田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

正岡子規の病牀六尺を読む 1/3(2013/1/24)

2013-01-24 23:12:35 | 俳句、短歌
 昨年の秋、四国今治の両親の墓参りのついでに立ち寄った松山の正岡子規記念館で買った、「病牀六尺(岩波文庫 ワイド版)冒頭の写真」を取り出して読んだ。小説、坂の上の雲で、正岡子規の最後の様子が詳しく書かれていて、この本のことにも触れられていたので、いつか読もうと思っていたもの。子規は俳句、短歌に革新をもたらした人と聞いていたが、俳句の才ばかりでなく、この本を読んでみると、実際家で、経綸の才も豊かな人でもあったとよく分かる。

印象に残った箇所(1/3)

病牀六尺(岩波文庫 ワイド版 p7)

 土佐の西の端に柏島という小さな島があって二百戸の漁村に水産補習学校が一つある。教室が十二坪、事務所とも校長の寝室とも兼帯で三畳敷、実習所が五、六坪、経費が四百二十円、備品費が二十二円、消耗品費が十七円、生徒が六十五人、校長の給与が二十円、しかも四年間昇給なしの二十円ぢゃそうな。そのほかには実習から得る利益があって五銭原料で二十銭の缶詰が出来る。生徒が網を結ぶと八十銭位の賃金を得る。それらは皆郵便貯金にして置いて修学旅行でなけりや引き出させないという事である。この小規模の学校がその道の人にはこの頃有名になったさうぢやが、世の中の人は勿論知りはすまい。余はこの話しを聞いて涙が出るほど嬉しかった。我々に大きな国家の料理が出来んとならば、この水産学校にはいって松魚(かつお)切ったり、烏賊を干したり網を結んだりして斯様な校長の下に教育せられたら楽しいであろう。(5月5日)

 柏島とは初めて聞いた名前で、ネットで見てみると、高知の宿毛港から20キロほど南西にある島で、車でいける。周辺の海は透明度が高く、スキューバーダイビングの愛好者の来島が多く、民宿もあり、釣り船もだしてくれるとのこと。何の変哲もない離れ小島だったのが、土佐藩の名執政の野中兼山が長さ700メートルの馬蹄形の防波堤を築き、波除のある良い漁港に変貌し、漁業で栄える島となつたとのこと。野中兼山の築いた防波堤だけでも見る値打ちがある。またこうした校長が教鞭をとった学校の校風は島の人々に今も受け継がれているのではと期待もある。暖かくなったら、不良爺さんたちとこの島に行き、民宿に泊まって釣りを楽しんできたいもの。そう思って、不良爺さん達のリーダーの、小倉室町のラーメン屋錦龍のI氏に行きませんかと持ちかけると、二つ返事で、行こう。5月頃、爺さん達の予定を合わせて、柏島で釣りやれることに。

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