最近想うことは、お金はなくとも幸せに暮らせることを実感しています。
頭の中では、お金が優先の人生でしたが、ここまでくると、もうそうしたお金からの呪縛から解放された自分であって欲しい。
いくらあれば良いの?限りがありません。人間の欲望は限りがないのです。
しかし、この欲望はなくなったらどうでしょう?
出がらしの人間のようなものしか残りません。
昔の話です。
ハレー彗星が地球に衝突する、というので一夜に財のすべてを使い果たしてしまったというエピソードがあります。彗星の到来でなくとも、火山の爆発、大規模地震とか、一瞬にして命を奪われてしまうかもしれない出来事が予測されます。
お金は有効かつ有意義に使いたいものです。
投資に失敗してから、それでも何とか最低限度のストックを持つことができました。
でも、このわずかなストックも残す必要があるのか?
ゴーイングコンサーンではないけれど、人間はそうではありません。
だから、「今」を大切に生きられることのほうが価値あるものだと考えるようになりました、
お金も行動もアクティブにいきたいものだ。
暇だなんて悩んでいる人間に明日はない!
もっとアクティブに生きていかなければ、人間として生まれてきた意味がない。
まだ10年ある。
父を亡くした15の春に、奈良の人との文通を始めた。
心の支えとなってくれたひとでした。
いまでも、手紙のやり取りでしか知らないので、永遠に美しいイメージだけが残っています。
死ぬまでに、奈良の室生寺を訪れてみたい。
時間と暇はできたのですが、お金が無くなってしまいました。
何か最近は、暇と考えるよりは、いまやっておかなければ、という焦りのようなものがあります。
みんな、そう思いながら人生を閉じていくのかな?
酔いどれ天使は、明日死んでも悔いはない、それこそが信条とばかりに生きていくもの。
明日死んでも良い、という死生観をもちたいものだ。
戦争のない現在、生きながらえている時間を欲望の尽くす限りに生きている。
それも良いと思いますが、もう少し何か違う生き方がないものか?
羽田空港に行って来ました。
孫が今月の下旬に沖縄に修学旅行するので、その下見です。
過密な空港の様相がみられました。
オリンピックが始まったら、どうなるんでしょうか?不安です。