山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

吉野弘の身近な世界への深さ

2015-02-06 20:20:09 | ポエム
 先日、「クローズアップ現代」の番組で詩人吉野弘が昨年亡くなっていたことが紹介された。
 離婚報道やバラエティーに狂奔するメディアが吉野弘の死をNHKしか報道しないことが悲しい。
 そういえばと、むかし書き写していた「POEM」ノートを探し出した。

  
 悲しみが深海に沈殿されているとき、図書館で見た詩の本をミニノートに書き留めたものだ。
 谷川俊太郎の詩を走り書きしたものが多い。
 語彙の持つ多面性を断層写真で切り取ったような切れ味の見事さに惹かれた。
 そのリズムの明るさに元気をちょっぴりいただく。

                       
 長田弘の詩も西欧的なウイットに満ちた世界につい「缶」コーヒーを飲む。
 そんな世界に彷徨しているうちに悲しみはいつしか希望へと止揚している。
 そのうち書き写すのが面倒になり、詩をコピーして貼り付ける打算にはしる。
 吉野弘はそこに登場する。

                   
 結婚式のとき披露されているらしい「祝婚歌」という詩はすばらしい。
 「正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい」とね。
 「生命は」という詩は、東北の成人式で朗読された。
 「生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい
 花も めしべとおしべがそろっているだけでは 不充分で 虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする  生命は その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ」とね。
 
       
 テレビでは「夕焼け」という詩を紹介していた。
 満員電車で席を年寄りにゆずってきた娘が3回目は立てなかった事例から。
 「やさしい心の持ち主は いつもどこでも われにもあらず受難者となる
 やさしい心に責められながら 娘はどこまでゆけるだろう」とね。

 是枝裕和映画監督は、「空虚感・孤独感が駄目なものではなく、そういうものを感じるからこそそこに他者が入ってきて寄り添って埋めてくれる隙間があることの方が、人間として可能性が広がっているんだ」と珠玉のコメントを語る。

 お笑い芸人とアイドル頼みのメディアの中に、吉野弘の深さを提起する勇気ある番組は作れないものだろうか。
 閉塞的な混迷が事件を起こしているのに、視聴率競争に狂奔するマスメディアの責任は大きい。
 日本丸はぽたぽたと浸水を始めている。
 


    
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« さらさらの冠雪は景色を作る | トップ | 「ウソ」じゃないよ本当に見... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ポエム」カテゴリの最新記事