初めての歌集(『鯨の祖先』)を作っています。
これまでに思ったことを少しまとめてみました。
まずは「選歌と構成」。
私は今回、編年体という形式をとらず、時制を無視して多くを組み直しましたので、とりわけここは苦悩させられました。
連作の組み直しや構成にもひどく日数がかかり…痩せる思いでした。
…実際には全く痩せてませんが。
自分の歌を自分の感覚だけですくい上げる「取捨」、そこにある「自信」と「不安」、そして「迷い」…ちと大げさかもしれないけれども、佳くない歌が混じってしまう不安と、ひょっとして佳いとされるかもしれない歌が落ちるかもしれないという「恐怖」をも思いました。
お気に入りだとか、嫌いだとか、思い入れ、評の高さとか…そんなことで自分の歌を選んでいいのか?という疑問との闘いでした。自分らしくない歌、衒いのある歌、ギャグにも読めてしまう歌、選を取りに行ったようなウケ狙いの歌は、どんなに良い評をいただいてても、すべて外しました。
もちろん箸休め的な歌の配慮も、繋ぎの歌も地の歌も必要です。
そして、どこまでやっても正解なんてどこにもないときたもんだ(汗)。
それから言葉遊び的な連作を入れました。
塚本邦雄が盛んに試みた表現世界には遠く及ばないけれども、日本語の調べの美しさとか言葉そのものが元来内包しているイメージとか、母音の働きとか、そんな表現世界に分け入ってみたいというテーマがあったのです。
(「言葉遊び」は決して悪い言葉ではなく、逆に言葉と戯れる柔軟さがあってこそ文学的価値あるものを創ることができるのではと思っています。ただの語呂合わせでは意味ないですけど)。
あと、「検証」「文法」「統一と不統一」…そんな言葉たちが浮かびます。
そして「師」「信頼」「仲間」「感謝」。
これは事が進むにつれて、じわじわと実感が湧いてきました。
信頼している先生方が、折々に実にタイミングよく助言、叱咤をくださいました。
仲間にも助けていただきました。自分では全く気づかなかった盲点も多々ありまして、こうした助力がなかったらここまで来れてないです…しみじみ。ありがたいことです。
明日、「第三校」を版元へ返します。
武富純一