言葉のスケッチ

彩の国北東部に生息しています。

130722 我が町吹上の祭り

2013年07月22日 | ぶらり旅

◆吹上宿
日本の近世にあたる江戸時代の街道上で、旅人の休憩場所として利用されていた間の宿(休憩用の町場)。
当時最も重用されていた道路・五街道の1つ、中山道で非公式ながら利用された施設である。
所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡吹上郷吹上村。
現在の埼玉県鴻巣市にあたる。
--------以上はWikipediaより--------

写真は我が家のベランダからの眺望です。
町の南方向にあたります。
高い建物が無く、気に入った眺めです。
今日は独断と偏見で「わが町吹上の祭り」を簡単に案内します。

◆八王子千人同心街道
江戸時代に八王子千人同心が日光勤番のために整備した八王子から日光へ至る、40里(約160km)の脇往還に属する街道である。
沿道では日光道などと呼ばれていたが、日光街道と区別するために千人同心街道、日光火の番街道、八王子街道、館林道、日光脇街道などとも呼ばれた。
現在でも、埼玉県日高市から鶴ヶ島市にかけての国道407号は「日光街道杉並木」という名称で杉並木が残っている。
なお、佐野宿より先は日光例幣使街道、楡木宿より先は壬生通りと共通となる。

◆街道の宿場
①拝島宿 (東京都昭島市)
②箱根ヶ崎宿 (東京都西多摩郡瑞穂町)
③二本木宿 (埼玉県入間市)
④扇町屋宿 (埼玉県入間市)
⑤黒須宿 (埼玉県入間市)
⑥高萩宿 (埼玉県日高市)
⑦坂戸宿 (埼玉県坂戸市)
⑧高坂宿 (埼玉県東松山市)
⑨松山宿 (埼玉県東松山市)
⑩吹上宿 (埼玉県鴻巣市)
⑪忍宿 (埼玉県行田市)
⑫川俣宿(群馬県邑楽郡明和町)
⑬館林宿(群馬県館林市)
⑭天明宿 (栃木県佐野市)
⑮富田宿 (栃木県栃木市)
⑯栃木宿 (栃木県栃木市)
⑰合戦場宿(栃木県栃木市)
⑱金崎宿 (栃木県栃木市)
⑲楡木宿 (栃木県鹿沼市)
⑳鹿沼宿 (栃木県鹿沼市)
㉑文挟宿 (栃木県日光市)
㉒今市宿(栃木県日光市)
--------以上はWikipediaより--------

この地に居を構えて満7年になりました。
何も分からず、地元の方々のお世話になりながら、町の歴史を色々と勉強し始めました。
幸いな事に、自宅の目の前に図書館が新装開館したので、調事が楽しみです。


◆岐岨街道 鴻巣 吹上冨士遠望
天保6 - 8年(1835 - 1837年)
渓斎英泉 画
この図は正規の宿場である鴻巣宿を表すためのものであるが、実際に描かれているのは、吹上宿に近い人家が途絶えた寂しい道の風景である。
旅路の目印となる榎がまばらに植えられた昿原の縄手を旅の商人や虚無僧が往き交う。
背後では雪をいただく富士の山が関東平野の向こうに裾野を広げ、雄大な姿を見せている。
--------以上はWikipediaより--------

他人様の資料ばかりで情け無いのですが、図書館で探しても、町の資料は中々見つかりません。
しかし、我が町の歴史も奥が深そうです。


◆吹上神社
祭神は、大山咋命・倉稲魂命・大物主命、および、菅原道真。
前身は近江国大津の日吉大社(山王社。日枝神社の総本社)を奉奏する日枝社である。
宝暦6年(1756年)7月、火災により焼失したが、その後再建(年時不明)。
明治40年(1907年)に上分の山王社、中分の稲荷社、下分の氷川社、および、琴平社、天神社の5社が合祀されてできた。
暴れ神輿(けんか神輿)で有名。
--------以上はWikipediaより--------

先ずは何と言っても地元の神社とその祭禮には興味津々です。
昨年から2年間の年番を仰せつかり、地元の先輩方と一緒に年中行事に参画させて頂きました。
思い出深い2年間でした。


◆吹上神社の由緒
写真が下手ですみません。
良く見えませんから、書き写しました。
由緒正しい神社ですね。

《御祭神》
・大山咋命(オオヤマクヒノミコト)
別名山末之大主神と言い比叡山に坐す建国に功労のあった神
・倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)
食物を主宰する神
・素盞鳴尊(スサノオノミコト)
神性勇猛な又災厄祓除の神
・大物主命(オホモノヌシノミコト)
大國主命の和魂称之奉る御名
・菅原道真公(スガハラノミチザネコウ)
学問の神

《由緒》
當日枝神社は宝暦六年火災により
消失すその後再建年月不詳
明治六年四月村社に列せらる
同四十年四月十六日大字中耕地稲荷
社同境内社八坂社
字下耕地氷川社同境内社琴平社天
神社の五社を合祀す
当社は近江國大津市坂本の日吉大社
(山王社)より神霊を分ち奉持して参り
ましたが明治四十年右五社を合せ吹上
神社と改称す




さて、準備が整いまして、お祓いを受けたらいよいよ祭りの開始です。
以下のスナップ写真をお楽しみ下さい。


子供神輿です。


大人の神輿です。
喧嘩神輿ではなくなりました。



賑やかな山車の囃子方は、大人も子供も大変です。







いかがでしたでしょうか。
ではまた。
コメント (6)
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130711 厦門で迎えた誕生日

2013年07月11日 | 旅行

7月4日(木)
成田を発ち、中華人民共和国福建省厦門市に再び舞い降りた。
日本から支那まで広範囲を異常な高気圧が覆い、日本と同じ灼熱地獄だ。
10日間の激務に耐えねばならない。


7月5日(金)
Central Hoteru JINGMINの11階から、久し振りに朝の厦門市街を眺める。
高層ビルが増えた気がする。
聞けば、今の中国で一番元気がいいのは不動産屋だそうで、他の産業は頭打ちだとか。
マンション1室、安くても日本円で3千万円~5千万円。
高いと1億円。
それもコンクリート打ちっ放しでの売買だ。
水まわりから内装まで、購入者が自前で工事を追加しなければならない。
しかもローンは無い。
これでは売れないのでは…。
街に出て完成したマンションを見上げる。
やはりまだ誰も入居していない…。
聞くと見るでは大違いである。





7月7日(日)
土日返上での仕事の後、取引先経営者のご家族と食事会。
私が抱いているお子様は満2歳。
誕生日が私と同じで、一緒にお祝いをした。
お姉ちゃんは満5歳。
年の差に関係無く、すっかり懐いてくれました。



7月8日(月)
厦門島は居住区になるらしく、工場は全て島外(大陸)に移動中の様だ。
厦門郊外の工場で仕事の段取を待つ間、近所の畑を散策。
ライチが実っていた。
収穫は秋…今年は不作だと農民は不機嫌に言った。
この地区に専業農家は無い。
殆どがアパートや貸し工場の家賃収入で生活している。
畑は全部自家用で、作物が地元の市場に出る事は無い。
若者の農業離れは誠に甚だしく、何処の国でも同じである。
疲れてホテルに戻ると、西日が酷い。
冷房温度を下げて、しばし夕陽を眺める。


7月9日(火)
台風接近!
日本の天気予報は、日本の事しか予報しない。
台湾の高山を越えて台湾海峡まで来てしまうと、台風は厦門を直撃する。
帰国日までの状況が気になる。

7月10日(木)
飛行機が欠航となれば、成り行き任せを覚悟した。
しかし、遅れに遅れて逃げるようにではあったが、無事に帰国した。

Xiamen Gaoqi International Airportで食べた昼飯兼晩飯の様な定食は、骨付き豚肉の旨煮。
不味くは無いが最後まで油物にやられた。
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