霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

もしも「核戦争」がおこったら・・

2012年12月15日 | 心霊現象
世の中が、またまたきな臭いニュースで危うくなってきました。
国の面積や、国民の数からいえば、ものの数ではないであろう「北朝鮮」の存在は、いよいよ世界、
いや地球をも脅かしかねないものとなってきたようです。
「わたしが生きているうちに、まさか核戦争が、起こるはず・・・」、起こるわけがないと、祈り
ながら思うその「思い」も、おぼつかなくなってきたことを知っている。

もしも「核戦争」が起きたら・・・。
「無いはず」を、前提にして作られた「映画」も多くある。
それを見て、人類は決して起こしてはならない、と胆に銘じることを目的として作られた「映画」で
あったと知る。
が、現実はそう甘くはない。

この件、つまり「核戦争」においてだけは、「たら」「れば」の話は出来ない。
が、万万が一「起こったら」どうなるか・・・、という話を聞いたことはある。
ある教団においての「神の立場からみた場合」という位置付けでの話であった。
どこと、どこ、つまり何が発端になり、どの国とどの国が最初の犠牲国(者)になるかという事だ。
神の摂理から言っても、核戦争のプロブラムなど、あろうはずはない。
が、「サタン」の存在が長い歴史を常に「神」のものを奪い続けてきた、という内容から言えば、
断定せざるをえない。
「カイン」の末裔であり、「ルーシェル(サタン)」の側にあるところ。
「神の救いの摂理」という「メガネ」をかけて人類の歴史を見る時、画面から躍り出てくるのは、
一つの国の存在である。
今でこそ、3Dという、画面から映像が飛び出るように造られたものを「メガネ」で見て楽しむという、科学あるいは技術の最先端をゆくものが日常生活に入り込むようになった。
同じように、神の目をもつ「メガネ」で、歴史をみよ!ということである。
そのダンから言えば・・・。

国は「北朝鮮」。そこが狙う国は地球上でただ一つ。「韓国」。
再びの38度線をまたいでの「この戦争」は、世界戦争の到来の火種となる。
地域戦争はわずかの間だけ。すぐに世界を巻き込む戦争になっていくだろう、といわれる。
あってはならない事が、起こるということは、よほどの事が理由になる。
それは「何」で「誰」で、「何処」だ?
その内容がこれから起こる。(ある意味で我々は歴史の目撃者になる。ともすれば、最後の)

日本は? その運命は?
北から向かったミサイルは「5分」で日本に落ちる。
ミサイル4発で、日本は無くなるだろうといわれている。(もちろん、住めない)
最悪は地球が吹っ飛ぶか?
さすがに、それは無い。もしもそうなって、地球も人類も滅びたら、「神」は「失敗の神」になる。
これだけは、宇宙の真理からいっても無い。
ただ、地球の半分、つまり「北半球」は「死の灰」が降るため、使い物にならなくなるだろう。
ゆえに、人類は南半球へと移動せざるをえなくなる。
すべての文化文明は、北半球から奪われ、再度南半球から人類の歴史は出発し、過去を繋いでゆく。

・・・、とまあ、今から50年前に、警鐘を乱打したにもかかわらず、振り向いてもくれなかった
その結果が「今」来た、と言えば脅かしになるだろうか・・・。


先日「北朝鮮」が発射実験した「衛星」ならぬ「ミサイル」は、一発で1000億円使うらしい。
北朝鮮の国民が、5年間生活出来る金額だという。
しかし、国民の生活を脅かしても、死人が出ても「やる、やらねばならない」事だったはずだ。
その奥で「何」がうごめき、眠った子が起きたかは、神の目で見た「時の到来」だけが知っている。

今後注目すべきは、まず第一段階は「北朝鮮」と「韓国」の動きである。
おりしも来たる19日は、韓国大統領の選挙が行われる。
他国の事情で「わたし」には関係ない、と言うなかれ。周り廻って日本、そしてもろ「わたし」に
関わってくるんです。
さらに16日の日本の「衆院選」。
自分のふところが、暖かくなることばかりを考えていても始まりません。国の行く末が一番の「安全」を保障するのですから。
言い換えれば、北朝鮮、韓国、日本。この三国の今後にこそ、世界の運命、それも「核による戦争」という人類の運命がかかっている、と思し召せ。
神の目からみた日本の政治、つまり「日本丸」のかじ取りを、誰がどのようにするかによって、「与えられた神の時」を正しく全うするかを「全霊界」も目をこらして見ているのです。

『時は今』。
まさしく歴史的時間の、それも限定された「今」というまっただ中にあって「あなた」の覚悟一つに
地球の存亡がかかっている、といったら・・・。
決して大袈裟なことでは、ない。


あなたは、地球をぶっ壊したいですか?


神の摂理を知らないで、人の思惑で動く全ての行動をストップしなければなりません。
遠く遙かなところから聞こえてくる「声」を聴かずして、人類の行く道はないと、そう思うまで
人の心にまだ間があるのだとしたら・・・。
間違いなく、人の心に巣食う「サタン」によって北半球は、近いうちに奪い取られるでしょうね。
宇宙から送られてくる「地球の映像」は、いままでのものとは似ても似つかない地球の姿を映し出して、人類の慟哭を聞くことになる。


まさか、うそ・・・。

はいはい何とでも。

これが、「脅し」や「すかし」の類(たぐい)であってほしいと、私も思います。
ただね、「神の心」が分かるという御仁から、直に語られた内容をいつかお伝えしないと・・・。
それが「今」だと思召せ!

年の暮れ。
今年の除夜の鐘は、「108ッ」の何を懺悔して、その煩悩を祓(はら)うのでしょうか・・・。


「老いぼれ、万歳」と言いたいが・・・

2012年12月14日 | 心霊現象
若い時には、絶対というほど考えない「老い」。
ましてや今の家族の在り様が、「老人」を除いた「核家族」であればなおのことである。
昔はね、と言えば、そらまた始まったと思われるだろうが、家のお爺さん、お婆さんを見ながら
育っていくのだから、いやがおうでも「老いる」ということを目にして生きていくことになる。
これからは、元気な年寄がもっと世にはばかる(?)ことになる。
元気なうちはまだいい。お金もしこたま持って、健康にまかせて遊びたい放題もいい。
が、人生の本当の終わり(最期)の時は、どんなふうにして「その時」を迎えたいか・・・。

この先、国が安定しないかもしれない、一人っきりになるかもしれない。
寝たきりになるかもしれない。意識さえ無くして、横たわるだけかもしれない。
今ほど、「先を考えたくない」時代はない。
考えれば考えるほど、「準備」がされていない事に気が付く。そして愕然とするのだ。
死者の持ち物を整理する「整理屋」が存在する、そのことが何の違和感もなく受けいれられている
現状、この社会に「人間の病み」を見る。

再びを願うわけではないが、泣く泣く年取った父や母を背におぶい、一食分の「にぎりめし」を
持たせて、裏山まで捨てに行く。
そんな「姥捨て山」は、見た目は残酷の極みである。が、その心を覗けばまだ感情あふれる慟哭の極みといえる。
今は、その感情がどこへ行った・・・?。


『彼と父親は、小さな面会室で二人だけになった。
 この面会室にも死の臭いが漂っている。だからどうだと言うのだ。
 <養老院とは、はっきり言ってそういう場所ではないか>
 彼は、死を考えながらそう思った。お役御免で邪魔になった父親、母親たちが死を待つ所だ。
 みな、愛する家族たちによって、住み慣れた我が家から追い立てられてきた人たちだ。
 奥の小さな寝室から追い出されてきた者や、ダイニングルームやパーラーに出入りされては来客の
 目ざわりになると言われて、我が子や甥や姪の手で養老院に入れられた老人たちで、この古ぼけた
 館はいっぱいである。
 同じような話、同じような会話が、米国中のそこここの家庭で聞かれる。
 「信じてくれよ、これは父さんのためなんだよ」
 「母さんのためなんだよ」
 「叔父さんのためなんだよ」
 「叔母さんのためなんだよ」
 「同じ世代のいい人たちがいっぱいいるから、友達ができて楽しいよ」
 「分かってくれよ、おれも辛いんだ」
 この家族たちの言葉を言い替えれば、
 「役に立たなくなった老人と一緒に、あそこで死んでちょうだい」
 「テーブルによだれをたらしながら、同じ話を何度も何度も聞かされて、もう飽き飽きしたよ」
 「子供たちも嫌がってるよ、ベッドに小便なんか漏らしてさ」
 この点では、エスキモーの方が正直かもしれない。彼らには、役に立たなくなった老人を酷寒の
 氷の上に置き去りにする風習がある。
 「来てくれてありがとう」
 と彼の父親が言った。ゆっくりしたしゃべり方である。
 「おまえと話したかったよ。いい知らせがあるんだ。隣の部屋の老人が、昨日死んだんだよ」
 彼は驚いて父親を見た。
 「なんでそれがいい知らせなの、父さん?」
 「それはだな、おまえ、彼の部屋が空いたから、わたしがそこへ移れるわけなんだ」
 父親が説明した。
 「一人用の個室だからね、あそこは」
 これが、この養老院の中の現実なのだ。老人たちは、居心地のよさを求めて、わずかに残った
 エネルギーをサバイバル競争に燃やす。死んだ方がずっと幸せだろうと思えるような人たちを、
 彼はこの養老院で何人も見てきた。しかし、そのような人たちこそ、生きることに執着している。
 <ハッピー・バースデー。今日は九十五歳の誕生日ですよ、嬉しいですか?>
 <そりゃ嬉しいよ。墓場に入ってたら、お祝いもできないもんね>
 生きるとは、それほど価値のあることなのだろうか・・・。彼は自分の胸に手をあてて考えたが、
 答えは出ない。
 やがて、父親に別れを言わなければならない時間になった。
 「また、すぐ会いに来るからね」
 彼は父親に約束した。それから、用意した現金を父に渡し、看護婦や従業員たちにたくさんのチッ プをはずんだ。
 「親父の世話をお願いしますよ。彼が元気でいてくれると、わたしも張が出ますから」
 彼は養老院をあとにした。一歩ドアから出て、外の空気を吸うと、父親のことも老人たちのことも
 すべてを忘れた。』

             (シドニィ・シェルダン 作 「私は別人」(上)から
              文面「彼」は、主人公「トビー」をそう私が記した)


今読んでいる本で、つい見かけたものですから書いてみました。

「どぎつい」とおっしゃるなかれ。
これが本音なのだと思う。ただ、口に出さないだけであり、言葉にオブラートをかけて、やさしく聞こえる体裁をとっているだけなのだ。今の私達の日常は・・・。
メモをどこかに置き忘れたので、具体的な名前は書けないが、横浜のクリニックの先生(医師)の
話だ。
最近はお年寄りで、こう言う人が多くなった、と。
「病院で死ぬより、自宅で死にたい」と。
しかし現実は70パーセント以上の人は、病院で亡くなる。希望通り「自宅」で亡くなる人は20パーセント前後だとか。
しかし考えようによっては、死ぬまで病院に入院するよりも、自宅療養が可能な人は、是非自宅で、とその医師は言う。
高齢者にかかる医療の経費は、病院においては計り知れないほど高額になる。
それを自宅による治療に替えれば、あきらかに削減できるという。
「だからわたしは、自宅療養を勧めています。ただ家族の理解や協力等、可能性の問題も出てくるので、負担がかかるその度合いをみながら、おすすめしています」と。
「国家予算が底をつく」などという、国民を不安にするニュースが耳にはいる昨今。
国はもう「わたし」(年寄)の面倒を、みてはくれないのか・・・。

「人権」を考えれば、氷の上におきざりにしたり、山へ捨ててくるのは言語道断である。
が、これから想像を絶するほどの「高齢者社会」が、すぐそこまで来ていることを考えると、
高齢者といえども、年金の高額にかまけて遊びほうけるのは、いかがなものかと思われてならない。
まだまだ、場所によっては人手が足りないところもある。
生活に何不自由ない、健康な年寄は、世の為人の為、無償の愛に明け暮れてみては、どうか。
つまり、『ボランティア』である。
一週間に一日でいい、労働奉仕にいそしんではいかがでしょうか?
若い今の子に、昔の話をするのも、悪くはないか、と。


私の姉は、週に一回だけ大病院のフロアー係りをしている。
もちろん「ボランティア」である。
手続きで手間取ったり、行先が分からなくてウロウロしたり、字が読めなかったり、いろいろある
その外来のお客さんをサポートしている。
あとの五日間は自由三昧である。「ハワイアン・ダンス」「シャコール・ダンス」「観劇」「コーラス」と、まあまあ盛りだくさんの日々を、楽しみながらこなしている。
旦那さんは、別の勉強で毎日大忙し。「ピアノ」「園芸」「革細工」「手話」などなど。
体を動かし、適度に運動をして、という本音は「ぼけ防止」である。
100パーセント健康体ではない。年齢なりの「さびつき」はあって当然、とばかりに「病」と仲良くしながら、夫婦の空き時間を利用しては「学習の成果」に花が咲く。
ハワイアンが聞こえる脇で、一人は踊り、一人は手話で話す。


その脇で私は、「その次の準備は、いつやるの?」と内心あせりながら見つめている。
御年70歳の二人と、私67歳の高齢者である。
あの世からは、まだまだ迎えがこないとでも?・・・。


高齢者は一日一日が勝負だ、と前に申し上げたことがある。
朝目覚めたとき、あなたは瞬間何と思うだろうか・・・。
「あーあ、また今日がきた。生きていかなければならないのかぁ~(ためいき)」の人は、長寿で
はないそうです。(早死にするんですと・・・)
反対に「よぉー、朝だぁー。よーしがんばるぞぉ~」と心に思った人は長生き出来るそうです。

まあ、年齢に限らず、新しい朝を与えてもらえれば、それだけで感謝!かもしれませんが・・・。

「老いる」ということをしみじみ感じるのは、同年代の芸能人をTVで見る時です。
えっ、「舟木一夫」?。あの学生服の姿はどこへいった。中年のおじさんの顔になった彼をみて、
心のどこかでホットしている自分を発見する。
みんなこうして(苦労して)、人間らしくなったのよねーと。
そういえば、私も鏡で自分の顔をしげしげ見なくなった事に気が付く。
自分では気づかない(ふりをして)老いを、きっと人にばら撒きながら、今を生きているんでしょう
ね・・・。

とめどもなく書いて、迷惑をかえりみない老いた私の悪いくせ。
ごめんあそばせ。今日はこれくらいにして・・・。




知らないゆえに・・ごめんなさい!  2

2012年12月13日 | 心霊現象
今日は、ボクシング・ファンなら誰でも知っているであろう、あの「大橋秀行氏」のことです。
もちろん私は知らない。ええ、その時まではね・・・。
目の前に本人が現れても、「あんた、だれ?」ってわけですから、無知は恐いです。

さて、そのいきさつは・・・。霊能者K氏がある場所で知り合いになったとか。
「あなた知ってる?」(いえ知りません)
「会ってみる?」(いえ、遠慮しときます)
にべもなく断る私に、ある日K氏は是非会ってほしいと言う。
「私、ボクシングには興味ないし、全然知らない世界ですから行きたくはない」と断った。
しかし、今度は違う世界から攻められ、あっという間に承諾した次第。
それはね、もっとも私がその話に弱く、興味深い「あの世」のことでしたねぇ。
話は彼(大橋君・・その時は若造だったからこう呼んでいました)の写真一枚が引き金になった。

武田信玄のおひざ元、甲府へ彼が旅をした時のことである。
「信玄堤」を背にして撮った写真。それを見てK氏が動いた。
大橋も何かただならぬものを感じた、という。が、それが何かは彼には分からなかった。
鎧兜のようなものの気を感じ、さらにまた武者震いのような気配を身に受けたことだけは、はっきりと彼は思い出す。
ボクシシングの次の試合の事で、頭がいっぱいだったのだろうと、彼なりの理由づけをしたというが、実は違っていた。
そして次には彼をえたいのしれない「頭痛」が、連日襲うようになる。
大橋は恐怖さえ感じたと言う。
健康であればこその「ボクシング」である。体調をくずしたら選手生命は断たれたと同じだ。
そこでK氏の出番であった。さらに私の出番でもある。
なぜ? 大橋の背後は「武田」。これだけで充分な理由になった。
私が断れない「理由」である。

みんなが集まるのに無理のない場所、「ジョナサン」(ファミリーレストラン)で会う。
小柄な普通の青年。私の第一印象である。
先入観がゼロの私には、彼のどこが「世界チャンピオン」なのかが分からない。
「どこのお姉さん、この人?」って感じで私を見る彼。お互い様の様子を見て、K氏がニヤつく。

今でこそ「大橋氏」は、全日本ボクシング協会の会長だそうな。
自分でも「大橋ボクシング・ジム」を開設している。

オーダーをとりに来た店員が彼を見て、「オッ!」と言って「ちら見」(ちらちら見る今風の言い方)をしながら、気もそぞろなのが分かる。
(あなた、有名なのね~)、口には出さずに私も改めて「彼」をしげしげと見る。

いよいよ本題にはいった。
K氏曰く。「君の頭痛はね、背後のつっつきだと思う。病気じゃあないよ。時がくれば引いていくはず。このおばさん(私のこと)はね、武田家の、それも信玄の娘がついている人。
だから、君とは背景からいえば同じ血統圏になる。
この写真一枚が、かなりの事を語っているよ。まず名前ね。それは『武田信繁』(たけだのぶしげ)。信玄の弟になる。そして信玄没後は、彼が信玄の『影武者』となって、その後の闘いを勝利に向かって導いたという「優れ者」。
この人が今、姪(めい)にあたる「このおばさんの後」が見えているかは、分かんないけど・・・」
だって。

彼、大橋君が、「あの世」だの「守護霊」だの「霊界」などという抹香くさいことを、ご所望だった
かどうかは知らないが、一応神妙に聞いていたものです。
私としては、初めて霊界の縁者に出会ったわけですから、思いもひとしお。その後、彼を
追っかけ続けましたねぇ。しかし彼のボクシングは、一度も観戦していません。
殴り合いと、血と、刀をみると、今でも寒気がする私です。だから血液検査の時は、決して私は血を
見ないように、また見せないように看護婦さんにお願いしているくらいです。
忙しい彼をつかまえるのは、大変でしたね。
今地方に行っていないとか、海外へ行ったとか電話に出てくれる彼の「お母さん」が、いつもすまなそうに言ってくれました。(だから、私はむしろ横浜に住む彼のお母さんと仲良しになったくらいです)


ある日、K氏がたくさんの荷物を運んできた。
みーんなあげますよ。って言われても・・・。
「大橋秀行」のポスターや、サイン入り色紙、ブロマイドがいっぱい。
中には「世界チャンピオン」を初めてタイトル防衛した時の、思い出の「チャンピオン・グラブ?」(何ていうのか私は分からないが、あの手にはめているもの)が入っていた。
多分ファンにしてみれば、よだれが出る品々だろう、が私はその価値を知らない。
「私、いらないなぁ。欲しい人にあげて。むしろその方がいい・・・」と、ここでまたまたその無知
さ加減が出てしまった。
その品々は、周り廻って北国の旅館の「女将」と「若女将」に渡った。
彼女らは、彼の大のファン。泣いて喜んだと聞いて、私も喜んでいる。
その北国の旅館は、彼が「スランプ」に陥った折、K氏と共に一時雲隠れし、心身ともに再起をはかったところであり、お世話した母と子だったと聞いて、二重の喜びを感じたものです。
収まるところに収まった「品々」は、今でも大切に飾られていると聞く。


私は深追いはしない。時が去れば、人の心も変わって行く。
「大橋君」とはもう呼べない人になって、彼は日本のボクシング界を引っ張っていっているだろう。
彼がすべてから手を引いて、私がまだこの世にあったら、あの世の人脈を総動員して、「武田」の再興を願い出るのも悪くはないかもしれない。

今日は、こんな事もあったんですよぅ、という話をばいたしました。

ここでまた「たら」、「れば」の話を一つ。
もしも私が、「ボクシング」にもっと興味をもった人間であったら、事態は確実に今と違う方へと
動いていったかもしれないと・・・。



人生いろいろ。因縁もいろいろ。
こんなに人も多く、日々忙殺されている私達が、一生のうちで出会える人は、ほんの一握りの人。
その中で因縁深く出会える人、そしてそれが霊界の仕組みであったとしたら、再度のリベンジが来る
かもしれない。
その日のために長生きして、さらにこれからはボクシングの「いろは」でも学んでみましょうかしらねぇ・・・。

「心霊写真」(養老渓谷・日高邸跡)

2012年12月12日 | 心霊現象
ここに一枚の写真がある。
「碑」にはっきりと浮き出る、「ある人物」をその写真に見ることが出来る。
この世の方ではない。今から150年くらい前に、他界した人物である。
だから「これ」は、まぎれもない「心霊写真」である。
そこには霊能者K氏と私、それに日高邸ゆかりの人物がもう一人、この三人はこの世の人間である。
そこに「日高 誠実(のぶざね)」その人が一緒に写っている、というわけである。
顔だけを写した「その顔」と、日高邸跡と記された立て看板の「その顔」が同じである事から、「ご本人」であると理解した次第だ。

この方が何者だったのかは、詳しくは検索されたし。
ただ、簡単にご説明しておきますと。

天保7年2月29日生まれ。(日向の生まれ、今の宮崎県)
江戸で古賀謹一郎に学ぶ。明治元年、藩校「明倫堂」教授となる。
幕末、明治時代の漢学者。
明治維新後、陸軍省に入る。伊藤博文との親交深く、そのあと押しもあったと聞く。
明治19年、50歳になって陸軍省を辞し、官有地229町歩を無償で借り受け、理想郷・梅ヶ瀬を建設すべくこの地(当時の地名で市原郡白鳥村西沢)に居を移した。
そして近隣の村人たちの協力をえて、この山奥で私塾を開く。


当時は理想郷であり「私塾」の塾長であったかもしれないが、今そこを訪ねても「渓谷」そのものの
たたずまいのみで、過去を偲ぶ「よすが」さえも見当らない。
清流と、渓谷を渡る風の音のみである。
「明治の偉人」とうたわれた人物の最期の住処としては、あまりにも隠遁の風情が漂うのは、なぜか
・・・。

実は、K氏と私がそこまで行くには理由があった。
写真に写る「もう一人」(彼女)のたっての頼みがあればこそであった。
その御仁こそ日高邸の塾長、「日高誠実」を守護霊にもつ人物の奥さんであり、彼女の守護霊が
小笠原家の姫という「あの人」であった。(「霊界の人脈」に書きました)
彼女は、その跡地へは数回足を運んでいた。しかし、「墓」がみつからないという。
「それ」を捜しに出かけた訳である。
現在の千葉県市原市、その渓谷「養老渓谷」といわれている場所である。
秋になれば「紅葉狩り」で、ガイドつきのツアーが組まれると聞くが、平素は人も通わぬ?秘地で
あった。
道を間違いながらも、なんとか「日高邸跡」まではたどり着く。が、「墓」は無い。
行き止まりからまた後戻りを繰り返しても、無いものはない。
日を改めて再度の挑戦である。結局三度目の正直で、墓を見つけた。
それも地元の「物知り」から聞き出さなければ、とうていたどり着くことは不可能だっただろう。
「そこ」は、それほどの「処」であった。
それは、ありありと「発見されないように」という意図があった。
山肌に道はない。そこを分け入って登って行く。「道」を隠すとは、このことだ。
「日高誠実」がなぜ、人が来るのを意識的に嫌い、あるいは避けたのか・・・。
そして日高邸跡の碑の表面に、顔だけを出して何を言いたかったのか・・・。
つまり、心霊写真という現象を起こしてまで、言いたかったことは何か?
して欲しかった事とは、何か・・・。

小高い丘が平らに削られて、10個あまりの墓石があった。
私と彼女は、難関突破の疲れと安堵でくたくたに疲れ、風を体いっぱいに吸って休んでいた。
K氏は一つ一つの墓を霊視しながら、誰の墓かを割り出していた。
一つはもちろん「誠実」の墓。あとは奥さんや息子たち、身内の墓らしい。
が、一つ「なぜ」か解せない墓があった。
誰だこれ。なぜだ・・・?。
「誠実」の個人的プライバシーにかかわる事情らしい。血縁でない「女人」の墓、といえば、
ことは面倒になる?


養老渓谷の駅前に、茶屋、食堂兼お土産屋がある。
腹ごしらえをしながら、中年の「おかみ」に聞いてみる。
「日高氏」は、なんでこんな辺鄙な場所を選んだんですかねぇ~。
「うちの爺様なら、そこんとこの事情をよく知っているとは思うんだけど・・・」
(今、いっらっしゃるか?)
「いえ、もうとっくに亡くなってますけど。ただね、わたしが小さい時聞いた事によればね、何か
女性問題で、逃げるようにここへこられたとか」
陸軍省を辞すにはそれなりの理由があり、さすがの伊藤博文も、かばいきれなくなった「ある理由」があったらしい・・・、とK氏は読み取る。
だから、秘地であり、墓を人知れず道なき道で隠したのか・・・。

後日「彼女」は夫にその話をし、守護霊「日高誠実」の言葉を聞こうと促した。
大学教授や、文学者などを世に輩出した「名門、日高」を誇りにし、「偉い人」を信じてやまない
ご主人は、自分なりに調べた結果をもって大満足である。
市原市の市で出している新聞の、それも名所旧跡案内のコーナーに出ていた「日高邸跡」の内容は、
彼を充分に満足させるものであった。
いまさら「うしろの人」の不祥事など、ほじくり出して何とする。

しかし、彼女も真理を求めた一人であれば、ようやく本人を説得して守護霊降霊にまでこぎつけた。
が、ご主人は「心霊写真」を見ても、ガンとして認めようとはしなかった。
これほどはっきりと出ている「映像」を、「見えない」と言うのだ。
誰も写っていない、と。



今私は、「その写真」を脇に置きながらこのブログを書いています。
私の目には、今もはっきりと「誠実」の顔が見える。消えてはいない。
今までの間、十年は経つだろうが、その間でさえ消えてはいない。
見えていないのか、それとも見たくないのか、結局守護霊降霊も一回で終わった。
都合の悪いことは聞きたくない、という人情も分かる。
守護霊の生き様をほじくることも、はばかられるというのも、分かる。
が、科学ではまだ解明されていない、摩訶不思議な現象、「心霊写真」という形をもってしても、
地上に訴え、あるいは教えたいと願った「日高誠実」の言葉を、この世にひき出してあげたかった
と、思い出しては残気の念に堪えないでいる。


今年もまた、紅葉狩りで人が集まったであろう養老渓谷界隈に、こんな人がこんな事情と心情を抱えて、長い時間と向き合っていた事を、ついお知らせしたくて、忘れないうちに書いた次第です。


(そうそう、間違いを一つ訂正させてください。
 昨日の文で、「イエスが一括した」という「いっかつ」は、「一喝」が正しいです)





わたしを裁きそこねるな!

2012年12月11日 | 心霊現象
過去に「冤罪」となった人達が、無罪となっていくニュースを見るにつけ、時の流れを
しみじみ思い知るのは、私だけではないでしょう。
現代科学の推移をうけた「科学捜査」は、犯人とされた人以外の「別人の存在」さえ明らかにして
間違った裁きの一歩手前で、待ったをかける。
一般市民が、市井(しせい)の代表としてその裁きに加わる「裁判員制度」は、何を私達に求め、何を教えようとしているのか、私にはよく分からないのですが・・・。

「それでも僕は、やっていない・・・」
最後にこうつぶやく一人の青年の「言葉」が、私達の胸深く余韻を残す「映画」がありました。
冤罪、それはいつでも自分の身に降りかかる可能性を、不気味にも持ち合わせている。
一歩間違えば、「わたし」も法廷に引きずり出されるハメになりかねない昨今でもある。


『最後に言う事はないか』、と聞く満場の人を見据えて彼女が言った言葉。
『最後に言う、わたしを裁きそこなわぬよう。神の前に』、そう言ってジャンヌ・ダルクは口を閉じた。
神に仕えるという祭司や法律家達。満場の「位を持つ者」を相手にして、「彼女」は長い時間罪に問われていた。
言葉を発すれば発するほど、彼女を罪に陥れようとする彼らの「意図」はあからさまになっていった。
結果、彼女は「火あぶりの刑」と決まった。
一時は「神の導き手」と呼ばれ、「救い主」となった彼女は「罪人」として裁かれ、燃え盛る炎の中で死んで行った。

その後、その場に居合わせ、ジャンヌ・ダルクを火あぶりにした当事者が、どのようになっていったかは、私は知らない。
「裁く」ということが、どういうことであるか・・・。
その人の背後に「神」がおられたら・・・。人が神を裁くことになる。
そして、これ以上の罪はない。


歴史上、人が神を裁いた「蛮行」が一つだけある。
「イエス・キリスト」の十字架である。が、そう思う人にとっては、ということになる。
彼(イエス)は決して言い訳はしなかった。
ただ、あなたがたが見た通りのことを、行動に移せとだけ言った。
しかしその前には、激しい言葉で神に仕えた、あるいは神に携わっていた者たちを一括している。
その者達とは、世の律法学者やパリサイびと達のことである。

 『偽善な律法学者、パリサイ人たちよ、あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を
  閉ざして人々をはいらせない。自分も入らないし、はいろうとする人をはいらせもしない。
  偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめ
  るが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。
  盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう
  う。
  偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った
  墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいであ  る。(略)  』(聖書)

その後、弟子たちにはこう言っている。
『人に惑わされないように気をつけなさい』と。
その「惑わし」とは何であるかを一つ一つ述べている。
最後にポンテオ・ピラト総督の前にひき出され、何か言うことがあるかと聞かれる。
妻が見た夢が気になる総督は、なんとか彼(イエス)を無罪にしたかった。
が、何も言わず、口を開こうとしないイエスを、とうとう暴動寸前のユダヤ民族に渡した。
最後に何を言ってもはじまらない。
イエスはどんなにか叫びたかったであろう。
『わたしを、裁きそこなうな!(神の前に)』と。

結果、33年の人生(肉体)で終わりをつげた。最も過酷という、つまり極刑である「十字架に
磔(はりつけ)」となって。
さらに時が流れ、その撒いた種を民族的に刈り取る時がきた。
それが、第二次大戦に起きた「ホロコースト」、民族大虐殺である。
ユダヤ人600万人の死をもって償った歴史的事実の意味を、以前申し上げた通りである。



たとえそれが、「神がかり的」なものでなくても、人を裁くということは怖れて(畏れて)いい。
その背後に目に見えない「霊界」がある、ということを忘れてはならない。
実行にはおよんだが、果たし得ずして終わった「私の復讐」は、今思えば天の助けであった。
まさか「その強姦事件」が、血統的、霊的因縁からきているものであり、ある意味ではそれは
あらがえきれないものであったと知れば、なおさらのことである。
聖書に書いてある。
復讐はしてはならない、と。神にまかせろとも。
犯罪被害者の心は、そんな「まだるっこしい事」で納得は出来ないと私も知っている。
しかし、神の領域が確かにある。霊界の領域といってもいい。
天法の領域といってもいい。
手を出してはいけない領域は、耐えて偲んで待つしかない。
その忍従の中に、歴史が静かに清まり、治まっていくのを学ぶのだ。



年の瀬、雪が積もり、人の心さえも凍りつくこの時期に、想い出す言葉がある。
若い一人の青年に、神が語った言葉である。(前にブログで書いた)

『厳冬の中にある自分が、人になぐさめや温かさを求めたら、どうして主体といえるだろうか。
 自分の心が凍りつくときにこそ、他の心を温めてやれるそんな人が主体である』

難儀なことだが、こんな人(心の持ち主)になれたら・・・喝采!!
自分で自分を褒めてやりましょう!
・・・、と過去「復讐の鬼」だった私は、今前を向いて歩いています・・・。