観音寺のはずれ

観音寺のはずれ ひとり静かに 考える

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哀しい?

2013-02-20 13:27:50 | 最近よんだ
去年の祭り、そろいのシャツの背中に何故か、こちふかば、の歌が。こんな歌を背中に背負わなくてもよかろうにと思うのは私だけ?。
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近況報告

2013-01-30 14:02:30 | 川のほとり
高校時代通った高校が立て替えにということで数十年ぶりに見学に


 
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不屈の民

2012-03-25 12:30:04 | 最近よんだ
不屈の民
最近練馬で反核デモに参加した友人に会った。その中でサウンドカーでパンク系のバンドが演奏していた曲が何か聴いたことがあるが思い出せないと言っていた。どうも中南米の曲らしいのだが?
という。
もしやと思いYouTubeを調べて見たら、あった。

不屈の民という曲だ。
ベンセレーモスと並ぶチリの新しい歌運動の中で生まれた曲ということだ。
確か私が始めて聴いたのは、岡山でキラパジュンというグループのコンサートでだと記憶している。
黒ずくめのポンチョを着た数人の男性だった。
フォルクローレを聞きたくて参加した私にとって場違いなところに行ったという思いと同時に、それでも、音楽に込める彼らの思いを多少でも受け止めねばという思いの両方があった。
El pueblo unido jamas sera vencido!
エル プエブロ ウニド ハマス セラ ベンシド
というフレーズは今も私の脳裏から離れようとはしない。
はずかしながらその言葉の意味を知ったのは、正直 今なのだ。 団結した民衆は決して負けることはない。だそうだ。
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日独交流150周年決議」

2011-04-28 09:36:00 | 最近よんだ
衆議院本会議、「日独交流150周年決議」日独の違いと各党の態度 宮本たけし4/22

vs


ヴァイッゼッカー演説

この記事に触れて改めて
ドイツと日本の政治家の過去の戦争に対する認識の違いを実感する。
なんとお粗末な歴史認識。



「・・・後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目になります。・・・」ヴァイツゼッカー大統領演説より
 

 ぜひ
荒れ野の40年
―― ヴァイツゼッカー大統領演説全文 ――
ご一読を。
と同時に
朗読者の中の提起も気にかかる。
アクエリアンさんのホームページ
最 近 読 ん だ 本
「朗読者」
を参照にしてください。
少年と大人の女の恋の物語 その伏線にある歴史の部分を観る。

 小市民 主人公ハンナが文盲であることを悟られまいとせんがために過去の戦争犯罪を背負わなければならなかった。それに対してその場から逃げた兵隊や罪をハンナに押し付けた同僚。がいたということ。
そして、ハンナは裁判官に聴く。「その時あなたならどうした?」かと。
 この問いは。ハンナの同世代を生きた全ドイツ国民に対する問いかけでもあると思える。同じ国民が、同国民がかかわった歴史を裁く。そのことがはたして公平に?行えるのか?更にはそんな裁き方があるのか疑問だ。
戦前ナチスを支持した国民は80%を超えた時期があったのだから。
かといってあくまで戦争犯罪は裁かれなくてはならない。
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電波芸者

2011-04-24 17:50:29 | 最近よんだ
kojitaken さんのサイトに載った記事
▽[森永卓郎][原発][これはひどい]毒饅頭食ってた森永卓郎クンが噴き上がってるw

これは・・・・・?。
そういえばマガジン9のこの記事あたりから変だなとは思っていたがやっぱりね。
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「にっぽん泥棒物語

2011-04-23 09:42:09 | 最近よんだ
ちょっと前 朝のテレビで西田敏行がゲストとして出演していた。
これまで見た映画で一番の映画は?と聞かれて
「にっぽん泥棒物語」
三国連太郎 (出演), 佐久間良子 (出演),
山本薩夫 (監督)
だと答えた。
うーん そうか 
最初 私は30年以上前に見たのだが
また最近 DVDを借りて観なおした。
えっ?あの女優佐久間良子だった?香川京子じゃなかった?   
緑マコ? 佐藤オリエじゃなかった?
などといくつかの思い違いはあったものの
やっぱ感動。
あらすじ等に関しては下記を参照ください。
http://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/2001_05/010513.html

日の当らない邦画劇場
には面白い邦画がたくさん紹介されています。
ぜひご覧ください。
面白いですよ。
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東北の人たち

2011-04-22 17:06:43 | 戯言
 元気だろうか?
私はかつて通信教育を受けていた。1月の約1カ月の冬のスクーリングで出会った人たちのことだ。福島の人たち 宍戸さん。酒井さん 星さん 中島さん高橋さんそれから・・・。
 宍戸さんは郡山の自衛隊にまだいるの?だったら彼のこと屋から頑張って瓦礫と格闘してる?酒井さん中島さんと星さんはそれぞれの自治体で公務員として頑張っているやろうね。
 いまでも鮮やかに思い出す。あの時の記憶
 武蔵小杉のキャンパス。彼 宍戸君とは 私は当時生意気にも革命ごっこの真っ最中 その私と気長に接してくれた。暖かくて何より穏やか 私にとっての東北人とは彼のイメージそのものだった。
 しばらく忘れていた私の記憶をよみがえらせたのは震災で東京の九段会館の天井が落ちたニュースに接してだ 今でもはっきりと思い出すあの天井につり下がっていた大きなシャンデリア。あれが落ちたのだと 私が九段会館へ入ったのはただ一度しか入っていない。あれは確か百合子多喜二没後それぞれ20 50周年記念の講演会だった。
そこに来ていた酒井さんや星さんとバッタリ会って帰り道ホテルニューオータニの横を通りその上手にある喫茶店でいろんなことを話したのだ。その時の話の内容までよみがえってくるから人の記憶はふしぎだ。
櫛田ふきさんの閉会のあいさつがいまでも鮮やかによみがえる。
確か百合子さんがいまだに若い人の中で読み継がれていることを彼女は喜んでいるだろうという。司会の日色ともえさんの着ている琉球がすりの着ものを褒めて それから百合子が好きでよく身に着けていたのが懐かしいとの内容だったと記憶している。
それが縁で福島の人たちとの交流が始まった。
講演会や演劇 映画にも毎晩のようにみんなで行った。そして毎晩のように飲んでは話し合った。
映画では徹夜でイタリア映画 「1900年」 という6時間を超える大作もみたし
嵐の中の赤いバラ や統一劇場のカンナ咲くしまとかいうのもみたっけな
それから寺山作品も
講演会では
宇佐美誠二郎
乾考
増島宏
松崎運之助
尾形 憲
先生他
覚えているだけでもそうそうたるメンバー
 それから
あの講師の中には管 直人とかいう半端なちんけな奴もいたっけな
 そういえば松崎さんのお話を聞きに来ていた人がいた。山田洋次さんだ。
それから数年たってあの名作「学校」が公開された。
考えてみると30日くらいの間にちりばめられた出来事だった濃密な時間だった。
向こうが落ち着いたら一度連絡しあいに行こうと思う。
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ハルビン

2011-04-22 12:46:59 | 最近よんだ
 前に紹介した 芳地隆之さん  芳地さんの書いた 満洲の情報基地ハルビン学院 を行きつけの病院の待合室で読んでいた。そのときいつも合う初老のyさんが声を掛けてきた
 ハルピンの文字を観てその本には何が書かれているのかと聞くのだ。
私はなぜそんな事を聞くのかと尋ねると、彼の生まれは観音寺、昭和20年の秋。母はハルピン近郊の村からの引揚者だという。父は満州で応召したままで行方知れずだということだった。
母が言うには彼には兄弟が三人いたらしいのだが満州からの逃避行の途中で二人はなくなったと。一人は姉 もう一人は兄だという。それでハルビンに興味があるという話だった。
 後日 読み終えた本を彼に届けたらこうも言った。しんだ姉の遺骨(遺髪)はあるが兄のはないという。もしかして生きているかもと考えたりもするが母には最後まで兄の事は聞けなかったと彼は言った。
 彼は母が自分がいないときはNHKの残留孤児の情報番組を食い入るように見ていたのを知っていた。戦争と震災を一緒に論ずることはできないが。しかし 家族を引き裂かれた傷の痛みは70年経た今でも引きずっている。東北のひとたちもそうやって生きて行かなければならないのかもしれない。 悲しい。

この本めちゃ面白いです。ぜひご一読をお勧めします。
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釣り

2011-04-21 16:50:16 | ご近所
 4月24日の宇和島方面での釣りに誘われた。ヤッホー。
と喜んだもののその日はあいにく自治会の用事が入ってた。
残念。今だと何が釣れる?グレ メバル ガシラ 位かなあ。
ぽかぽかする海辺でお魚さんと遊びながら友達と取るに足りない戯言をおしゃべりすることが?他人から見ると暇人連中がつまらん。何ていうなかれ。
結構こういう時間こそが 人間の豊かさを実感させられる瞬間なのかも知れないんだから。そういえば私を除く4人は 普段は仕事は斬れるし酒は強いしおまけに週に最低2冊は本を読むらしい。いつ寝てるんやろうか?
すごい人たち。やけど世間では全くふつうの酒のみのおっちゃんにしか見えない人たちやし。
だ け ど?。だから?ひとりをのぞいてカラオケだけはまるでだめ。結果?飲み屋さんではまったく女にもてないしとモテないのをすべて歌のせいにして?なっとくして したがって丘で誰かを釣るなんてことはあり得ない。
あと一人はいくつかの修羅場をくぐって今は花の独身を謳歌中。
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みーつけた 古い原稿

2011-04-21 14:06:31 | ご近所
もうひとつの一の谷
私の幼少の頃の記憶の中で一の谷といえば 山本と豊田と一の谷の境の観音寺・込野線の琴参バスの一の谷バス停辺りの風景がまず思い浮かぶ。手っ取り早く言えば一の谷池の土手界隈だ。その頃土手には大型の路線バスが走っていて多くの人が利用していた。。そういえば昔 国鉄バスの一の谷バス停が本大の松本にありおまけに終点は同じ琴平。乗り間違えるヒトが結構いたらしいと聞いたことがある。思い浮かぶと言うよりは吉岡や古川の存在すら知らなかったのだ。夏、水いっぱいの 或いは冬、干あがった一の谷池の砂利を敷いた土手を父に連れられて 池の土手を渡りきった先にある果物屋さんに 当時は高価だったバナナを買いに行くことが何よりの楽しみだった。記憶に間違いがなければ夏には果物屋さんの前の道に4メートルくらいの高さの 木で組んだ日よけ(アーケードみたいな)が架かっていた。日陰になった店の横の木の壁には 下火にはなっていたが観音寺の数件の映画館のポスターが貼られていた記憶もある。母に聞くと加山雄三辺りのシリーズかチャンバラ映画に混じって子供向けの怪獣映画のポスターだったかも知れないという。 このバスに乗ってついた先観音寺にはテレビで映る都会へつながる駅や映画館や商店街や何かわくわくするものが在るのだと子供ながらに思ったものだ。もう40数年前の記憶だ。
 これが私の記憶の中の一の谷の原風景だ。
 やがて 私が中学校へ通い始めたころは どこも急激な発展の過程だった。もう 土手は舗装がされていて一の谷池の土手からは 学校帰りには 江藤の川鶴のネオンや 国道十一号線沿いの照明や スーパーなどの灯りがかなり目立つようになっていて 観音寺の中心といえるたたずまいをすでに見せ始めていた。それでもまだ大きい看板といえば自動車屋さんが目立つくらいだった。
 そして今は まさに 観音寺の商業の最先端の地域といえる発展ぶりだ。
 それと引き換えに田んぼや畑はすくなくなった。驚くことに最近では田んぼを走り回る子供や 川で遊ぶ子を見かけなくなった。そういえば昔は干上がった一の谷池の中では、男の子たちが池にできた川をせいてダムを作ったり 泥を丸めて投げあったりして遊んでいる光景をよく見たものだ。子供にとって池そのものが自然の遊び場、公園そのものだったのだ。
 今 私が住んでいるのは観音寺のど真ん中、私の記憶の中の一の谷の原風景が池の土手とバス停辺りならば、私たちの子供の持つ一の谷の原風景は車とヒトと大型店の立ち並ぶ風景ということになる。或いは あの明るいパチンコ屋さんの照明なのかもしれない。
 そして一の谷池周辺に目を向けると公園の工事の真っ最中だ。  
 町の発展を願いつつちょっと複雑でもある。
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