霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

幸せが戻る「菓子」

2012年12月10日 | 心霊現象
「幸せが戻る」を英語にすると、「ハッピーターン」となる。
ん?、どこかで聞いたような・・・。
そうです、新潟産の米菓の商品名です。亀田製菓の製品の一つです。

『ハッピーターンが発売されたのは1976年。日本は第一次オイルショックで不景気に沈んでいた
 た。そんな中、買った客に幸せ(ハッピー)が戻ってくる(ターン)ようにと、命名された。
 
 発売から36年、ロングセラーを続ける亀田製菓のハッピーターン。
 根強い人気の秘密は、何といっても、せんべいにまぶされたあの粉「ハッピーパウダー」(通称
 ハピ粉)にある。

 せんべいといえばしょうゆ味だったころ、洋風で甘いお菓子のような粉の味が新ジャンルを切り開 く。粉の味を生かすために個包装し、生地の表面をでこぼこにして粉落ちを少なくするなど、改良 を重ねてきた。 』 (朝日新聞・新潟版)


私が学校で教わった「食品学」の「ある教授」が、亀田製菓の食品加工、主に米の加工を研究する「研究室」の顧問をされていた。
卒業後も私が「県の職員」ということで、何かとお世話になりまた可愛がって頂いたものです。
70歳をこえておられたその教授は、その頃亀田製菓の売り上げトップだった製品、「柿の種」や「雪国あられ」などを、一斗缶で送って下さったものだ。
一人で下宿生活の私が、食べきれるはずもなく・・・。
近くの子供たちをみーんな集めて、「よーいドン!」で掴み取り競争をしたことを思い出す。
その教授の紹介で、「お見合い」も、しちゃいましたが・・・。(結果は、今ここでブログを書いていることで、お分かりかと)


地方版のニュースを見ていると、ふるさとに久しぶりに帰る私は、すでに「浦島太郎」のようなもの。TVニュースの画面で、「アルビレックス・新潟」がサッカーJ1に残留出来たと、大騒ぎをして
いても、サッカーファンでもない私にはピンとこない。
ただね、彼ら選手が着ているユニホームには、「亀田製菓」と書かれている。
知っているのは、これくらいのものですね・・・。


さて次は世界一を誇る「長岡の花火」。映画にもなったとか。
第二次大戦がまもなく終わるという、昭和20年8月1日。
長岡が空襲にみまわれた。その時の死者約1500人。
長岡の花火は、その霊の鎮魂が目的で始められたと、おくればせながら知る私でした。
「尺玉」という大型の花火は、決して気を抜いては作れない。
火薬の詰め方がまばらだと、打ちあがった「絵」(かたち)が崩れ、作品にはならないとか。
大玉の隙間をまんべんなく埋める火薬が、一瞬に爆発して「花火」に命を現すという。
今は大きな花火専門業を営むところは、わずか三軒。
アメリカ・ワシントンの依頼を受けて、尺玉づくりに精を出す。
そのみごとさは、アメリカの人をして魅了してやまない。
昔は命がけだった「花火の打ち上げ」は、今はコンピューターであやつる。
一秒のコンマいくつまで、微妙な時間差で打ち上げる「神業」も、結局は「花火」の出来次第だと
いう。
この技は、長岡の花火師という職人達が、その命をかけて今日まで繋いできた土台があればこそ
可能になった。
同じ「爆発」でも、花火はその一瞬に賭けた人への愛情の現れからくる。
しかし同じ新潟県にある「柏崎刈羽原発」は、一瞬の爆発で新潟からすべてのものを奪っていくだろう。


だから、とは言わないがその「ふるさと新潟」が揺れている。
「被災地のがれき処理」をめぐって県知事と市長の意見が合わない。
結局、運び込んだ「がれき」を、元につまり被災地へ帰そうなどという事態にまでなったという。
「そんな、無様なこと。そんな理不尽なことは出来ない」と、新潟市長が現地へお詫びに出向く
有様である。一端焼却を引き受けたところが、やっぱりやーめたって、言えることだろうか?
新潟地震のときは、お世話になった人々に、今度は返礼の心をこめて被災者をお世話したはずであったが、放射能と水銀で人心が揺れ始めた。喜ばせてからがっかりさせるくらいなら、最初っから言い出さなければいいのに、と思うが政治の世界は素人には分かりずらい。
結局「がれき」は、新潟市のある場所で、袋詰めにしておくことになった。


昔、新潟県庁があったというその脇の空き地、約1万5千坪。
この土地を中国が買うと?(噂だけではなさそうです)
彼らは「中華街」や「総領事館」を予定しているというが、これって誰が許可を出すんでしょうかねぇ。
北海道の原野といえば警戒しないが、そこにはいくつかの「水源」があると聞かされれば・・・。
その原野(水源)を、中国人が金にものをいわせて?買い占めていると聞くが、はたして本当でしょうか?
池袋・西口界隈に「中華街」が出来るという構想は、随分前から聞いていることである。
が、当時私がアルバイトの生活で行き来していたころ、西口界隈の日本人商店街の店主は大反対をし、運動をし始めたところだった。
人種差別が理由ではない。「ゴミ処理」が理由だった。
とにかくきたない。ゴミの処理は、隣同士のケンカの種だったという。
そんなこんなで、もめにもめていた頃しか知らない私ですが、「みんな、仲良く」なんて簡単にいかない事も、たくさんあるんです。



この先まだまだ生きるとして、こんなはずではなかったという後悔をしない為にも、清き一票を!
とまあ、こうなるんですがね。
この度の選挙ほど、結果がもろに「国民」に返ってくるという強い実感がするのは、私ばかりでは
なさそうです。
TVの選挙番組でも、確かにはっきりとそう言っていましたね。
選択肢がたくさんあることは、幸せかと思ったら、案外そうではなくむしろ苦しみであり、悩みで
あり、的が絞れない自分の生き様を見るようで・・・。
この一週間は、総国民の「産みの苦しみ」と思って悩み切り、最後は「オー・マイ・ゴッド」と
両手を合わせましょう・・・。

結論はね、最初にご紹介した「ハッピーターン」。幸せが戻ってくる、ということ。
原因と結果の法則をば、お忘れなきように、とまあそんなことでしょうか・・・。







忘れるのも、幸せなり(氷川丸忘却)

2012年12月09日 | 心霊現象
しばらく留守にしました。
「氷川丸」の「先生」をお訪ねしました。
先生の日々薄れゆく記憶が、日本の何かを失っていくようで悲しいです。

12月8日。戦争の記念日でしたよね。
だからでしょうか、NHKで「戦艦大和」の番組を組んで放映したのでしょう。
時が流れて、ようやく「真実」が語られるという事もあります。
戦艦大和という巨大な物体を残すという事は、大戦に臨む日本の「こけん」にかかわる。
と、ある参謀が言ったらしい。
結果、「大和」はその死に場所を与えられることになった。
それが「沖縄参戦」。いわゆる死出の旅だったという。
乗組員総勢3332員。これだけの人数を殺すことを、承知の上で「戦艦大和」は出航したのだ。
言い換えれば「巨大な集合棺桶」だった。
沖縄の一歩手前で、敵米国の「グラマン機」300ほどに総攻撃を受け、「無敵の艦隊」大和は
海に消えていった。生き残り270名ほど。
生き残った人達は、戦後67年もの間、自分を責め、仲間を思い、苦しみ続けて現在に至っている。
「海に投げ出され、浮き沈みしながらも死ぬ意義が分からなかった」という一人の老人。
消え入りたい気持ちで生きてきたと、「生き残り」の汚名に今も苦しむ人もいる。

いっそ、その意識があるがゆえに苦しむ人を知るにつけ、ああ、記憶が薄れていくことも、悪くはないか・・・と思う私である。

氷川丸の先生を目の前にして、TV報道「衆院選挙のゆくえ」などという番組を見ていますとね、あっ
そうだ、「コード」を「靖国・英霊」にあててみようか・・・と一瞬思いつきました。
乱立するだの、いっぱいあって分からないなど、選挙する人の頭もこんがらがり、むだかって解けない様ですからね。
簡単に「日本のために戦ってくれた人」(英霊)のカードを当てますとね、答えがバッチリと出てくるじゃありませんか。(誰を、どこを選ぶかが)

「先生、あなたが氷川丸の甲板で目を合わせたという米兵。その乗っていた飛行機はね、グラマンだったんですね」と、今だから言えることであるが・・・。
しかし、あなたの答えは今はもう「そんなこと、あったの?」って、かえって私に聞くあなたになりましたよねぇ~。


先生は来年1月7日をもって92歳になられる。
最近先生はなぜか、「人は120歳まで生きれるの?」とお聞きになる。
その先生のために「贈る言葉」を用意いたしました。
これは北陸の「永平寺」を旅した時に、ちかくのお菓子屋でいただいた用紙に書かれた言葉です。
(大本山永平寺御用達・福井・マエダセイカ(株)羽二重餅の古里)


   長寿の心得
     人生は六十から
  
 七十才でお迎えの来た時は
   何んの事じゃ留守と云え
 八十才でお迎えの来た時は
   まだまだ早いと云え
 九十才でお迎えの来た時は
   そう急がずともよいと云え
 百才でお迎えの来た時は
   頃を見てこちらから
   ボツボツ行くと云え


私はこんな長生きする事を思ってもみないが、なぜかは部屋の壁に貼っておきましたねぇ~。


次の「川柳」を先生と皆様にお送りして、今日はこのへんで。
(新幹線で「ジパング倶楽部」を読んでいて見つけた一句です)

 極楽行き どこで切符が買えるやら (福井県 村松欣二氏) 

   

    



「イエス」の絵

2012年12月01日 | 心霊現象
今、世界のいたるところで現存している「キリスト・イエス」の絵は何枚くらいあるのだろうか?
最近では「とある田舎の教会」にある「その絵」を修復したのち、前の絵と似ても似つかぬ絵になったことが、結果として人を呼び込む事になり、世界に物議をかもし出した話は、有名である。
その教会への観光客が、前にも増して混雑していると聞いて、何のいたずらかと耳を疑っている次第です。
しかしどうも現代の人には、趣味の違いが出てきたらしく、その好みが変わってきたらしい。

私はよくTV番組で、「美術館めぐり」を見る。
世界の有名、無名の美術館を自宅に居ながらにして「そぞろ歩き」出来るのだから便利といえる。
が、臨場感はゼロである。それさえ覚悟すれば、こんないい暇つぶし(失礼)はないと知る。
そこで言っていることは、最近は「イエス」の絵が生々しい絵から、美しいキリストを描くように
変わってきているらしい。
傷つき、痛めつけられたキリストから、美しいキリストへと変わってきているその中で、スペインの
ポルトガリの地にある「上空に浮かぶ十字架上のキリスト」の絵がある、という。
それは横120センチ、縦210センチの絵で、十字架に架けられたイエスを、その上から見下ろす
視点で描かれていた。
解説によれば、十字架上のイエスを神が見おろし、そのイエスは地上の人つまり地球を見下ろしている、という構図になるというものだ。
スペインの画家「ダリ」によって描かれたこの絵は、今も長蛇の列が続くという。

「ダリ」がこの構図を考えたというよりも、ダリが見た「ヨハネの十字架を上から見下ろす絵」が先に描かれ、それを見て絵画にした経緯があるとか。
旧い教会の柱(壁?)に書き残されていた「落書き」のようなものが、ダリによってこの世に蘇ったということになる。(落書きを描いたのは、ヨハネという当時の聖職者らしいが)
さらに、ダリが視線を上空にまで引き上げるきっかけを作ったのが、あの「広島」「長崎」に落とされた人類史始まっていらいの「原爆投下」が原因と聞く。
日本に原爆が落とされたことを見て、衝撃をうけた彼は、その目線を「地球を見下ろす神」に向けた
と、番組では解説する。

宇宙空間をそのまま現すような「この絵」は、まさしく神の目線なのか、それとも人の創造なのかは
分からないが。
今でこそ「それ」を観賞しょうとする人で混雑する「絵」の前の状況であるが、最初は神を冒涜する
「絵」として非難ごうごうだったそうだ。

「キリスト三つの名画の謎」として放映された番組ではあったが、時代とともに移りゆく「キリスト
・イエス」の絵が、こうも人間の嗜好によって左右されていくのかと思うと、あと100年後の「イエスの絵」は、はたしてどんな「絵」が描かれて、この世を席巻するのだろうかと思うと、神の自然淘汰によって残った最後の一枚を見てみたい衝動にかられてくる。
人間の嗜好(趣向といったほうがいいか・・)が、どれだけ神の意に則していたか、それともそうでなかったかを知る目安として、知ってみたいのである。

が、生きてはいまい私であれば、こっそりこの世を覗き見にまいりましょうぞえ。
神もイエスも、人間の趣向で決まるなどという事は、あるまじきものではあるが、人間の芸術性や
自由性から醸(かも)し出されるものに於いては、先走る可能性は大である。
「バチカン」の趣向はいかばかりか?
カトリック、プロテスタントの趣向はまたいかばかりか?
新興宗教といわれる数々のキリスト教においては、その趣向はいかばかりか?
400にも分派をもつ「キリスト教」こそ、日本の原爆投下の出来事をみて、人類の神への「背信のおののき」を身をもって味わい、知るべきであったはずである。


しかしそれを、おそまきながら「ダリ」に学ぶのも、悪くはない。
そして時は今かもしれない・・・。
みなさまもどうぞ、ダリの絵を一度ご覧くださいませ・・・。