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田舎の国見町の事から

2020-03-08 11:23:15 | 日記

先ほど11時頃まで、NHK のテレビで、サンドイッチマンの今こそグルメをやって居た。

ほんの短い時間で有ったが、タイトルの国見町・隣の桑折町・阿武隈川の向こう側、保原町のバーガーについての話が盛り上がってた、国見の甥に、国見の話NHKでやって居るよと電話した、このバーガー国見SPで販売しているとの事。

本題に少し戻して見たい。この国見町、合併前は森江ノ村と言っていた、ここの村はすれのボロ家で昭和6年3月にとれたらしい。

9人兄弟の4男一番バッチ、この年に姪が生まれている、昔の母は20年以上にわたって子供を産んでいた勘定になる。

ここから12年後に母が56歳でいなくなった、戦後になって父が61歳でいなくなった。22歳で遅まきながら、家を出ることを決め保安隊を目差した。

実家の内情は、貧乏暮しは変わらず、兄たちと甥姪に囲まれて幸せに過ごしたと思う、ここでの仕事は水飲み百姓、田畑で1町歩にも満たない小さな百姓家、兄と甥もいることで畑のことも心配なくなった。昭和28年に保安隊(自衛隊)になっていたかも、ずいぶん古い話だ。

新潟県高田教育隊と言うところに入隊した、ここにたどりつくまでに峠を超すのに列車は数回にわたってスイッチバック繰り返し峠を上り切るのである。

入隊初日、集合する人の恰好は10人十色、これが全員、支給された衣類に手を通すことに成る。  支給品は、軍服一式、軍靴、帽子、その場で着替えるのである。

要望したサイズを貰ってもズボンの裾は3つ折りしたような気がする、肌着以外の私物衣類はどう処理したのかいていな覚ていない。

ここでの班分け、良い班長に振り分けられた。

3か月の期間厳しいことばかり、楽しいこともあったと思う。

ライフルの実弾射撃、最初の姿勢が腰だめという射撃姿勢、腰を下ろし両足をしっかり踏ん張ったつもりで引き金を引いた、反動で尻餅をついてひっくり返った、これが現実である。

移動先についての申し込み、迷わずに北海道を希望した。なぜかと言えば色々あったから。

 

明日は青函連絡船など道中について書いてみたい。


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