霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「門」とは、そして霊界の門?

2013年03月30日 | 心霊現象
3月が終わろうとしています。
春になりきったわけでもない、さりとて冬でもない。
季節が二つの間を移ろいながら、確かに次へと向かっている。
そんな季節が、終わろうとしてます。日本人がこのような微妙な時期を持っていることが、一面
不思議でもあり感謝でもあります。
そこから「感性」が、日本人独特の感性が育まれてきました。
この感性は、本を読んでも、人から話を聞いても分からないでしょうね。
だから最後の手段は、日本に住んでみるしかない。
この四季の移ろいを、二度か三度は味わってみなければ、分からない、となる。
丁度そんな春の日。一年前に私は「霊界の門」第一編を閉じました。
『霊界の門、閉まります。
 門番は年増の女にて候。
 春の良き日にて候 』と。


さて、昨日の「心情の密室」にあてて、コメントを頂きました。(いつも感謝です)
そのことで、ちょっと・・・。
あの世の勉強は、しないよりはしたほうがいい。
なんて次元じゃないんです。
本来は、生まれた時から「叩き込まなければならない」事ばかりのはず。
なんたって、その法則、生きるべき規範が違うのですから~。

その中でのご質問。
「地獄の門」にて会う、というもの。
ご説明をする前に、霊能者K氏と私が、いつも言っていることはね・・・。
K氏の口癖は、「俺は地獄の門を閉める役目だから・・・」と。
私の口癖は、「私は地獄の門番」・・・と。
しかし、全部が全部「ここ」を出発点として次へ行くわけではない。
同じ心を持った者を待つ「門」が開いている。
それが聖書でいう「真珠門」。12あるという。
人の人生は10人10色。と、日本での言い方である。
宇宙、神、真理からみれば、人は12人12色となる。
だから「イエス」の弟子は「12人」必要だった。
「12」は宇宙、神、自然の数字である。
まず、一年は12か月。十二支が中国にある。天体の動きなどからみても、宇宙、時間、暦などは、
どうしても「12」ははずせない。
それから人間は誕生石だの、占いなどと「それ」を元に答えを編みだそうとした。

『隣の芝生』という言葉がある。
それも「青い」と。つまり「隣の芝生は青い」か?
隣の人が幸せそうに見える、という意味である。が、その幸せって、何をもって言うの?となる。
そう、「幸せ」の感じ方こそ、人それぞれ、形がないのです。
人が他人の姿をみて、幸せそうだとやっかむ事はナンセンスだと、教えている。
しかし、人の心の底は『人の不幸は、鶴の肉の味がする』。
鶴の肉は、多分誰も知らないだろうが、しかし食べたらきっと最高の美味さに違いない。
ということから「人の不幸」は、「いい気味」がする・・・、となる。

「私は不幸」だ、と思うのは自分であり、そう決めるのも自分の心だ。
反対に「自分は幸福だ」と思い、そう決めるのも自分である。
幸福、不幸は、向こうに漂う「蜃気楼」のようなものである。とりえのないものでもある。
しかし、心に刻み込まれた「感情」「心情」「その悲しみ・怨み・怒り」は残って、死とともに
旅に出る・・・。
その旅の始まりに、どこへ行くか?
連れて行かれる場所と、自分から行く場所はおのずと違いがでる。
「わたしはここへまず行く」、そう念じた場所へ行くだろうことは想像がつく。
多分、きっと行くでしょう。
それが「地獄の門」であれば、あなたは先ずそこに立つでしょう。
そして、門番にこう聞かれるでしょう。
「おまえは何者であるか。どこから来て、どこへ行く」と。
その時の答えを、はっきりと示さなければならないのです。
いつも言う私の台詞。なぜか?
私が門番だから・・・。
もし、門を入る者がいたら・・・、迷って間違って入ってきたのであれば、「ここじゃない、あっち」と言って、その人の行く方向を示そうと思うからである。
題名は忘れたが、かって「釈 ○○子?」主役の映画で、そんな場面があった事を覚えている。
「さあ、お行きなさい!」と、その方角を示していたものです。

イメージとしては、そんなことでしょうか?
だから答えは、地獄門はあるし、そこで会う事は可能でしょうね。
しかし、一方がそれ、つまり「会う約束」を忘れていたら・・・。
会えない可能性は大でしょう。条件は「双方が切に望む」ということです。
一時会っても、別れなければなりません。
だって、違う人生をおくり、その価値観も違う人が、永遠に同じ場所にいれるわけがない。
霊界は「心」の居場所ですから、一番居心地のいいところ、つまり自分が違和感を全く感じない
当然いてしかるべき「ところ」に、居ることが「安心」なのですね。
高いか低いかは別として、しばらく「そこ」に落ち着く。と、いうこと。
そして、その次がある。「天国」までいくのが人間のミッションであれば、今どこら辺にいるのかは、時間や心の疼(うず)きや、回りの環境で見えてくる。
そして、より高い霊格を目指して、指導者(霊人)に導かれて真理、天法、神への道へと行くようになっている。
・・・、とここまできて気分が悪くなる方は、「そういう話が嫌い」というスタンスで人生を送った方。
この世の規範とあの世の規範が、全く違って驚愕するところから、「霊界」つまり「あの世の旅」が始まる・・・、と脅しを込めて申し上げざるをえません。

コメントをくださった「あなたさま」の「あの世」でのことは、私にも断定できません。
が、私が先に行って、番人をする限りにおいては、お二人をお会いできるように、お取り計らい
させていただきましょう。
「お相手」の方が、どの霊界にいらっしゃるか、また、まだ地上にいらっしゃるかは、分かるはずですから。
また、お二方があの世にいらっしゃれば、私の門にてお会いくださいませ。
せっかく「ここ」(霊界の門)でお知り合いになった『ご縁』ですもの、「お相手」を呼び寄せることは、可能でございましょうから~。
二人の女が待つところ・・・、さぞかし「いい所」間違いなしと思召せ?。


本来、人は「霊」と「肉」で出来ていますから、この世とあの世が合体、つまり二重であり、張合わさったようなもの、として生活しているはずです。
が、あまりにも「霊性」が「肉体」によって覆われ、ぼやけ、力失せ、まるで無きに等しい日々を
送るうちに、消えかかる一歩寸前、とまあこんな感じでしょうか。
その霊性を全面に出す生活こそ、これからの「わたしの人生」であり、人類の歴史の黎明を告げるもののはずなのに・・・。
あの世の話は、「死」を目前にした人が思い悩む世界ではないのです。
とんでもない!。
学ぶべきは、若い青春時代にこそ始める養成講座のようなもの。「死出の旅路」の話の出発ですね。
犯罪、結婚、妊娠、子供の教育、家庭の在り方等々、これから人として生きる出発点に立って、いえあの世に行くまでの重要ポイントの数々を、この世で積み上げる「大切な時間」を、『成人式』というよい区切りから、出発していただきたいものです。


コメントを頂いた、その答えにはなっていないかもしれません。
ご本人のみならず、人としてはみーんな気になる事ですから「紙面」をお借りして書いてみました。
一番大切な事は、「念じる」ということでしょうか?
かっての私のように「殺すための祈り」(呪い)ではなく、ひたすら想いを念じる。
その日々を重ねるだけで、霊界はその心を知って動き、納得できるものを用意して待つでしょう。
せめて、あの世で会うほどのことくらいは、聞いてくれるかと・・・。


おかげさまをもって、私も自分の立場を再確認させていただき、誠にありがとうございました。
今後もまた、「門番」としてがんばりましょう・・・。
みなさま、あの世でもよろしく~。

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (mira1965)
2013-03-30 15:25:24
ありがとうございました。
安心しました。再び、彼とあえる準備をしていただけるようなので
感謝しています。

彼は、こういいました。
「よく、まがいものの霊能者がいうよね。
死んだ一族郎党が同じところで暮らしているというでしょ?でもね、
みんな、居心地がいい場所があってそれぞれ違うところにいるのだよ。夫婦でも
同じところにいられるってわけではないの。
だから、地獄の門であうのが確実なの。好きであっても、あの世で
お前さんと同じところで住める確立は低いけど、地獄の門の前なら会えるよ。」
彼から連絡が途絶えて、はや三ヶ月。私も、このところ思いもかけず体調を
崩し、長引いていて通院の身です。体が春についていけていないようです。数日前に
は、救急車を呼ぼうかしらという状況になりましたが、なんとか自力で奇跡の
復活をはたしました。
気分よければ出かけたりもしています。
その日の具合で動いています。がんばって読ませていただきますね。
返信する

コメントを投稿