たけちゃん活動・生活日誌

県議としての活動に追われてきましたが、引退後の生活の様子や、感じていることを発信しています・・・。

3.11脱原発集会に参加しました。

2012年03月12日 | 社会生活

NO!原発、脱原発、サラバ原発
           3.11長野県大行進inながの


 3月11日(日)午後2時から長野市南千歳公園で行われた「脱原発集会」と行進に参加しました。
 この日は、同様の集会が県内10数カ所で開催され、私の参加した長野会場へは約1000人が参加しました。
 集会では実行委員会を代表し3名の方から挨拶を受けた後、福島からの詩の朗読、松本会場とのエール交換等の後、東北地方で大地震が発生した14時46分に黙祷を行いました。


 あの日、この時間、私は2月定例県議会の最終日。
 午後1時からはじまった本会議が、議案採決を経て午後2時頃閉会。
 その後、控室に戻り知事や副知事、警察本部長の挨拶を受けた後、会派団会議。
 会派団会議で今後の日程等を打ち合わせをしている時、揺れを感じ「あ、揺れてる地震」と私が言うと、みるみる揺れが激しくなり、みんな外を見ながら揺れを見守った。
 その後、情報を得ようと誰かがテレビを付けると津波情報が出ていて、みるみる予想津波の高さが高まっていく。
 そして、ついに高い津波に集落がのみ込まれて行く、あの映像が生中継で写し出されるのを見ました。


 集会での黙祷の時、私は目を閉じると、私のあの日、あの時のことともに、津波によりのみ込まれて行く人々の姿が浮かび絶えられませんでした。
 そして、震災で亡くなった方々や突然大切な方を亡くされた方々の、あの日、あの時の瞬間の場面を思うと、被災者があの瞬間を今後も背負い生きて行くことの辛さに思いを巡らしました。
 もし、私の妻や子どもや孫が目の前で津波にのまれて、私だけが生き残ったらどうするか。
 原発事故が起き、私の子や孫が放射性物質の濃度の高い地域に生活していれば、どうするか様々なことが頭をめぐりました。


 集会は、最後に次の趣旨の決議を行い行進に入りました。
 1.東京電力と政府は、原発事故の収束と放射能汚染拡大阻止に全力をあげること。
 2.東京電力と政府の責任で、被災者の支援と全面補償を行うこと。
 3.中部電力は浜岡原発を再開しないこと。
 4.暮すべての原発を廃炉にし、原発に頼らない自然エネルギーへの転換をはかること。


 行進では、次のスローガンをアピールしました。
 原発危ない   原発やめろ    原発なくそう  みんなでなくそう
 放射能こわいぞ 子供を守れ    放射能いらない 未来を子供に
 野菜が食べたい 農家を守れ    魚が食べたい  魚にあやまれ
 牛乳のみたい  牛にもあやまれ  地球を守ろう  未来を守ろう


 行進が進むにつれ、若者を中心に一般参加者が増えていました。


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