武本比登志ポルトガルスケッチ&油彩

へたくそ画家・武本比登志のポルトガル淡彩スケッチと油彩

1897. セトゥーバルの町角

2019-11-11 14:54:19 | ポルトガル淡彩スケッチ

2019年11月11日(月曜日)晴れ時々曇り一時霧雨。20℃~12℃。降水確率1%-11%。湿度90%(7:56)62%(14:51)。紫外線量2。北西の微風。夜中に雨が降ったらしく、水道タンクの上に水溜り。朝食が早かったためか、久しぶりに雀の群れ(僅か40羽程だけだが)の飛行観察。

昨日買ったセントポーリアの植え替えをし始めると霧雨。1鉢だけ完了。午後からは晴れて温かくなったので南のベランダで残りの2鉢の植え替え。

『きょうのニュース』『サン・マルティ―ニョの日』オエイラスでは13トンもの栗を消費。ペットの登録の必要性。PSDの党首選挙でモンテネグロ氏が意見。スペインの総選挙はペドロ・サンチェス現政権が勝利。香港の暴動化した抗議行動で警察が銃発射?若者1人が死亡。ボリビアで緊張状態。インドの大気汚染。オーストラリア火災でコアラ350頭が犠牲。依然カリフォルニア火災鎮火ならず。ポルトガルリーグはベンフィカ、FCポルト、ファマリカオン、スポルティングの順。

『昨夜の映画』は

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(Once Upon a Time in America)1984年。アメリカ・イタリア合作のギャング映画。251分。監督・脚本:セルジオ・レオーネ。禁酒法時代にニューヨークのユダヤ人ゲットーで育った二人のギャングの生涯を描いた、レオーネの遺作にして代表作。ハリー・グレイの自伝的小説に感銘を受けたセルジオ・レオーネが、小説を原作に自ら脚本を執筆した作品である。『続・夕陽のガンマン』を撮り終えた頃から脚本を書き始めていた。しかし、彼に従来のマカロニ・ウェスタンを監督させようとする映画会社の思惑や、小説の映画化権獲得に手間取ったこともあって、製作は遅々として進まず、脚本の草案を脱稿したのが1981年、実際に映画が公開されたのが1984年と、完成までに10年以上もかかった。 カンヌ国際映画祭で先行上映され、そこで高い評価を得るが、アメリカ公開時には批評家たちから酷評された。原因は、一般観衆に受け入れられやすくするため、製作会社が物語の時系列を整理し、映画の上映時間を大幅に短縮、更にモリコーネの楽曲までカットしたためである(ただし、日本やヨーロッパの一部の国ではオリジナル版がそのまま公開され、高い評価を得る)。作品に関わった人々は、口々に「製作会社がフィルムを切り刻んだ」と嘆いた。これにはレオーネも深く落胆するが、自身の編集によって3時間49分の完全版を作り上げ、再びアメリカで公開する。すると、それまでの不評が打って変わってギャング映画の傑作として捉えられ、レオーネの評価を更に高める結果となった。映画監督のクエンティン・タランティーノなど、本作品のファンであることを公言する著名人は多い。 本作品の完成後、レニングラード包囲戦をテーマとした次回作に取りかかろうとした矢先、レオーネは過労による心臓発作で逝去、結果的にこの映画がレオーネの遺作となった。 229分版にさらに40分のシーンを追加した「レストア版」が2012年のカンヌ国際映画祭映画祭で公開された。 2014年のニューヨーク国際映画祭ではさらに22分のシーンを追加した「エクステンデッド版」が公開された。 1920年代のニューヨーク。ユダヤ系移民の子、ヌードルス(スコット・ティラー/ロバート・デ・ニーロ)はある日、仲間たちと酔っ払いから財布を抜き取ろうとするが、一人の少年にそれを阻まれる。その少年はブロンクスからやってきたマックス(ラスティ・ジェイコブズ/ジェームズ・ウッズ)といった。ヌードルスとマックスは最初こそいがみ合うものの、やがては友情で結ばれていく。禁酒法を利用して次々と犯罪行為に身を染めていく少年たちは、束の間の栄光を味わう。しかし、彼らの挫折は思わぬところで待ち受けていた。 やがて時が流れ、老け込んだヌードルスは、再びニューヨークに戻ってくる。彼の元に一通の手紙が届いたのだ。かつての面影をわずかに残すほどしかなかった老人を、再び呼び戻した人物とは、一体誰なのか。 (Wikipediaより)

<ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ - ネタバレ・内容・結末 ...>

ドリームガールズ』(Dreamgirls)2006年。ミュージカル映画。131分。監督:ビル・コンドントム・アイン原作・作詞によるブロードウェイ・ミュージカルの『ドリームガールズ』が原作。黒人のレコード・レーベル、モータウンの伝説的な黒人女性グループスプリームスのメンバー、ダイアナ・ロス、メアリー・ウィルソン、フローレンス・バラードがモデル。 メアリーの自伝“Dreamgirl: My Life As a Supreme”がベストセラーになり、『ドリームガールズ』としてブロードウェイで上演され、この舞台を映画化したもの。 劇中でのグループ名はザ・ドリームズで、メンバーはそれぞれディーナ・ジョーンズ(ビヨンセ・ノウルズ)、ローレル・ロビンソン(アニカ・ノニ・ローズ)、エフィ・ホワイト(ジェニファー・ハドソン)に置き換えられている。 1960年代のアメリカ一の車の町デトロイト。その町のとあるライブハウスに、ディーナ・エフィ・ローレルの三人からなる「ドリーメッツ」がライブハウスの出演を賭けてオーディションを受けていた。その三人に目をつけたのが中古車ディーラーを営み、かつジミー・「サンダー」・アーリー(エディ・マーフィ)のプロデューサーをしていたカーティス・テイラー・ジュニア(ジェイミー・フォックス)。ジミーの女癖の悪さから彼のバックコーラスを失い、新しいバックコーラスを探していた。そこで、ドリーメッツの声を聞き、バックコーラスとして、週$500で彼女たちを雇う。C.C(エフィの兄)の作曲した"Cadillac Car"を聞き、これは売れると思ったカーティスは、レーベル「Rainbow Records」を立ち上げる。 黒人局のみで流されたこの歌はR&Bランクで一ケタ台の順位をたたき出すなどヒットになったが白人によって曲を盗まれる。カーティスはこのことから「金を使って白人局にも流してもらおう」と、持っていた中古車を全て売り払い、ディーラーの跡地を本格的なスタジオにし、"Steppin' To The Bad Side"を発売する。その後ジミーのバックコーラスをしていたドリーメッツの3人は単独グループのザ・ドリームズとして活動し始めるが、この頃からエフィとその他のRainbow Recordsのメンバーの中に亀裂が走り始める。後日ある大事なショーのリハーサルを休んだエフィに業を煮やしたカーティスは、彼女を脱退させて代わりに新メンバーを加入させてしまう。 新生ザ・ドリームズとなって数年後、ヒット曲を飛ばし続けるディーナたちはさらに人気となり、カーティスはアメリカ音楽界で名を馳せる存在となっていた。しかし後日カーティスはジミーの時代はもう終わったと彼をクビにし、C.Cはカーティスの横暴なやり方に反発して彼の元を去ってしまう。同じ頃、ソロ歌手として細々と活動を再開したエフィは、本格的な再始動のため新曲をC.Cに作ってもらい、ラジオの黒人局で流れるとヒットの兆しを見せる。 しかしそれを快く思わないカーティスはエフィの曲がまだ知名度が低いことにつけ込んで曲をパクり、曲の存在を知らないディーナの新曲として大々的に売り出す。数日後、映画出演のオファーが舞い込むディーナだったが、カーティスと意見が分かれて徐々にギクシャクし始める。その直後、ディーナは自身の新曲がエフィの曲をパクったものだと知り電話で彼女に謝罪した後、カーティスから独り立ちすることを決める。数日後多くのファンに惜しまれる中ザ・ドリームズの解散コンサートが開かれ、ディーナたちは最後のステージに上る。 (Wikipediaより)

 

 

 

 

 

「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」1851-1970(2019年9月26日(木)~の日記)

https://blog.goo.ne.jp/takemotohitoshi/e/1b20be2f9b3e46c0ce22f16df6c73e42

「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」1731-1850(2019年5月29日(水)~9月25日(水)の日記)

https://blog.goo.ne.jp/takemotohitoshi/e/36acf48c9a63a21fc3b69a9ec13a11e8

「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」1601-1730(2018年10月22日(月)~2019年5月28日(火)の日記)

https://blog.goo.ne.jp/takemotohitoshi/e/b408408b9cf00c0ed47003e1e5e84dc2

 

 

 


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