竹とんぼ

先達の秀句を味わいながら
自得の一句を求めて多作多捨です
古希すぎの晩学で楽しみながらの遅々緩歩です

父祖の地に闇のしづまる大晦日 飯田蛇笏

2018-12-31 | 


父祖の地に闇のしづまる大晦日 飯田蛇笏

つとに名句として知られ、この句が収められていない歳時記を探すほうが難しいほどだ。時間的にも空間的にも大きく張っていて、どっしりとした構え。それでいて、読者の琴線には実に繊細に触れてくる。蛇笏は文字通りの「父祖の地」で詠んでいるが、句の「父祖の地」は某県某郡某村といった狭義のそれを感じさせず、人が人としてこの世に暮らす全ての地を象徴しているように思われてくる。大晦日。大いなる「闇」が全てをつつんで「しづまる」とき、来し方を思う人の心は個人的な発想を越えて、さながら「父祖の地」からひとりでに滲み出てくるそれのようである。日本的な美意識もここに極まれりと、掲句をはじめて読んだときに思った記憶があるけれど、そうではないと思い直した。外国語に翻訳しても、本意は多くの人に受け入れられるのではあるまいか。ところで、「大晦日」は一年の終わりなので「大年(おおとし)」とも言う。「大年へ人の昂ぶり機の音」(中山純子)。真の闇以前、薄闇が訪れたころの実感だろう。大晦日にも働く人はいくらもいるが、しかし漏れ聞こえてくる「機(はた)」の音には、普段とはどことなく違う「昂(たか)ぶ」った響きがうかがえると言うのである。この「昂ぶり」も、やがては大いなる「闇」に「しづま」っていくことになる……。(清水哲男)

【大晦日】 おおみそか(オホ・・)
◇「大晦日」(おおつごもり) ◇「大三十日」(おおみそか) ◇「大年」(おおとし) ◇「大歳」(おおどし)
12月の末日のこと。陰暦の12月30日であるが、陽暦では12月31日。大晦日(おおつごもり)ともいう。元旦を明日に控えた一年の節目の日。いろいろな行事とともに様々の人生絵巻が繰り広げられる。
例句 作者
大年の夜に入る多摩の流れかな 飯田龍太
漱石が来て虚子が来て大三十日 正岡子規
大年の法然院に笹子ゐる 森 澄雄
夜遊びに来し大年の亡き子かな 石 寒太
波除に大年の波静かかな 松本たかし
大年の夕日当れる東山 五十嵐播水
袖濡れて硯洗へり大三十日 水原秋櫻子
大歳といふ海溝を前にせり 能村登四郎
大年のかすかに正す額の位置 宮内とし子
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