goo blog サービス終了のお知らせ 

山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

そして藁から合繊になった!!

2022-10-17 22:16:09 | 出会い・近隣

 昨日は地域の祭礼があった。しかし、コロナのこともあり祭事だけでお祭りは中止だった。同じように、わが10軒の集落のお宮も宮司さんを呼んだ祭事だけでにぎやかな「直会」(ナオライ)は中止だった。今年は、初めて藁ではなく合繊のしめ縄が登場した。毎年藁で作っていたしめ縄をやめて、丈夫な合繊のしめ縄をついに購入したというわけだ。

   

 というのも、集落の頭数が減っていき、同時に高齢化も進行し、田んぼの藁の確保も難しくなり、毎年地元で作るしめ縄が作れなくなったというのが理由だ。しかも、近隣のいくつかの地区も同じように合繊のしめ縄を購入となった。丈夫で金色に輝くのはいいが、太陽光や雨ざらしに弱いので祭事が終わり次第、その日のうちに片付けとなってしまった。数年前には幟も購入したのでそれらの財政負担は年金だけの収入しかない生活者には厳しい。

             

 前回のブログで紹介したように、安田喜憲先生によれば、しめ縄は雌雄の蛇が合体した豊穣のシンボルだという。「稲作漁撈民」は蛇信仰が共通していて、日本も南米も▲印の蛇マークを土器や調度などの模様に描いている。

 注連縄は一般的には、岩戸に閉じこもったアマテラスが外に出たとき、再び戻らぬよう岩戸を縄で塞いだという神話からの由来が多い。同時にしめ縄は、雲を表すという。しめ縄に付ける紙垂(シデ)は「雷」を表し、同じく細い藁を付けるのは「雨」を表すのだともいう。そのことで五穀豊穣を願うというわけだ。(以下の画像は藁を使用していた時のもの)

     

 加えて、神が降臨するというしめ縄の意味は、神聖な場所と現世との境界・結界だというのもよく言われる。さらに、しめ縄は「注連縄」と表示する。「注連」とはもともとは中国で死者が出た家の門に張る縄のことだという。故人が再び戻らぬよう結界を作った風習にちなんでその言葉を引用したということだ。

 いずれにせよ、地域の祭りが成立しなくなるとその波はいっそう深刻化する。少子化で人口が減少していくのは数十年前から言われてきたのにもかかわらず、根本的な対策をしてこなかった政治の貧困がはなはだしい。都会は潤っても地方は寂れていくばかり。地方の国会議員とそれを支える選挙民の在り方が問われるのだが、いまもって変わらない。今までどおりの現状を糊塗する政治では何も生まれないのに、とぼやくばかりの日々だ。家の玄関の上にしめ縄をつければいいのかなあ… 。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする