霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

相性の裏側(その一)織田信長の娘が語る 5

2011年10月26日 | 心霊現象
守護『しょせん、俗によくいわれるように、血は水よりも
   濃しと申されるが、その通過通過に応じての事情、時点、
   現象において、その恨みを・・・恨みとか、憎しみとか、
   単なる一過性の思いであり、親は親、子は子である。
   しょせん、あかの他人、血のつながりのない他人との
   恨みとは、しょせん比較できぬ。
   恨む反面許しているわらわがある。どこの誰が非難、
   中傷を語ろうとも、まさしく信長は、わらわが父であれば、
   恨みながら許す、その連続であり、わらわの深いところで
   思いはある。

   この信長、わが父をみて、わらわの内面で、たのもしゅう思う
   心もある。
   親子でありながら、わらわが嫁ぎたき殿御は、父上のような
   理想を追いかけておった。
   ただ、先程申し述べたように、尊敬し、いとしく思える殿御の
   対象とする父親、まだまだ先を見ると、その父上の先が積み重なって
   織田家を支えているその積み重ねを思うときに、その功罪多々あると思うが、
   わらわ自身の人生では、おそらくその功の部分を食いつぶすわらわの
   生き様。

   織田家の先祖、累々の方とて、まことにあいすまぬわらわの仕儀
   ふるまいであったことを、織田の血をひいていた事を、全く恥ずる
   思いである。
   ただただ、わらわがそもじに願う事は、人をもてあそべば、自身の徳を
   なくしていく。
   これが、わらわが肉体をもっていた時の、わらわの本心がひっかかる
   一点である。

   おのれの能力にうぬぼれ、しかし勘違いのうぬぼれの部分で、人をもてあそんだ、
   ただただ、そもじとこういう場を設けて、反省し、恥じ入るそういう
   思いである。
   よくよくそもじには、人との交わり、つながり、大切に信頼を心して
   行動をなされたがよろしかろう。』
C子「お父さん(信長)は今成仏されていますか?」

守護『うん、おのおの一人一人の個人差、その思いもあろうが、父上の存在する
   その位置は、父上の納得できるその場所にあろうと思う。
   肉体をもった時から、いさぎよき人物であれば、清も濁もすべて
   おのれにふりかかって、おのれの責任において起きた事件、現象、
   甘んじてうける武士のいさぎよさというものは、もつべき偉大なる人物
   なれば、成仏という表現で的確かどうかわからねど、甘んじている
   という位置にある。
   
   そもじの思いにわいてくる思いは、わらわがそもじに訴えかける思いで
   ある。いくら否定しょうとしてもわいてくる思いは、わらわの思いでは
   ある。
   誠にあいすまぬが、男女の機微だけは、わらわにはわからぬ。』
C子「一度も結婚した事は、なかったのですか?」

守護『偏狭的な感覚であろう。
   さきほど申したように、殿御はわが父上しか対象にならぬそういう思いが
   強すぎた。はかりごとにおける婚姻は、何度かしくまれておったが、
   結局わが父と比較対象をしてしまう、全くせんなき事なれど、一つも
   成立できるはずもない。』

C子「なぜ私は、[真如苑]に縁があったのですか」・(真如苑という宗教団体)

守護『うーん、そこよ、そこよ。
   わらわが先に言ったように、本来天のもの、天に存在するものを、
   自分の立場まで引き下げて解釈する。
   おそらく。そもじの立場であれば、真如苑であろうと他の対象であれ、
   同じこころもちで進まねばならぬであろう。
   突き放したものの言い方であるが、おそらくそもじには、わらわも同様なれど
   天法というか、天の法則というか、真理というか、神、仏、目の前で出会っても
   おそらく信じないであろう。
   自分で価値判断を決めて、そういう傲慢なる価値判断が、わらわの感覚で
   あるゆえに、真如苑にこだわらず、信仰、真理というか
   救われる対象を探しあぐねる一人の放浪者とならざるをえない。

   天にあるものを、自分のいる存在に引き下げて、解釈する傲慢さ、非常に大いなる錯覚
   において、わらわの実力がそこまであるという、おおいなる錯覚において・・・
   わらわの足元において解釈してしまうおそろしき傲慢。
   ゆえに、神も、仏も確信のもてぬまま、苦しきかな信仰をたてる事は・・・

   わらわの背景があるという事を、ゆめゆめ忘れることなく、織田の血統を背負って
   いるという・・納得していただくより仕方なきこと。』


信長の娘「聖女様」は、このように言い渡されて霊界にもどられた。
C子さんはどう解釈したのだろう。

長い長い文を我慢して読んでくださったあなたなら、どう解釈されますか?
次の日からどのような生活をおくろうとなさいますか?

守護霊の言葉は地上のその人に語られた、その人だけのものですが、
これを聞くその場の人も共有する事はやぶさかではありません。


よけいなお世話でしょうが、私はこのように解釈いたします。
C子さんは、今はどなたとでも結婚は避けた方がいいでしょう。
今は時じゃあないという事です。
「聖女様」のたっての願いは、神、仏、天法、真理というものと徹底して
向き合ってほしい、つまり「求道者」たれと求めておられます。

さあ、選ぶのは、聞いたあなたです。が、決して参考程度ではない事を
ここでまた、念押しさせていただきます。

どうですか、この世とあの世が少し違う事がおわかりになって
いただけましたか。

この度は相手の男性との相性までいきませんでしたね。
いまはそれどころじゃねぇって感じかしら。

さて、皆さまがお疲れじゃあなければ、「シーボルト事件」にいっちゃいますね。

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