音寺から東京まで陸路で行くと、下記のような感じになります。

8時50分ごろに観音寺発の場合
8:59 観音寺 - 10:00 岡山 予讃線・瀬戸大橋線 特急しおかぜ8号
10:16 岡山 - 13:33 東京 山陽・東海道新幹線 のぞみ138号

18時10分頃に東京着の場合
13:18 観音寺 -13:49 多度津 予讃線 普通
13:57 多度津 -14:41 岡山 予讃線・瀬戸大橋線 特急南風14号
14:58 岡山 - 18:15 東京 山陽・東海道新幹線 のぞみ32号

多度津での乗り換えを避けるため、特急しおかぜを利用する場合は、
13:07 観音寺 (中略) 17:36 東京 もしくは、
14:08 観音寺 (中略) 18:36 東京 となります。

リニアがまだ未開業であるにも関わらず、本四間が陸続きになったことと、新幹線の延伸・
高速化により、すでに大幅な時間短縮が実現しています。50年間の進歩ともいえますが、
当時想像されていた未来とは少しばかり異なる世界なのかもしれません。

2024/9/16追記
「デンデケ」の姉妹編といえないこともない「東京シックブルース」では、大学生となった
主人公の葉上少年が1968年3月26日に上京し、荻窪の下宿先に向かいます。出発は当作でも
7時37分発の上りの急行(好っきゃのー笑)でしたが、名古屋から乗ってきた女の子が品川
で降りた、という記述があり、東京まで何と在来線、それも急行に乗ってきたことを示唆
しています。
1968年は既に東海道新幹線開業後でしたが、ヨンサントオ以前は、夜行列車だけでなく、
昼間に大阪-東京間を直通する優等列車がまだ存在しました。但し上記で検証した15時頃に
大阪発で東京直通というちょうどよい急行列車がなく、出発当日中に東京に着くためには、
下記の列車に乗る必要があります。

12:45 大阪 - 20:42 東京 急行第2なにわ

そこから本四連絡を逆算すると、

6:03 観音寺 - 6:59 高松 急行いよ1号
7:25 高松 - 8:25 宇野 宇高連絡船
8:40 宇野 - 11:59 大阪 急行鷲羽3号

となり、何と「7:37分発の急行」では間に合わないことが判明しました。
葉上少年には、前の晩一睡もできない出来事があり、起床したのは6時少し前で、完全にアウト
だったのが分かった次第です(笑)
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