今更ながら、ほんとに今更ながら、最近YMOにハマってます。
リアルタイムで聴いたことないし、テクノポップということで今まで敬遠してきたのですが、
ポッキーのCMでライディーンを聴いてちょっとしっかり聴いてみようかな~と思ったのがきっかけです。
感想、今聴いても新しい!と思いました。30年前の音楽とは思えないほどよくできています。
自分自身の音楽経験の浅さを痛感しました。
メンバーは有名な方ばかりで、それぞれの音楽活動にも興味が沸いてきました!
はぁ~、もっと早く聴いていればよかったな~
YMO - Rydeen (Official Video)
イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)は、1978年に結成された日本の音楽グループ。略して「YMO」(ワイ・エム・オー)と称する。テクノポップと呼ばれるジャンルを代表するグループである。
Yellow Magic Orchestra (イエロー・マジック・オーケストラ)という名称は、細野が70年代後半に提唱していたコンセプトである「イエローマジック」から来ている。これは白魔術(善や白人などの象徴。特に白人音楽)でも黒魔術(悪や黒人などの象徴。主に黒人音楽)のどちらでもない黄色人種独自の音楽を作り上げるとして、魔術の色を人種の色にかけて提唱したのが「黄色魔術」(イエローマジック)である。
1980年代初頭に巻き起こったテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つであり、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、1978年に結成されてから1983年に「散開」(解散)するまでの5年間で日本を席巻した。活動期間中には米国等でのレコードリリース、及びコンサートツアーも行っている。英語圏で著名な日本人ミュージシャンでもある。1993年に一時的に「再生」(再結成)しており、また2007年にも再々結成している。
細野晴臣(ベース)
エイプリル・フール、はっぴいえんど、ティン・パン・アレーを経て、YMOを結成。YMOのリーダー・プロデューサーであり、シンセサイザーとコンピュータを用いるYMOの音楽スタイルを打ち出した。宗教や民俗学など神秘主義的な趣味があり、それらもYMOに影響を与えている。ライヴではほぼベーシストに徹し、特筆すべきはシンセサイザーをベース代わりに演奏していたことである(ただし、曲によってはエレクトリックベースを使用している部分もある)。YMO散開後は特にアンビエント、エレクトロニカ等のジャンルを取り入れている。
高橋幸宏(ドラムス・ヴォーカル)
サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスを経てYMOに参加。YMOをきっかけに機械のビートと同期してドラムを演奏した最初期のドラマーである。また、ライヴではドラムを叩きながら自らヴォーカルをとるという異色なスタイルで演奏していた。ファッション・デザインの技能を生かしてYMOではステージ衣装のデザインを手掛けた。YMO散開後はソロ活動とともに、様々なミュージシャンとのコラボレーションやプロデュース業を展開している。音楽の方向性の相違などで険悪になりがちだった細野と坂本の間を取り持つ立場でもあった。高橋いわく、細野さんは閃き型の天才、坂本さんは努力型の天才、僕は一般受けする天才と言っている。サディスティック・ミカ・バンド時代、ロンドンでのライヴを行った事があった為、結成当時メンバーで唯一海外でのライヴ経験を有していた。
坂本龍一(キーボード)
スタジオミュージシャンとして(大滝詠一や山下達郎のアルバムに参加)活動した後、YMOに参加。YMOでは松武秀樹とともにレコーディングにおいて楽曲を構築する重要な役割を果たし、またライヴでは楽曲のアレンジを一手に引き受けた。YMO散開後は映画音楽で成功するなどソロ活動を展開している。彼の「教授」という愛称の名づけ親は高橋である。
リアルタイムで聴いたことないし、テクノポップということで今まで敬遠してきたのですが、
ポッキーのCMでライディーンを聴いてちょっとしっかり聴いてみようかな~と思ったのがきっかけです。
感想、今聴いても新しい!と思いました。30年前の音楽とは思えないほどよくできています。
自分自身の音楽経験の浅さを痛感しました。
メンバーは有名な方ばかりで、それぞれの音楽活動にも興味が沸いてきました!
はぁ~、もっと早く聴いていればよかったな~
YMO - Rydeen (Official Video)
イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)は、1978年に結成された日本の音楽グループ。略して「YMO」(ワイ・エム・オー)と称する。テクノポップと呼ばれるジャンルを代表するグループである。
Yellow Magic Orchestra (イエロー・マジック・オーケストラ)という名称は、細野が70年代後半に提唱していたコンセプトである「イエローマジック」から来ている。これは白魔術(善や白人などの象徴。特に白人音楽)でも黒魔術(悪や黒人などの象徴。主に黒人音楽)のどちらでもない黄色人種独自の音楽を作り上げるとして、魔術の色を人種の色にかけて提唱したのが「黄色魔術」(イエローマジック)である。
1980年代初頭に巻き起こったテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つであり、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、1978年に結成されてから1983年に「散開」(解散)するまでの5年間で日本を席巻した。活動期間中には米国等でのレコードリリース、及びコンサートツアーも行っている。英語圏で著名な日本人ミュージシャンでもある。1993年に一時的に「再生」(再結成)しており、また2007年にも再々結成している。
細野晴臣(ベース)
エイプリル・フール、はっぴいえんど、ティン・パン・アレーを経て、YMOを結成。YMOのリーダー・プロデューサーであり、シンセサイザーとコンピュータを用いるYMOの音楽スタイルを打ち出した。宗教や民俗学など神秘主義的な趣味があり、それらもYMOに影響を与えている。ライヴではほぼベーシストに徹し、特筆すべきはシンセサイザーをベース代わりに演奏していたことである(ただし、曲によってはエレクトリックベースを使用している部分もある)。YMO散開後は特にアンビエント、エレクトロニカ等のジャンルを取り入れている。
高橋幸宏(ドラムス・ヴォーカル)
サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスを経てYMOに参加。YMOをきっかけに機械のビートと同期してドラムを演奏した最初期のドラマーである。また、ライヴではドラムを叩きながら自らヴォーカルをとるという異色なスタイルで演奏していた。ファッション・デザインの技能を生かしてYMOではステージ衣装のデザインを手掛けた。YMO散開後はソロ活動とともに、様々なミュージシャンとのコラボレーションやプロデュース業を展開している。音楽の方向性の相違などで険悪になりがちだった細野と坂本の間を取り持つ立場でもあった。高橋いわく、細野さんは閃き型の天才、坂本さんは努力型の天才、僕は一般受けする天才と言っている。サディスティック・ミカ・バンド時代、ロンドンでのライヴを行った事があった為、結成当時メンバーで唯一海外でのライヴ経験を有していた。
坂本龍一(キーボード)
スタジオミュージシャンとして(大滝詠一や山下達郎のアルバムに参加)活動した後、YMOに参加。YMOでは松武秀樹とともにレコーディングにおいて楽曲を構築する重要な役割を果たし、またライヴでは楽曲のアレンジを一手に引き受けた。YMO散開後は映画音楽で成功するなどソロ活動を展開している。彼の「教授」という愛称の名づけ親は高橋である。
噂だと坂本龍一さんは鍵盤がなくても作曲できるとか。
ソロバンばなくてもソロバンを弾きながら計算できる様なものでしょうか?
どちらにしても、私からすると神業であります。
いいですねえ
なつかしいですし
そのまた前の
はっぴいえんど
ミカバンド
こちらも聴きたくなりますね。
小学校~中学校時代を思いだしますね~