年寄りの独り言 日記並みに

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出来る時にいろいろやっいみるもんだ

2020-03-11 14:52:33 | 日記

自衛隊退職後、人間やめて炭鉱夫になった。炭鉱夫は人並みの扱いは無かった様な気もするが仲間の死を機会に人に戻った。

ここまであまり人に知られていない仕事をさせてもらってきたが、88年生かして貰った。

医者が言わない、老衰、随分進んできたようだ、今朝も畑の欠き菜、採れるだけ伸びていると思い、早目に起きたが、一向に気が向かず、次にと再度布団にもぐりこんだ。

今日のグラウンドゴルフ、ホールインワン1回有ったがトータル84打で終わった。膝から下に力が入らない。

又、気が向くまでしばらく休んでみたい。


特科連隊

2020-03-10 14:59:58 | 日記

特科連隊とはと、書いて見るつもりがほとんど分からなくなっている。

特科とは大砲の部隊であることは間違いない、第5特科第1大隊105ミリ榴弾砲の部隊である。

部隊は、補給科、1~4中隊迄でだったと思う。

1中隊の保有の火砲数、4門か6門だったか忘れた、火砲1門につき班長以下9名、他に、前進観測班、通信班、測量班とそれぞれの役目がある。中隊総勢80名位だったかと。

大砲を打つとは、年間何回かの射撃場の実射訓練であ。第5特科の演習場は、綺麗な湖の有る、然別湖連山の麓である。

野営訓練となれば、それぞれの中隊がまず最初に作るのが、トイレである。必要な分の穴を4角に掘る、立ち木を伐採、跨って丁度良い巾に、しっかりと渡し固定して、昔からの堀トイレの完成である。周りを簡単に立木で囲えば立派なトイレとなる。こんな仕事は田舎の百姓お手の物。

寝るのは、個人用の簡易テント、このテントは常に折りたたみのスコップと背嚢に巻付けてあり、雨のことも考えしっかりした場所に設置する。

実弾射撃、射撃場にトラックら牽引された大砲は大きく動かさなくてもいい方向を向け、切り離される。

ここからが砲手、特に2番の照準手の手際よさが求められる。

どの方向に砲首を向けるのか、指揮所から方向が指令される。

指令された方向を眼鏡にセット、この時の眼鏡内は磁北線に対して指令された数字がプラスされる、これで方向が決まり剽悍の設置である(剽悍)とは、工事現場で何時もみられる、赤白のポールである。

(すでに設置場所付近にいる者に左手で指示を出す。大きく右左は掌を動かし、起点を決め打ち込ませる、曲がりに関して小指で頭を指し、小さく動かして、OK、次に30mほど先の2本目の設置、設置者から見た場合、眼鏡と1本目の物を見れは大体が良い所に起点がわかり2本目は早い。ここで発射した時の反動を抑える為、開いておいた脚の端にある制動版に合わせて穴掘りである。ここで使われる道具はすでにトラックから降ろされ用意済みである。

脚を降ろしセット終了である、間を置かず、高低の指示が出る、高低とは、大砲の位置の高さと目標物との高さの違いである。ここまでには大砲が架台の水平も出しておかなければならない、ここからがそのつど動かなければならない高角と方向である。高角とはで出てくる装薬との関係が大きい、高角とは、弾の撃ちだす角度である角度を大きくすれば飛距離が伸びる。高角よしで、方向がの指示が出る。眼鏡に出された方向のセットをし剽悍に照準を合わせる。ここで弾のセットである。

弾の直径105ミリ、弾の先に付いている信管にはいくつかの種類がある。

通常使用の弾は瞬発信管、着弾する少し先の空中で破裂される信管、なんと言ったか忘れた、遅発信管とはいったん地中にもぐり跳ね上がった時点で爆発する信管で有る。

ここで信管の指令、続いて装薬、装薬とは、薬莢に入れる火薬の事、1~7までそれぞれの袋に入れられ誰にも分る表示かなされている、飛距離3千メートルほどで装薬3である、装薬よしで、1~3までの装薬を薬莢に入、弾と薬莢を継ぎ合わせる。残りの装薬の始末が悪いと事故が起こる。

ここで装填、弾薬手が弾を装填口に押し込む、肝心なことを忘れた。1番手が押し込んだ弾丸をしっかりと押さえる最重要な物、これを閉めて装填よしで有る。発射待ちとなる、発射の号令で、中隊一斉に発射、大砲発射位置から飛ぶ方向を見れば、弾が黒点となり消えていく。後方の中隊の打った弾がひゅうひゅうと音を立てて飛んでいく。

特科は敵と相対しての撃ち合いではないあくまでも、歩兵部隊の後方支援である。撃つまでの間に前進観測班当然、測量、通信などいくつもの部署が関与している、撃った弾が、目標のどこに落ちたのか、前進観測班がこれに対して、何回となく左右前後と指示を出す、命中などあろうはずもない。

ポールに照準を合わせる、日本兵もこうだったたのだろうか。

 最初の方の方向から剽悍たてまでの順序など大違いかも。いずれにしても昔の話、自衛隊法に引っかかる話ですらない。

 

 

 

 


激動の昭和 

2020-03-09 12:55:53 | 日記

 

 

 

終活の片づけ中に写真の「激動の昭和」毎日新聞発行の物が出てきた。

今日はこの本の一部を借用したい。

新任地を目指して意気揚々と高田を出発したのには間違えはないと思うが、長い行程、心配なのは乗り物に弱い私である。

田舎の百姓に 、乗り物酔えの薬などについての知識が有ろうはずもなく成り行きに任せる以外無しであった。

帯広行の人数なども記憶に無し。指揮官の掌握外に外れない事だけで有る。

青森から青函連絡船に乗ったが、船名など不明、大きな船に乗り船底の仕切りの中で雑魚寝したようである。ここまでに何回かの弁当が支給されたと思うがどう処理したのが覚えていない、気分が悪い時に食事などとれなかったように思う。

北海道帯広に着いた、出迎いのトラックに載せられ駐屯地に着いた。ただただ死なずに着けたと云うぐらいの感覚だったらしい。

色々あって中隊隊舎の3段ベット2段目が割り当てられた。中隊長の歓迎の挨拶やいろいろと注意等あったと思うが今さら分からなくてもいい。

20数時間かけて着いついた帯広、ここまでの間、車窓を流れる景色とか思い出など一切ない。

この年の翌年、9月26日台風15号により、乗ったかもしれない洞爺丸他貨物船、十勝丸日高丸も沈没した。


田舎の国見町の事から

2020-03-08 11:23:15 | 日記

先ほど11時頃まで、NHK のテレビで、サンドイッチマンの今こそグルメをやって居た。

ほんの短い時間で有ったが、タイトルの国見町・隣の桑折町・阿武隈川の向こう側、保原町のバーガーについての話が盛り上がってた、国見の甥に、国見の話NHKでやって居るよと電話した、このバーガー国見SPで販売しているとの事。

本題に少し戻して見たい。この国見町、合併前は森江ノ村と言っていた、ここの村はすれのボロ家で昭和6年3月にとれたらしい。

9人兄弟の4男一番バッチ、この年に姪が生まれている、昔の母は20年以上にわたって子供を産んでいた勘定になる。

ここから12年後に母が56歳でいなくなった、戦後になって父が61歳でいなくなった。22歳で遅まきながら、家を出ることを決め保安隊を目差した。

実家の内情は、貧乏暮しは変わらず、兄たちと甥姪に囲まれて幸せに過ごしたと思う、ここでの仕事は水飲み百姓、田畑で1町歩にも満たない小さな百姓家、兄と甥もいることで畑のことも心配なくなった。昭和28年に保安隊(自衛隊)になっていたかも、ずいぶん古い話だ。

新潟県高田教育隊と言うところに入隊した、ここにたどりつくまでに峠を超すのに列車は数回にわたってスイッチバック繰り返し峠を上り切るのである。

入隊初日、集合する人の恰好は10人十色、これが全員、支給された衣類に手を通すことに成る。  支給品は、軍服一式、軍靴、帽子、その場で着替えるのである。

要望したサイズを貰ってもズボンの裾は3つ折りしたような気がする、肌着以外の私物衣類はどう処理したのかいていな覚ていない。

ここでの班分け、良い班長に振り分けられた。

3か月の期間厳しいことばかり、楽しいこともあったと思う。

ライフルの実弾射撃、最初の姿勢が腰だめという射撃姿勢、腰を下ろし両足をしっかり踏ん張ったつもりで引き金を引いた、反動で尻餅をついてひっくり返った、これが現実である。

移動先についての申し込み、迷わずに北海道を希望した。なぜかと言えば色々あったから。

 

明日は青函連絡船など道中について書いてみたい。


封筒型ベットの話

2020-03-07 14:43:16 | 日記

年に何回か隊舎内の総点検が行われる。この日は正装し帽子もかぶって点検間を待つ。

隊舎内の生理整頓は勿論のことであるが一番力を入れるのがベットメイキングである。ベットは昔ながらの、スチール製でマット下はほとんど伸び切ったスプリングである。

このベット一式としての寝具は、シーツは2枚だったと思う、これに毛布2枚カバー付きの枕だけ。それではベットメーキングしてみたい、マット上のシーツを広げ3方をマット下に折り込み、枕をセットする、この上に1枚の毛布を枕下側から3方に広げる。

最初に足元方向に下がっている毛布全体をマット下に折り込む、ここからが気を抜くことの出来ない仕上げになる。ベット左右の片側から始めるが、ベット上の毛布が、片寄ったり皺のない事を確認、下がっている部分をマット下に織り込む、この時に,角に横横下に毛布の折り目が出来る、この折り目に、枕側に40度ほどの折り目が付くようにしなければならない、残り反対側も同じように折り込む、この時に、マット上の毛布の両側、Rがついている様では失格、足側と左右、しっかりと折線を付けなければならない。

ここまで終わったら、枕部分、毛布を二つ折りにして、枕が隠れる程度にして残りは、最初と同じように折り込むのである。最後は全体のバランスを見、何回となく折り目を気にすることが有る。点検官が来るまでの待ち時間長いこともあり、ベットに腰を下ろしたいがこれもかなわずただ待つのみである。

総点検が終われば、本日の課業終了である。

10時の消灯時、枕側の毛布を開き、封筒に便箋を入れるように、折り込んだシーツの中に滑り込むのである。

ベットに寝るのも慣れてきた、朝起きっぱなし、ベットメーキングなど一切かかわりなし。

明日は、ここまで経過など少し書いてみたい、まだ思い出せるので少しは安心感がある。

体の方は、どんどん枯れているようである。