今年の6月6日に、横田さん御夫妻が私の町に来られて、講演があった。
ご主人の滋さんは老齢が進み苦しそうだった。痛々しいご様子だった。
めぐみさんは帰って来ることができるのか。国民の注目は薄れつつあるのではないか。
何故拉致事件は起きたのか!
何故拉致被害者は帰って来ないのか!
本質的な原因は日本国憲法に有るのではないか?
そんな疑問を持つ。
アメリカなら北朝鮮に攻め込んで奪い返すだろう。フセインを殺し、ビン・ラディンをアメリカは殺した。
他国へ殺人部隊を送り込むなぞ激しい話だという印象だけど、それが国際的には当たり前のことのように思われる。
戦争はしませんと断言して憲法に明文化するなんて。
どうにでもしてくださいと言ってるのと同じだ。
8月になってからテレビでは戦争に関する番組が多く、その内容に希望を奪われるような気分になった。
日本はなぜ戦争をしたのか、だって。
テレビ局がそんなことも知らないのか!
北朝鮮による拉致犯罪の遠い原因とも言えるが本質的な原因は、日本国憲法に有る。
現行の日本国憲法はGHQ占領下でマッカーサーの命令により、20代、30代の若者が、10日もかけずに作ったものだ。
憲法前文の文章の不味さは多くの人達の指摘するところであるが、いやしくも我々の国の憲法前文が高尚な響きも香りも持たぬことは、なんとも残念な限りだ。
文章の良し悪しもさることながら、国軍を否定し戦争否定を「明文化」するという間抜けぶりが、国際社会では全く非常識なオッチョコチョイの仕儀になっている。
例えば、夜寝る前に玄関に鍵をかけず、窓を開け放しにして「今から寝るゾー。鍵は掛けないゾー」と怒鳴っているようなものだ。
国軍を持たない国は日本とコスタリカだけだ。
コスタリカは隣国****の属国になって自国を守ってもらっている。その限りでは真の独立国とはいえない。テレビ番組はコスタリカを讃えるが、本当の姿は、日本と同様の惨めな国なのだ。
世界中の国々が自国の軍隊を持っている。軍隊を持っている国が必ず戦争をするわけではない。軍隊を持って居て戦争をしないのが知性であり、理性であるのだ。
現行憲法を支持擁護する人達は、平和憲法と呼び、この憲法が日本を守り、日本を戦争から遠ざけているのだと言いたがる。
しかし憲法が守っているのは日本国ではなく、我々日本人でもない。
外国に対して安全を保証し外国を日本から守る結果にしかなっていない。
つまりこの憲法は外国を守っているのだ。
アメリカは何故この憲法を作り、敗戦国日本に押し付けたか。
日本に平和な国になってもらう為などではない。
日本に戦争をさせない為だ。
日米開戦前 F.ルーズベルトは、3ケ月も叩けば日本は降伏すると見ていた。アメリカと日本の工業生産力は10:1以上の差があり、そもそも日本には自前の資源が無かった。
日本との闘いが3年8ヵ月も続き、大勢の戦死者を出し甚大な人的物的消耗を発生させることになるとは思っていなかった。日本を嘗めていたのだが、それはルーズベルト政権の東洋に関する無知によるものだった。
ルー ズベルトの本心はヨーロッパ戦線への参加であった。権益を取る為であり、終戦後の国際社会で高い位置を手に入れる為だ。しかし第一次大戦の後、米国では厭戦気分が強く、不戦を公約にしないと大統領にはなれなかった。そこでヨーロッパ戦線への参加のきっかけを探していたルーズベルトは、太平洋で邪魔になる日 本に目をつけた。中国での権益も欲しかったので、日支事変で支那に加勢して爆撃機と搭乗員を供与し、重慶から日本へ爆撃に飛び立つこともあった。日米戦争が始まる以前のことだ。
やがて日本、ドイツ、イタリアの間で同盟が結ばれた。
国民に対する参戦の言い訳を作りたかったルーズベルトにとって、日独伊三国同盟は持ってこいのニュースになった。
そしてABCD包囲網を謀らみ、日本への資源の流入を断ち、戦争を避けようと懸命の外交努力を続けようとする日本の意図を無視し、ハル・ノートを突き付け、日本を突き放した。
アメリカには戦争の巨大な利権が有って、若者たちの死を意に介さない者達が国を牛耳っているのだ。ベトナム戦争では5万人の若者が戦死し、帰還した10万人を超える若者がPTSDに犯されて自殺した。こんなことを多くの日本人達は知らない。
日本の暗号は解読され、その頃から米国には日本の動きは筒ぬけであった。
ABCD包囲網は日本の資源輸入を断つ為であり、ハル・ノートは日清日露の戦争によって得た日本の権益を取り上げようというものだ。
満州国建設は勿論、朝鮮半島、台湾、支那の租界などの経営に多額の国家予算を注ぎ込み、国民に経済的、人的負担を強いてきた日本政府が、受け入れられる筈のない要求で、日本としては戦争に踏み切るしか打つ手が無くなっていた。
そして戦争が始まり、日本のみならず、アメリカ側も甚大な消耗を余儀無くされた。
日本占領期の頃の米国は日本は敵にすべき国ではないと考えるようになっていた。戦うと自分たちの消耗も大きくなりすぎるというわけだ。戦犯情報企画(WGIP)と不戦憲法はその為に謀られたものだ。平和憲法などではない。
日本に現行憲法を押し付けたもうひとつの理由または原因は、あの神風特攻隊の効果だ。
自分の命を消耗品と見なすような戦い方は、世界の常識には無い。
日本にのみ古来より有った侍の戦い方だ。
米軍艦船の乗組員達はゼロが現れると、恐怖に震え上がって、士気の下がること甚だしかった。全く日本人というのはなんという連中だと、米軍上層部に手を焼かせたのだ。
特攻隊の衝撃が戦中戦後のアメリカによる国際法違反を増大させる結果となった。
焼夷弾による絨毯爆撃、原爆も論理的に見れば国際法違反だが、何よりも悪いのは戦勝国が敗戦国の憲法に手をつけたことだ。
あの戦争は日本への米国による侵略戦争だ。この意味ではアメリカと中国は非常に似た国だ。
民主主義はアメリカから戦後になって教わったものではない。
明治時代の広く会議を起こし万機公論に決すべし。
また日本には「惻隠の情」という生活感覚があった。
アメリカの歴史はその建国の端緒から侵略の歴史だった。
日本の憲法はアメリカの国際法違反により出来たものなのである。
人々はアメリカ人も日本人もイイ人が多い。私にもアメリカ人の友達がたくさんいる。しかし国を支配する人間には野望が有り、また利権を牛耳って金儲けを狙う人間達が居るのも事実だ。
拉致事件に限って言えば、時すでに遅しの感があるが、憲法を改正しなければならない。
自衛隊を国軍にするべきだ。戦争と日本の憲法とは無関係のもの。
戦前は軍隊があったからアメリカが戦争を吹っかけてきたとでも言うのか。
軍隊が無く平和憲法が有ればあの戦争は無かったとでもいうのか。
軍隊を持つのは戦争するためではない。戦争しないのなら軍隊は要らないというのは、中学生並みの幼稚な論理だ。
国軍は外交のバックボーンとして必要ということであり、国軍を持たずに外交で問題解決をなぞ、およそリアリティを欠く、つまり非現実というものだ。
憲法が出来た当初の頃、この憲法が守っていたのはアメリカであった。日本からアメリカを守るために作られたのだ。
昨今は中国、南北朝鮮、ロシアを守っている。
「日本には何を言っても、何をしてもかまやしない、大丈夫。日本は腐ったカボチャみたいなものだ。押せば押すほど引っ込む。」
それが彼らの姿勢だ。
卑近な例では尖閣諸島、小笠原諸島沖のサンゴの盗穫、竹島だ。拉致被害も同じことのように思える。
北朝鮮による拉致被害は何故発生したか。
李氏朝鮮の再現のような北朝鮮ごときに、いいようにあしらわれている今の我々日本人!
若者たちが右傾化するのも無理はないというものだ。
このまま放置すると極右が台頭する恐れがある。チラホラ台頭してきている趣きもある。
国軍を持てば、それは外交のバックボーンとなり、日本の外交力の増大になる。
今のままの日本だと、拉致被害者は帰ってくるとは思えない。
******
ご主人の滋さんは老齢が進み苦しそうだった。痛々しいご様子だった。
めぐみさんは帰って来ることができるのか。国民の注目は薄れつつあるのではないか。
何故拉致事件は起きたのか!
何故拉致被害者は帰って来ないのか!
本質的な原因は日本国憲法に有るのではないか?
そんな疑問を持つ。
アメリカなら北朝鮮に攻め込んで奪い返すだろう。フセインを殺し、ビン・ラディンをアメリカは殺した。
他国へ殺人部隊を送り込むなぞ激しい話だという印象だけど、それが国際的には当たり前のことのように思われる。
戦争はしませんと断言して憲法に明文化するなんて。
どうにでもしてくださいと言ってるのと同じだ。
8月になってからテレビでは戦争に関する番組が多く、その内容に希望を奪われるような気分になった。
日本はなぜ戦争をしたのか、だって。
テレビ局がそんなことも知らないのか!
北朝鮮による拉致犯罪の遠い原因とも言えるが本質的な原因は、日本国憲法に有る。
現行の日本国憲法はGHQ占領下でマッカーサーの命令により、20代、30代の若者が、10日もかけずに作ったものだ。
憲法前文の文章の不味さは多くの人達の指摘するところであるが、いやしくも我々の国の憲法前文が高尚な響きも香りも持たぬことは、なんとも残念な限りだ。
文章の良し悪しもさることながら、国軍を否定し戦争否定を「明文化」するという間抜けぶりが、国際社会では全く非常識なオッチョコチョイの仕儀になっている。
例えば、夜寝る前に玄関に鍵をかけず、窓を開け放しにして「今から寝るゾー。鍵は掛けないゾー」と怒鳴っているようなものだ。
国軍を持たない国は日本とコスタリカだけだ。
コスタリカは隣国****の属国になって自国を守ってもらっている。その限りでは真の独立国とはいえない。テレビ番組はコスタリカを讃えるが、本当の姿は、日本と同様の惨めな国なのだ。
世界中の国々が自国の軍隊を持っている。軍隊を持っている国が必ず戦争をするわけではない。軍隊を持って居て戦争をしないのが知性であり、理性であるのだ。
現行憲法を支持擁護する人達は、平和憲法と呼び、この憲法が日本を守り、日本を戦争から遠ざけているのだと言いたがる。
しかし憲法が守っているのは日本国ではなく、我々日本人でもない。
外国に対して安全を保証し外国を日本から守る結果にしかなっていない。
つまりこの憲法は外国を守っているのだ。
アメリカは何故この憲法を作り、敗戦国日本に押し付けたか。
日本に平和な国になってもらう為などではない。
日本に戦争をさせない為だ。
日米開戦前 F.ルーズベルトは、3ケ月も叩けば日本は降伏すると見ていた。アメリカと日本の工業生産力は10:1以上の差があり、そもそも日本には自前の資源が無かった。
日本との闘いが3年8ヵ月も続き、大勢の戦死者を出し甚大な人的物的消耗を発生させることになるとは思っていなかった。日本を嘗めていたのだが、それはルーズベルト政権の東洋に関する無知によるものだった。
ルー ズベルトの本心はヨーロッパ戦線への参加であった。権益を取る為であり、終戦後の国際社会で高い位置を手に入れる為だ。しかし第一次大戦の後、米国では厭戦気分が強く、不戦を公約にしないと大統領にはなれなかった。そこでヨーロッパ戦線への参加のきっかけを探していたルーズベルトは、太平洋で邪魔になる日 本に目をつけた。中国での権益も欲しかったので、日支事変で支那に加勢して爆撃機と搭乗員を供与し、重慶から日本へ爆撃に飛び立つこともあった。日米戦争が始まる以前のことだ。
やがて日本、ドイツ、イタリアの間で同盟が結ばれた。
国民に対する参戦の言い訳を作りたかったルーズベルトにとって、日独伊三国同盟は持ってこいのニュースになった。
そしてABCD包囲網を謀らみ、日本への資源の流入を断ち、戦争を避けようと懸命の外交努力を続けようとする日本の意図を無視し、ハル・ノートを突き付け、日本を突き放した。
アメリカには戦争の巨大な利権が有って、若者たちの死を意に介さない者達が国を牛耳っているのだ。ベトナム戦争では5万人の若者が戦死し、帰還した10万人を超える若者がPTSDに犯されて自殺した。こんなことを多くの日本人達は知らない。
日本の暗号は解読され、その頃から米国には日本の動きは筒ぬけであった。
ABCD包囲網は日本の資源輸入を断つ為であり、ハル・ノートは日清日露の戦争によって得た日本の権益を取り上げようというものだ。
満州国建設は勿論、朝鮮半島、台湾、支那の租界などの経営に多額の国家予算を注ぎ込み、国民に経済的、人的負担を強いてきた日本政府が、受け入れられる筈のない要求で、日本としては戦争に踏み切るしか打つ手が無くなっていた。
そして戦争が始まり、日本のみならず、アメリカ側も甚大な消耗を余儀無くされた。
日本占領期の頃の米国は日本は敵にすべき国ではないと考えるようになっていた。戦うと自分たちの消耗も大きくなりすぎるというわけだ。戦犯情報企画(WGIP)と不戦憲法はその為に謀られたものだ。平和憲法などではない。
日本に現行憲法を押し付けたもうひとつの理由または原因は、あの神風特攻隊の効果だ。
自分の命を消耗品と見なすような戦い方は、世界の常識には無い。
日本にのみ古来より有った侍の戦い方だ。
米軍艦船の乗組員達はゼロが現れると、恐怖に震え上がって、士気の下がること甚だしかった。全く日本人というのはなんという連中だと、米軍上層部に手を焼かせたのだ。
特攻隊の衝撃が戦中戦後のアメリカによる国際法違反を増大させる結果となった。
焼夷弾による絨毯爆撃、原爆も論理的に見れば国際法違反だが、何よりも悪いのは戦勝国が敗戦国の憲法に手をつけたことだ。
あの戦争は日本への米国による侵略戦争だ。この意味ではアメリカと中国は非常に似た国だ。
民主主義はアメリカから戦後になって教わったものではない。
明治時代の広く会議を起こし万機公論に決すべし。
また日本には「惻隠の情」という生活感覚があった。
アメリカの歴史はその建国の端緒から侵略の歴史だった。
日本の憲法はアメリカの国際法違反により出来たものなのである。
人々はアメリカ人も日本人もイイ人が多い。私にもアメリカ人の友達がたくさんいる。しかし国を支配する人間には野望が有り、また利権を牛耳って金儲けを狙う人間達が居るのも事実だ。
拉致事件に限って言えば、時すでに遅しの感があるが、憲法を改正しなければならない。
自衛隊を国軍にするべきだ。戦争と日本の憲法とは無関係のもの。
戦前は軍隊があったからアメリカが戦争を吹っかけてきたとでも言うのか。
軍隊が無く平和憲法が有ればあの戦争は無かったとでもいうのか。
軍隊を持つのは戦争するためではない。戦争しないのなら軍隊は要らないというのは、中学生並みの幼稚な論理だ。
国軍は外交のバックボーンとして必要ということであり、国軍を持たずに外交で問題解決をなぞ、およそリアリティを欠く、つまり非現実というものだ。
憲法が出来た当初の頃、この憲法が守っていたのはアメリカであった。日本からアメリカを守るために作られたのだ。
昨今は中国、南北朝鮮、ロシアを守っている。
「日本には何を言っても、何をしてもかまやしない、大丈夫。日本は腐ったカボチャみたいなものだ。押せば押すほど引っ込む。」
それが彼らの姿勢だ。
卑近な例では尖閣諸島、小笠原諸島沖のサンゴの盗穫、竹島だ。拉致被害も同じことのように思える。
北朝鮮による拉致被害は何故発生したか。
李氏朝鮮の再現のような北朝鮮ごときに、いいようにあしらわれている今の我々日本人!
若者たちが右傾化するのも無理はないというものだ。
このまま放置すると極右が台頭する恐れがある。チラホラ台頭してきている趣きもある。
国軍を持てば、それは外交のバックボーンとなり、日本の外交力の増大になる。
今のままの日本だと、拉致被害者は帰ってくるとは思えない。
******
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます