アジアの様々な都市、否、世界のどんな街と比較しても日本は特異な国だ。先ずその静けさと清潔さにどんな外国人も驚くはずだ。都市に車が溢れていようとも、クラクションを鳴らす人は滅多にいない。ひっきりなしに鳴っている外国の街から来れば、驚異的な別世界に感じるだろう。空気は澄み、歩道には穴もゴミもなく平坦、誰もが信号を守る、夜間の独り歩きにも問題はない、この日本の当たり前は外国では少しも当たり前ではない。そんな都市はアジアの何処にもなかった。何故に生れた違いか知らないがこの稀有な国は存在自体が文化遺産級、それはもっと日本人に自覚されて良いかもしれない。
日本人には八百万の神々が共存し、あらゆる自然物に神が宿るとする神道の宗教観が無意識に根付いている。仏教文化と融合しながら、融通無碍な心性が自然に形成されている。唯一神の信仰の故に柔軟性を欠く世界とはベースがまったく異なる。無宗教と云うよりも神々が溢れ個別が希薄になる、そんなところが正しい表現なのかもしれない。日常を律するに唯一神の指示や説教などは必要とせず、悠久の時間軸と人智を超えるものへの畏敬や謙虚さがあれば、秩序は維持できて人は人で居られると云う証左だろう。特異な国、日本。世界も似たようなものと考えないことだ。
労働力不足を背景に特定研修生制度などで外国人の流入は更に増加することが予想されている。既に四百万人規模で存在する在日外国人、いずれは人口の1割に到達するだろう。埼玉県川口市、群馬県太田市、東京の葛西など特に比率が高い地域も目立っている。川口市ではクルド人とトルコ人との衝突で深刻な治安懸念が出ている。一方でAIやロボットの高度化で様々な労働が必要で無くなる時代は直ぐそこにある。入国管理を緩和する必要性は、実はない。
特異な日本、それは伝播の力を持っているのだろうか?もともとが工作員天国の日本、街にモスクが増え、得体のしれない外国発の新興宗教が活動し、様々な難民が定着する、そんな風景にこの国が耐性を持っているのか確かめられたことは一度もない。自己中思考を何より嫌悪する日本の文化が、我の強さを当然とした文化にどう対応するのかは大きな問題だ。多様性の受容などと云う綺麗ごとでは済まない風景が欧米の日々の現実に展開されている。接点に起こる化学変化で特異な国がどう変わるのか、衝突と矛盾は止揚できるものなのか、あまりその結果を見てみたいとは思わない。不安定化した世界、東アジアにまで動乱が及べば計算外で桁違いの流入があり得る。特異な国にとって、それは破壊的なものになりかねない。先ずは、平和を祈念する。
川口