もう2ヶ月前のことになりますけど、JR四国の多度津駅で列車を下りる機会がありました。
松山から高知へ行く途中に乗換えの為に下りたのです。四国の鉄道は高松から松山へ行く予讃本線と高知へ行く土讃線が主要路線です。
その予讃線と土讃線の分岐駅が多度津駅で、車両工場と広い係留線が併設されたJR四国の要であり、乗務員区所である多度津運転区も併設されています。
多度津駅は、明治22年5月、讃岐鉄道の駅として、丸亀駅~琴平駅間の開通時に開業し、この時は大阪方面からの各航路に接続させるため、現在地ではなく港に近接されるように設置されていました。
当時は尾道⇔多度津が四国への連絡航路であり、多度津駅もその多度津港に隣接され、スイッチバック構造になっていたらしいです。
明治43年6月、宇高連絡船の開設により、尾道駅~多度津駅間航路を民間に譲渡し、大正2年12月に多度津駅を「折り返し」構造ではないスルー運転可能な現在地に移転しました。
旧駅の施設を流用して、その駅構内に車両修繕工場(現・多度津工場)が開設され、多度津は鉄道の町として発展してきました。現在も多度津駅から、そのJR四国多度津工場へ伸びる構外側線があり、車両輸送時には利用され、また同工場の一般開放時はシャトル列車が運転されています。
↑4月26日 JR四国 多度津駅にて 121系と113系
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松山から高知へ行く途中に乗換えの為に下りたのです。四国の鉄道は高松から松山へ行く予讃本線と高知へ行く土讃線が主要路線です。
その予讃線と土讃線の分岐駅が多度津駅で、車両工場と広い係留線が併設されたJR四国の要であり、乗務員区所である多度津運転区も併設されています。
多度津駅は、明治22年5月、讃岐鉄道の駅として、丸亀駅~琴平駅間の開通時に開業し、この時は大阪方面からの各航路に接続させるため、現在地ではなく港に近接されるように設置されていました。
当時は尾道⇔多度津が四国への連絡航路であり、多度津駅もその多度津港に隣接され、スイッチバック構造になっていたらしいです。
明治43年6月、宇高連絡船の開設により、尾道駅~多度津駅間航路を民間に譲渡し、大正2年12月に多度津駅を「折り返し」構造ではないスルー運転可能な現在地に移転しました。
旧駅の施設を流用して、その駅構内に車両修繕工場(現・多度津工場)が開設され、多度津は鉄道の町として発展してきました。現在も多度津駅から、そのJR四国多度津工場へ伸びる構外側線があり、車両輸送時には利用され、また同工場の一般開放時はシャトル列車が運転されています。
↑4月26日 JR四国 多度津駅にて 121系と113系
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