竹とんぼ

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春や昔 十五万石の 城下かな  子規

2018-07-23 | 子規鑑賞
春や昔 十五万石の 城下かな  子規




この俳句は、明治28年、正岡子規28歳頃の作です。
日清戦争の従軍記者として中国へ赴く前、
一時、東京から故郷の松山に戻った際に、詠み上げた俳句だそうです。

それでは早速、この俳句の意味を簡単な口語に直してご紹介します。

「かつて江戸幕府があった頃は、
この地も十五万石の栄えた城下だったが、
その春も今は昔のことか」

この俳句は、正岡子規の作品の中でも非常に有名な一句であり
戦後は子規の故郷、松山の象徴としても扱われています。
1949年、松山駅前にこの俳句を模した石碑が建てられましたが、
その4年後に行われた駅の改修工事のため、
この石碑は子規記念館の横へと移動されました。
しかし現在では、この石碑は松山駅前の
ロータリー西側にある交番の前に再び建てられています。

この俳句を詠んだ後、正岡子規は周囲の反対を押し切り、
従軍記者として戦地へ向かいます。
その後は、従軍したことで患っていた結核が悪化。
短い生涯を閉じることになります。

帰郷した際、故郷を眺めながら、
正岡子規はこの俳句をどんな想いで詠み上げたのか。
もしかしたら、
松山の地と、自らの行く末を重ね見ていたのかもしれませんね。


※参照:http://nihonshimuseum.com/masaokashiki-haiku/

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