たけちゃん活動・生活日誌

県議としての活動に追われてきましたが、引退後の生活の様子や、感じていることを発信しています・・・。

朝陽商工振興会40周年記念誌発行慰労会に出席

2019年06月02日 | 活 動
 5月30日の夜は、朝陽商工振興会の40周年記念誌発行の慰労会が開催され、私もお招き頂き出席しました。
 編集委員の皆様のご尽力によって5月1日付けで発行された記念誌の名前は「~この街とともに 40年~」で、A4版27ページのカラー印刷の冊子ですが、役員や会員の皆さん全員の思いとともに、昭和51年と平成22年を比較する街の航空写真や商工振興会の歩み、街づくりの取組みや資料等が掲載されていて立派に編集されていました。

 私も、今年2月頃に原稿を依頼され県議として投稿しましたが、冒頭の平出商工振興会長に続き祝辞として、掲載されていました。
 以下、下記に、私の住む石渡の街づくりの歴史の一端を知って頂ければと思い掲載します。
 なお、慰労会の方は、編集の苦労やむかし話等で盛り上がりました。
 
朝陽商工振興会40周年に寄せて
  
                                        県議会議員 竹内 久幸
 
 朝陽商工振興会40周年おめでとうございます。
 この40年間、貴会が地域の活性化や街づくりに果たしてきた役割には、計り知れないものがあり、その功績に心から敬意と感謝を申し上げます。
 私が貴会と活動をともにしたのは、昭和58年9月に市議になって以降の36年間ですが、特に街を明るくするために昭和60年に設置した88基の街路灯の整備、乱開発を防止し住みよい地域にするために運動公園で止まっていた都市計画道路「東部幹線」を開通させるため、昭和60年12月に「朝陽地域開発推進協議会」(飯田利之会長)を結成して以降の活動には目を見張るものがありました。
 「東部幹線」の整備手法については、市は当初区画整理事業によるとしており、地域開発推進協議会による陳情等を踏まえ、市は区画整理地権者説明会や地権者訪問等を行いましたが、同意を得ることできず道路整備は一時暗礁に乗り上げてしまいました。
 しかし、貴会は、ここで諦めることなく、区画整理手法でなく線買収による道路整備を市に求める方向に切り替え、そのため、石渡の将来の街づくりや東部幹線の整備について、石渡区民の考えを把握するため「ASAHI みらい21 みんなでつくる石渡のまち」と題するチラシとアンケートを全戸配布し、406世帯から回答を得る取り組みを行いました。
 結果は、これからの石渡の特徴について、「住宅・商店・公園など調和のとれたまち。」が59%、東部幹線の開通について、「開通することを望んでいる。」が71%という、地域の皆さんの関心の高さが示されました。
 また、これらの取り組みの過程では、隣りの運動公園通り商工振興会による「運動公園通り開発推進協議会」が平成62年8月に結成され、以降、市への陳情活動を、石渡区や朝陽地区活性化対策委員会等と一緒に展開して来たことは、長野冬季五輪アイスホッケーB会場の整備が長野運動公園に決まったことも追い風となり、線買収による道路整備に繋がりました。

 こうして平成3年5月に地元説明会が行われ、ようやく県道三才大豆島中御所線までの東部幹線整備事業が着手され、平成9年4月に開通しましたが、このことは、貴会の諦めない粘り強い活動がなければ成し遂げられなかったことであり、改めて敬意を申し上げます。
 さらに、先のアンケートで、これからの石渡の特徴について、「住宅・商店・公園など調和のとれたまち。」を実現すべく、道路整備の取り組みと並行して、当時話しのあった「朝陽ショッピングセンター計画」を実現する取り組みが貴会を中心に行われたことが、今の石渡の街をつくったと言っても過言ではありません。
 このように朝陽商工振興会40の歴史は、石渡の街づくりの歴史でもあり、これからも次の時代を見すえ、原動力の役割を果たしていただきますことを祈念申し上げます。