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司馬遷の史記執筆の動機(2018/2/22)

2018-02-22 21:40:13 | どん底に落ちたとき
司馬遷 史記(平凡社訳 下350ページ)
こうして、「史記」の文章を論纂した。
7年たって、太史公遷(司馬遷)は李陵の禍(匈奴に捕らわれた李陵を弁護して獄にくだされ、宮刑に処せられたこと)にあい、獄に幽閉された。
そこで、喟然として嘆息して言った。
「これは私の罪だろうか、これは私の罪だろうか。わが身は処刑されて破損し、世に用いられない」
処刑されてのち、退いて深く思いをひそめて言った。

「そもそも、詩・書の義が隠微で言辞が簡約であるのは、その志の思いをとげようとのぞむからだ。
むかし、西伯(周の文王)は、殷の紂王によってユウ里に拘禁されたために周易をのべ、孔丘(孔子)は陳・祭の間に困苦して春秋をつくり、楚の屈原は放遂されて離騒をあらわし、左丘は失明して国語があり、孫臏は脚を切られて兵法を論じ、呂不イは蜀に左遷されて世は呂覧(呂氏春秋)を伝え韓非子は秦に囚われて説難・孤憤があり、また、詩三百篇は、たいてい聖賢が憤りを発して作為したところのものである。
要するに、人はみな心に欝結するところがあって、その道を通ずることが出来ないゆえに、往時を述べて未来を思うのだ。

(司馬遷自身による、史記編纂の経緯をのべた下り)

(史記は優れた歴史書だと、なんとなく20歳代から読んできました。T社リストラが決まった54歳の時、読み返し、この個所に来ると、初めて司馬遷の気持が伝わり涙がこぼれました。あれから14年が過ぎました。takeda)

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