残暑が厳しく、秋の訪れを未だ感じれぬ今年の9月
そんな晴天のシルバーウィークに、我々カンパニー初となる、野外ステージでのダンスパフォーマンスが行われました。
太陽と青空の下、いつもに増して躍動するメンバー達の笑顔溢れる姿を見てるだけで幸せに。
屋外のステージも良いもんですね!
奇しくも同じ日に、規模は違い過ぎますが、屋外フェスの王道『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2024』が茨城県ひたちなかで開催され、最終日の大トリに『サザンオールスターズ』が6年振りに登場、100分に凝縮された名曲だらけの極上ライブがステージ上で繰り広げられてました。
思い起こせば、そんな場所に俺は、前回の6年前に立たせて頂き、見渡す限り押し寄せる人の波の中、出番前の舞台袖で聴いた『Superfly』さんの歌声に痺れ、サザンの出番となりオープニングでイントロが流れ出すと鳥肌MAX!
夕暮れ時の『真夏の果実』に酔いしれた後『マンピーのG⭐SPOT』では、ブリーフ被ってステージを駆け回り、フィナーレの『勝手にシンドバッド』では、桑田さんの近くで踊り狂い、7万人の観客が揺れ動く壮大な光景をステージ上から体感出来た事は、長く、辛かった道程が報われた感じで、踊り切った後の打ち上がる綺麗な花火を眺め『ダンスの神様ありがとう!もう、俺のダンサー人生に悔いは無いです!』と心から思えました。
しかし、それからは不思議な位にプロダンサーとしての仕事がパッタリと途絶え…
時期的にコロナ禍も重なり、インストラクター、トレーナーの方にシフトチェンジもしましたが、何より『絶対に踊りたい、やりたい仕事』が無くなり、オーディションに足を運ぶ時間も執念も薄れたら、そうなるのは当然。
『満れば欠ける』の言葉通り、情熱ってやつは、時の流れを変え、チャンスを生み、運を引き寄せる最大の原動力なんでしょう。
何故なら、自身の芸歴年表を見返すと、2001年サラリーマンからダンサーに転身しましたが、現実はフリーターに近い状態の中『夢だけは絶対叶えてやる』と強い野望だけ抱き、がむしゃらにオーディション等を受け続けた為、結果的に年に一度は客席数1000人規模の大きな仕事を頂けてました。
2001年~2018年までの17年間、自身の拙い力量を考えたら凄い事だったと痛感しますが、当時は全く満足出来ず『このまま終わって堪るか』の思いだけ。
その勘違いが逆に良かったのでしょうし、何より情熱が数々のチャンスを呼んでくれた。
それから夢も叶え、身の丈以上に幸せ過ぎるステージに何度も立たせて貰えましたが、自身のプロダンサー人生振り返ると、9回2死ランナー無しから、奇跡の大逆転勝利で夢の舞台に立てたミラクル劇でしたので、助けて下さった方々への感謝と満足感に尽きます。
現役ダンサーとしての大きな仕事は無くなりましたが、インストラクター、トレナー業の方は、身体1つでは足りない位に忙しく、更に新たなチャンスが舞い込んで来たり、サルサの業界でも色々なオファーを頂け、未だ踊り続けれる環境も有りますので、これらが情熱を傾ける場所なんでしょう。
なので、自身が体験出来た喜びを多くの方々に味わって頂き、ダンスを通じ、良き仲間達と笑顔で健康に過ごして貰える事が、今は俺の生き甲斐です!
数年前、俺の影響でダンスを始め、熱い思いで励み、後を追い掛ける様にUSJのオーディションを受けた若者は、今も踊りを続けてるのかなぁ~?
そうならば嬉しいけど、他に好きな事を見つけ、情熱持って追い掛けてるなら、それで良いし、苦労しながらも健康で実りある人生を送って欲しいと願ってます。
俺自身も、まだまだ人生色々ありますが、夢を掴めた経験は、苦難に遭遇した際、乗り越える自信や活力源となるので、簡単に諦めずにね。
そんな過去の栄光、未来への願望に浸りながら、自民党総裁選を5度目の正直で勝ち取った石破茂総裁の執念を見て、改めて諦めない心と情熱が起こす奇跡を痛感されられた次第です。
そんな晴天のシルバーウィークに、我々カンパニー初となる、野外ステージでのダンスパフォーマンスが行われました。
太陽と青空の下、いつもに増して躍動するメンバー達の笑顔溢れる姿を見てるだけで幸せに。
屋外のステージも良いもんですね!
奇しくも同じ日に、規模は違い過ぎますが、屋外フェスの王道『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2024』が茨城県ひたちなかで開催され、最終日の大トリに『サザンオールスターズ』が6年振りに登場、100分に凝縮された名曲だらけの極上ライブがステージ上で繰り広げられてました。
思い起こせば、そんな場所に俺は、前回の6年前に立たせて頂き、見渡す限り押し寄せる人の波の中、出番前の舞台袖で聴いた『Superfly』さんの歌声に痺れ、サザンの出番となりオープニングでイントロが流れ出すと鳥肌MAX!
夕暮れ時の『真夏の果実』に酔いしれた後『マンピーのG⭐SPOT』では、ブリーフ被ってステージを駆け回り、フィナーレの『勝手にシンドバッド』では、桑田さんの近くで踊り狂い、7万人の観客が揺れ動く壮大な光景をステージ上から体感出来た事は、長く、辛かった道程が報われた感じで、踊り切った後の打ち上がる綺麗な花火を眺め『ダンスの神様ありがとう!もう、俺のダンサー人生に悔いは無いです!』と心から思えました。
しかし、それからは不思議な位にプロダンサーとしての仕事がパッタリと途絶え…
時期的にコロナ禍も重なり、インストラクター、トレーナーの方にシフトチェンジもしましたが、何より『絶対に踊りたい、やりたい仕事』が無くなり、オーディションに足を運ぶ時間も執念も薄れたら、そうなるのは当然。
『満れば欠ける』の言葉通り、情熱ってやつは、時の流れを変え、チャンスを生み、運を引き寄せる最大の原動力なんでしょう。
何故なら、自身の芸歴年表を見返すと、2001年サラリーマンからダンサーに転身しましたが、現実はフリーターに近い状態の中『夢だけは絶対叶えてやる』と強い野望だけ抱き、がむしゃらにオーディション等を受け続けた為、結果的に年に一度は客席数1000人規模の大きな仕事を頂けてました。
2001年~2018年までの17年間、自身の拙い力量を考えたら凄い事だったと痛感しますが、当時は全く満足出来ず『このまま終わって堪るか』の思いだけ。
その勘違いが逆に良かったのでしょうし、何より情熱が数々のチャンスを呼んでくれた。
それから夢も叶え、身の丈以上に幸せ過ぎるステージに何度も立たせて貰えましたが、自身のプロダンサー人生振り返ると、9回2死ランナー無しから、奇跡の大逆転勝利で夢の舞台に立てたミラクル劇でしたので、助けて下さった方々への感謝と満足感に尽きます。
現役ダンサーとしての大きな仕事は無くなりましたが、インストラクター、トレナー業の方は、身体1つでは足りない位に忙しく、更に新たなチャンスが舞い込んで来たり、サルサの業界でも色々なオファーを頂け、未だ踊り続けれる環境も有りますので、これらが情熱を傾ける場所なんでしょう。
なので、自身が体験出来た喜びを多くの方々に味わって頂き、ダンスを通じ、良き仲間達と笑顔で健康に過ごして貰える事が、今は俺の生き甲斐です!
数年前、俺の影響でダンスを始め、熱い思いで励み、後を追い掛ける様にUSJのオーディションを受けた若者は、今も踊りを続けてるのかなぁ~?
そうならば嬉しいけど、他に好きな事を見つけ、情熱持って追い掛けてるなら、それで良いし、苦労しながらも健康で実りある人生を送って欲しいと願ってます。
俺自身も、まだまだ人生色々ありますが、夢を掴めた経験は、苦難に遭遇した際、乗り越える自信や活力源となるので、簡単に諦めずにね。
そんな過去の栄光、未来への願望に浸りながら、自民党総裁選を5度目の正直で勝ち取った石破茂総裁の執念を見て、改めて諦めない心と情熱が起こす奇跡を痛感されられた次第です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます