霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「今どきの・・・」

2013年06月30日 | 心霊現象
こう書いたら、次はもう「若者は」と続くだろうと思われてしまいますよね。
「当たり!」です。でも半分だけ。みんながそうだとは限らないでしょうから値引き?しておきます。
一つは「失礼!」の極みであり、もう一つは「危険」が伴った、という話です。
『くそ婆ぁ!』。それを聞いた時、女性がいくつになったら許せるようになる「言葉」でしょうねぇ。
永遠?。そう、永遠に許せない!と言ってはみても、自他ともに認める「婆ぁ」になったら・・・。いずれ皆様も、自分がそう呼ばれてみたら分かりますよ。
今日はそんな話をば・・・。


板橋区の徳丸。一時私はそんなところに住んでいた。
赤羽までのバイパスが出来るということで、道路が立体し、少しの距離がトンネルになっていた。
そのトンネルを、土地の中学生と思しき者たちが、10名ちかく自転車に乗って幅いっぱいに並んで向こうから来る。
当然道を開けてくれるものと思い、私はそのまま歩いていった。私は一人だ。
しかし、誰一人端によろうとする者はいない。急ブレーキをかけて自転車は目の前に止まる。
「おばさん!なんだよぅ!」。「避(よ)けるのは、そちらのほうでは?」と、私。
「人数からいっても、普通そっちがよけるよ、なぁみんな!」。
「あなた達、学校ではそう教わっているの?。どこの学校?。校長先生は誰?」ここまでは穏やかな口調で聞く私である。学校では道いっぱいに塞ぎ、人数の多い方がのかなくていい、と教えているのか・・・。
「近くの徳丸第中学でしょ。校長先生ちょっとした知り合いでねぇ。今行ってきてもいいんだけどさぁ・・」。(さあ、どうする?)
一瞬頭に血がのぼったのが覚めると、すぐさまニュースの一つが思い出されてきた。
ご老体が早朝、出会いがしらの若者を「注意」したら、いきなり刃物で刺されたというものだった。
一対一でも状況によったら、刃物が出てくる。それなのに「今」は多勢にむぜいだ。
そんな事件があちこちで聞かれて後は、周りの人間はあまり「注意」をしなくなったという社会現象さえ生んでいた。そんな時、よりによって「中学生相手に・・・」。
運が尽きればそれまでである。きゃぁ~、といって逃げてももう遅いし、様(さま)にならない。
「大人の沽券(こけん)」のため、命を賭けることになる。(大袈裟に言えば)
「道開けてくれるよね・・・」という私の言葉に、リーダーらしき子が、下っ端の子に「○○、そこのけよ!」と言って道が開いた。「ありがとさん!」そういってすたこらさっさと家に帰ってきた。
このトンネルを過ぎれば、そこが私の下宿だったから。
その後びっくり。トンネルの中で10人の男子中学生が、ありったけの声でこう言った。
『この、くそ婆ぁ~!』。その声はトンネル内で反響し、すごい声となって私の後方で爆発した。
私、その時はまだ30歳後半の頃。「婆ぁと呼ばれる歳じゃない!」。
しかし後で知るが、いまどきの中学生は、もう二十歳をすぎた女性はみんな「婆ぁ」になるそうだと・・・。
ま、命があったんだから、よしとして・・・。

次の話はね。
久しぶりの「おめかし」をして、山手線に乗ろうと駅に向かってあるいていたのよ~。
自分でもね、少し若作りしちゃったかなぁと思ったけど、「ブランド」に身をかためるとなると、これくらいのファッションは東京じゃ、普通よね。そう自分に言い聞かせて自信をもって胸をはって歩いていたのよ。
路地を曲がるともう駅になる。久しぶりのハイヒール。転ばないようにと注意しながら歩いたりしてね。
ふふふ、心もウキウキして、不思議なものねぇ・・・。森英恵のワンピースだったかしら?・・・。
気が付くと後方から急ぎ足で歩いてくる者がいる。それも一人じゃない。バッグを両手で抱えるようにして脇へ寄り、少し歩くのをやめて、行きすぎるのを待ってね。
若い学生風の男性が二人だった。わたしは後から行った方が安心だと思って、歩き始めたのよ。
そしたらひょい「その二人」が振り返って、わたしを見るやいなや「こう」よ~。
「なーんだ、婆ぁじゃねぇかよ~」だって!。失礼しちゃうじゃない!


こちらの「婆ぁ」(失礼)は、前にブログで書いた「あの割烹のおかみ」。
その当時は68歳前後だったから、失礼しちゃうと言ってもねぇ。(婆ぁなんだから・・・)
でも心のどこかでは、まんざらでもないでしょ。きっと二人の男性は「若くてきれいなお嬢さん」と思ったか
さもなければ二人で「どっちか、賭けをした」か?。賭けられただけいいじゃないの。
でもね、すぐその場で言ってはいけませんなぁ、「なんだ!婆ぁじゃねぇか~」なんて!・・・。


特にこの学生さん?。
あなたがたは、大損しましたねぇ。この女将さんはね、太っ腹。
怒らせるより、ちょっとひねってね『すみません。今後ろからついてきて、二人で賭けをしたんですよ。
俺は二十五歳以下。こっちのヤツはね学生だって。はずれたみたいだけど、後ろ姿はそれくらい若い!』
とでも言ったら、コーヒーの一杯くらいおごっちゃう「おかみ」でしたねぇ。
後でそんな事を言いましたら、「あなたも少しは分かってきたようねぇ。このわたしと業界がね」ですと。
心がみえみえでも憎めない。これはトンチでも上手でもなく、知恵や粋(いき)の部類に入るのでは?・・。

右をみても左をみても、これから増々年寄が増えるんです。
婆ぁを婆ぁと言ったら、それでおしまい。あとにはなーんにも残らないでしょ。
むしろ「悪ガキ」が増えて!と後味の悪い思いだけが残ります。
そんな私も背筋を伸ばし、スタスタと歩いているつもりでも、電車に乗れば「席」を譲られてしまいます。
内心「えっ」と思う反面、「いい子だねぇ」とも思う。
「ありがとさん!」って、にっこり微笑んで感謝して譲ってもらっています、今はね。


歳は取ります。悪いことでは決してありませんが、どう歳をとるかではないでしょうかねぇ。
「いまどきの・・・」と続く言葉が文句ではなくて、批判ではなくて、「ありがたいねぇ」で結べたら、私の晩年もめでたいことです。もう少し自分を磨いて、「目出度さ」を沢山体験したいものです。
世の中が、言葉一つでギスギスしてしまう昨今、言葉で温かくなったり、嬉しくなったり、ほっこりしたり、
そう、これも「無財の七施」の一つです。
笑顔もそうです。お金を使わずに、人を幸せにすることが出来るなんて。
それが例え、ほんの一瞬でもいい「一期一会」の忘れられない「いい思い出」になったら、あなたは永遠に人から「忘れられない人」になるでしょう。
「無罪の七施」には婆ぁも爺ぃも関係ないのですから~。
「おわけぇの(お若ぇの)も、がんばっておくんなさいまし~」。



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